更なる援軍
「ちと聞きたいことがあるんじゃが……いいかの?」
「何だよ、爺さん」
それは、辰巳が消えた直後の鍛錬場でのこと。
深い悲しみに捕らわれた養女の肩を優しく抱き寄せつつ、馬車の用意が整うのを待ちながらジュゼッペは上機嫌なタツミに問うた。
「お主……婿殿と戦う必要があったのかの?」
「どういう意味だ?」
「現在レバンティスが置かれている状況から、交渉の主導権を握っているのはお主じゃ。そのお主が強気に出れば、婿殿と命懸けで戦う必要はなかったのではないか……と思うての」
軍竜という脅威を以て、レバンティスを「人質」にしているタツミ。タツミがその気になれば、「人質」というカードをちらつかせて自分の要求を貫き通すことだって不可能ではない。
「それこそ、カルセを攫って儂らの手の及ばぬ場所……例えば、こことは異なる世界に跳ぶこととてできたじゃろ?」
「あ? 馬鹿じゃねえの? どうしてチーコが悲しむようなことを、このオレがしなくちゃいけないわけ? この街にはあんたのようなチーコにとって大切な者たちがいるじゃねえか。それなのにこの街から離れれば、チーコが悲しむのは目に見えているだろ?」
「そのようなこと言いながらも、お主はカルセが最も悲しむことをしたわけじゃが?」
「……あいつだけは例外だ。あいつだけはどうしてもこの世界から消したかった……あいつだけはチーコと同じ空の下に存在させたくなかった……この世界に存在する『ヤマガタ・タツミ』はオレ一人でいいんだよ」
タツミの唇から紡ぎ出された言葉を聞き、ジュゼッペの眉がびくりと揺れる。
街全体を「人質」にしてまでカルセドニアを求め、そして辰巳という存在をこの世界から強制的に排除しておきながら、その一方でカルセドニアが悲しまないように配慮する。
そのちぐはぐさが、ジュゼッペには気になったのだ。
「……お主の望みは……一体何じゃ?」
「前にも言ったはずだぜ? 俺の望みは、以前のようにチーコと暮らすこと。家族としてチーコと共にあることさ」
「…………なるほどのぉ……」
何かを確信して、ジュゼッペの双眸がきらりと鋭い光を放つ。だが、カルセドニアやタツミはそのことにまるで気づいていない。
そして、がらがらという馬車の車輪が回る音が近づいてくるまで、三人はそのまま鍛錬場で静かに佇んでいた。
ジュゼッペにやり込められて見るからに不満そうなタツミ。そして、悔しそうなタツミを見て満足そうな笑みを浮かべるジュゼッペ。
そんな二人を少し離れた所から見ていたタウロードたちは、不思議そうな表情を浮かべて顔を見合わせていた。
「意外だな。あいつ、親父との約束を守るようだぜ?」
「ああ。軍竜を支配下に置き、このレバンティス全体を『人質』にするような奴だ。口約束にしかすぎないものを、律儀に守るとは正直思っていなかったが……もしかすると、親父には何かそのような確信があったのかもしれぬな」
タウロードとレイルークが言葉を交わす。もしもタツミが約束を守るつもりがなければ、実力でタツミを排除することも考えていたのだ。
仮にそうなれば、いくらタウロードたちといえども、無事では済まなかったかもしれない。それでも兄として義妹を守るためならば、身体を張ることに躊躇いはない。
「親父にはあいつが約束を守るって確証があったって? どういうことだ、兄貴?」
「俺にも詳しいことは分からん。だが、あの親父のことだ。俺たちでは気づかないような何かに気づいたのだろうな」
タツミの出した条件の揚げ足を取った形の、ジュゼッペの対応。街全体を「人質」にしている相手に、そのようなことを仕出かすのは確かに危険である。
タウロードが言うように、ジュゼッペにはタツミが約束を守るという何らかの確証があったのだろう。
そんな兄と弟とのやり取りを余所に、スレイトはじっとタツミを見つめていた。
「あいつがどういうつもりで親父との約束を守ろうが、俺にしてみれば正直それほど問題ではない。重要なのは、仮令どのようなことがあろうとも、カルセを守り抜くことだ。そうでないと、俺たちの義弟が帰って来た時に兄としての面目が立たん」
「そうだな」
「ああ、俺たちの義弟は必ず帰ってくるだろうからな」
決意の秘められた次兄の言葉に、長兄と末弟は揃って頷くのだった。
タツミとのやり取りを終えたジュゼッペは、改めてカルセドニアを傍へと呼び寄せた。
「帰ってきて早々で悪いが、お主にはこれから我が家に来られる客人の相手を頼みたい」
「お客様……ですか?」
「左様。既に婿殿に嫁いだお主は、正確に言えばこの家の者ではないが……そこはそれ、実家に帰ってきておる間ぐらい、実家の人間として振る舞っても問題はないじゃろ」
楽しそうに目を細めるジュゼッペを見て、カルセドニアの心に小さな警報が鳴る。このような時の祖父は、必ず何かを企んでいるに違いないからだ。
ジュゼッペが身内に対して他愛のない悪戯をしかけるのは、彼の家族であれば皆が身を以て理解していることである。
「客人はしばらくこの屋敷に滞在する予定じゃ。その間、客人の相手を頼むぞ。お、どうやらその客人が来たようじゃな」
カルセドニアの耳にも、馬車の車輪の音が聞こえてくる。彼女が音の方へと目を向ければ、横腹にサヴァイヴ神殿の聖印が描かれた馬車が一台、クリソプレーズ家の門を潜って屋敷の敷地へと入ってくるところだった。
馬車は徐々に減速していき、カルセドニアやジュゼッペの前で停車する。そして、その馬車の扉が開き、中から何人かの人間が降りてくる。
「はぁい、カルセちゃん。最高司祭様に呼ばれて来たわよン」
「私たちが来たから、もう安心していいわ。仮令タツミの偽者であろうとも、あなたには指一本触れさせないから」
「ミルイルさん、タツミさんの偽者じゃなくて、同一存在らしいですよ?」
「女将さん、俺たちにはその『ドウイツソンザイ』とやらがどのようなものなのか、今ひとつ理解できないのだが……」
馬車から降りてきた者たちが誰なのかを理解し、カルセドニアがその顔を輝かせる。
「ジャドックさん……ミルイルさん……女将さん……モルガー……」
カルセドニアに名を呼ばれ、四人がそれぞれに反応を示す。
ジャドックは四本ある腕の一本にぐっと力を入れ、ミルイルは自分の胸をどんと叩き、エルは穏やかな笑みを浮かべ、そしてモルガーナイクは力強く頷いた。
ジャドックの言葉通り、彼らをここに招いたのはジュゼッペである。もちろん、その目的は三人の義兄たち同様、カルセドニアの警護だ。
特に同性であるミルイルやエルはカルセドニアと常に一緒に行動できることもあり、カルセドニアにしてみればこの上なく心強い増援と言えるだろう。
「そういうわけでカルセよ。彼らは儂の大切な客人方じゃ。粗相のないようにお相手するんじゃぞ?」
「はい、承知しました、お祖父様」
ジュゼッペの真意を理解し、そしてその心遣いにカルセドニアは感謝する。
「では、客人方を部屋へと案内してもらおうか。家の者には連絡しておいたので、既に部屋の準備はできておるじゃろ。ほれ、お主も不貞腐れておらんとこっちに来んかい」
ジュゼッペが歩き出せば、タツミはその後を不満げな表情を浮かべながらもついていく。そして、そのタツミを見張るようにタウロードとレイルークも後に続く。
「では、皆さんもこちらへどうぞ」
名目上はジュゼッペの客人であるモルガーナイクたちを、カルセドニアは屋敷へと案内する。
しかし、屋敷へと向かう足を止め、改めて友人たちへと振り向いた。
「今回は……私のために迷惑をかけてしまって……でも、来てくれて本当に嬉しい……正直……旦那様が突然いなくなってしまって……凄く心細かっ……た…………」
顔を俯け、小さな声で友人たちへと告げるカルセドニア。その足元に、ぽたりと小さな雫が落ちる。
そんなカルセドニアに向かって友人たちの中からエルが進み出ると、細かく震える彼女の身体をそっと抱き寄せた。
「大丈夫ですよ、カルセさん。タツミさんは……あなたの旦那様は、必ずあなたの元へと帰ってきますから」
「……え?」
僅かに涙に濡れる顔を上げて、カルセドニアはエルの顔をまじまみと見入る。
「日本に強制送還されちゃったらしいタツミさんですけど……じっとしているわけがないじゃないですか。きっと今頃、こっちに戻るための行動を始めているはずです」
辰巳の帰還を信じて疑っていないような、エルの口振り。そんなエルを、カルセドニアは無言で見つめた。
「お、女将さん……旦那様は……旦那様は本当に……帰ってくるでしょうか……?」
「もちろんですよ!」
震える声で尋ねるカルセドニアに、エルはぱちりと片目を閉じて応えたのだった。
カルセドニアとエルがひっそりと話し合っている一方で、かつての上司と部下もまた言葉を交えていた。
「どうやら、鍛錬は欠かしてはおらんようだな」
「はい。例え市井の魔獣狩りとなっても、あなたに教えられたことは守っていますよ」
かつての上司と部下の久しぶりの対面。スレイトとモルガーナイクは、どちらからともなく拳を打ち合わせた。
モルガーナイクがサヴァイヴ神殿の神官戦士であった時、当然ながら総戦士長のスレイトとは知己であった。それどころか、当時のモルガーナイクはスレイトに目をかけられ、直々に戦い方を叩き込まれてもいる。
いわば、モルガーナイクにとってスレイトは、神官戦士としての師匠と言える存在でもあるのだ。
「今回は当てにしているぞ?」
「お任せください。クリソプレーズ猊下からの依頼に関係なく、タツミやカルセは俺にとっても大切な友人ですから」
「そうか。なかなかいい表情をするようになった」
嫌味のない爽やかな笑みを浮かべるモルガーナイクの胸板を、スレイトの拳がどんと叩いた。
「ふぅん。あれがもう一人のタツミちゃんねぇ」
「本当にそっくりね。聞いてはいたけど、実際に見てびっくりしたわ」
ジュゼッペの後ろを黙って歩いているタツミを見て、ジャドックとミルイルがそれぞれ思うところを語り合う。
「アラ、そうかしら。アタシたちのタツミちゃんと比べると、いろいろと違う所もあるわよン?」
「え?」
「例えば、身長はアタシたちのタツミちゃんよりも低いわよね?」
「そう言えば……」
改めて見比べてみると、確かにジャドックの言うようにミルイルたちがよく知る辰巳と、目の前にいるもう一人のタツミの身長には差があるようだ。
ジャドックたちが出会った頃のタツミは、カルセドニアよりも少し高い程度だった。だが、最近の辰巳は身長も伸び、モルガーナイクと並んでも遜色ないぐらいになっている。
具体的には、召喚された当時は一七〇センチ手前だった辰巳の身長は、十七、八歳という若さもあって今では一八〇センチに届こうとしているのだ。
そんな辰巳と改めて比べると、タツミの方は随分と小さく思える。おそらくは、カルセドニアとそれほど変わらないぐらいだろう。
「最初はタツミとそっくりなことばかりに気が取られて、身長のことまで気が回らなかったけど……言われてみればその通りかも」
「それに、確かに顔そのものはそっくりだけど、よくよく見ればアタシたちのタツミちゃんよりも、顔つきがどこか幼いというか柔らかいというか……ちょっと雰囲気が違うわよねぇ」
「相変わらず、ジャドックって細かいところまでよく見ているわね」
「そりゃあそうよ。だってよく気が利くのって、イイ女の必須条件でしょ?」
ばちりと四つある目の内の一つを閉じて見せるジャドック。彼はその鋭い視覚で、注意深く前を歩くタツミを観察する。
辰巳との違いは他にもあるのか。身体を動かす時のちょっとした癖はないか。利き腕や利き足はどちらか。
戦士としての「目」で、ジャドックはタツミを観察する。それはもちろん、いつか来るだろうタツミと刃を交える時のために、少しでも有利に戦うために相手の情報収集だ。
そうしながら、ジャドックはふと天を仰ぐ。相変わらず分厚い雲に覆われた灰色の空からは、絶え間なく雪が落ち続けている。
「……早く帰って来なさいよ、タツミちゃん。タツミちゃんが帰ってくるまで、カルセちゃんはアタシたちでしっかりと守っておくわ」
ジャドックもまた、信じているのだ。いや、ジャドックだけではなく、ミルイルも、エルも、モルガーナイクも。
誰一人として、辰巳の帰還を信じていない者などいないのだ。
決意を固める彼ら彼女たちを包み込むように、雪は音もなく降り続けていた。




