ヤマガタタツミ
「最初にまず、君に謝らなくてはいけないことがあるんだ」
布団の中で目を閉じたまま、ティーナはそう切り出した。
突然の謝罪に思わずきょとんとする辰巳を余所に、ティーナは言葉を続ける。
「君とカルセくんのことをもう一人の君……あちらのタツミくんにリークしたのは……他ならぬこのボクなんだよ」
それはとある人物と、その人物に育てられ、天寿を全うした後に異世界に転生したオカメインコの物語。
天寿を迎え、飼い主の手の中で息絶えた一羽のオカメインコ。事故で自分以外の家族を全て失い、最後に残された小さな家族までも失ったその人物は、深い悲しみに囚われて生きる意欲さえ失おうとしていた。
しかし、そこで奇跡は起きた。異世界で人間に生まれ変わったオカメインコは、飼い主である人物を自分が住んでいる世界へと召喚したのだ。
再び巡り会った二人は、家族として新たな人生を歩み始めていく。
「多分……君も薄々は気づいてんじゃないかな? もう一人のタツミくんにも、君と同じように人間に転生したオカメインコ……カルセくんがいたことに」
ティーナの言葉に、辰巳は黙って頷く。彼女の言う通り、辰巳も漠然とした予想はあったのだ。
もう一人の自分にも、おそらく「チーコ」が存在していただろうことを。
そして今のティーナ口調から、「もう一人のチーコ」がどうなったのかも、辰巳は思い至ることができた。
「……あいつのチーコは……もう……」
「うん、君の想像通りだよ。もう一人のカルセくんは……既に亡くなっているんだ」
それは幸せな毎日だった。
再会した二人は、手と手を取り合い、肩と肩を寄せ合って幸せな毎日を送っていた。
決して裕福ではなかったけど、楽しかった。
毎日忙しかったけど、幸せだった。
しかし、そんな幸福で満ち足りた毎日は、ある日突然崩れ去る。
二人の背後には、とある影が忍び寄っていたのだ。
「もう一人のカルセくんは、君のカルセくんのように《聖女》と呼ばれるような存在ではなく、ただの市井の薬師に過ぎなかった」
辰巳の妻であるカルセドニアのように神殿に属する神官ではなく、とある地方の町の片隅で細々と暮らしていた「もう一人のカルセドニア」。両親を早くに亡くした彼女は、かつての飼い主を召喚するためにかなりの無理を積み重ねたらしい。
「どうやら、元々向こうのカルセくんはそれほど身体が丈夫ではなかったみたいでね。その点も、君のカルセくんとは違うところだね」
可能な限り生活を切り詰め、召喚に必要な資料や各種の魔法の触媒などを揃えて、ようやく飼い主であった「タツミ」を召喚することに成功した「もう一人のカルセドニア」。だが、その無理が生まれつきあまり健康ではなかった身体に大きな負担となり、いつしか病魔に侵されてしまったのだ。
「医者の不養生……というわけでもないが、彼女自身がその病に気づいた時、もう手遅れだったんじゃないかな? この辺りはボクの推測でしかないわけだが」
辰巳がよく知るカルセドニアのように、サヴァイブ神殿でしっかりとした魔法の修行をしたわけでもなく、ジュゼッペの養女となったわけでもない「もう一人のカルセドニア」は、魔法使いとしてはそれ程の術者ではなかった。
その彼女が「タツミ」を召喚してのけたのだ。そこにどれだけの無理があったのか、想像するのは難しくないだろう。
「様々な不幸が重なった結果、彼女は……もう一人のカルセくんは、再びかつての飼い主に看取られることになった」
最愛の家族であるカルセドニアが……今また、目の前で息を引き取った。その事実は、もう一人のタツミの心を破壊するのに十分なものであった。
彼女の亡骸を埋葬した後、タツミは何をするでもなく、二人で暮らした家の片隅で膝を抱えて踞る。
どれだけ、そうしていただろうか。
どれだけ、身動き一つせずにいただろうか。
食事も摂らず、身体を動かすのも最低限。
まるで死人のようにただただ家の中に閉じ篭もるタツミに、一つの出会いが訪れたのはそれから数日後のことだった。
「偶然にもボクがあちらのタツミくんの魔力波動に気づいた時、最初は君だとばかり思ったんだよ。ほら、やはり君たちは同一存在だけあって、魔力波動がとてもよく似ているんだ」
日本でもなければカルセドニアがいる世界でもない、全く別の世界から感じられた覚えのある魔力波動。ティーナは最初、それが何らかの理由で辰巳が別の世界へと飛ばされたからだと思った。
魔力のない世界では魔法を使えない辰巳を救助するため、ティーナは魔力波動を頼りにその世界へと飛び、そこでもう一人のタツミと出会ったのだ。
「ボクが向こうのタツミくんと出会った時……それは酷い有り様だったよ。風呂に入ることもなく、服を着替えることもなく……ただただ、膝を抱えて部屋の片隅で座り込んでいるだけ……あれはもう、死人と変わりないと言っても過言ではなかったね」
突然現れた黒衣の麗人に、タツミは僅かに視線を動かした。
だが、タツミが動いたのはそれだけ。自分の家に見知らぬ人間が入ってきたことを、咎めることもせず黙って座り込むばかり。
対して、ティーナは目の前の「タツミ」が「辰巳」ではないことにすぐに気づいた。彼女がここに来た目的は迷い込んだであろう「辰巳」の救助である。つまり、「タツミ」には何の用もないのだ。
その世界に「辰巳」がいないと分かったティーナは、すぐに「タツミ」の家から……いや、その世界から立ち去ろうとした。しかし、放っておけば数日以内に餓死、もしくは衰弱死するであろう「タツミ」を、ティーナはそのまま見殺しにはできなかった。
「いくら君と向こうの君が別人だと分かっていても……時に、理性で感情を抑えきれないことはあるものでね」
布団に横になったまま、苦笑を浮かべるティーナ。
「辰巳」と「タツミ」が別人だと頭では分かっていても、やはり気持ち的には見捨てることが出来なかったのだ。
「向こうの君を見捨てることが、どうしても君を見捨てることと同じに思えてしまってね……それで、ボクはついつい手を差し伸べてしまったのさ」
ラルゴフィーリ王国の中心ともいうべき、王城のとある一室で。
数人の人物がその部屋に集まり、深刻な表情を浮かべていた。
「……騎士や兵士たちの配備はどうだ?」
中央の椅子に座った老人──ラルゴフィーリ王国国王、バーライド・レゾ・ラルゴフィーリが、背後に立っているタウロードに問う。
「は、現在は兵たちを街の外壁や街中の要所に配置中で、間もなくそれも終わりましょう」
恭しく告げたタウロードの言葉に真剣な表情で頷いたバーライドは、部屋に集まっている者たちへと視線を向ける。
「これは我が王国……そして、レバンティスの街の危機である。四神殿には軍竜討伐の協力を正式に要請したい」
四大神──海洋神ダラガーベ、宵月神グラヴァビ、太陽神ゴライバ、そして豊穣神サヴァイヴの各神殿の最高司祭たちは、揃って国王の要請に頷いた。
「各神殿の神官戦士たちなら、いつでも戦えるぞ」
「もちろん、負傷者の救護の準備も整っておりますわ」
「はぁ……魔物相手とはいえ戦となると金が……まぁ、仕方あるまいなぁ」
ゴライバ神殿の最高司祭ブガランク・イシュカン、グラヴァビ神殿の最高司祭マイアリナ・キスカルト、ダラガーベ教団の最高司祭グルグナード・アーマートが、口々に準備が完了したことを告げる。
「エル殿に頼んで、市井の魔獣狩りたちにも協力を呼びかけておる。もちろん、魔獣狩りの中でも信頼できる腕利きの連中ばかりを厳選して、軍竜に挑むことになるじゃろう」
サヴァイヴ教団の最高司祭であるジュゼッペ・クリソプレーズが、いつものように髭を扱きながらふとこの場にいる最後の一人へと目を向けた。
「私は武人でもなければ軍を指揮することもできぬ故、前線で軍竜と戦うことはできませぬ。しかし、私には私なりの戦い方があります」
その人物──ガルガードン伯爵家当主、アルモンド・ガルガードンは全員の視線を受けながら言葉を続ける。
「我が領内で生産された武具……ガルガードン伯爵家が誇る良質な武具を可能な限り集めて持ち込みました。来る軍竜との戦いにお役立てください」
「うむ、伯の気持ちは確かに受け取った。伯が集めてくれた武具らは、我らが騎士兵士たちの心強い支えとなるだろう」
どれだけ武勇に優れた騎士、兵士であっても、武具がなければその実力を最大に発揮することはできない。
ガルガードン伯爵領で生産される良質の武具は、軍竜と戦う者たちにとっては実に心強い「援軍」と言えるだろう。
「して……ジュゼッペよ。先程貴様の話にあった、問題の『もう一人のタツミ』とやらは……どうしている?」
バーライドの問いに、部屋の中にいる者たちの視線が今度はジュゼッペへと集められる。
「あやつなら、朝からカルセにくっついておったわい」
まるで親鳥の後を追う雛鳥のように、カルセドニアの後ろをちょろちょろと付いて回っては、モルガーナイクやジャドック、そしてミルイルにそれを邪魔されていたタツミ。
今朝方、登城する前に見た光景を脳裏に映し出しながら、ジュゼッペはそれでも真面目な表情を崩さない。
一見しただけでは微笑ましくも思える光景だが、タツミがその気になればいつでも軍竜たちを暴れさせることができるのだ。そのため、屋敷に残った息子やモルガーナイクたちには、必要以上にタツミを刺激しないように細心の注意を払うように言いつけてある。
「さて……軍竜迎撃の準備はもうじき終わる。それまで、何とか『もう一人のタツミ』を抑えておいてくれ」
「うむ、心得た。あやつのことは儂に任せ、陛下たちは軍竜迎撃の準備に専念されるがよかろう」
ジュゼッペの言葉に、バーライドを始めとした全員がゆっくりと恭順した。
「さて、昨日は突然の軍竜出現に対応が間に合わなんだが……あまり、この国を……いや、レバンティスの街を舐めるでないぞ?」
そう呟いたジュゼッペの鋭い視線は、この場にはいない人物──タツミへと向けられていた。
「君に……いや、君たちにとって、一番の活力源はやはりカルセくんだ。そう思った時、思わずボクは言ってしまったんだよ。こことは違うまた別の世界には、元気に暮らしているカルセくんがいることを……」
同一存在である「辰巳」と「タツミ」。だが、二人は決して「同一人物」ではないのだ。
性格や嗜好など、違う部分は当然ある。ティーナもそんなことは分かっていたはずなのに、「タツミ」を目の前にしてつい「辰巳」と同一視してしまった。
「生きる意欲をなくしていたタツミくんに、生きる意欲を取り戻させるには、一目元気なカルセくんに会わせるのが一番だろう……と、安易に考えてしまったんだ」
おそらく「辰巳」であれば、別の世界で元気に暮らすカルセドニアの姿を確認することで、再び活力を取り戻したことだろう。
どちらかといえば、辰巳の思考はポジティブだ。そうでなければ、いくらカルセドニアが一緒とはいえ、突然召喚された異世界でずっと生活しようとは思うまい。
「辰巳」と「タツミ」を同一視してしまったティーナは、後にこれが大きな過ちであることを悟る。
チーコが別の世界で生きている。
目の前の黒衣の麗人からそう聞かされた時、タツミの心にぽっと小さな炎が灯った。
だが、その炎は明るく暖かな炎ではなく、暗く陰湿な炎で。
いかに優れた魔法使いであっても、人の心については門外漢であるティーナには、その炎の温度までは判断できなかった。
そして。
「…………そうか……チーコは…………もう一度転生していたんだな……」
暗く昏い笑みをにんまりと浮かべ、タツミがとても小さな声でそう呟いたことに、ティーナは気づかなかったのだ。
おそらく、タツミの心は大切な家族を二度も目の前で失ったことで、やはりどこか壊れてしまったのだろう。
もう一人のカルセドニアに会いたければ、自分で会いに行けるようになれ。
それが、ティーナがタツミに出した課題であった。
「ボクがタツミくんを連れて、君たちが暮らしている世界へ行くことは容易い。だが、それではタツミくんは一時的に立ち直っても、いつまた落ち込むか知れたものじゃない。だから、ボクはタツミくんに《天》の魔法を教えることにした。『カルセドニアにもう一度会う』という目的を与えて、少しずつタツミくんに生きる目的を見出してもらうために」
もう一度チーコに会う。その目的のため、タツミは貪欲にティーナから魔法を学んでいった。
ティーナにしてもタツミに魔法を教えることは、彼女の持論である「異世界に転移することで、《天》の系統を得る」の実証にも繋がる。つまり、ティーナにとってもタツミに魔法を教えることには利があるのだ。
そして、タツミは《天》の魔法を身に付けるに至る。
「だけど……まさか、《天》とは対極ともいうような《冥》系統の才能までもあったとは、さすがにボクも予想外だったよ」
もともと《冥》こそが、タツミが生まれつき保有していた魔法系統なのだろう。同じように、辰巳も微弱とはいえ《冥》系統を保有しているのだから。
「彼女はボクが傍にいない間に、こっそりと《冥》の魔法についても学んでいたようだ。ボクもタツミくんに常につきっきりというわけにはいかず、あちこちの世界を行き来しているからね」
最初こそタツミにつきっきりで様子を見ていたティーナだが、彼女も決して暇ではない。いくつもの世界や時代で、事業を手がけていることもあるのだ。
実際、現代の地球世界でも世界規模で事業展開する大企業のいくつかは、その発展の影に彼女の存在がある。もちろんティーナの名前が世に出ることはなく、その企業の重大な「企業秘密」として扱われている。
そのため、タツミはティーナが不在の時に、自らに宿る《冥》の才能も秘かに開花させていったのだろう。
「ボクがタツミくんの《冥》の魔法に気づいた時……既に彼女は自身に何体もの〈魔〉を宿らせ、自身の能力を高めていたんだ。それこそ、自力で異世界へ転移できるぐらいにね。そして、当然ながらボクはそのことを彼女に問い詰めようとした……」
突然、腹部に感じる灼熱感。そして少し遅れて全身の神経を駆け抜けた激痛に、ティーナはその場に崩れ落ちた。
他の世界での仕事を片づけ、タツミの元へと現れたティーナは、タツミが自身に〈魔〉を憑かせ、その力を大幅に上げていることにすぐに気づいた。
そのことを問い質そうと「教え子」であるタツミに近寄った時、タツミは隠し持っていた短剣でティーナの脇腹を突然突き刺したのだ。
「……あんたは邪魔なんだよ。これからオレが……オレともう一度転生したチーコが、前のように一緒に暮らしていくにはな」
タツミのその言葉を聞いた時、ティーナは彼女が辰巳からカルセドニアを奪うつもりであることに気づいた。そして、辰巳と共に暮らしているカルセドニアが「タツミのカルセドニア」ではないことに、心のどこかが壊れてしまったタツミには理解できていないであろうことにも。
「タツミくんに刺された傷はほとんど致命傷だったが……幸いなことに、懐の中に一つだけ以前に作った霊薬があってね。それを飲むことで何とか一命を取り止めたってわけさ。いやー、ボクはどうにも回復系の魔法が苦手……というか、全く使えなくてね」
面目ない、と苦笑するティーナ。だが、辰巳はそれどころではなかった。
これまで聞いていたティーナの話の中で、とてもじゃないが無視できない個所があったのだ。
「……あ、あのティーナさん……ティーナさんはあいつのことを……か、『彼女』って……」
震える声で尋ねる辰巳に、ティーナはきょとんとした顔をする。
「おや? 君、気づいていなかったのかい? もう一人の君であるタツミ・ヤマガタくんは……いや、山形樹美くんは……女性だよ」




