日進市にて
「マぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁベラスっ!!」
両の拳をがっと突き上げ、爽やかな印象のその青年は全身でその歓喜を表現した。
整った彼の表情は喜びのあまりだらしなく歪み、普段の涼やかな雰囲気の美形もすっかり台なしである。
そんな様子の青年を、辰巳は思わずぽかんとした表情で見つめていた。いや、見つめることしかできない。
辰巳たちが今いるのは、日進駅近くのとあるファストフード店。平日の夕方前で店内はそれほど混んでいないとはいえ、そんな場所で雄叫びを上げれば注目を集めないわけがない。現に今も、周囲にまばらにいた客たちが何事かと辰巳たちを注目している。
「ちょっと隆! 少しは自重しなさいよ。周りに迷惑だし、山形くんだってびっくりしているじゃない!」
「何を言うんだ、あおい! これが叫ばずにいられるかっ!! だって異世界だぞ! ファンタジー世界だぞ! その異世界から帰ってきたという人物が目の前にいるんだぞ! ここで叫ばずにいつ叫べとっ!?」
「ファンタジー世界って……何も私たちが出会ったファンタジー世界の関係者は、山形くんが初めてじゃないでしょう?」
「確かにそうだ! だが、それでも俺は今、猛烈に感動しているんだっ!!」
妙なテンションに陥っている青年──萩野隆と、その隆を恥ずかしそうに諌める女性──木村あおい。
もっとも、隆との付き合いの長いあおいは、口で言う程度で隆の興奮が収まらないことは熟知している。隆は重度のファンタジーオタクであり、以前も休日の大型複合スーパーで同じような雄叫びを上げたという痛々しい経歴を持つのだ。
「ごめんね、山形くん。こいつ、ちょっとアタマがおかしいから……気にしないでね?」
周りの客たちに愛想笑いを振り撒いて誤魔化した後、あおいは顔の前で片手を立てながら辰巳に向かって謝った。
駅前で突然見知らぬ少年から声をかけられた隆とあおい。二人は不審に思いながらも、なぜか自分たちの名前を知っていたその少年から話を聞くために、この店へと移動したのだ。彼らもまた、疑問だったのだ。突然現れた見知らぬ少年が、どうして自分たちのことを知っているのかが。
そして聞かされたのは、驚きの事実。
目の前の少年──山形辰巳と名乗った少年は、つい最近まで異世界にいたらしい。だが、とある事情から望まぬ帰郷を果たしてしまったという。
普通ならば、異世界に召喚されていた、などと言われても簡単には信じないだろう。
だが、隆とあおいにはよく似た境遇の友人がいる。そのため、辰巳の言葉を全て信じはしないものの、全く否定することもなかった。
「それじゃあ何か? 君は……山形くんは、その異世界でエルちゃんに出会っていると?」
「そうなんです、萩野さん。エルさんには向こうでいろいろとお世話になって……日本にいた頃はこの町に住んでいたと、エルさん本人から聞かされていましたから……」
「それで、エルを頼って日進市まで来たってわけね?」
あおいの言葉に、辰巳はこっくりと頷いて見せる。そして、その証拠にと向こうの世界で携帯電話で撮影した写真を二人に見せた。
「本当だ。確かにこりゃエルちゃんに間違いない」
「しかも、耳を幻覚で誤魔化していないし、私たちが知ってるエルよりちょっと大人っぽい雰囲気ね」
他にも、辰巳は気まぐれで撮影した向こうの写真を見せる。
荘厳なるサヴァイヴ神殿、堅牢な王城、レバンティスの街並み、そして、たくさんの友人知人たち。
特に四本の腕と四つの瞳を持つシェイドであるジャドックの姿は、そこが異世界であることを示すいい証拠となったようだ。
「確かに、これは異世界みたいだな。もちろん、これが手の込んだCGって可能性も捨てられなくはないが……」
「そうね。山形くんがそこまで手の込んだことをする必要はないだろうし」
隆とあおいの二人は、写真を見た後に互いに顔を見合わせ、そして頷き合った。
どうやら、目の前の少年は嘘を言ってはいないようだ。それに、エルの知り合いでもあるとなれば、隆とあおいも他人事と言い切ることはできない。
仮令そのエルが、自分たちの知らない未来のエルであったとしても。
「君の話は理解した。俺の方からエルちゃんに連絡してみよう」
「でも、エル本人が山形くんに会いたくないと言ったら……その時は諦めてね? 私たちとしても、エルが望まないことはできないから」
その可能性はとても低いと思いつつも、あおいは一応釘だけは刺しておく。
「は、はいっ!! もちろんですっ!! ありがとうございますっ!!」
笑顔を浮かべた辰巳は、席から立ち上がって二人に向かって深々と頭を下げた。
そんな辰巳に若干の苦笑を浮かべつつ、隆はポケットからスマートフォンを取り出すのだった。
夕方を過ぎて周囲が暗くなり始め、町の中にぽつぽつと明りが灯るようになった頃、辰巳は隆たちと共にファストフード店を後にした。
久しぶりに目にする、町の明り。辰巳の体感時間で一年半ほど前までは、ごく普通だった「明るい夜」。
だが、久しぶりの「明るい夜」は、どこか辰巳に違和感を感じさせる。それほどまでに、辰巳はあちらでの生活に馴染んでいたのだ。
そんな郷愁にも似た感傷を引き摺りつつ隆とあおいに案内されたのは、ごく普通の一軒家だった。
外観はやや古い感じがするものの、中はしっかりとリフォームされていると、なぜか隆が我がことのように自慢気に説明し、あおいに脇腹を小突かれている。
その隆とあおいは、慣れた様子で庭先の門を越えて玄関へと向かう。そして、玄関のドア横のインターフォンを躊躇うことなく押す。
『はい、アカツカです』
「やあ、俺だよ俺」
返事のあったインターフォンに、まるでどこぞの詐欺師のようなことを口にする隆。だが、辰巳はそれどころではない。インターフォンから聞こえてきた声は、今の彼が最も会いたいと思っている人物の声に間違いなかったのだ。
知らず、辰巳の心臓の心拍数が跳ね上がる。彼女に会える期待と、その彼女に拒否された場合の恐怖。様々な感情が湧き上がり、辰巳の心を締め上げる。
辰巳がそんな感情を抑えつけている間に、隆はインターフォンの向こうと話をつけたようだ。
玄関のドアの向こうで気配が動き、がちゃりと鍵が開く音がする。
そして、玄関を開けて彼女が姿を見せた。
清潔感溢れる白い半袖のブラウスの上からグレーのビスチェを合わせ、ボトムはウォッシュブルーのフレアショートパンツ。そこから伸びるすらりとした白い脚の先には質素なサンダル。
そのファッションは、日本ならごく一般的なものだろう。しかし辰巳にしてみれば、こんな服装の彼女は初めてである。
そんな彼女──エルの姿を見て、辰巳の両の目から涙が零れ落ちる。
突然、望まぬままに日本へと送還されてしまった辰巳。確かに日本は辰巳にとって故郷であり、勝手知ったる場所である。しかし、今の辰巳にとって日本は、「不安な場所」でしかない。
一年も失踪していたことに対する不安は決して無視できない。確かに叔母は自分に関心が全くないようだが、一年も謎の失踪をしていれば、アパートの他の住民や大家あたりが不審に思わないはずがない。もしかすると、大家が警察に捜索願いを出しているかもしれない。
他にもさまざまな不安はある。果たして向こうに帰ることができるのか、このまま日本にいる間に、向こうとこちらの間に大きな時間の差が生じないのか。そして何より、彼の最も大切な女性は無事なのか。
そんな不安を抱えていた辰巳。だが、目の前に現在唯一頼れそうな人物が現れたことで、遂に辰巳の心のダムが決壊したのだ。
辰巳は涙を流しながら膝から崩れ落ち、エルの足元に踞る。
そして、見知らぬ少年に突然泣かれた上に足元に踞られたエルはと言うと。
「え? え? え、えっと……ええぇ?」
状況を全く理解できずに、隆やあおい、そして踞ったままの辰巳を何度も見比べて、おろおろすることしかできなかった。
「え、えっと、その……さ、さっきは申し訳ありませんでした……」
非常にばつが悪そうな様子で、辰巳は目の前にいる人たちに謝った。
「まあ、気にするなよ、山形くん。それだけ、切羽詰まっていたんだろうし」
「そうそう。辛い時は誰だって誰かに頼りたくなるものね」
気不味そうにする辰巳を笑って許すのは、もちろん隆とあおいである。
彼らがいるのは、赤塚家のリビング。
ダイニングテーブルの一辺に辰巳が座り、その正面には一組の男女。辰巳をここまで案内してくれた隆とあおいは、少し離れたソファで我が家のように寛いでいる。
くすくすと笑いながら自分の失態を許してくれた二人に照れ笑いを浮かべながら、辰巳は改めて目の前の男女へと向き直る。
男女の内、女性の方はよく知っている。
辰巳がよく知るその女性──エルとは僅かに印象が異なるのは、辰巳が知るエルとは年齢的に約百年ほどの差があるからだろう。いくら長寿のエルフとはいえ、百年近い歳月は変化を生じさせるに違いない。
自分がよく知るエルよりも「若い」エル。そして、その隣に座っているのは、落ち着いた雰囲気の青年だった。
ごく普通の家の、ごく普通のリビング。そこにいるのが実によく似合う、優しげな笑顔が似合う人物だ。
──この人が……エルさんの旦那さんか……
現時点では「義理の兄妹」という関係らしいエルとその青年。だが、二人の間にそれ以上の愛情と信頼があるのは、初見の辰巳にもすぐに判った。
「しかし、隆から聞かされた時はびっくりしたよ。まさか、エル以外にも異世界に関わっている人がいたなんてね。あ、僕の名前は康貴。赤塚康貴。もしかすると、隆やあおいから聞いているかな?」
親しげに右手を差し出しながら康貴が告げる。辰巳はその手をしっかりと握り締めると、康貴の問いに答える。
「はい、赤塚さんのことは聞いています。先程萩野さんや木村さんからも聞きましたが、それよりもエルさんからよく聞かされていましたから」
辰巳のその言葉に、康貴とエルは互いに顔を見合わせつつ、照れたような笑みを浮かべる。
──何ていうか……エルさんと一緒にいるのが絵になる人だなぁ。
やや失礼ながらも、康貴に対してそんな印象を抱く辰巳。
将来エルの夫となるであろう康貴は、決して派手な印象の男性ではない。見た目はごく普通であり、隆のような誰もが認めるような美形ではない。
そんな康貴に対して、エルの方は誰もが認める美人である。それなのに、康貴とエルが並ぶと実にしっくりとくるのだ。
まるで一対の存在であるかのような、一緒にいて当たり前の雰囲気を醸し出している二人。そんな二人の様子に、辰巳の心の中に暖かなものが湧き上がる。
この人がいたからこそ、エルさんは長い時間を日本で過ごしたんだろうな。そう辰巳に思わせる何かが、二人の間には確かにあった。
「僕のバイトが終わるまで待たせてしまって悪かった。早速だが、改めて山形くんの話を聞かせてもらえるかな? 大体のことは隆から聞いたが……詳しいことは聞いていないんだ」
康貴の要請に辰巳は頷き、辰巳が体験したことを最初から説明していく。
彼のその話を康貴とエル、そして隆とあおいは、言葉を挟むことなくじっと聞き入ってくれた。
辰巳がその話を語り終えた後、康貴はじっと辰巳を見つめたまま口を開いた。
「つまり、君は今までいた異世界へ帰るために、エルの短剣を使いたいってことかい?」
真っ正面から自分を射抜くような康貴の視線。辰巳はそれをしっかりと受け止める。
「お願いします! あの短剣がエルさんにとって大切なものなのはよく知っています! ですが、今はそれしかあちらに戻る方法がないんです!」
テーブルの上に身を乗り出し、辰巳は康貴とエルに向かって頭を下げる。
そんな辰巳に対し、康貴はもう一度エルと顔を見合わせてからはっきりと告げた。
「悪いけど……君にエルの短剣を貸すことはできない」
と。




