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ミルイルの魔法

「作戦を変更します」

 〈魔〉が取り憑いた大雪蜥蜴にいいように翻弄される辰巳たち。

 当初の作戦が破綻した今、違う戦法に切り替えるのは当然の成り行きだった。

「旦那様……」

 カルセドニアは一瞬だけ心配そうな表情を浮かべるも、すぐに決意に満ちた顔になって自分の前に立つ辰巳へと声をかけた。

「この足場の悪い中、あの大雪蜥蜴の速度に対応できるのは〈天〉の魔法使いの旦那様だけです。旦那様には大きな負担をかけてしまいますが……」

「分かった。やれるだけやってみる」

「旦那様が大雪蜥蜴と直接対峙する間、私たちは他の雪蜥蜴を相手にします。いいですね?」

 カルセドニアの言葉に、仲間たちが一斉に頷く。

「他の雪蜥蜴を倒した後、ジャドックさんとミルイルさんはできる限り旦那様の援護を。そして、魔物の動きが鈍ったところで、私と女将さんの最大火力の魔法で止めを──」

「いや、それは駄目だ」

 カルセドニアが指示を出す中、辰巳が途中でそれを遮った。

「止めを刺すのは……ミルイルだ。ミルイルに任せる」

「わ、私が……?」

 驚いて自分を指差すミルイルに、辰巳は微笑んだ。

「ああ。仲間の仇を自分自身の手で討て。その機会は俺が作り出す」

「……わ、分かったわ」

「機会は一度きりだと思ってくれ。その時に、ミルイルの全力の一撃をあいつにぶつけるんだ」

 辰巳の視線が大雪蜥蜴を捉える。今、大雪蜥蜴とその配下たちは、少し離れた所から辰巳たちをじっと見ている。

 その赤く輝く眼が、罠に嵌った自分たちを見下しているように辰巳には思えた。

 と、再び大雪蜥蜴が咆哮する。

 それに合わせて、大雪蜥蜴の周囲にいた数体の雪蜥蜴が、一斉に辰巳たち目がけて駆け寄って来る。

「雑魚は任せたからな!」

 背後で仲間たちが頷くことを確認することもなく、いや、頷いていることを確信して、辰巳の姿がその場から掻き消えた。




 辰巳の姿が突然と消え、次の瞬間に大雪蜥蜴の正面に姿を現す。

 それを目の当たりにして、エルとミルイルが驚愕を露にした。

「た、タツミさんの姿が消え……?」

「う、嘘……ほ、本当にタツミって〈天〉の魔法使い……だったの?」

 二人が思わずぽかんとした表情を晒している彼女らの横を、得物を構えた臨戦態勢のジャドックが駆け抜けた。

「ダメよ、二人とも。ボヤっとしている暇はなくってよ? ほら、お客様がおみえになっているわよん」

 口調こそ軽いが、ジャドックの視線は鋭い。その彼の鋭い視線の先には数体の雪蜥蜴がいた。

 魔獣たちは牙を剥き、爪をかちかちと打ち鳴らしながら、雪の上を滑るように駆け寄って来る。

「ホント……こっちは雪に足を取られて思うように動けないってのに、向こうは自由に移動できるなんて……不公平よねぇ」

 ジャドックが笑みを浮かべる。

 だが、それは普段の彼のあっけらからんとした明るい笑みではなく、獲物を見つけた猛獣が浮かべるような獰猛な笑み。

 雪蜥蜴たちの先頭の一体が、口を大きく開けてジャドックに襲いかかる。

「ふふん。そっちから来てくれるなんて、大助かりだわぁ」

 雪で移動が制限されているとはいえ、相手の方から近づいて来てくれるのならば話は別だ。

 ジャドックは戦棍の一本を、大きく開かれた雪蜥蜴の口に突き刺すように繰り出す。

 カウンター気味に口の中に戦棍を叩き込まれ、雪蜥蜴の身体が宙に浮く。戦棍と頭部を支点にして下半身だけがジャドックの方へと振り子のように揺れた。

 ジャドックはもう一本の戦棍を水平に振り、雪蜥蜴の両足をへし折る。そしてそのまま戦斧を頭上から振り下ろし、雪蜥蜴の首を両断した。

「うふ。今日は素材の調達が目的じゃないから、思いっ切り戦えるってものよ」

 息絶えた雪蜥蜴から視線を逸らし、次の獲物を見定めるジャドック。

「……随分と張り切っているじゃない?」

 そのジャドックの隣に並んだミルイルが、槍を構えながら尋ねた。

「当然でしょ? タツミちゃんがアタシたちを信用して、雑魚の始末を任せてくれたのよ? だったらその信用に応えないとね。恩には恩を。仇には仇を。そして信用には信用で以て返す。それがアタシたちシェイドの信条なのよん。それに……」

 ジャドックがちらりと横目で背後を見る。

「張り切っているのはアタシだけじゃないみたいよ?」

 背後から聞こえて来るのは、朗々たる呪文の詠唱。もちろん、その詠唱の主はカルセドニアだ。

 ジャドックの脇を擦り抜けた雪蜥蜴の一体が、呪文を詠唱するカルセドニアに飛びかかる。

 普通の魔法使いならば、詠唱中に敵に接敵されることは致命的となる。だが、カルセドニアは呪文の詠唱を途切れさせることなく、襲い来る雪蜥蜴を迎撃した。

 手の中で杖をくるりと回転させ、遠心力を乗せた杖で雪蜥蜴の身体を打ち据える。

 びしりという乾いた音が響き、雪の中に倒れる雪蜥蜴。倒れた雪蜥蜴が身体を起こすより早く、カルセドニアの詠唱が完成した。

 杖の先端を雪蜥蜴へと突きつけると、そこから火炎放射器のように炎が吹き出し、雪蜥蜴の身体を焼く。

 普通ならば、このような森の中で〈火〉系の魔法を使うことは避けるべきだろう。炎が森の木々や下草を燃やし、延焼するかもしれないからだ。

 だが、今は周囲に雪が積っている。この季節ならば、森の中で〈火〉系の魔法を使用しても延焼する可能性は低いだろう。

 炎に包まれた雪蜥蜴が、断末魔の悲鳴を上げる。

 その雪蜥蜴に止めを刺すように、地面から石筍のような槍が飛び出して雪蜥蜴の身体を貫いた。

「ありがとうございます、女将さん」

「いえ、カルセさんこそさすがですねぇ」

 杖を下ろしたカルセドニアと、モグラのような地の精霊を従えたエルが微笑み合う。

「……私もがんばらなきゃ」

 そんな二人のやり取りを見て、ミルイルは手にした槍を数回扱き、自分自身を奮い立たせた。




「…………す、凄い……」

 目の前で展開される高速の戦闘。

 雑魚の雪蜥蜴を全て倒したミルイルは、辰巳と大雪蜥蜴の戦いがどうなったのかと思って視線を周囲に巡らせ、その光景を見て思わず呟いた。

 雪の上を高速で移動する大雪蜥蜴。それこそ周囲の木々を足場に立体的に動き回る大雪蜥蜴を、この雪の中で人間が追うことはまず不可能だろう。

 だが。

 だが、ここにそれが可能な人間がいた。

 雪を蹴り、樹木を蹴って高速で飛び回る大雪蜥蜴。だが、辰巳はその大雪蜥蜴を上回る速度で追い詰めていく。

 いや、速度で上回っているのではない。空間そのものを飛び越え、大雪蜥蜴の移動する場所へと先回りし、手にした剣をふるって大雪蜥蜴に手傷を負わせていくのだ。

 細かな傷を全身に負い、怒りと苛立ちの咆哮を上げながら大雪蜥蜴が後肢の爪を振りかざす。

 しかし、次の瞬間には敵である人間の姿は消え、大雪蜥蜴の背後に現れた。

「────っ!!」

 無言の呼気と共に、辰巳が剣を振る。その刀身には黄金の魔力光が宿り、大雪蜥蜴の身体に触れると同時に激しく炸裂する。

 辰巳が使える数種類の魔法。《瞬間転移》と《加速》と《自己治癒》、そしてこの《魔力撃》。

 魔法というより剣技に近いかもしれない《魔力撃》は、刀身に宿らせた魔力を相手に叩きつけて炸裂させるもので、魔力を打ち出して遠隔攻撃できるようなものではない。

 だが、《瞬間転移》と《加速》が使える辰巳には、相手との間合いはあまり関係ない。

 今も刀身に宿った黄金の魔力が炸裂し、大雪蜥蜴の巨体がぐらりと揺れる。

 だが、大雪蜥蜴の全身を覆う鱗は強靭で、その生命力も人間の比ではない。

 辰巳の剣による斬撃では僅かな傷しか負わせることはできず、《魔力撃》による魔力の炸裂も深手を負わせるまではいかない。

 転移を繰り返すことなく、《魔力撃》だけに魔力を注ぐことができれば、大雪蜥蜴の頑強な鱗を打ち破ることは可能だろう。だが、《瞬間転移》を用いずに大雪蜥蜴の機動力に追いつくことは不可能である以上、中途半端な魔力を注入した《魔力撃》による攻撃を繰り返すしかない。

 再び《魔力撃》を大雪蜥蜴に食らわせた後、辰巳は《瞬間転移》でカルセドニアの傍へと移動した。

「……か、カルセ、頼む……!」

 辰巳の呼吸は荒い。激しく肩で息をし、雪の中でありながらびっしりと全身に汗をかいている。

 魔力こそ実質的に無尽蔵な辰巳だが、体力の方はそうはいかない。

 魔法の連続使用による激しい機動戦闘を繰り返せば、当然体力の消耗も相当なものとなる。

 激しく上下する辰巳の肩に触れながら、カルセドニアは《体力賦活》の魔法で一時的に体力を回復させた。

「……大丈夫ですか?」

「ああ、楽になった。これでまだまだ行けるさ」

 すうと大きく息を吸い込んだ辰巳の姿が消える。そして大雪蜥蜴の背後に出現すると、魔力を纏わせた剣を振るって大雪蜥蜴を攻めたてる。

 しかし、カルセドニアには分かっていた。

 いくら彼女の魔法で体力を回復させるとは言っても、それにも限度がある。このままでは辰巳の体力はじりじりと削られ、いずれ底を突くだろう。

 今の内に何か手を打たなければ。カルセドニアは辰巳から目を離すことなく必死に考える。

 要は、この一帯の雪が少なくなればいいのだ。だが、それがいかに難しいかは子供でも分かるだろう。

 彼女の《炎》の魔法では、この周囲一帯の雪を溶かすことは不可能だし、辰巳の転移でもこれだけ広範囲の雪を移動させることは難しい。

 辰巳の転移は、はっきりと認識したものしか移動できない。そのため、「この辺り一帯の雪」という曖昧なものは転移させられないのだ。

「……せめて、何か目印となるものがあれば……」

 以前、薬草を採取する時に辰巳は雪の上に円を描き、それを目印にしたという。それと同じことができればいいのだが、この雪に足を取られる状況では、周囲一帯に円を描くのは時間がかかってしまう。

「……何か……魔法でも何でもいいので、雪の上に目印を描くことができれば……ま、魔法……?」

 その時、カルセドニアの脳裏に閃光が走った。

「お、女将さんっ!!」

 カルセドニアが傍らのエルへと振り返る。そして、今思いついたことを彼女に相談するのだった。




 剣を振る腕が重い。

 それでも気力と体力を振り絞り、辰巳は剣を振り続ける。

 しかし、中途半端な剣閃では、頑強な大雪蜥蜴の鱗に弾かれるだけ。

 辰巳は《瞬間転移》で大雪蜥蜴から距離を取り、激しく呼吸を繰り返した。

「旦那様っ!!」

 荒い呼吸を繰り返す辰巳の耳に、彼が愛する女性の声が届く。

 正面の大雪蜥蜴から注意を離すことなく、横目でカルセドニアの方を見てみれば、彼女は何かを必死に指差していた。

──なんだ……? カルセは何を指差している……?

 疑問に感じた辰巳の視界の隅に、赤く輝く光が映り込む。

──赤い……光……?

 思わず辰巳はその赤い光を目で追ってしまった。それは大きな隙を生むことになったが、どうやら大雪蜥蜴もその赤い光に困惑しているようで、何度も周囲を見回していた。

 辰巳が見た赤い光は、この周囲一帯をぐるりと取り囲むように輝いていた。まるで雪の上に赤く輝く塗料で線を描いたように。

「旦那様っ!! 女将さんに目印を描いてもらいました! 雪を……雪を一気に移動させてくださいっ!!」

 再び聞こえたカルセドニアの声。

 それで辰巳は全てを理解した。

──そうか! この光はエルさんの幻覚魔法か!

 エルの方へと目を向ければ、彼女は目を閉じて必死に何かを念じている。おそらく、この赤い光を広範囲に展開維持するために、精神を集中させているのだろう。

 辰巳は剣を放り捨てると、勢いよく両手の掌を足元に積った雪へと叩きつける。

「おおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 辰巳の口から裂帛の気合いが迸る。

 残された最後の体力とありったけの魔力を用いて、辰巳は「目印」の描かれた内側の雪をしっかりと認識し、そのほとんどを一瞬で転移させた。




 辰巳たちから少し離れた所に大量の雪が落ち、数本の木々がなぎ倒された。

 そして、今まで辰巳たちと大雪蜥蜴のいた場所の周囲から雪がほとんどなくなり、所によっては黒々とした土が露出している。

 雪がなくなって地面はぬかるんでいるが、それでも雪が積っていた時に比べれば、移動に制限がかかるほどではない。

「…………ミルイルっ!! 後は……任せた……ぞ……っ!!」

 辰巳がぬかるんだ地面の上に倒れ込む。そしてそのままごろりと仰向けになり、苦しそうに息を吐き出した。

 慌ててカルセドニアが辰巳に駆け寄る。ジャドックもまた、カルセドニアと共に辰巳へと向かって駆け出した。

 広範囲に幻覚魔法を展開させていたエルも、手近な木に寄りかかって肩で息をしている。そんな彼女の傍らでは、小さな人影が心配そうに彼女の頬に触れていた。

「……あーもーっ!!」

 そんな仲間たちの様子を見ながら、辰巳から後を託されたミルイルは手にしていた槍を放り捨てながらゆっくりと大雪蜥蜴へと近づいていく。

「……ここまでされたら、ジャドックじゃないけど期待に応えないわけにはいかないじゃない!」

 口では文句を言いつつも、彼女の瞳には決意と信念が輝いていた。

「出し惜しみはなし! 一気に仲間たちの仇を討たせてもらうわ!」

 ミルイルの身体から青い魔力光が溢れ出す。

 魔力光はミルイルの身体を包み込むと、更にその輝きを増していく。

 青い光が一際輝いて弾けると、そこにミルイルの姿はなく、代わりに存在するのは一体の異形の影。

 ぬめぬめとした鱗に覆われた、頭の大きなちょっとずんぐりとした体系。

 その太めの身体からは細長い手足が伸び、その指の間には水かきが存在した。

 ぎょろりとした大きな眼。ぱくぱくと動く口とエラ。背中を飾るのは巨大なヒレ。

 手首から肘にかけても巨大なヒレが存在し、その先端は鋭利な刃物のように剣呑に輝いていた。

「…………え、えっと……は、半魚人……?」

 カルセドニアに助け起こされた辰巳が、その姿を見てそんな言葉を漏らす。

 《魚人化》。

 それこそが、ミルイルが使える唯一の魔法だった。


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