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カルセドニアの野望

 今、辰巳の目の前には巨大なベッドがある。

 場所は辰巳とカルセドニアの家の一室。当初は使う予定のなかった空き部屋の一つ。

 彼の感覚でいうところの、ダブルベッドよりも更に大きなそのベッド。いわゆるクイーンサイズとかキングサイズとかいうサイズではないだろうか。辰巳もこれまでにそんなサイズのベッドは見たことないので、もしかすると違うかもしれないが。

 もちろんこちらの世界のベッドなので、マットレスではなく例の解した干し草を詰めたベッドだ。

 それでもよく見れば、ベッドに使われている木材部分には細工なども入っており、間違いなく高級品だと思われる。

 しかし、辰巳にはこんな高級なベッドを買った覚えがないのだ。

 夕べ、辰巳とカルセドニアは同じ部屋ながらもそれぞれ別のベッド──辰巳は召喚の時に一緒だった自分のベッド──で眠っている。

「ど、どうしたんだ……これ……?」

「こ、これはその……お祖父様からの引っ越し祝いの品として、本日の昼間に届きました……」

 カルセドニアも頬を赤らめつつ、それでいて嬉しそうにちらちらと辰巳とベッドを何度も見比べている。

 どうやらあの爺さんの仕業らしい。今日の講義が終わって辰巳が退室するとき、妙ににやにやとした笑みを浮かべていたが、その理由がようやく分かった。

「しっかし……本当に大きなベッドだな……」

 照れ隠しのためか、辰巳はカルセドニアの傍から離れて、改めて巨大なベッドに近寄る。間近でじっくりと観察してみると、その大きさが更によく分かる。

 明らかに一人用ではない。確かにこの大きさのベッドに一人で寝たら、それはそれで気持ちいいのかもしれないが、それは本来の用途ではないだろう。

 辰巳は、顔を赤らめながらカルセドニアに振り返った。

「そ、それで……こ、このベッドで俺と一緒に寝たい……と?」

 辰巳がそう尋ねれば、カルセドニアは満面の笑顔で「はい」と答えた。




「ずっと……ずっと以前からの夢だったんです。ご主人様と……一緒の寝台で寝ることが……」

「ずっと前から……?」

「はい。まだ私が小さかった頃からの……ずっとずっと前からの夢です」

 赤く染めた頬を両手で押さえながら、恥ずかしそうに、それでいてとても嬉しそうにカルセドニアは言う。

「小さかった頃からって……もしかして、チーコの前世の……オカメインコだった頃からってこと?」

「はい。あの頃は、いつもご主人様と一緒でした。もちろん、ご主人様が家にいない時、私は籠の中にいましたが……ご主人様が家にいる時はいつも籠から出してくださいました」

 かつて彼女がオカメインコだった頃、辰巳は家にいる時は常に彼女を鳥籠の外に放していた。

 さすがに家にいない時は、思わぬ事故などが恐かったので鳥籠の中に入れておいたが、当時の彼が家に帰ると真っ先に行ったのは、チーコを籠から出すことだった。

 当時からチーコは賢かったので、鳥籠の出入り口さえ開けておけば空腹になると勝手に籠に戻って餌を食べ、喉が渇けばこれまた籠に戻って水を飲んでいた。

 そして再び籠の外へ出てくると、辰巳の肩や膝の上で一時間でも二時間でもじっとしていたものだ。

 そんな辰巳も、寝る時はチーコを籠に戻していた。

 もしもチーコと一緒に寝て、寝返りを打った拍子に彼女を押し潰してしまったら。それが恐くて寝る時はチーコを籠に戻していたのである。

「ご主人様が私を大切にしてくださったのは理解しています。でも……当時の私はやっぱりそれが寂しくて……しかし、今なら一緒に寝られます!」

 ぎゅっと拳を握り締め、カルセドニアは力説する。

 そう。これは野望なのだ。カルセドニアが長年夢見てきた野望なのである。




 若い男女が一つのベッドで一緒に寝る。

 それを言葉通りに取る者は、年端もいかない子供だけだろう。

 そして、辰巳は年端もいかない子供ではない。当然、「愛の肉体言語」を連想する。連想してしまう。

 カルセドニアと一緒に暮らす以上、そして、彼女が自分に異性としての好意を寄せてくれている以上、いつかは彼女とそのような関係になるだろうと、辰巳だって考えていた。いや、期待していたと言っても過言ではない。

 だけど、それはもう少し先の話で。

 少なくとも、辰巳は自分がある程度の経済力を手に入れてから、というつもりでいたのだ。

 一緒に暮らしている以上、辰巳がカルセドニアを押し倒すのは難しくない。そして、カルセドニアも辰巳を拒むことなく受け入れてくれるだろう。

 これまでに異性の味を知らない辰巳は、カルセドニアという甘露を一度でも味わってしまうと、もう男の獣性を抑えることができなくなるのは目に見えている。

 その結果、遠からずカルセドニアの胎内には二人の愛の結晶が宿るに違いない。

 別に辰巳はカルセドニアの妊娠が恐いのではない。ただ、何から何までカルセドニアに頼っている現状では、父親として産まれてくる子供に対して情けなさすぎると感じているのだ。

 せめて。

 せめて、カルセドニアほどではなくとも、自分が家族を養えるだけの経済力を身につけてから。

 カルセドニアとの正式な結婚も、肉体的に結ばれるのも、それからだと辰巳は考えていた。

 言ってみれば、男の詰まらない意地と見栄以外のなにものでもない。だが、辰巳はその意地と見栄を貫きたかった。

 それなのに、まさか一緒に暮らし始めて二日目にして、カルセドニアから一緒に寝ることを求められるとは正直予想外すぎた。

 カルセドニアにだって、男と女の性のあれこれの知識はあるはずだ。

 サヴァイヴ神に仕える神官、それも女性の神官は産まれてくる赤子を取り上げる役目、いわゆる産婆としての役割を求められる。

 結婚の守護神にして、子宝の神でもあるサヴァイヴ神。産まれてくる赤子を取り上げ、その場で産まれた赤子に祝福を授けるのは、サヴァイヴ神の神官の重要な役割でもある。

 そのため、サヴァイヴ神の女性神官には、簡単ながらもいわゆる性教育が施される。子供を授かる仕組み、子供を授かるための男女の行為、そして、子供が産まれてくる時の取り上げ方の手順などを先輩の女性神官から教わるのだ。

 もちろん現代日本のような科学的、医学的な知識はこちらの世界にはないが、それでも過去から連綿と受け継いで来た知識と経験がある。その知識と経験を元にして、サヴァイヴ神の女性神官は産婆を務める。

 実際、辰巳は知らぬことではあるが、カルセドニアも赤子を直接取り上げたことはまだないものの、その助手ならば何度か経験したことがあるのだ。

 そのカルセドニアが、男女が一緒に寝ることの意味を知らぬはずがない。

 だが、辰巳が彼女を改めてよく見れば。

 今のカルセドニアの様子は、ただ単純に辰巳と同じベッドで眠れることを喜んでいるようだ。

 前世のオカメインコだった頃から、辰巳の傍で眠りたいという野望を抱いていたらしいカルセドニア。

 もちろん、彼女にだって期待はある。いずれは辰巳と身体を重ね、その身に彼の子を宿すという期待が。

 でも、今はそんな期待よりも、長年の野望の方が優先されているようだ。

 紅玉(ルビー)のような瞳をきらきらと輝かせ、頭上のアホ毛をそれこそ犬の尻尾のようにひょこひょこと揺らす彼女の姿を見て。

 辰巳は、あれこれと思い悩んだ自分が馬鹿だったと悟る。

 カルセドニアが望んでいるのは、本当にただ単に一緒に寝ることだけなのだ。

 確かに男としては、彼女と肌を交えることができないのは残念に感じられる。

 だが、一つのベッドで共に身を寄せ合い、互いの体温を感じられるだけでも、今は満ち足りた思いに至れるだろう。

 だから辰巳は、期待に瞳を輝かせるカルセドニアに向かって、穏やかに微笑みながら首を縦に振ったのだった。




 順番に風呂に入り、食事を済ませた辰巳とカルセドニア。

 二人は改めて、巨大なベッドが置いてある部屋を訪れていた。

 昨日までは来客があった時の客室にしようか、と考えていた部屋。だが、今日からはこの部屋が二人の主寝室になるだろう。

 もう今夜は寝るだけだ。二人は寝間着用の薄い夜着に着替え、一緒に大きなベッドに身を横たえた。

 嬉しそうに、それでいて少しだけ恥ずかしそうなカルセドニア。

 顔を赤く染めつつ、やっぱり恥ずかしくて彼女の顔を直視できない辰巳。

 それでも互いの視線がぶつかり合い、どちらともなく微笑みを浮かべる。

「では、灯りを消しますね」

 カルセドニアが小声でぼそぼそと呟けば、それに反応した《灯り》の魔法が消失する。

 一瞬で部屋の中は闇に侵食されるが、少し待つとその闇にも眼が慣れてきた。

 暗闇の中、ぼんやりと浮かぶカルセドニアのシルエット。

 どちらからともなく二人の右手と左手が握り合わされ、掛け布団代りの毛布を身体に被せる。

 今、この国の季節は海洋の節、すなわち春の終わりらしい。これから短い太陽の節と豊穣の節を過ぎて、長い宵闇の節へと移り変わっていく。

 今はこの毛布でも十分に暖かいが、寒い時期になると動物や魔獣の毛皮を何枚も重ねて使用するのだと、寝物語にカルセドニアが語ってくれた。

 真っ暗な中、互いの僅かなシルエットだけが見えている状況で、二人は静かに言葉を重ね合わせる。

 昔の二人で暮らしていた時のこと。こちらの世界に転生したカルセドニアのこと。これから先の希望や期待など。

 それは静かながらも楽しい一時で、時の経つのを忘れさせるほどだった。

 やがてどちらともなく微睡みが迫ってくると、不意にカルセドニアがその身体を辰巳に密着させた。

 柔らかくて暖かい彼女の身体を全身で感じて、その心地よさに辰巳の微睡みが一段と深くなる。

 カルセドニアは辰巳の首筋にその美貌を埋め、擦り付ける様に何度も頭を振ると、やがて満足したのか「えへへ」という小さな声と共に満足そうな吐息を漏らした。そして、すぐに安らかな寝息を立て始める。

 オカメインコなどの鳥類は、羽毛に覆われていない嘴や脚から体温が逃げるのを防ぐため、嘴を肩の辺りに埋めるようにし、脚を腹の羽毛の中に畳み込むようにして丸まって眠る。

 今のカルセドニアのその仕草に、辰巳は昔のチーコの様子を思い出す。

──やっぱりチーコはチーコなんだなぁ。

 ぼんやりと霞がかかる頭でそんなことを考えながら、辰巳もまたゆっくりと眠りの中に落ちていった。




 どすん。

 夜中、突然腹部に衝撃を感じて、辰巳は驚いて目を開いた。

 部屋の中はまだ暗くてはっきりとは見渡せない。辰巳は手探りで枕元に置いておいた腕時計を探し出すと、窓から差し込む僅かな月明かりで時間を確認する。

 腕時計の針が示している時間は午前2時。眠る直前に時間を確認したところ、午後10時頃だったことを覚えている。

 基本この世界の人々は、日が落ちて暗くなると眠り、日の出と共に起き出す。

 それは現代のような照明がないのが理由で、家庭にカルセドニアのような《灯り》の使える魔法使いでもいない限り、日没後はすぐに寝静まってしまう。

 辰巳たちが10時過ぎまで起きていたのは、あれこれと話に花を咲かせていたからだが、この世界の常識からするとかなり夜更かしな部類に入る。

 腕時計で時間を確認した辰巳は、次に自分の腹部へと目を向けた。

 すると、自分の腹の上に白くて棒のようなものが乗っているのが、薄暗闇の中でなんとか見ることができた。

「……なんだこれ……?」

 半ば寝ぼけているのか、辰巳は腹の上に乗っている白い棒に指先で触れてみた。

 指先に伝わるしなやかな感触。ますます棒の正体が分からなくなった辰巳は、今度は掌で棒を触ってみた。

 さらさらとした滑らかで柔らかな感触が掌に伝わる。それでいて、妙に生暖かい。

 なんとなく心地良いその柔らかさに、無意識の内に手が動いて白い棒の表面をぐにぐにと揉むように触れてしまう。

 すると、彼の隣から小さな声。もちろん、隣で寝ているカルセドニアの声だ。

 ただ、その声は普段の凛とした声ではなく、どこか艶を帯びたような艶めかしい声で。この時になって、辰巳は腹に乗っている白い棒の正体が分かった。

 足だ。

 カルセドニアの片方の足が、彼の腹に乗っているのだ。

 足の付け根付近まで夜着がめくれあがり、その艶めかしい白い足が90パーセント以上も露出しているのが、薄暗闇の中で何とか分かった。

 思わず驚きの声を上げそうになり、辰巳は慌てて自分で自分の口を塞ぐ。

 と、そこへ今度は顔面に衝撃が走る。

「こ、今度は何が……って、腕?」

 涙目になりながらも、辰巳は突然顔面に降ってきたものを見つめた。

 どうやら、カルセドニアの腕が彼の顔面を直撃したらしい。

 顔面に降ってきた腕をそっとどかし、次いで腹に乗っている足も同じように移動させる。

 だが、カルセドニアはすぐに寝返りを打ち、再び彼女の足が辰巳に襲いかかった。

 慌てて身体を回転させ、足の直撃を辛くも回避する。

 暗闇の中で目を凝らしてよく見れば、相変わらずカルセドニアは安らかな寝息を立てている。完全に眠っているようだ。

「ひょ、ひょっとして……チーコってかなり寝相が悪い……?」

 誰に言うでもなく呟く辰巳。そうしている間にもカルセドニアの身体は動き、今度は辰巳とは逆方向に寝返りを打つ。

 もしも今、部屋の中が明るければ、完全に露になった彼女の両足や下半身の下着、乱れた胸元から胸の谷間などが見えただろうが、幸か不幸か暗闇の中ではそこまで見分けられない。

「もしかして……ジュゼッペさんがこの大きなベッドを贈ってくれた本当の理由って……」

 祖父であるジュゼッペならば、カルセドニアの寝相の悪さを知っていても不思議ではない。

 彼女のこの寝相の悪さを知っていたからこそ、このような巨大すぎるベッドを贈ってくれたのではないだろうか。

 これだけの広さがあれば、カルセドニアが間違ってベッドから落下する心配もないし、彼女の寝返り攻撃から逃げるスペースも十分にある。

 変な勘ぐりをしてしまったことを心の中でジュゼッペに詫びながら、辰巳はベッドの隅っこで丸くなって再び眠るのだった。


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