恋人はゴブリン
彼のその言葉を聞いた時、辰巳とカルセドニアは揃ってきょとんとした顔をした。
「な、なぁ、バース……お、おまえ、今、何て言ったんだ……?」
何とかそれだけを口にする辰巳。横目でちらりと隣のカルセドニアを見れば、いまだに呆然とした表情でバースを見つめている。
それほど、先程バースが告げた内容は衝撃的だった。
「だからさ? そろそろ俺も結婚しようかと思ってさぁ」
聞き間違いじゃなかった。
確かに、ついさっきも彼は同じことを言ったのだ。
場所はいつものように神殿の庭。そこでいつものように昼食を摂っていた辰巳たちは、バースの突然の結婚宣言に思わず言葉を失ってしまったのだった。
「え、えっと……おまえ……恋人とか……いたの……?」
聞きようによってはとても失礼な問いだが、今の辰巳にはそんなことに気を回している余裕はない。
そして当のバースも、特に気分を害した風もなくさらりと言葉を続けた。
「あれ? 言ってなかったっけ? 俺とあいつは幼馴染みでさ。俺が故郷の村を出る時、あいつも一緒にこの王都に来たんだよ。で、俺は神殿に下級神官としてぎりぎりながらも採用され、あいつは王都のとある飲食店で女給として働いているんだ」
バースの語る言葉に惚気の色合いはない。ただただ、淡々と事実を告げているだけ。
しかし、惚気の色はなくても喜色はある。彼がいかにその幼馴染みを大切にしているのかが、彼の話を聞いているだけで辰巳には理解できた。
「俺もおまえと同じで上級神官になれたし、正式に神官戦士にもなれた。ここらで家庭を持ってもいいんじゃないかと思ってさ」
そこで頼みがあるんだ、と続けながら、バースはカルセドニアを見た。
「できれば、カルセドニア様に俺たちの婚姻の儀の立会人をお願いできませんか?」
「わ、私が……ですか?」
「ええ。一介の神官でしかない俺の婚姻の儀に、『サヴァイヴ神殿の《聖女》』に立会人をお願いするのが無茶なのは承知の上です。でも、あいつ……俺の幼馴染みがカルセドニア様の大の信奉者なんですよ。この前も『《聖女》様が偶然お店に来て、間近で《聖女》様を見ちゃった』って大喜びしていたし。俺たちの婚姻の儀の立会人を、《聖女》様にお願いしたいってのがあいつのずっと前からの夢なんです」
バースは勢いよく立ち上がると、ぺっこんと勢いよく頭をさげた。
「お願いしますっ!! あいつの……ナナゥの夢を叶えてやってくださいっ!!」
カルセドニアは思わず隣の辰巳を見た。辰巳もまた、カルセドニアを見ていた。
互いに微笑み、頷く二人。
「分かりました。私で良ければ、お二人の立会人を務めましょう」
「ほ、本当ですかっ!?」
「はい、もちろんです。ですから……バースさんの想い人であるそのナナゥさんに、一度会わせてくださいね?」
この時、辰巳は確かに見た。
カルセドニアの紅玉のような瞳に、きらきらと好奇心の光が宿っていることを。
やはり、彼女も年頃の女性。他人の色恋話には興味があるようだ。
彼の想い人のことを聞いた時、辰巳とカルセドニアは揃って困った顔をした。
「……え?」
思わず間抜けな響きの言葉が辰巳の口から零れ出る。
それほど、バースの告げた言葉は予想外だった。
「俺の幼馴染み……ナナゥは……実は、そ、その……ゴブリンなんだ」
どこか照れ臭そうにそう告げるバース。だが、辰巳はそれよりも他のことが気になって仕方がない。
ゴブリン。
間違いない。バースは確かにそう言った。
辰巳だってゴブリンは知っている。
ファンタジー系の小説やゲームには必ずと言っていいほど登場する、定番中の定番の敵役。しかも、大抵は序盤の雑魚扱いの存在。
肌の色は緑色だったり灰色だったり褐色だったりと様々だが、ぎょろりとした大きな目と子供ほどの身長の妖魔として描かれる場合が殆どで、見た目も醜く頭でっかち。強い者には媚を売り弱い者には大きく出る卑屈な性格。
ぞろぞろと出てきては、ばたばたと倒されるキング・オブ・ザコ。
それが辰巳の知識にあるゴブリンだった。
そんなゴブリンが想い人であると、バースは確かに言ったのだ。
「え、えっと……」
なんて声をかけたらいいんだろう。辰巳は悩んだ。そりゃもう、思いっ切り。
まあ、趣味は人それぞれだからね、と言えばいいのだろうか。それとも、ここははっきりと変わった趣味だね、と言った方がいいのだろうか。
思い悩んだ辰巳は、隣のカルセドニアへと助けを求めるような目を向けた。
すると彼女もまた、困ったような顔で辰巳を見ていた。
「あ、あの……バースさん? 本当にそのナナゥさんって方は……ゴブリンなんですか……?」
「ええ、そうです。俺の故郷の村の近辺にはゴブリンたちの集落がありましてね。昔っからウチの村はそこといろいろと繋がりがあるんですよ。それで、幼い頃からいつの間にか知り合って、今に至るというわけです」
カルセドニアが困った顔をしていることに、バースも気づいたのだろう。
彼は改めて神殿の庭に設置されている椅子に腰を下ろすと、取り繕うような笑みを浮かべた。
「いやまあ、俺だって異種族との結婚があまりいい感情を抱かれないのは承知してます。それでも、俺はあいつと……ナナゥと一緒になりたいんです」
「そうですか……分かりました。お二人が互いに愛し合っているのならば、必ずサヴァイヴ様の加護と祝福が授けられるでしょう」
聖印を握り締めながら、カルセドニアはサヴァイヴ神へと捧げる祈りの言葉を口の中で呟いた。
後で辰巳がカルセドニアから聞いたところによると、この国では異種族婚はあまり歓迎されていないらしい。彼女が困った顔をしていたのは、それが原因だったとか。
種族が違うと寿命が著しく違ったり、生活様式が大きく違ったり、子供ができなかったりと実に様々な問題を抱えることになる。
特に王侯貴族の間では異種族婚は完全に禁忌で、亜人の愛人や妾を囲うことはあっても、正妻となることはまずない。
それでも、庶民の間ではごく稀に異種族同士で結婚する場合もあった。
当然周囲からは理解されない場合が多いが、それを承知で一緒になるのだからお互い強く想いあってのことなのだろう。
「そっか。じゃあ、俺もバースとそのナナゥさんとのことは応援するよ」
辰巳は自分を納得させるようにそう告げた。
それでも、よりにもよってゴブリンと結婚しようというバースに、心の中でこっそりと《勇者》の称号を贈る辰巳だった。
その場所に到着した時、辰巳とカルセドニアは揃ってぽかんとした顔をした。
早速、バースは辰巳とカルセドニアをナナゥというゴブリンの女性に会わせてくれると言う。
ゴブリンという存在に興味を引かれた辰巳と、バースの想い人に会えるという好奇心を刺激されたカルセドニアは、バースに連れられて王都の中を歩いて行った。
そしてバースがとある酒場の前に到着した時。辰巳とカルセドニアは、驚きの表情を浮かべてその酒場の看板を見上げたのだ。
「えっと……そのナナゥさんが働いている飲食店って……本当にここなの……か?」
看板を見上げながら、辰巳はバースに尋ねる。
「ああ、そうだけど? 言ってなかったっけか?」
辰巳とカルセドニアが見上げるその看板。そこには間違いなく〔エルフの憩い亭〕と記されてあった。
慣れた様子で扉を潜るバースに続いて、辰巳とカルセドニアも店内へと入る。
最近ではすっかり見慣れた〔エルフの憩い亭〕の店内。二階三階の宿泊施設へはまだ立ち入ったことはないが、一階の酒場部分には、最近は辰巳とカルセドニアもちょくちょく足を運んでいる。
店の奥のカウンターにいたエルが、辰巳たちに気づいて笑顔を浮かべた。
「いらっしゃい、タツミさん、カルセさん。今日はバースさんも一緒なんですね」
どうやらエルは、バースが辰巳たちとは顔馴染みであることを知っていたようだ。もしかすると、ここで働いているというナナゥというゴブリンから聞いたのかもしれない。
そこまで考えて、辰巳はふと疑問を感じた。
これまでに何度も足を運んだ〔エルフの憩い亭〕であるが、そこでゴブリンなど見かけたことは一度もない。
店主であるエルがエルフのせいか、この店には亜人の従業員が僅かだがいる。だが、それでもさすがにゴブリンは見たことがない。
そのことに辰巳が内心で首を傾げていると、酒場の片隅から元気な声が上がった。
「あーっ、バースくんっ!! ほ、本当に《聖女》様を連れてきてくれたのっ!?」
「よう、ナナゥ! だから言っただろ? カルセドニア様は俺の友人の奥さんだってな」
小柄な人影がぽーんと勢いよくバースの胸に飛び込み、それをバースがしっかりと受け止める。
それをぽかんとした表情で見つめる辰巳。その隣では、カルセドニアが嬉しそうに微笑んでいる。
彼女が嬉しそうなのは、バースに「友人の奥さん」と想い人に紹介されたからだろう。
さりげなく耳にかかる髪を何度も掻き上げたりなんかして、辰巳との婚約の証である耳飾りを周囲に誇示していたり。
だが、そんなカルセドニアに気づく余裕もなく、辰巳はまじまじとバースの腕の中にいる人物を見つめる。
身長はバースの胸辺りまで。褐色の肌に肩で切り揃えたちょっと癖のある銀色の髪。
くりくりとした大きな瞳の色は神秘的な金色。そして、額からは小さな二本の角が覗いている。
見た目の年齢は人間で言えば13、14歳ぐらいだろうか。辰巳の感覚で言えば、中学生ぐらいに見える
だが、彼女が大人の女性のプロポーションをしていることは、女給の制服の上からでも一目瞭然で。
カルセドニアやエルとはまた違う、元気一杯の美少女といった印象のその少女。
確かに、彼女はこの店で何度も見かけたことがあった。そしてその外見から、何らかの亜人であることも想像できた。
だが、その亜人としての種族が、ファンタジーの定番中の定番のアレだとは全く思いもしなかった。
「あ、あれがこの世界のゴブリン……?」
呆然としたまま呟く辰巳。そんな辰巳に、エルが何度も頷きながら声をかけた。
「よーく分かりますよ、今のタツミさんの心境。私もこっちのゴブリンを初めて見た時は、そりゃあもう驚きましたから。特に私の故郷の世界のゴブリンは、日本で考えられているようなゴブリンそのものでしたからねぇ」
なお、エルの話によると、ナナゥはもうゴブリンとして立派な成人なのだそうだ。
この世界のゴブリンは、男性も大体ナナゥのような外見で、額の角はあったりなかったり。角がある場合でも一本だったり二本だったりと、個人によってかなり違いがあるのだとか。
「ゴブリンと言えば、男性も女性も美形揃いの種族として有名です。その外見のせいで、国によっては奴隷として冷遇されている場合もあると聞いています」
少し悲しそうなカルセドニアの声。確かに成人しても少年少女の外見で美形揃いとなると、特殊な趣味を持つ者たちからすると垂涎の的だろう。
ゴブリンたちが奴隷として「高級品」であろうことは、辰巳にでも容易に想像できる。
ラルゴフィーリ王国にも奴隷はいるが、この国の奴隷は罪を犯した償いや、借金が返せなかったり食うに困って自らの身体を売った、などの理由から奴隷となったのであり、無理矢理攫われて奴隷にされた者はいない。
とは言え、裏社会には非合法な奴隷を扱う奴隷商人がいないわけではないし、他国の奴隷密売人が暗躍している可能性もないとは言い切れない。
目の前でバースに楽しそうにじゃれついている、ナナゥというゴブリンの少女。
彼女にはそんな悲しい運命が永遠に訪れることなく、バースと幸せな家庭を築いていって欲しいと願う辰巳だった。




