不幸な遭遇
その噂を耳に挟んだ時、彼女──ミルイルとその仲間たちは、思わぬ幸運を授けてくれた宵月神グラヴァビに祈りを捧げた。
ちなみに、宵月神グラヴァビは夜の守護神であり、主に夜に活動する娼婦や吟遊詩人などが信仰している。
同じ理由から夜に開かれる賭場の守り神ともされ、そこから幸運を授ける神という側面も持つに至った。
「ね、ねえ、タッド。その話って本当なの?」
「ああ、本当だって。どうやら、雪蜥蜴の小規模な群れが、王都近郊の森の中で目撃されたらしい」
タッドとガンス、そしてクォーラン。その三人の同年代の青年に、16歳のミルイルを加えた四人が、ミルイルの魔獣狩りの仲間たちだ。
肩で切り揃えた明るい茶髪と同色の瞳。すらりとしなやかな身体つきは、どこか猫を思わせる。その瞳は大きくやや釣り上がっており、そこもまた彼女に猫っぽい印象を与えていた。
容貌はかなり整っており、仲間の青年たちが時折眩しそうに彼女の姿を見ていることに、彼女自身も気づいていた。
だが、今は色恋よりも魔獣狩りとして名を上げたい。それがミルイルの望みである。
同じ村で生れ育ち、何をするにも一緒だったミルイルたち四人。彼女たちが魔獣狩りを志して故郷の村から王都に出て来てから、まだ一年も経っていない。
王都に辿り着き、日雇いの仕事などをしながら日銭を稼ぎ、太陽神ゴライバの神殿で戦闘技能を学んだ。
半年ほど必死に働いて資金を貯め、何とか中古の武器と鎧を買い揃え、そして彼女たちの魔獣狩りとしての生活が始まった。
最初は薬草採取などの簡単な依頼を受けた。既に雪が降り積もっていたため、報酬は割り増しだが目的の薬草を見つけるのは容易ではなかった。それでも四人で必死に雪を掘り起こして依頼を果たし、少しずつ懐も温かくなり始めた時。
彼らが常宿にしていた〔西風の抱擁亭〕という魔獣狩りが集まる酒場兼宿屋──彼らのような新入りが多く出入りする店──で、次はどんな依頼を受けようかと仲間内で相談していた時。
先程の噂話を聞きつけたタッドが、意気揚々とミルイルたちの元へ戻って来たのだ。
「雪蜥蜴と言えば、それほど強い魔獣じゃない。俺たちのような駆け出しには手頃な獲物って話だ。どうだ? 狙ってみないか?」
「おう、いいんじゃないか? そろそろ雪掻きと薬草集めにはうんざりしていたところだしな」
「ああ。いよいよ俺たちの腕の見せ所が来たってわけだ」
タッドとガンス、クォーランが気合いを入れる。
もちろん、ミルイルもやる気になっていた。ここで雪蜥蜴の群れを見事に狩り、今後の魔獣狩りとしての人生に弾みを付けたい。そう考えていたのだ。
「でも……俺たちで本当に狩れるのかな?」
ふと、そんなことを言い出したのは、仲間内でも慎重な性格のガンスだった。
「大丈夫さ。俺たち四人なら、雪蜥蜴の群れぐらい何とでもなる」
「聞いたところによると、群れといってもかなり小規模な群れらしいからな。それに……」
タッドの目がミルイルへと向けられた。
「こっちには……ミルイルがいる。ミルイルの魔法があれば、雪蜥蜴なんて恐くねえさ」
「お、おう! そうだった! 俺たちにはミルイルの魔法があったな!」
「それに……ミルイルが魔法を使う時は……へへへ」
タッドに続き、ガンスとクォーランもミルイルを見た。
その視線にはやや下卑たものが混じっており、それに気づいたミルイルが不快そうに眉を寄せる。
「ちょっと! 私、そう簡単に魔法は使わないからね! 私の魔法はどうしてもって時じゃないと使わないから! そもそも、私の魔法なんて我流だし、系統もハズレっぽし、持続時間もすごく短いし……」
「分かっているって」
「でも、ミルイルの魔法があるってだけで、心に余裕ができるからなぁ。ミルイルが仲間で本当に良かったよな」
「おい、クォーラン? おまえこの前、どうせなら『サヴァイヴ神殿の《聖女》』様のような美人が仲間になってくれないかなって言っていただろ?」
「ちょ、ちょっと待てよっ!! そう言うタッドもガンスも俺の言ったことに同意してたじゃないか!」
「ふぅん。三人の気持ちはよぉく分かったわ。じゃあ私は皆と別れてあげるから、がんばって『サヴァイヴ神殿の《聖女》』様を仲間に引き入れなさいね!」
「お、おいおい、冗談だよ、冗談。大体、俺たちのような駆け出しと『サヴァイヴ神殿の《聖女》』様が組んでくれる訳がないだろ?」
慌てて取り繕うタッドの言葉に、ガンスとクォーランも必死に頷く。
無論、ミルイルとて本気で怒っているわけではないし、彼らと別れるつもりもない。
それでも、ここで簡単に許してはならないと判断したミルイルは、結局三人から一食分ずつ食事を奢らせることを条件に、見せかけの怒りを収めることにした。
そうと決まれば急がなければならない。
雪蜥蜴の群れの噂は、どんどんと拡がっていくだろう。となれば少しでも早く動き出し、他の魔獣狩りよりも早く雪蜥蜴を狩らなくてはならない。
王都の近郊ということで、数日分の食糧などを準備したミルイルたちは、翌日の日の出と共に王都を発った。
思い思いの得物を手にし、煮固めた革鎧を着込んだ四人は、タッドが仕入れた目撃情報に従って街道を歩いていく。
やがて、四人の中で最も目のいいミルイルが、雪の中で複数の獣の足跡を見つけた。
「ねえ、これを見て」
「これって……雪蜥蜴の足跡か?」
「以前に雪蜥蜴の足跡を見たことがあるから、間違いないと思う」
「よし、どうやら足跡も真新しいようだし、これを追いかけよう」
タッドの言葉に頷いたミルイルたちは、足跡を追って雪原を進む。
足跡は草原から逸れて森の中へと入っていき、ミルイルたちもこれを追う。
枝を払い、薮を掻き分けながら、慎重に足跡を追うミルイルたち四人。
やがて、彼らの目に白い鱗を持った大型の蜥蜴の姿が見えた。
──遂に追いついた!
武器を持つ手に、知らず力が篭もる。
さあ、いよいよ狩りの始まりだ、と決意を新たにした四人。
だが。
だが、彼らが目にした光景は、思っていたようなものではなかった。
彼らの視線の先に、一際巨大な一頭の雪蜥蜴がいた。
時に雪蜥蜴の群れに、その群れを統率する親玉が現れることはミルイルたちも耳にしていたので、意外ではあったがそれほど驚くことではない。
この群れには親玉がいたのか? そう思い、警戒を強める四人。しかし、どうも様子がおかしい。
巨大な雪蜥蜴──大雪蜥蜴は、接近するミルイルたちを無視して、食事に夢中のようだった。
大雪蜥蜴が、ミルイルたちの接近に気づいていないはずがない。今、彼らは得物を手にじりじりと大雪蜥蜴を包囲するように接近しているのだから。
それでも、その大雪蜥蜴は食事を止めない。
「……お、おい……」
ミルイルの右手にいたダットが、震える指先でソレを指し示した。
大雪蜥蜴の周囲には、群れの仲間と思しき雪蜥蜴の身体が転がっている。本来、白いはずの雪蜥蜴の体色。それが所々真紅に染まっている。
「あ、あいつ……群れの仲間を食っていやがるのか……?」
そう。
大雪蜥蜴が無心に食っているもの。それは群れの仲間と思しき他の雪蜥蜴だった。
「ゆ、雪蜥蜴が共食いするなんて……聞いたことないぞ……」
そう呟いたのは誰だったのか。ミルイルには判断がつかなかった。
なぜならば、彼女は見てしまったのだ。
仲間の内臓を美味そうに貪り食う大雪蜥蜴。その眼が、眼だけがぎょろりと動いて自分を見たのを。
真紅に輝く大雪蜥蜴の眼。
その紅い眼が、まるで人間がほくそ笑むようににぃと細められたのを、ミルイルは確かに見たのだった。
と、そこまで語り終えたところで、辰巳たちが助けた女性──ミルイルは口を閉ざした。
今、彼女は〔エルフの憩い亭〕の一室の、寝台の上に上半身を起こした状態でいる。
当然、服は着ている。エルが貸し与えた簡素な服を着たミルイルは、口を閉ざして俯いたまま身動ぎしない。
だが、彼女を見守るようにしていたエル、辰巳、カルセドニア、そしてジャドックは、彼女の肩が小刻みに揺れていることに気づいていた。
泣いているのだ、彼女は。
声を押し殺し、涙を流すまいと必死に押し止めながら、ミルイルは小さく肩を揺らして泣いていた。
そのことから、ミルイルの話に出てきた彼女の仲間たちが、どのような運命に見舞われたのかを辰巳たちは理解した。
肩を震わせ続けるミルイル。そんな彼女から視線を離し、エルはカルセドニアへと顔を向けた。
「今聞いたように、事態は深刻です。この王都の付近に、〈魔〉が憑いた魔獣……魔物が姿を見せたのですから。さすがに王都の中へと魔物が入ってくるようなことはないでしょうが、街道をゆく旅人が襲われる可能性は極めて高いと言えるでしょう」
「はい。すぐに神殿に報告し、魔払い師を動かすように申請します。もちろん、私も動くつもりです。旦那様──」
カルセドニアの紅玉のような瞳が、まっすぐに辰巳を射抜く。
「──これまで、わたしは常にモルガーと共に〈魔〉と戦って来ました。ですが、今はそのモルガーはいません……旦那様。私と共に戦ってくれますか?」
《自由騎士》とまで呼ばれたモルガーナイクと比べれば、今の辰巳でも彼の足元には及ばないだろう。
もしかすると、カルセドニアの足を引っ張るだけになってしまうかもしれない。
だが。
だが、自分へと向けるカルセドニアの視線の奥に、ゆらゆらと不安の炎が揺れていることを辰巳は気づいていた。気づいてしまった。
彼女とて不安なのだ。モルガーナイク以外の人物と共に魔物と戦うことが。
もちろん、カルセドニアは辰巳を信用し、信頼している。
だが、辰巳と共に魔物と戦った経験はない。信頼しているとは言っても、やはりモルガーナイクの時とは勝手の違うことはあるだろう。
辰巳とモルガーナイクとでは、何から何まで違うだろう。魔払い師としての実力だって彼には遠く及ばない。それでも、カルセドニアは自分と戦って欲しいと言ってくれた。
それが辰巳にはとても嬉しい。
だからこそ、辰巳は即答する。彼の大切な女性の不安が吹き飛べと願いながら。
「当然だ。俺で良ければ、いつでもカルセと一緒に戦うよ」
自分がモルガーナイクと同様に戦えるとは思わない。それでも、いざとなればカルセドニアだけでも安全圏へと跳ばすことはできるだろう。
「……ありがとうございます。旦那様ならば、きっとそう言ってくださると信じていました」
頬を染め、にっこりと微笑むカルセドニア。
彼女の微笑みが辰巳の胸の内を温かく埋める。と、そこへ更に頼もしい言葉が加わった。
「あらん、タツミちゃんが戦うっていうのなら、当然アタシも一緒に戦うわ。確かにアタシも〈魔〉と戦ったことはないけど、タツミちゃんとカルセちゃんを守る盾にぐらいはなれるわよん」
端整な容貌ににやりと不敵な笑みを浮かべたのは、もちろんジャドックだ。
「いいのか?」
「もちろんよ。アタシたち、もう仲間でしょ?」
ジャドックが器用に片目を閉じる。
「分かった。当てにさせてもらうよ」
「まっかせなさい!」
どん、と自らの胸を叩きつつ、自信たっぷりに頷くジャドック。辰巳はそんなジャドックと拳同士をごつっと打ち合わせた。
「では、旦那様は神殿まで行ってこのことをお爺様に伝えてください。私はその間に家に戻って準備を整えてきます。その後、この店で落ち合いましょう」
「了解だ」
〔エルフの憩い亭〕からサヴァイヴ神殿までは少し距離があるが、転移が使える辰巳ならばそれほどの時間は必要ない。
頷き合う辰巳とカルセドニア。彼らが──ジャドックやエルも含めて──それぞれ動き出すために部屋から出ようとした時。
それまでずっと沈黙を守っていた寝台の上のミルイルが、彼らの背中へと向けて声を発した。
「ま、待って……っ!! わ、私も一緒に……一緒に連れて行ってっ!!」




