贈り物
〔エルフの憩い亭〕の酒場のテーブルの一つを占領しながら。
辰巳の魔獣狩り仲間となった──暫定的にだが──シェイドのジャドック。
だが、予想と精悍な外見をはるかにぶっちぎるジャドックの性格を目の当たりにして、辰巳は思わずまじまじと彼を凝視してしまった。
「アラ? もしかして、アタシの顔に何か付いている?」
じっと彼の顔を見ていた辰巳に対して、にっこりと微笑んだジャドックが尋ねた。
だが次の瞬間、彼の笑みが悪戯を思いついた子供のような顔へと変貌する。
「…………それとも、アタシに一目惚れしちゃった? あら、もう、仕方ないわねぇ。ホント、アタシってツ・ミ・ツ・ク・リ」
ばちっと音がする程に、ジャドックは四つある瞳の一つを閉じて見せる。
瞳を四つ有するシェイドだが、その二つは人間と同じように横に並んで配置され、残りの二つは額に縦長で配置されている。そのため、最初こそ驚いたものの、今では違和感もそれほど感じない。
と言うか、ジャドックの強烈なインパクトの前に、多少の違和感など吹き飛んだと言った方が正しい。
「いや、それはあり得ないですから。俺、そっちの趣味はないし」
そんなジャドックに対し、辰巳は冷静にツッコミを入れる。落ち着いた彼のツッコミに、ジャドックの方がおや、といった表情を浮かべた。
「それよりジャドックさん……」
「あらん、アタシのことはジャドックでいいわ。アタシはタツミちゃんって呼んじゃうけど。それに、畏まって話す必要もないわよん?」
ちゅばっと投げキッスを辰巳に向かって放るジャドック。
ハートの形をしたモノが、自分目がけて飛んでくるのを幻視した辰巳は僅かにその眉を寄せる。
だが、彼の外見的に見られた変化はそれだけ。その事実に、ジャドックの方が逆に大きく眉を動かした。
「じゃあ、ジャドック。エルさんに言われて取り敢えずとはいえ組むことになったんだ。君の戦闘方法とか、得意なことを教えてもらえるかな?」
「うふん。アタシの得物はコ・レ」
そう言って彼が辰巳に掲げて見せたのは、巨大な両手用の戦斧と、二振りの片手用の戦棍だった。
戦斧の全長は2メートル近く、重量もかなりのものだろう。その戦斧を長身のジャドックが扱えば、恐ろしい威力を発揮するに違いない。
また、戦棍の方も片手用とはいえ、かなりの重量を有する凶悪な武器だ。
「戦斧と戦棍二振り……破壊力は相当だね」
「当然。どんな敵だろうとも、このアタシが粉砕しちゃうわ」
細身ながらも、そうとう鍛え込まれているだろうジャドックの身体。
元よりシェイドという種族は戦士の一族でもある。戦う技術においては、彼は十分頼りになるに違いない。
そんなジャドックの上半身を、辰巳と同じような煮固めた革鎧が覆っている。
これでもしも彼が全身を覆う金属鎧でも着込んでいたら、ちょっとした人間戦車といったところだっただろう。
「じゃあ、今度はアタシの方から聞いてもいいかしら?」
「ああ、俺の武装は片手用の剣と盾。後、かなり偏った内容だけど魔法も使える」
「まあ、タツミちゃんって魔法使いだったの? って、アタシが聞きたいのはそっちじゃないわ」
ひたり、と。
真摯な光を浮かべた四つの瞳が、真っ正面から辰巳を射抜く。
「この際だから、あれこれ飾らずに真っ直ぐ聞くわ。ねえ、タツミちゃん。タツミちゃんはアタシのこと、気持ち悪いって思わないの?」
彼が周囲に比べて異質なのは、幼い頃より気づいてはいた。
だが、気づいてはいても、それを修正することはどれだけ努力しても結局できなかったが。
身体はどんどん男らしく成長しても、心はそうはならなかった。
故郷では武器を使った手合わせでは、誰にも負けたことはない。だが、それでも彼は周囲から認められなかった。
気持ち悪い。
〈魔〉でも取り憑いているんじゃないのか。
出来損ないめ。
影でどのように言われているのか、狭い集落の中では嫌でも彼の耳に届いてしまう。
それでも、彼はもくもくと戦闘技術を磨き続けた。
シェイドという種族にとって、強さは矜持である。強くさえあれば、多少のことは目を瞑るのがシェイドであるとも言える。
そのシェイドの中でも、彼は認められなかった。
身体は男でも心は女、というその中途半端さが。
だから、彼は集落を出た。
伝え聞いたところによると、人間たちの街には魔獣狩りと呼ばれる存在がいるらしい。
強大で強力な魔獣を狩ることができれば、それだけで一目置かれるようになるという。
ならば、自分の居場所もそこにあるかもしれない。
そう考えて、彼──あるいは彼女と呼ぶべきか?──は故郷を飛び出したのだ。
「この街に辿り着くまで……人間たちの社会でも、アタシは奇異な目で見られたわ。中にはアタシの目の前でアタシを嘲笑した奴もいた。もっとも、そんな奴等は強制的にアタシの仲間にしたけどね」
連中のナニをぶっつぶしてね、とジャドックは凄まじい笑みを浮かべた。
「……でもタツミちゃんは、そんな連中とは何か違うのよねぇ。もしかして、アタシ以外にもアタシのような知り合いでもいるわけ?」
確かに最初に自分と口をきいた時、辰巳も驚いた顔をした。
だが、そこに驚きはあっても、今まで出会ってきた連中のような嫌悪感は見られなかったのだ。
「うーん……直接的な知り合いって訳じゃないけど……ジャドックみたいな人は、俺のせか……じゃない、俺の故郷では結構見かけたからなぁ」
辰巳の言う「ジャドックみたいな人」とは、テレビのバラエティ番組などに登場していたオネエ様たちのことである。
今日日はオネエ系のタレントも一定の立場を確立させており、テレビを点ければかなりの確率で彼ら(?)を見かけることができる。
そんなオネエ様たちの中には、笑いを取るために本当に怪物としか思えない、とんでもないオネエ様たちも登場する。
それに比べれば見た目の整ったジャドックからは、辰巳が嫌悪感を感じるようなことはなかったのだ。
「まあ、確かに最初はびっくりしたけど、気持ち悪いとまでは思わないな。それに、言ってみればジャドックって性同一性障害って奴だと思うんだ」
「……セイドウイツセイショ……? 何、それ?」
「そうだなぁ……何て言ったらいいんだろう?」
現在の日本では、性同一性障害に対する理解も深まっているが、辰巳が今いる世界ではそんなものは概念すらないだろう。
「えっと……要はさ? 神様のちょっとした手違いだと思うんだ」
「神様の……手違い……?」
「そう。本来、男の身体には男の魂を入れるんだけど、何らかの手違いで、男の身体に女の魂が入っちゃったんだ。だから悪いのは手違いをした神様であって、ジャドックじゃないんだよ」
「ちょ、ちょっと、タツミちゃん……っ!! 神様が悪いなんて言っていいのっ!? どこかの神官様にでも聞かれたら、大変なことにならないっ!?」
「ああ、それなら大丈夫。こう見えても、俺自身がサヴァイヴ神の神官だから」
服の下に入れていた聖印を掲げて見せる辰巳を、ジャドックはぽかんとした表情で見つめた。
「た、タツミちゃん……アナタって……一体何者……?」
「いや、何者って聞かれても……サヴァイヴ神の神官で、駆け出しの魔獣狩りとしか答えられないけど?」
まあ、神官の地位はお情けのようなものだけど、と辰巳は心の中で付け加える。
そんな辰巳をぽかんとした表情で見つめるジャドック。だが、その顔に徐々に笑みが浮かんでくる。
そしてその笑みは、まるで憑きものが落ちたような晴々とした笑みで。
だが、ジャドックとは今日が初対面の辰巳は、そこまで気づくことはなかったが。
と、そこへエルがやってくる。
「はい、タツミさん。今日は薬草採集ご苦労様でした。これが今日の依頼の報酬です」
エルは辰巳に数十枚の銀貨を手渡す。
「タツミさんが集めてきた薬草は、量も十分で鮮度も確かでしたから、少しオマケしておきました」
「ありがとうございます」
辰巳はエルに礼を言いながら、手の中の銀貨を万感の思いで見つめる。
言ってみれば、これがこの世界の辰巳の初収入である。
ジュゼッペの恩情による神官としての収入ではなく、彼個人が彼だけの力で得た収入。
実際には僅かな数の銀貨だが、辰巳にとっては数千枚以上の価値のあるものなのだ。
「タツミさんの魔獣狩りとしての初収入ですね。何か記念となるようなものでも買ってはどうですか?」
数十枚の銀貨では大したものは買えないが、それでもナイフなどの魔獣狩りの実用品として買えるものはあるだろう。
「実は、この収入の使い道はもう決めてあるんです」
辰巳は腰の袋にしっかりと銀貨をしまいながら、エルに対してそう答えた。
エルは辰巳の言葉に笑顔で応えると、ちらりと横目で辰巳の対面に腰を下ろしているジャドックを見る。
ついさっきまで、とげとげとした荒んだ雰囲気を纏っていたジャドック。それが辰巳と会話したほんの僅かな時間で、なんとも温和なものへと変質していた。
(どうやら狙い通り、タツミさんが何とかしてくれたみたいです)
その見た目と性格の違いで、おそらくジャドックはこれまでに辛い思いをしてきただろう。
だが、日本で暮らしたことのあるエルには、辰巳と同じ様に彼に対する嫌悪感は希薄だった。
だからこそ、エルは辰巳とジャドックを組ませようと考えたのだ。
きっと辰巳ならば──自分と同じように日本で様々な文化と接してきた彼ならば、ジャドックを変な色眼鏡を通して見ることなく、彼そのものを受け入れてくれるだろう、と。
そして実際に、今のジャドックは晴々としている。
何があったのかまでは分からないが、どうやら辰巳は自分の予想以上のことをしてくれたらしい。
(もしかして、タツミさんは神官として大成する人物なのかもしれませんね)
ジャドックの憂いを瞬く間に払いのけた辰巳を見て、エルはそんなことを考えていた。
〔エルフの憩い亭〕を後にした辰巳は、レバンティスの街の大通りを歩いていた。
ジャドックはそのまま〔エルフの憩い亭〕で部屋を取り、本日はこのまま休むとのこと。
故郷の集落を出てから今日まで、ずっと旅をしてきたのだ。無事に当面の目的である魔獣狩りとなる目処が立った今、ゆっくりと身体を休めることも必要だろう。
大通りに軒を並べる露店の幾つかを覗き、辰巳はようやく納得したものを見つけた。
そしてそれを今日得た報酬のほとんどを注ぎ込んで購入し、満ち足りた笑顔をうかべたままカルセドニアが待つ我が家へと向かった。
「ただいまー」
魔法の鍵のかかった玄関の扉を合い言葉で解錠し、辰巳は家の中に入る。
今では暖炉の中に暖かな炎が赤々と燃えており、家の中を十分に温めてくれていた。
「お帰りなさいませ、旦那様。首尾はどうでしたか?」
「ん、ばっちり」
辰巳は右手の親指を突き出した。
「そうですか。さすがは旦那様です」
カルセドニアは辰巳の手を引きながら、彼を暖かい暖炉の前へと誘う。
そして暖炉の前に敷かれた毛皮の上に彼を座らせると、その背中を抱き締めようとして────なぜか、辰巳に阻止された。
「あ、あの……旦那様?」
私、不満ですけど? という感情をありありと顔に浮かべるカルセドニアの髪を、辰巳がそっと撫でる。
「?」
辰巳の掌が通りすぎた箇所にちょっとした違和感を感じたカルセドニアは、そこへ自らの手を当ててみた。
と、その掌に触れる硬い感触。
ゆっくりと、まるで宝物を扱うように慎重に、手に触れたそれを目の前まで持ってくるカルセドニア。
今、彼女の手の中にあるもの。
それは一つの髪飾りだった。
材質は木。その表面に簡素な装飾が彫り込まれた、一目見て高価ではないことが分かる安物の髪飾り。
「だ、旦那様……これって……」
「うん、今日貰えた報酬で買ったんだ。と言っても、貰えた報酬は大したことなかったから、高価なものは買えなかった。それでも、予算内でカルセに似合いそうなものをあれこれと探したんだ」
照れ臭そうに笑う辰巳と、そんな彼を真紅の瞳を潤ませてじっと見つめるカルセドニア。
「今日までいろいろとありがとう、カルセ。君には本当に毎日世話になっている。だから……俺が初めて魔獣狩りとしての報酬を手に入れたら、何か今までのお礼がしたいってずっと考えていた」
「旦那様……」
溢れて流れる涙を拭うことも忘れ、カルセドニアは頬を染めて辰巳をじっと見つめる。
「こんな安物じゃ、いままでカルセにしてもらったことに比べると、全く釣り合わないとは思うけど……もらってくれないか?」
「はい……旦那様からいただいたこの髪飾り……生涯大切にします……っ!!」
カルセドニアは両手で髪飾りをそっと握り締めると、そのまま胸に抱くように引き寄せる。
確かにその髪飾りは安物だ。子供でも少しがんばれば買えるかもしれないような、そんなものでしかない。
だが、カルセドニアにとっては、この髪飾りはどんな金銀財宝よりも尊く大切なものとなった。
ようやく涙を拭ったカルセドニアは、改めて辰巳の胸にその身を預ける。
「申し訳ありません、旦那様……もう一度……この髪飾りを私の髪に着けてくださいませんか?」
辰巳の胸板に頬を刷り寄せつつ、カルセドニアは下から辰巳を見上げる。
彼女が辰巳を召喚した時、二人の身長差は僅かに辰巳が勝っている程度だった。
だが、今では辰巳の身長も伸び、頭一つ分ほどの差ができている。
カルセドニアから髪飾りを受け取った辰巳は、再び優しく彼女の髪へと髪飾りを着けたのだった。
後日、「サヴァイヴ神殿の《聖女》」が、妙に安っぽい髪飾りを着けているという噂が立った。
《聖女》と交流のある高司祭が、彼女が実際に安っぽい髪飾りを着けているのを見て、なぜそんな安っぽい髪飾りを着けているのかと尋ねると。
「確かにこれは安物かもしれません。ですが私にとってこの髪飾りは、どんなものにも勝る宝物なのです」
と、誇らしく答えたと言う。
8月1日、2日は家を留守にするため、感想の返信などは3日以降に行います。ご了承ください。




