一緒に……
辰巳とカルセドニアが家に帰り着いた時、彼らは疲労困憊だった。
カルセドニアが開けた扉を潜り、居間に入った辰巳は、そのままどすんと椅子に身体を預ける。
「……さすがに疲れた……」
「お疲れ様でした」
「そういうカルセもお疲れ」
「はい、ありがとうございます」
二人は互いに見つめ合った後、どちらからともなく笑い合う。
事故現場の方は、なんとか落ち着きを取り戻すことができた。
辰巳のトリアージの概念を取り入れたことにより、最終的には誰一人として命を落とした者はいなかった。
ただ、さすがにカルセドニアを含めた魔法使いたちの消耗も激しく、一部の命に影響のない重傷者たちにまで治療が及ばず、後日に改めて治癒魔法を施すことになった。
辰巳もカルセドニアやタウロード、そしてガイルなどに支えられつつ、何とか最後まで事故現場で指示を取り続けることができたのだった。
そのためか、辰巳の疲労は肉体的なものより精神的なものの方が激しそうだ。
「……タウロード義兄さんも、突然俺に現場の指揮なんて取らせないで欲しいよな」
「あら、旦那様は立派にお務めを果たしておられましたよ? それに……どっしりと腰を据えてあちこちに指示を出していた旦那様……格好良かったです」
「あ……ああ、そう……あ、ありがと」
カルセドニアに格好良かったと言われて、辰巳は顔を真っ赤にして視線を泳がせる。
そしてそんな辰巳の姿を、カルセドニアは暖かな笑みを浮かべて見つめていた。
穏やかで心地よい沈黙が、辰巳とカルセドニアの家──最近、近所では「ヤマガタさんの家」とか「ヤマガタ家」と呼ばれている──の居間を支配していたが、その静寂を不意にカルセドニアが打ち破った。
「あ、忘れていました! すぐにお風呂の準備をしますね」
「ああ、そうだな。食事は帰る前に神殿で済ませたけど、やっぱり風呂は入りたいよな」
王宮の事故現場が落ち着き、辰巳とカルセドニアを始めとした各神殿からの協力者たちは、現場の責任者であるタウロードより感謝の言葉と共に神殿に戻る許可を得た。
辰巳たちは一旦サヴァイヴ神殿に戻り、ことの次第をジュゼッペに報告した後、神殿の食堂で軽く食事を済ませてから家に帰って来たのだ。
そのため、疲労は激しい上に腹は減っていないため、このまま寝てしまおうかとも思っていたのだが、やはり風呂に入って今日一日の疲れと汚れを落としたい。
特にカルセドニアは血で汚れることを嫌がることもなく治療に当たっていたので、その気持ちは辰巳よりも強いだろう。
「じゃあ、疲れているところを悪いけれど、風呂の準備を頼むよ」
「はい。少しお待ちくださいね」
カルセドニアは嬉しそうに応じると、すぐに風呂場へと向かう。
ヤマガタ家における風呂の準備は、全てカルセドニアの魔法に依存している。
《水作成》の魔法で風呂を水で満たし、《加熱》の魔法でその水を沸かす。
そして風呂の準備ができればまずは辰巳が入浴し、その次にカルセドニアが風呂に入る。
これは辰巳が入ってやや温くなった湯を、再びカルセドニアが《加熱》で沸かし直すからだ。
カルセドニアが風呂の準備をしに行ったのを見届けた辰巳は、着替えなどの用意をする。
その際、自分の着替えだけではなく、カルセドニアの着替えもしっかりと準備しておく辰巳である。
最初は彼女の下着に触れるのにもひどく動揺したりしたが、最近ではすっかりと慣れてそんなこともなくなった。
とは言え、それは決して彼のカルセドニアに対する興味が薄くなったという意味ではなく、単に彼が下着に対して変な執着がないだけである。
そうやって辰巳が二人分の着替えの用意をしていると、風呂場からカルセドニアが戻ってきた。
なぜか、済まなさそうな、困ったような表情を浮かべながら。
どうしてカルセドニアがそんな表情を浮かべているのか、辰巳は思い当たることがなくて首を傾げた。
「どうした? 何かあったのか?」
「そ、それが……お風呂の準備をしていたのですが……」
カルセドニアが言うには、どうも今日は昼間に治癒魔法を使いすぎたようで、魔力が枯渇寸前らしい。
そのため、風呂に水を張った後は、どうにか一回沸かすことができるだけの魔力しか残っていないとのこと。
「そっか。じゃあ、カルセが風呂に入ればいいよ。俺はこのまま寝るか、町湯の方に行ってみてもいいし」
「あ、あのー、それなんですが……もしも……もしも、旦那様さえ……よろしければ……」
カルセドニアは顔を真っ赤にし、もじもじと身体を揺らせながら上目使いで辰巳を見る。
「……そ、その……ご、ご一緒……しません……か? わ、私と……お風呂を……」
その瞬間。
辰巳もまた、カルセドニアに負けないぐらい真っ赤になった。
湯の表面にゆらゆらと揺れる、真っ白な二つの大きな山。
その先端には可憐な蕾が色付き、周囲の白さも相まって一層鮮やかに見える。
突き詰めれば、これってただの脂肪の塊のはずなのに、どうしてこうも男の関心を引き寄せるのかなぁ。
カルセドニアを背後から抱くような形で一緒に風呂に入っている辰巳は、暖かな湯に浸かりつつ、華奢な肩越しに見え隠れする双子山をちらちらと眺めながら、辰巳は男にとっての永遠のテーマとも言えることを思わず考えてみたり。
もちろん、半分は現実逃避のためである。
ヤマガタ家の風呂は決して大きくはない。そのため、二人で一緒に入ろうとすると、こうして辰巳がカルセドニアを抱き抱える形で入るしかないのだ。
太股に乗っかっているカルセドニアのお尻の柔らかさとか、お湯とはまた違った彼女の身体の暖かさとかが、辰巳をいろいろな意味で悩ませている真っ最中。
「久しぶりですね……旦那様……いえ、ご主人様とこうして一緒にお風呂に入るのは……」
一方、カルセドニアの方はと言えば、辰巳の苦悩も知らずに妙にご機嫌だった。
「あれ? カル……チーコと一緒に風呂に入るのは初めてじゃ……?」
この家で一緒に暮らし始めて約一年。これまでに何度もベッドは共にしたが、こうして一緒に風呂に入るのは初めてのはずだ。
辰巳が首を傾げていると、カルセドニアははにかみながら肩越しに辰巳を振り返る。
「そんなことはありませんよ? ほら、以前はよくご一緒にお風呂に入っていたじゃありませんか」
「以前……? ああ、チーコがまだオカメインコだった頃のことか」
カルセドニアが、まだ辰巳のペットのオカメインコだった頃。つまり、二人が日本で一緒に暮らしていた頃は、時々一緒に風呂に入ったことがあった。
一緒に風呂に入る、とはいうものの、今のように一緒に湯船に浸かっていたわけではない。
オカメインコのチーコは、洗面器に張った水で水浴びをした後、湯船に浸かる辰巳の頭の上で入浴後の毛繕いをする、というのが彼らの風呂方法であった。
オカメインコを始めとした鳥の羽毛の表面には油分があり、その油分がちょっとした水滴や汚れなどから羽毛を守っている。
しかし、お湯で水浴びをするとその油分が落ちてしまい、それが原因で最悪の場合は病気にだってなりかねない。
そのため、たとえ真冬であろうとも、チーコは常に水で水浴びをし、その後に辰巳の頭に乗っかっていたのだ。
「こうしてご主人様とご一緒にお湯に浸かるのが……実は長年の夢だったんです」
「そうだったのか……言ってくれれば、いつだって一緒に風呂に入ったのに」
「そ、そんな……そんな恥ずかしいこと……私から言えるわけないじゃないですかぁ……」
カルセドニアは、真っ赤にした顔をぷいと逸らす。
「でも、今日はカルセドニアから誘ってきただろ?」
「きょ、今日は特別です……っ!! だ、だって……きょ、今日は魔力が……ですね……」
更に顔を赤くしながら、カルセドニアはぶつぶつと口の中で呟いている。
辰巳はそんなカルセドニアを愛しく思い、背後から彼女身体に腕を回して抱き締めた。
「じゃあ……今度からは俺の方から誘うから……また、一緒に入ってくれるか?」
「はい……もちろんです……」
カルセドニアは背中を辰巳の身体に預けながら、嬉しそうに微笑んだ。
そのまましばらく、二人は無言のままでいた。
だが、それは決して気不味さからの無言ではなく、ただただ相手の存在を身体中で感じていたから、言葉は必要なかっただけである。
と、そんな満たされた雰囲気の中で。
カルセドニアは腹部を擽るように蠢くものを感じた。
「ご主人様?」
彼女は背後へ振り返り、少しきつめの目つきで愛する男性を睨みつけた。
「ごめん。チーコの肌の感触が気持ちよくて……つい」
特に悪びれた風もなく辰巳が笑う。
そんな辰巳を、カルセドニアはむぅと頬を膨らませて睨み付ける。
もちろん、彼女は怒っているのではない。辰巳に触れられたり誉められたことが嬉しくて……要は照れ隠しだ。
「ご主人様はいつもそう言って私の身体に触れて……」
「触られるの嫌だった?」
「……分かって言ってますよね?」
カルセドニアが視線を逸らす。
「……嫌なわけがないじゃないですか……」
小さな小さな呟き声。だが、すぐ近くにいる辰巳にはしっかりと聞こえた。
「うん……分かっていて聞いたんだ」
辰巳はそう答えつつ、腕の力を強めてカルセドニアの身体を抱き締めた。
「もうっ!! 意地悪なご主人様なんてだいっ嫌いっ!!」
口では「だいっ嫌い」と言いつつも、カルセドニアの顔に浮かんでいるのは微笑みだ。
彼女は辰巳の腕の中で身を捩ると、ちょっと強引に彼の唇に自分のそれを重ねた。




