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武術鍛錬

 両肩に砂の詰められた布袋を乗せたまま、辰巳はその場で膝を曲げ、完全に腰を落としたところで再び膝を伸ばす。

 いわゆるスクワットを、辰巳はもうどれだけの時間続けているだろうか。

 彼の足元には流れ落ちた汗が地面の砂を濃灰色に染め上げている。そして、歯を食いしばってスクワットを続ける辰巳の周囲には、十人ほどの彼と同じ年頃の少年たちが、地面に座り込んでへばって荒い息を吐いていた。

「おらおら、どうした? もう終わりか? そんなことじゃあ、一人前の神官戦士になるのはいつになる分からねぇぞ!」

 そして、そんな辰巳たちの前には一人の男性。

 みっちりと筋肉が詰まった大柄な身体を板金製の金属鎧に包み、腰には剣。その鎧の胸にはサヴァイヴ神を表わす聖印が刻まれていることから、神官戦士の身分にあることが分かる。

 年齢は四十代の半ばだろうか。髭面で強面の、いかにも「教官」といった雰囲気の男性だ。

 「教官」の目は、唯一膝の曲げ伸ばしを続ける辰巳にじっと向けられている。

 まるで敵を睨み付けるような鋭い視線だが、今の辰巳はそれを気にしている余裕はない。

 肩に担いだ砂袋は、片方8キロぐらいだろうか。それを両肩に担いでいるので、都合16キロほどの重量を上乗せしたままスクワットをしていることになる。

 実際、辰巳の体力は限界だった。それでも歯を食いしばって続けているのは、(ひとえ)に気力がなせる技だ。

 力尽き、地面に座り込んでいる少年たちも、一人残った辰巳を黙って見つめている。

 それから更にしばらくスクワットを続けた辰巳だが、ついに最後の気力も尽きて地面に崩れ落ちた。

 それを見た「教官」はにやりと髭面に笑みを浮かべる。

「ようし、半刻(約一時間)ほど休憩だ! 今の内に腹ごしらえをしておけよ! 但し、食い過ぎると後が苦しくなるからな。ほどほどにしておけ!」

 それだけを言い残すと、教官役の神官戦士は大股で神殿の裏手にある神官戦士たちの鍛錬場から立ち去った。

 残された十人ほどの少年たちも、のろのろと身体を起こして鍛錬場を後にする。教官に言われたように、食事を摂りに行くのだろう。

 いまだ地面に大の字に横たわっているのは辰巳一人。立ち上がった少年たちの一人が、その辰巳へと近づいて彼を上から覗き込みながら声をかけてきた。

「おーい、タツミー。生きているかー?」

「おう、バース……何とかなー……」

 地面に寝転んだまま、辰巳は右手だけを持ち上げてふらふらと振った。

 声をかけた少年──バースは、振られていた辰巳の手を握るとそのまま引き起こした。

「タツミも飯食いに行くだろ?」

「ああ、そのつもりだ」

「じゃあ、早く行こうぜ? いつもの場所でおまえの奥さんが待っているぞ?」

「い、いや、チーコとはまだ結婚していないし……」

 辰巳を引き起こしたバースは、その言葉を聞いて呆れた表情を浮かべた。

「何言ってやがる。一緒に暮らしている上に毎日弁当まで作ってくれるんだろ? たとえ結婚していようがいまいが、実質的にカルセドニア様はおまえの奥さんじゃねえか」

 にやにやと意味有りげな笑みを浮かべるバースに、照れた辰巳は若干顔を赤らめてバースを無視して歩き出す。

 二人が目指すのは神殿の庭の一角。そこがここしばらくの辰巳たちのランチポイントなのだ。




 扉が叩かれる音が響き、ジュゼッペは新たな補佐官となった高司祭に取り次ぎを命じ、誰が来たのかを確認してから入室の許可を出した。

「失礼します」

 一礼しながらジュゼッペの執務室に足を踏み入れたのは、先程まで辰巳たちをしごいていたあの教官だった。

「ご苦労じゃの、オージン戦士長。して、どうじゃな? 神官戦士見習いたちの様子は」

「いやぁ、まだまだ雛鳥もいいところです」

 ジュゼッペの問いかけに、オージンと呼ばれた教官は厳つい顔を更に厳しくする。

 現在のサヴァイヴ神殿には15人から20人ほどの規模の神官戦士の小隊が五つあり、それぞれに戦士長と呼ばれる隊長が率いている。そして、その5人の戦士長の上には総戦士長と呼ばれる神官戦士の総隊長が存在する。

 神殿を辞して市井に下ったモルガーナイクも、この戦士長の一人であった。モルガーナイクが神殿を去ってからは彼の補佐役を務めていた神官戦士が戦士長代理に就いており、近い将来に正式に戦士長へと昇進するだろう。

 しかし、このオージンは六番目の戦士長の肩書きを持つものの、率いる小隊を持っていない。彼は神官戦士の見習いの訓練を専任して受け持つ人物なのである。

「特に、猊下が無理に見習いにねじ込んできたあのタツミとかいう小僧……ありゃあ、さっぱりですな」

 オージンはジュゼッペに勧められた椅子に腰を下ろすと、腕を組みつつ無遠慮に言い放つ。

「体力はない、武器や防具を支えるだけの筋力もない、おまけに武器のまともな握り方さえ知らない。昨今の貴族の馬鹿息子でもあれよりは多少はマシってもんだ。猊下から推されたんで面倒は見ていますが、そうじゃなかったら最初の一日で放り出していますぜ?」

 髭に覆われた口元を「へ」の字の形に曲げ、オージンは更に言葉を続けた。

「他の見習いどもと一緒に体力作りをやらせれば、真っ先にぶっ倒れるのはいつもあの小僧だった」

 ジュゼッペはオージンの言葉の響きが微妙に変化したことに気づき、ひょいと器用に片方の眉だけを持ち上げて見せる。

「ほう。『だった』、かね?」

 対するオージンもまた、ジュゼッペの鋭さににやりとその相好を崩す。

「ええ、そうです。『だった』、ですよ。最近では大抵最後まで残るのがあの小僧だ。見習いどもの訓練を始めて30日程ですが、間違いなく一番伸びたのはあの小僧です。正直、最近はあの小僧をしごくのが楽しくなってきた」

 オージンは新しい玩具を見つけた子供のように、屈託のない笑みを浮かべた。




「さあ、どうぞ、ご主人様。バースさんも遠慮なく食べてくださいね?」

「いやぁ、いつも済みませんね、カルセドニア様。しかし、持つべきは美人で気立ても良くて料理上手な嫁さんを持つ友人だな!」

 バースから「嫁さん」と呼ばれ、カルセドニアは嬉しそうに微笑む。そして、準備してきた昼食を甲斐甲斐しく辰巳へと差し出した。

「いや、本当ですよ? タツミと友人になったお陰で、こうして《聖女》様の手作りの弁当が食べられるんだ。タツミには感謝してもし足りないぐらいです」

 調子のいいことを言いながらも、バースはカルセドニアが差し出した昼食を受け取った。

 タツミたちが神官戦士の見習いとして、武術鍛錬を始めてから30日程が経過しているが、いつの頃からかこうして三人で昼食を食べるのが当たり前になっていた。

「しかし、俺って実は邪魔じゃありません? タツミもカルセドニア様も本当は二人っきりの方がいいんじゃないですか?」

 意地の悪い笑みを辰巳とカルセドニアに向けてそう言えば、当のカルセドニアは照れを見せるどころか逆に嬉しそうに微笑んだ。

「大丈夫ですよ、バースさん。私とご主人様は家ではいつも二人っきりですからっ!! ね、ご主人様っ!?」

 辰巳の腕をその豊満な胸に抱え込み、満面の笑みで辰巳の顔を見上げるカルセドニア。対して、辰巳は顔を真っ赤にして何も言わずに黙々と昼食を頬張っている。

 そんな二人のやり取りに、バースは一瞬だけ「やってらんねぇや」といった表情を浮かべるが、すぐにそれを消して自分も昼食を食べ始めた。

「でも、バースさんが神官戦士を目指しているなんて、私もご主人様も知りませんでしたよ?」

「いやあ、俺の場合はタツミが武術鍛錬を受けるって聞いたもんでね? じゃあ、俺もいっちょ一緒に鍛錬を受けようかと思いまして。最初は軽い気持ちで鍛錬に参加しましたが、すぐに後悔しましたね。オージン教官のしごきはキツいなんてもんじゃないですから」

 鍛錬を開始した時、見習いとして鍛錬に参加した人数は30人以上だった。だがこの30日の間に、参加者は次々に減っていき、今では三分一の10人程度まで減じている。

「うふふ。私も駆け出しの頃はオージン様の指導を受けました。私も何度も泣きながら倒れた覚えがあります」

「うわ、あのおっさん、女の人にも手加減なしかよ」

 げんなりとした顔をするバースを、辰巳とカルセドニアが笑う。

「でもまあ、そのお陰でこうして毎日カルセドニア様の料理にありつけるんですがね。お礼に今度、二人を美味い飯を食わせてくれる店に案内しますよ」

 そう言うバースに、辰巳とカルセドニアは顔を見合わせてから、笑顔で「楽しみにしておくよ」と応えた。




「なんせあの小僧は、毎日ぶっ倒れるまでしごいても、次の日にはけろっとした顔で鍛錬に出てくる。あの回復力だけは凄まじいの一言ですな」

「それに関してはカルセの奴じゃな。あやつが婿殿を魔法で癒しておるのじゃろうて」

「ああ、あの小僧にはカルセがついていましたな。ならばあの回復も納得がいく」

「まあ、婿殿の場合、武術鍛錬以外もいろいろとがんばっておるようじゃしの」

「そう言えばあの小僧、武術鍛錬だけではなく、猊下やカルセから魔法の手ほどきも受けているのでしたな」

 現在、辰巳は武術鍛錬と平行して、魔法の訓練も行っている。近頃はようやく僅かながらも外素を感じることができるようになり、魔法使い──辰巳の場合は魔力使いか──への第一歩を踏み出したようだ。

「それに、あの小僧はこちらの言うことを素直に聞いて、素直に実行する。ああいう変な癖のついていない奴は、指導していても真っ直ぐに伸びていくのでおもしろい」

 これまでに何の武術の経験もない辰巳は、いわば白紙の紙のようなもの。そのため、オージンの指導を素直に聞き入れ、何の疑いもなくそれに従う。

 やはり彼のような素直な教え子は、教える側にとっても指導のしがいのある相手なのだろう。

「今のところ、見習いどもには基礎の体力作りだけをやらせておりますが、そろそろ武器を扱った鍛錬をしろと言い出す連中も出てきている。そういう連中に限って中途半端に経験と自信があるので、逆に厄介です。現在はこちらの言うことに渋々従ってはいますが、不満たらたらなのは一目瞭然ですからな。そろそろ反抗的なことを仕出かす頃合いでしょうな」

 これまでに何人もの見習いたちに指導をしてきたオージンである。見習いたちの不満が吹き出すタイミングもしっかりと心得ている。

「ほほう? では、そろそろ見習いたちに武器の扱いを教えるのかの?」

「何言っているんですか、猊下。まだまだ連中には武器を扱うのは早すぎってもんですよ」

 と、オージンはその厳つい顔をにやりと歪ませた。




 他愛のない話に花を咲かせつつ、辰巳とカルセドニア、そしてバースは食事の後片付けに入っていた。

 その時、バースは辰巳が手首に着けている、飾り気のない武骨な腕輪にふと気づいた。

「なあ、タツミ。それ、一体何だ? もしかして、カルセドニア様からの贈り物か?」

「あ? ああ、これか。これはチーコじゃなくて、ジュゼッペさんから借りたんだ」

「ジュゼッペさんって……ったく、おまえは最高司祭様を近所の隠居爺さんみたいに気軽に呼びやがって……おまえのそういうところ、本当に凄いと思うわ……」

 呆れて肩を竦めるバース。それでも、その視線は辰巳が身に着けている腕輪に注がれて離れようとしない。

 辰巳もそれには気づいており、軽く手を上げて腕輪がよく見えるようにしながら解説する。

「この腕輪は、魔法を封じ込めるマジックアイテム……えっと、こっちの言葉では()(ふう)()だっけ?」

 辰巳が確認の意味でカルセドニアへと振り向けば、彼女は辰巳の言葉を肯定するように頷いた。

「ふーん、魔法を封じ込める魔封具ねえ……ってことは、やっぱりおまえは魔法使いだったってことか?」

「どうやらそうだったらしい。とは言え、俺はちょっと特殊らしいから、最初はチーコもジュゼッペさんも気づかなかったそうなんだ」

 辰巳がジュゼッペから借り受けた腕輪は、彼の説明通りの効果を持っている。

 この世界では魔封具は製造が困難なため、その値段は途轍もなく高い。そのためだろうか、さすがのジュゼッペもこの腕輪を辰巳に譲るのではなく、単に貸し出しただけだった。

 いつかの薪割りの時のように、魔力の制御が完全ではない今の辰巳は、無意識に周囲の魔力を取り込み身体を強化してしまうかもしれない。

 基礎を鍛えている段階の今、魔力に頼ってしまうと鍛錬の妨げになる。そう判断したジュゼッペは、辰巳に彼個人が収蔵しているこの腕輪を貸し与えたのだ。

 ちなみに、魔封具の収蔵はジュゼッペの個人的な趣味らしい。だが、さすがの最高司祭も高価な魔封具をそれほど数多く所持しているわけではないそうだが。

「さてっと。そろそろ行こうぜ、タツミ。遅れるとまたオージン教官にどやされる」

「そうだな。じゃあ、また後でな、チーコ」

「はい。行ってらっしゃいませ、ご主人様、バースさん」

 肩を並べて神殿の庭を後にする辰巳とバースの背中が見えなくなるまで、カルセドニアはその場に佇んでじっと見送った。



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