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決戦直前

 目の前に広がる惨劇の痕。

 今辰巳たちがいる場所は、ミルイルとその仲間たちが不幸にも〈魔〉に憑かれた大雪蜥蜴と遭遇した場所である。

 白い雪の上に飛び散った血。所々に散乱する、食い荒らされた無数の雪蜥蜴の死体。

 そして、その食い荒らされた死体の中には、明らかに雪蜥蜴ではないものも混じっていた。

「……クォーラン……タッド……ガンス……」

 思わず眼を背けたくなるほど、損傷の激しい彼らの遺体。雪の中に放置されていたせいか腐敗はそれほど進んではいないが、明らかに食い荒らされたそれらを見て、辰巳は込み上げてくるものを必死に抑え込んだ。

 ミルイルがいなくなった後、例の大雪蜥蜴がこの場に戻って食い荒らしたのか。それとも、他の獣が食い荒らしたのだろうか。

「……アタシたちが討伐した雪蜥蜴の群れ……あれって〈魔〉が憑いた群れの親玉から逃げていたのね、きっと」

「はい、そうだと思います。王都の近郊のあちこちで小規模な雪蜥蜴の群れを目撃したという話でしたから、おそらくは最初はそれなりの規模の群れだったのが、魔物と化した親玉から逃げるために散り散りになったのでしょう」

 ジャドックの推測を、エルが補強する。

 王都の近郊で雪蜥蜴の群れを見かけるという話は、改めて調べるとあちこちで囁かれていた。

 魔獣狩りが集まる宿屋兼酒場を経営するエルは、当然ながらそのような噂には詳しい。彼女の推測はまず間違っていないだろう。

 背後から聞こえる二人の声を聞きながら、辰巳はミルイルへと視線を移す。

 今、彼女は雪の中に跪き、隠そうともせずに涙を流していた。

 辰巳は今のミルイルの気持ちが十分理解できる。彼もまた、家族を一度に失った経験があるのだから。

 家族を失った悲しみに再び捕らわれそうになった時。カルセドニアが辰巳の傍に寄り添い、そっと彼の手を握った。

 辰巳がカルセドニアを見ると、彼女もまた彼を見る。そして、ふわりと辰巳を励ますように微笑む。どうやら、カルセドニアには辰巳の心境が筒抜けだったらしい。

「旦那様。ここで散った者たちのため、神に祈りを捧げましょう」

「ああ……そうだな」

 辰巳も神官として、各種の祈りの捧げ方は学んでいる。辰巳はカルセドニアと並んで立ち、共に神への祈りの言葉を紡いでいく。

 辰巳とカルセドニアの祈りの言葉に、時折ミルイルの小さな嗚咽が混じり込んだ。




 ミルイルが落ち着いたのを見計らい、辰巳たちは行動を開始した。

 まずは、ミルイルの仲間たちの遺体の埋葬。このまま彼らを野ざらしにしておくのは、あまりに忍びない。

 埋葬する前に、ミルイルは仲間たちの遺体から遺品となるものを回収した。

「たどんくん、お願いね」

 エルが耳飾りに触れながら告げると、彼女の足元の雪の中からモグラのような生き物が顔を出す。

「エルさん。それは?」

「この子は、私が契約している地の精霊のたどんくんです。私が日本にいた時に契約していた精霊はぴーちょくんとツィールくんの二体だけでしたが、こっちに来てから契約した精霊も増えて、今では五体の精霊と契約しているんですよ」

 若干胸を張りながら告げるエル。辰巳が聞いたところによるとエルが契約している精霊は、水・幻・地・氷・光の五体らしい。

 地の精霊はエルの願いを聞き入れ、エルの魔力を対価に遺体を埋葬するための穴を作り出す。

 後は辰巳とジャドックが協力し、予備の外套に包んだミルイルの仲間たちの遺体をそこへ埋葬する。

 辰巳は遺体を転移で穴の中へ移そうとも思ったが、何となく死者に対して礼を逸している気がしたため、自らの手を使って彼らを大地へと返してやった。

 埋葬して盛り上がった土の上に、カルセドニアが祈りの言葉を呟きながら酒を振り撒く。これには手向けと清めの両方の意味を持つ。

 こちらの世界では、日本などのように死者には花を捧げるのではなく、酒や食べ物を手向けるのが一般的なのである。

 最後に皆で再び冥福を祈るための祈りを捧げる。全てが終わった後、ミルイルは辰巳たちに向かって深々と頭を下げた。

「タツミ、ジャドック、カルセさん、エルさん……みんな、ありがとう」

「アラ、アタシたちは当然のことをしたまでよん。それより、ミルイルちゃんは大丈夫?」

「うん……正直、すぐにはふっきれないとは思うけど、いつまでもうじうじしていたら仲間たちに顔向けできないもの。それよりも今は……」

「ああ。魔物を……大雪蜥蜴を探し出して必ず倒そう」

 辰巳のその言葉に、ミルイルは力強く頷いた。




 エルは意識を集中させ、精霊たちの声に耳を傾ける。

 精霊の声を聞く能力こそが、精霊魔法を使うための最低必要条件である。意識を聴覚に集中させると、それまで聞こえなかった声が聞こえてくる。

 それこそが、精霊たちの声だ。

 エルは精霊たちの言葉──精霊語と呼ばれる──で彼らに話しかけ、標的である大雪蜥蜴の情報を集めていく。

 精霊たちの言うことは、はっきり言って支離滅裂だ。たくさんの氷の精霊や風の精霊、そして樹木の精霊たちが、思い思いのことを自分勝手にエルに話しかけてくる。

 その中には、エルが尋ねたこととはまるで無関係のものも含まれているのだ。

 それらに根気よく耳を傾け、エルは必要な情報だけを取捨選択する。

 やがて精霊との交信を終えたエルが、辰巳たちの方へと振り向いた。

「ここから北西の方角に、大きな白い蜥蜴がいると精霊たちが言っています。その『大きな白い蜥蜴』が私たちが探している大雪蜥蜴だという保証はありませんが、行ってみる価値はあると思います」

「ふーん、便利ね、精霊魔法って。ねえねえ、女将さん。アタシにも精霊魔法って覚えられるかしら?」

 好奇心で眼を輝かせたジャドックがエルに尋ねる。だが、尋ねられたエルは少し困った表情を浮かべた。

「精霊魔法は詠唱魔法とはまた別物ですからねぇ。詠唱魔法は一定以上の魔力があれば使えますが、精霊魔法は精霊と交信できないことには使えません。精霊との交信は感覚的な部分が強いので、口で説明するのは難しいんですよ」

 精霊の力の影響を受けている亜人は、人間に比べて精霊魔法に対する適性が高い。だが、それでも精霊の存在を感じられない者は、どれだけ努力してもやはり感じられない。

「それに、ジャドックさんは魔力があまり高くはないので……その意味でも魔法を使うことは諦めるべきかと……」

 少し言い辛そうにカルセドニアが告げると、ジャドックはがっくりと肩を落とした。

「そんなに精霊魔法が使いたかったのか?」

「精霊魔法って言うより、魔法そのものが使いたかったのよ。だって、この中でアタシだけが魔法を使えないのよ? それって何となくクヤシイじゃない?」

 なぜか身悶えしつつそう言うジャドック。彼に言われて、辰巳は改めてその事実に気づいた。

 自分とカルセドニアは魔法が使える。正確に言えば辰巳の場合は少し違うが、他から見れば魔法を使っていることと大差ない。

 エルも今見たように精霊魔法が使えるし、ミルイルも彼女の話によると魔法が使えるようだ。

 確かに今居る顔ぶれの中では、ジャドックだけが魔法を使えない。

 ちなみに、これだけ魔法使いばかりが集まったチームは、世間的にはかなり異常と言える。

「へえ? タツミも魔法使いだったんだ?」

「まあね。ジュゼッペさんに言わせると、俺は魔法使いじゃなくて魔力使いらしいけど」

「ジュゼッペさん? 誰、それ?」

「ああ、ジュゼッペさんっていうのは、サヴァイヴ教団の最高司祭のジュゼッペ・クリソプレーズさんのことだよ。ミルイルだって名前ぐらいは聞いたことないか?」

「……………………え?」

 思わずぽかんとした表情を浮かべるミルイル。彼女もサヴァイヴ教団の最高司祭の名前ぐらいは聞いたことがある。

 だが、思ってもいなかった超大物の名前が、あまりにもさらりと辰巳の口から出たので、その事実に思い至らなかったのだ。

「ど、どうしてそんな偉い人の名前が……? え? え? も、もしかして、タツミってどこかの貴族の令息だったり……?」

 そう言えば、自己紹介の時に辰巳には姓があったっけ、と改めて思い出すミルイル。

「いや、俺は貴族じゃないよ。でも、ジュゼッペさんは俺の実質的な師匠だし、それに何より、あの人はカルセの爺さんだしな」

 ぽかんとした表情のミルイルが、その表情を崩すことなく今度はカルセドニアを見た。

「…………カルセ……カルセドニ……ア……? も、もしかして、カルセさんって……『サヴァイヴ神殿の《聖女》』様……?」

 「サヴァイヴ神殿の《聖女》」が、サヴァイヴ教団の最高司祭の孫娘であることは有名である。

 しかし、自己紹介の時にカルセドニアは「クリソプレーズ」ではなく「ヤマガタ」を名乗ったし、まさかそんな高名な人物が目の前にいるとは思いもしなかったので、これまたミルイルはカルセドニアが《聖女》だと思い至らなかったのだ。

 驚愕の事実が、怒涛のようにミルイルに襲いかかり、彼女は激しく混乱した。

「そういや、ミルイルも魔法が使えるんだろ? どんな魔法を使うんだ?」

 辰巳がこう尋ねると、混乱中だったミルイルは、なぜかぴたりと身体の動きを止めた。

「………………い、言わなきゃ……だめ……?」

 えへへ、と明白な愛想笑いを浮かべるミルイル。辰巳とカルセドニアは思わず顔を見合わせる。

「ミルイルさん。これから私たちは協力して魔物と戦わねばなりません。互いの能力の把握は、そのための第一歩ですよ?」

「そ、それは分かっているけど…………と、ところでタツミはどんな魔法を使うの? 系統は何?」

 これまた明らかな話題転換。だが、辰巳が何かを言うより早く、カルセドニアがその口を開いた。

「旦那様の系統は〈天〉です! 史上二人目の〈天〉の魔法使いが、他ならぬ私の旦那様なのですっ!!」

 えっへんと我がことのように胸を張るカルセドニア。何気なく「私の」の辺りの語気が強めだった。

「へ……? う、嘘でしょ? 〈天〉の魔法使いなんて、御伽噺の中だけの存在って聞いたわよ?」

「いえ、〈天〉の魔法使いは実在します。かつても……そして今も」

 隣に立つ辰巳を若干頬を染めて見上げながら、カルセドニアは断言する。彼女が辰巳を見る視線に絶大なる信頼と信用、その他諸々が含まれていることは、その場にいた三人にもはっきりと伝わる。

「嘘じゃないわよん。だって、アタシ見たもの。タツミちゃんが〈天〉の魔法を……《瞬間転移》を使うところをね」

「《瞬間転移》……?」

 はっとした表情を浮かべたのはエルだ。どうやら、辰巳が雪の中を短時間で薬草採取できた理由に思い至ったらしい。

「それで? ミルイルちゃんの魔法はどんな魔法なの? アタシに教えてちょうだいな?」

 ジャドックにまで尋ねられ、ミルイルは視線を泳がせる。

「えっと、その……アタシの系統はハズレ系統っぽいから、恥ずかしくてあまり言いたくないけど……私の魔法は我流だけど身体強化系。魔法で身体能力や防御力を上げて、接近戦を挑むのが私の戦闘方法。でも、持続時間がすごく短いから短期決戦型……これだけ分かればいいでしょ?」

 やや自棄になりながら、ミルイルがそう言った相手はカルセドニアであった。

 今回の作戦において、このチームのリーダーは彼女だからだ。これまで魔祓い師として何体もの〈魔〉を祓ってきた彼女である。その彼女がチームの指揮を取ることに、辰巳とエルは素直に頷いた。

 辰巳とエルが認めた以上、ジャドックとミルイルもそれに異を唱えるようなことはない。

「自分が我が儘言っていることは承知しているわ……でも、使うべき時が来たら私は迷わず魔法を使う。それは絶対に約束するから……」

 ミルイルはカルセドニアに近づくと、彼女にとある物を差し出した。それは、先程回収した遺髪や愛用の短剣などといった、彼女の仲間たちの遺品だった。

「私が魔法を使うと、この遺品もなくなっちゃうから……預かっていてもらえるかしら?」

「はあ……?」

 ミルイルの言うことがよく分からないカルセドニアだったが、それでも頷いて彼女の仲間たちの遺品を預かった。




「では、改めて今回の作戦の手順を説明します」

 移動を開始する前に、魔物と化した大雪蜥蜴と戦うに当たっての作戦の確認を行う。

「魔物と戦う場合、決してその魔物に止めを刺してはなりません」

 手順を説明するカルセドニアの言葉に、辰巳たちは黙って頷く。

 〈魔〉とは、実体を持たない精神生命体とも言うべき存在である。

 そのため、魔物を倒しても〈魔〉を倒したことにはならない。憑依体を倒しただけでは、〈魔〉本体は別の生物に取り憑くだけだからだ。

 世の中には、宿主と同時に憑依している〈魔〉にもダメージを与える武器──聖剣や聖槍などと呼ばれるいわゆる「魔法の武器」も存在するが、その数は決して多くはない。

 魔物を弱らせ、動きが鈍ったところで〈光〉〈聖〉系統の《魔祓い》の魔法で〈魔〉を滅ぼす。それが魔物を倒す際の一つの鉄則である。

「ですが、今回は魔物を倒してしまっても構いません。全力を以て、大雪蜥蜴を倒してください」

 だが、今回は少々勝手が違う。なぜならば、辰巳という〈魔〉にとっては天敵ともいうべき存在がいるからだ。

 〈魔〉が憑いた大雪蜥蜴を倒せば、当然〈魔〉は大雪蜥蜴から離れる。本来ならば、憑依体から離れた〈魔〉の姿を見ることはできない。

 しかし、辰巳は感知者でもある。憑依体から離れた〈魔〉を認識できるのだ。

 憑依体を失った〈魔〉に脅威はなく、憑依体から離れたところを辰巳の〈天〉の魔力で攻撃すれば、〈魔〉は抗う間もなく消滅するだろう。

「手加減がいらないってのはやりやすくていいわねぇ」

「そうね。私も最初っから全力で行かせてもらうから」

 ジャドックとミルイルは闘志を漲らせる。

「私は後方からの援護になりますが、がんばりますからね!」

 精霊魔法の開祖であるエルの魔法は、必ず辰巳たちの力になるだろう。

「よし。じゃあ、行こう!」

 カルセドニアが。

 エルが。

 ジャドックが。

 ミルイルが。

 辰巳の言葉に頷いて、大雪蜥蜴がいるであろう方向へと足を踏み出した。


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[気になる点] 少し前の話でも思いましたが、魔物と協力して戦うためのミーティングが遅くないでしょうか...? 前回は武器以外全くの無情報で戦いに移行しましたし。。
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