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診断と治療

 扉も窓も完全に閉めきり、魔法の明りだけが室内を照らしているとある部屋の中で。

 椅子に腰を降ろしたカルセドニアの前には、同じように椅子に座ったぶくぶくと肥え太った中年域の男性がいた。

 額の生え際が大きく後退し、室内を照らす魔法の明りにてらてらと輝いている。

 たっぷりとした腹回りと、それに負けないたぷたぷとした二の腕や太股。もっとも、それらは衣服に隠されて直接見えているわけではないのだが。

「ぐふふふふぅ。さぁ、着ているものを脱ぎなさぁいぃぃ」

 頬肉も弛み、その男性が口を開く度にふるふると揺れる。

 その中年男性の前で、カルセドニアは言われた通りにゆっくりと着衣の前を(はだ)けていく。

 それにつれて露になる、カルセドニアの豊かな二つの双丘と滑らかな腹部。カルセドニアも恥ずかしそうに頬を染めて男性から視線を逸らしてはいるが、決して身体を隠そうとはしない。

 そんなカルセドニアの様子を──いや、露になった彼女の身体の上を、中年男性の視線が舐めるように這っていく。

 たっぷりと時間をかけてカルセドニアの身体を目で確かめた男性は、次にその肌に指を這わせ始める。腹部から胸にかけて、時にはその豊かな胸の感触を確かめるように指先で押し上げ、張り具合や感触を確かめるように摘み、無遠慮に、だが慎重にカルセドニアの身体に触れていく。

「ほほぉぅ……この感触ぅ……これは……ぐふふふふぅ」

 自分の身体の上を這い回る男性の指先に、カルセドニアは恥ずかしそうにきゅっと唇を結ぶ。だが、恥ずかしそうにするものの、男性の指を拒むようなことはない。

 今の彼女のその表情には、羞恥と不安、そして僅かばかりの期待も表れている。

 やがて、男性がにたりと笑う。だらしなく垂れ下がった頬肉がぷるぷると震え、見る者に何となく嫌悪感を抱かせる笑みだった。




 先程敷いた布団にティーナを寝かせた辰巳は、彼女の怪我の具合を確かめるためにその上半身の服を脱がせていく。

 スリーピースのジャケットとベストを脱がせ、その下の白いシャツも脱がせ終わると、ティーナの白い肌と傷口が露になった。

 上半身は下着と右腕の『アマリリス』だけという姿のティーナにちょっとだけどぎまぎしつつ、辰巳はその怪我の様子を確かめる。

 神官戦士としての修行の一環として、怪我に対する診断と治療の心得はある程度叩き込まれている。その辰巳の目には、彼女の怪我がナイフや短剣のような刃物で刺されたものと推測された。

「……出血の割に思ったよりも傷は深くはないな……これなら致命傷には至らないだろう」

 救急箱の中にあったあり合わせの医薬品で、辰巳は手当てを施していく。

 傷口を消毒し、ガーゼ代わりにハンカチを押し当ててテープで固定する。

「とりあえず、これでよし、と。後は……」

 ティーナの呼吸が安定していることを確かめた辰巳は、急いで近所のコンビニへ向かう。

 コンビニで手に入る医薬品はどうしても限られているが、午後十一時近いこの時間に開いている薬局があるはずもない。

 幸い、辰巳が日本にいない間にすぐ近くにコンビニが一軒オープンしていたので、そこに駆け込んで医薬品と適当な食糧を買い求める。

 購入した商品を抱えて帰宅すると、ティーナはまだ寝ているようだ。

 傷口の具合を再確認し、血が滲んでいるハンカチをコンビニで買ってきたガーゼと交換して包帯で固定した後、自分のTシャツをティーナに着せてようやく一息吐く。

 本来ならば、救急車を呼ぶのが一番いいだろう。しかし、ティーナを救急車に乗せてもいいものか、辰巳には疑問だった。

 空間どころか時間さえ超越するティーナだ。正式な手続きを踏んで日本に入国したとは限らない。つまり、今の彼女は不法入国者かもしれないのだ。

 日本に正式に入国していない場合、救急車で運ばれたティーナは治療を受けた後に警察に身柄を取り押さえられるだろう。

 もっとも、ティーナであれば仮に警察に捕まったとしても、あっさりと逃げ出してきそうだが。

「……後はティーナさんの意識が戻るのを待って、直接事情を聞くしかないな」

 予備の布団をティーナに提供したため、辰巳は彼女の枕元に座り込み、壁に背中を預けながらゆっくりと目を閉じた。




「して、どうであったか?」

 ジュゼッペは目の前に控えている男性に、にこにことした笑みで尋ねる。

 そのジュゼッペの隣には、しっかりと身繕いを整えたカルセドニア。彼女はとても不安そうな様子で目の前にいる中年男性を見つめていた。

 ジュゼッペに尋ねられた男性は、その丸々と肥え太った身体をふるふると震わせながら、先程カルセドニアに向けたようなどことなく嫌らしい笑みを浮かべる。

「ぐふふふぅ……はい、猊下ぁ。現時点ではまだ確実とは申せませんがぁ……その可能性は高いかとぉ」

「おお……そうか……そうか……っ!!」

 男性の返答に、ジュゼッペは嬉しさのあまりぱんと自らの膝を叩く。カルセドニアもまた、先程までの不安げな表情から一転し、喜びに頬を紅潮させている。

「ジュルグ。分かっておるとは思うが……」

「このことはしばらくは内密にぃ……ですなぁ。ぐふふふふぅ」

 ジュルグと呼ばれた男性は、サヴァイヴ神殿の高司祭の一人であり、神殿の施療部門の最高責任者でもある。つまり、カルセドニアにとっては直属の上司に当たる人物である。

 醜く太った外見とどこか嫌らしい口調とは裏腹に、魔法に頼らない医療技術と医療知識においては、ラルゴフィーリ王国内でも並ぶ者はないと言われるほどの名医であり、その性格も生真面目でジュゼッペの信頼も篤い。

「ぐふぅ、カルセの夫君についてはぁ、先程猊下からお聞きしましたぁからぁ。そしてぇ、その夫君にそっくりな人物のこともぉ……この話はぁ最低限の方たちだけの間にぃ留めるが得策かとぉ」

 妙に間延びする独特の口調で、ジュルグはにたぁりと笑う。

 並ぶ者のない名医であり、神殿でも高い地位に就くジュルグであるが、その最大の欠点は外見から大いに誤解されることであろう。

 彼は温厚で真面目で職務にも熱心な人物なのだが、その丸々と太った体形と独特の口調から、初対面だとどうしても「変な方向」に誤解されてしまうのだ。

 本人も気にして過去に何度も矯正を試みたが、どうしてもそれは無理だったらしく今ではすっかり諦念している。

 しかし、医師としても神官としても信頼できる人物であるのは間違いなく、ジュゼッペは迷うことなく彼を自分の屋敷に呼び寄せた。そして、カルセドニアを任せたのだ。

「こうなっては、どうしても婿殿に帰ってきてもらわねばならんの」

「はい……ご主人様は……私のご主人様は必ず私の元へ帰って来ます……っ!!」

 愛する養女(むすめ)と何度も頷き合ったジュゼッペは、自室の窓から外へと目を向けた。

 今日もレバンティスの空は鉛色の雲に覆われている。

「……もうすぐ、本格的に雪が降りそうじゃな……」




 翌朝。辰巳が目覚めると、ティーナの意識も回復していた。

「てぃ、ティーナさんっ!! 気がついたんですねっ!?」

「いや、本当に申し訳ない。君にはすっかり世話になってしまったようだね」

 目を開けた辰巳に、ティーナは布団で横になったまま弱々しい笑みを浮かべる。

「何か食べられますか? って言っても、コンビニのレトルトのお粥ぐらいしかありませんけど」

「うん、それで十分だよ。この時代のジャパンのコンビニフードを舐めてはいけないことぐらい、ボクだって知っているしね」

 身を起こそうとするティーナに無理をしないように告げた辰巳は、湯を沸かすために台所へと向かう。

 二人分のお粥──久しぶりに辰巳も食べたくなった──を用意し、ティーナの枕元へと運んで二人で食べる。

 ティーナはまだ身体を起こせそうもないので、辰巳が食べさせてあげるしかない。

 時間をかけて食事を終えた二人。辰巳は臥したティーナの枕元で姿勢を正す。

「それで……話してもらえますか? ティーナさんがどうしてあんな怪我をしていたのかを……」

「うん、これだけ世話になった以上、説明するのが義理ってものだよね。だがその前に……」

 言葉を途切らせたティーナの右手から、朱金の輝きが迸る。『アマリリス』の鎖が空間を渡り、窓の外の電線に留まっていた雀をあっさりと捕える。

 ティーナの手元に鎖が戻ってきた時、そこには鎖に絡め取られてもがいている一羽の雀。

「と、突然どうしたんです? この雀が何か……?」

「ほら、よく見てみたまえ」

 布団に横になったまま、ティーナは腕を伸ばして捕えた雀を辰巳へと差し出した。

「あ……目が赤い……? も、もしかして……」

 辰巳が雀とティーナを何度も見比べると、彼女はにやりと笑みを浮かべた。

「君が考えている通りだね。この雀は《使い魔》だ。もう一人のタツミ・ヤマガタのね」

「ど、どうしてティーナさんがあいつのことを……?」

 ティーナが「もう一人の自分」を知っていると知り、辰巳は目を大きく見開く。そんな辰巳に悪戯っぽい笑みを浮かべつつ、ティーナは言葉を続ける。

「いくら《使い魔》とはいえ、さすがに世界を渡ってまで常時接続は不可能だろうから……おそらく、それなりに意識を集中しないと向こうの世界からこちらの世界の様子を窺うことはできないだろうね」

 ティーナは手の中の雀から流れ出る魔力に方向性が見受けられないことから、現在はこの《使い魔》とタツミの間に魔力的な接続はないと判断する。

 一方の辰巳はティーナのその言葉から、この雀──《使い魔》が何のために自分の部屋のすぐ近くにいたのかを察した。

「……俺を……見張るため……?」

「うん、その解釈で間違いないだろうね」

 そう答えたティーナの手の中から、雀がふっと消え去る。

「こちらの様子を覗かれるのはちょっと困るからね。かと言って、雀を殺してしまうのも忍びない。なので、一時的に隔離された空間に閉じ込めたんだよ。空気もしばらくは保つし、死んでしまうこともあるまい」

 傷ついた身体で連続して魔法を行使したためか、ティーナの唇から辛そうな息が零れ出る。

 それでも、彼女はしっかりとした視線で、辰巳をじっと見つめていた。

「では、改めて説明しよう。どうしてボクがこんな傷を負ったのか……そして、もう一人のタツミ・ヤマガタがどうして突然君たちの前に現れたのか……ボクの知る限りのことを話そうじゃないか」

 布団の中で目を閉じたティーナは、ゆっくりと彼女が知っていることを辰巳に語り出した。


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