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動き出す者たち

 どすん。びちゃり。

 そんな音が、自分の右手側の方から聞こえてきた。

 え、と疑問に思いつつ、ミルイルがそちらに眼を向ければ。

 そこには、きょとんとした顔のタッドがいた。

 その胸を大雪蜥蜴の鋭い後脚の爪で貫かれ、地面に押し倒された彼が。

「はぅ……が……」

 タッドの口から息と赤い液体が漏れる。

 発達した後脚で跳躍した大雪蜥蜴が、十分に離れていたミルイルたちの元へと一瞬で到達し、突進と落下の勢いを乗せて後脚の爪でタッドの胸──心臓を貫いたのだ。

 大雪蜥蜴がタッドの身体の上で身動ぎする。結果、爪がタッドの胸を更に深く抉り、周囲の雪の上に赤い何かが飛び散った。

 ミルイルの耳にざりゅっという耳障りな音が聞こえた直後、今度は何かが風切るようなひゅんという音、そしてびしりと何かを打ち付けるような音が続けて聞こえた。

 大雪蜥蜴がタッドの身体を無遠慮に踏みつけつつ身体を反転させ、その鞭のような長くしなやかな尻尾でタッドの隣にいたクォーランを打ち据えたのだ。

 尻尾で激しく打ち払われたクォーランは声を上げることさえできずに吹き飛び、近くにあった木に背中から激突。そのままずるずると木の根元に崩れ落ちた。

 この時になって、ようやくミルイルは我に返ることができた。

「に、逃げてっ!!」

 まだ無事でいるガンスに向かって叫ぶ。

 タッドの命の灯火は既に消えている。心臓を鋭利な爪で貫かれて、生きていられる人間はいない。

 吹き飛ばされたクォーランも同様。木の根元に崩れ落ちている彼の首は、あらぬ方向に曲がってしまっていた。

 冷酷な判断ではあったが、ミルイルはまだ無事なガンスと自分の命を優先することを選んだ。

 今、目の前にいる大雪蜥蜴は、自分たちが束になっても勝てるような相手ではない。ならば、自分たちに残された手段は逃走のみ。

 仲間の遺体の回収さえできない事実に奥歯を噛みしめながら、ミルイルはガンスに逃走の指示を出した。そうしながら、自分は自身の切り札である魔法を発動させた。

 彼女の魔法の発動時間は極めて短い。だが、魔法が発動している間、彼女の身体能力と攻撃力、防御力は劇的に上昇する。

 上昇した各種能力を活かして自分が囮になり、その間にガンスを逃がす。そして、隙を見て自分も逃走する。

 それがミルイルが瞬時に立てた計画だった。だが、その計画はすぐに頓挫することになる。

 ガンスがミルイルの指示に従わず、倒れている仲間の元へと駆け寄ったからだ。

「お、おい、クォーランっ!! タッドっ!! だ、大丈夫かっ!?」

──だめよガンスっ!! 逃げてっ!!

 声にならない声でミルイルが叫ぶが、それはガンスには届かない。

 あたふたと仲間の元へと駆け寄るガンス。だが、彼が仲間の元へと到達することはなかった。

 走るガンスの上に影が落ちる。

 それに気づいたガンスが上を見上げれば、すぐ目の前に大雪蜥蜴の足の裏が迫っていた。

「……へ?」

 間抜けな声がガンスの口から零れる。同時に、頭を大雪蜥蜴の後脚に蹴られてそのまま地面と脚に挟まれ、彼の頭は熟れた果実のようにぷしゃりと潰れた。

──あ……あ……

 その光景を、呆然と見つめていることしかできなかったミルイル。

 大雪蜥蜴がその真紅の瞳をミルイルへと向けた時、彼女の中で何かがぷつんと切れた。

──……あああああああああああああああああああああ…………っ!!

 心の中で奇声を発し、狂乱したミルイルは大雪蜥蜴へと突進する。

 魔法で強化されたその速度は、大雪蜥蜴にも匹敵した。

 瞬く間に彼我の距離を殺し、両手を大雪蜥蜴に力任せにぶつける。

 普段なら、彼女が大雪蜥蜴の鱗を斬り裂くのは難しいだろう。だが、魔法で攻撃力が上昇し、狂乱した彼女の攻撃は大雪蜥蜴の鱗を見事に斬り裂いた。

 大雪蜥蜴の白い身体に朱線が走り、そこからどす黒い血が勢いよく吹き出る。

 同時に、大雪蜥蜴が苦しげな咆哮を上げた。

 怒りに任せて、その後もただ闇雲に腕を振り回し続けるミルイル。

 怒りが治まって彼女が冷静になった時、周囲に大雪蜥蜴の姿はなかった。魔法で上昇した彼女の力を警戒して逃げたのか、それとも無意識の内に彼女の方が大雪蜥蜴から逃げたのか。

 気づいた時、ミルイルは雪の積る森の中を全裸でとぼとぼと歩いていた。いつの間にか魔力を使い果たしていたらしい。

 仲間も装備も全て失い、目的もなく裸で雪の中を歩くミルイル。

 寒さに耐えかね、両手で自らの身体を抱き締めた時、どこからか獣の咆哮が聞こえた。

 傷つけられた怒りに燃える大雪蜥蜴の咆哮なのか、それとも他の獣の咆哮なのか。

 ミルイルには判断がつかなかったが、その咆哮を聞いた瞬間彼女の身体を恐慌が走り抜けた。

 装備もなく魔力もなく、仲間も全て失ってしまった今、彼女に自分を守る術は何もない。

 獣に襲われるという恐怖にかられたミルイルは、方向さえ確かめることなく走り出した。

 裸のまま、雪の積もる森の中を。




「……お願い……私も一緒に連れて行って……仲間の仇を……ううん、仲間の仇を自分で討てるとは思っていない……だから、せめてあの大雪蜥蜴が倒されるところに立ち合わせて……お願い……お願いします」

 そう言いながら深く頭を下げるミルイル。だが、彼女はすぐに頭を上げるとじっと辰巳たちを見た。

 涙に濡れるミルイルの瞳。だが、そこには確かな信念が宿っていた。

 それを確認したカルセドニアとジャドックが、辰巳へと振り向く。

「……どうしますか、旦那様?」

「……どうするの、タツミちゃん?」

 二人の口から同じ質問をされ、辰巳は頭を悩ませる。

 彼女をこのまま連れて行った場合、メリットは確かにあるだろう。

 彼女は、魔物と化した大雪蜥蜴と僅かとはいえ交戦した経験があるのだ。しかも、手傷まで負わせている。

 その経験と戦力はどこかで役立つだろうし、単なる足手まといにはならないだろう。

 それにここで同行を拒否したとしても、彼女はきっと単独で大雪蜥蜴に挑むに違いない。

 ならば、自分たちの指揮下に置いておいた方がいい。それが辰巳の判断だった。

「分かった、ミルイルさん。俺たちと一緒に行こう。ただし、こちらの指示には絶対に従うこと。決して単独で先走ったりしないこと。それが条件だ」

「分かった……いえ、分かりました。えっと……」

 ミルイルが首を傾げる。そう言えば、まだ自分たちの名前を名乗っていないことに辰巳は気づいた。

「俺は辰巳……タツミ・ヤマガタだ。で、こっちは──」

「──私はカルセドニア・ヤマガタです。よろしくお願いしますね、ミルイルさん」

 辰巳の言葉の途中でカルセドニアが割り込み、にっこりと微笑みながら自己紹介する。しかもちゃっかりと「ヤマガタ」を名乗っている辺り、もしかするとミルイルに対する牽制なのかもしれない。

 そんなカルセドニアの行為に笑いを噛み殺しつつ、ジャドックもその後に続いた。

「……アタシはジャドック。見たとおりのシェイドよ。よろしくね、ミルイルちゃん」

 ばちっと片目を閉じるジャドックに、ミルイルが思わず眼を白黒させる。

「じゃあ、俺たちは準備をするから、それまでミルイルさんはもう少し休んでいてくれ」

「私のことはミルイルでいいわ。年齢もそれ程変わらないみたいだし」

「そうか。じゃあ、俺のこともタツミでいいよ」

「では、私のこともカルセとお呼びください」

「もちろん、アタシもジャドックでいいわよん」

 互いに呼び方を改めた四人。彼らはそれぞれの目的を果たすために行動を開始する。

 そんな彼らを少し離れた所から見守っていたエルは、やや場違いだと感じながらも楽しそうに微笑んだ。

「なかなか良いチームになりそうですねぇ。これは将来がちょっと楽しみです」

 ミルイルの仲間が失われてしまったことは、確かに悲劇だ。

 しかし、冷たい言い方かもしれないが、魔獣狩りなんて仕事をしている以上、こればかりは誰もがある程度は覚悟していることである。

 ミルイルには、この悲劇を乗り越えて魔獣狩りとして成長して欲しい、とエルは願う。

 そして彼女の存在は、辰巳とジャドックという駆け出しの魔獣狩りにとっていい刺激となるだろう。

 そんな彼らの今後の活躍を楽しみに思いつつ、エルもまた準備に取りかかる。

 王都の近辺に魔物が現れた以上、彼女もその打倒に力を貸すつもりなのだ。

 エルがその準備をするため、自室へと向かう途中。

 ふと、とある疑問が彼女の頭の隅を横切った。

「…………そう言えばミルイルさんの魔法って、どんな系統のどのような魔法なんでしょう?」




 辰巳からジュゼッペへと知らされた魔物の存在。

 ジュゼッペは、この魔物の討伐を辰巳とカルセドニアに正式に命じた。

 神殿の上層部の中には、魔祓い師として高い実力と実績、そして名声を持つカルセドニアを、名もない市井の魔獣狩りと組ませることに異を唱える者もいるにはいた。

 だが、カルセドニアと組む者の中に辰巳がいると知れると、その声も自然と小さくなった。

 二人目の〈天〉の魔法使いにして、カルセドニアの婚約者。そして、ジュセッペから直接教えを受けていることもあり、最近では最高司祭の直弟子とも目されている辰巳は、既にサヴァイヴ神殿はおろか他の神殿やラルゴフィーリ王国の一部にまでその名前が知れ渡っている。

 〈魔〉に対して最も有効な〈天〉系統の魔法使いである辰巳と、《聖女》と名高いカルセドニア。この二人が組むとなれば、誰も異論を唱えることはできないだろう。

 そもそも、今回の魔物討伐は最高司祭直々の命である。これに異を唱えることは、例え国王でも不可能なのだ。

 正式には辰巳とカルセドニアが最高司祭の命を受け、ジャドックとミルイルは二人の雇い人という形になる。

 だが、ジャドックもミルイルもただの雇い人に甘んじるつもりは毛頭ない。二人は辰巳とカルセドニアと共に、肩を並べて大雪蜥蜴と戦うだろう。

 更には、辰巳たちの一行にはエルも加わることになった。

 エルの役割は、大雪蜥蜴に対する戦力というより、索敵に主眼が置かれている。

 現在、問題の魔物は王都近郊の森の中に潜んでいると考えられている。だが、その具体的な潜伏場所は誰にも分からず、そのために森を人海戦術などで大規模に捜索すれば、〈魔〉が取り憑いたことで知能が上昇した魔物はさっさと王都から遠く離れてしまうだろう。

 ジュゼッペが今回の魔物の討伐を、辰巳とカルセドニアだけに命じた理由もそこにあった。

 サヴァイヴ神殿の他の魔祓い師や、他の神殿の魔祓い師が連携して魔物を狩るために動き出せば、魔物はさっさと逃亡してしまう。

 そのため、魔物を討伐する際は少人数で行うのが、これまでの経験から得られた最も最適の方法なのだ。

 エルの提案により、魔物の探索は精霊を頼ることになった。

 精霊使いは精霊たちと交信ができる。森の木々や雪の精霊たちを通して、大雪蜥蜴の居場所を探り出そうというのがエルの案なのだ。

 精霊はどこにでもいる。その精霊たちに尋ねれば、大概のことは瞬時に分かる──と思われがちだが、実はそうではない。

 なぜなら、精霊と人間──亜人も含む──のメンタルには大きな相違があるからだ。

 特に精霊には時間という概念が希薄である。彼らにはせいぜい「現在」と「過去」──精霊には「未来」という概念はない──という大雑把な区別しかない。

 例えば、「森の中に雪蜥蜴はいるか?」と精霊に質問したとして、「前に見かけた」という答えが返ってきたとする。

 だが、その精霊の言う「前に見かけた」雪蜥蜴とは、もしかすると十年ぐらい前に見かけた雪蜥蜴かもしれないのだ。

 また、精霊には大雪蜥蜴と普通の雪蜥蜴の区別はつかない。彼らにとっては「大きな白い蜥蜴」という認識でしかなく、大きさに対する認識も人間に比べるとかなり曖昧である。

 それらの理由から、精霊への質問には細心の注意が必要とされる。

 精霊たちが分かりやすい言葉を選び、精霊の言葉をしっかりと分析しなくてはならない。

 しかし、精霊魔法の開祖であるエルならば、それらの問題点を乗り越えて精霊たちから有益な情報を集めることができるだろう。

 こうして、辰巳とカルセドニア、そしてエルとジャドックとミルイルをも巻き込んだ、魔物を狩るための作戦が展開された。


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