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〈冥〉の魔法使い

 ぎぃん、という異音と共に、二振りの剣がぶつかり合う。

 片方は鋼製のごく普通の片手剣。対して、もう一方は透き通った刃を持つ、明らかに魔獣の素材が用いられた剣。

 鋼の剣よりも魔獣素材の剣の方が武器としての質は高い。その双方がぶつかり合えば、当然悲鳴を上げるのは鋼の剣の方だった。

 自分の手元から聞こえる金属が軋むような音に、タツミは盛大に眉を寄せた。

「ち……くっつくんじゃねえよ! 鬱陶しい!」

 悪態を吐きつつ、タツミは目の前に迫る自分そっくりな顔を睨み付けながら《瞬間転移》を発動。相手との間に距離を取った直後、その掌から魔力弾を散弾のように連続で撃ち放つ。

 自分へと降り注ぐ赤黒い猛雨に、今度は辰巳が舌打ちする番だった。

「そっちこそ……鬱陶しい攻撃ばかりするなよ!」

 迫る魔力弾の群れを転移でやり過ごし、辰巳はタツミの背後へと回り込む。

「人の後ろにばかり付き纏いやがって……おまえはストーカーかっての!」

 背後に感じる気配だけを便りに、タツミは振り向きざまに剣を一閃させた。

 その一撃を、辰巳は飛竜剣で難なく受け止める。だが、その瞬間辰巳の顔に浮かんだのは不満そうな表情だった。

 もしも辰巳が盾を装備していれば、今のタツミの一撃を盾で受け流し、そのままカウンターで相手の胴を薙ぐことさえ可能だったのだ。しかし、一振りの剣で防御と攻撃を流れるように連携することは、今の辰巳であってもやはり難しい。

 辰巳が最も得意とする武具。それは剣でも『アマリリス』でもなく盾なのだ。盾で相手の攻撃を受け流してカウンターを叩き込む。それが辰巳の基本的な戦闘スタイルなのである。

 今、辰巳が装備している武具は飛竜剣と『アマリリス』のみ。リリナリアとディグアンをレバンティスの南門で見送った後、神殿に向かうつもりだった辰巳は神官服こそ着ていたものの、当然ながら防具の類は装備していなかった。

 そして軍竜の出現からサヴァイヴ神殿へと駆け込み、ジュゼッペと相談。そこへタツミが乱入しそのまま空中戦へと移行したので、最初から腰に佩いていた飛竜剣と右手の『アマリリス』以外の武具を装備している時間などなかったのだ。

 手元に盾があれば、と辰巳は内心で何度も悔やむ。しかし、タツミのように触れずとも転移で武具を取り寄せることのできない以上は、手元にある二つの武具を最大限に活かすしかない。

 考えを改めた辰巳は、相手の剣を飛竜剣で封じつつ、至近距離から相手の顔面目がけて拳を繰り出した。相手との距離が近すぎるため十分な加速が得られず威力的に今ひとつだが、それでも不意打ち気味のこの拳打は完全にタツミの意表をつくことになった。

 すぐ近くで、タツミがぎょっとした表情を浮かべたのが見える。しかし、辰巳の拳が相手の顔面を捉える直前、タツミは再び転移で大きく間合いを広げた。

「……くそ! やっぱり転移を使われると押し切れない!……だけど……」

 辰巳は吐き捨てながら大きく距離を取った相手の姿を確認する。やや距離があるものの、視線を遮るもののない空では、相手の姿はよく見える。

 その相手──タツミの身体を取り巻くように輝く黄金の魔力光。その輝きは、空中戦を始めた当初に比べて明らかに鈍くなっていた。




「接近戦は明らかに不利……か。なら……っ!!」

 剣の腕では明らかに相手に劣ると自覚したタツミは、相手から遠く離れた場所にもかかわらずに剣を一閃させる。

 当然ながら、相手にその剣撃は届かない。その無駄としか思えない行動に、辰巳は思わず首を傾げる。

 だが、その辰巳の背中で何かがぞくりと蠢いた。直感的なものを信じ、辰巳はその場から大きく離れる。直後、何かが風を切るような音と共に、彼の頬が浅く斬り裂かれた。

 頬に走る痛みを気にしている暇はない。タツミが先程と同じように、何もない空間を更に数回剣で斬りつけている。

 ぴりぴりするような焦燥感とぞくぞくするような恐怖感を押し殺しつつ、辰巳は注意深く周囲を見回す。その辰巳の黒瞳が大きく見開かれたのはその直後だった。

 視認できるかできないか、といった程度の僅かな黄金の輝き。それが自分目がけて高速で飛来してくるのが確かに見えた。

 辰巳は反射的に《裂空》を飛竜剣に纏わせると、その(ばん)(ざん)の刃を飛来する黄金の輝きに叩きつける。

 途端、ガラスが砕けるような甲高い音と共に、飛竜剣が纏っていた《裂空》が弾けた。いや、正確には《裂空》が相殺されたのだ。

「……こ、これはまさか……れ、《裂空》を……飛ばした……のか?」

「は……ははははは! こいつは驚いた! まさか、こんなにあっさりと《裂空飛》を見破られるとは思ってもいなかったぜ!」

 哄笑するタツミ。だが、その声には明らかに苛立ちが見え隠れしている。

 タツミの言う《裂空飛》とは、文字通り《裂空》による遠隔攻撃である。空間そのものを裂く《裂空》は、当然ながらその軌道は目に映らない。

 それはまさに姿なく忍び寄る死神の鎌。例えその存在に気づいたとしても、普通の武器や防具ではこの恐ろしい刃を防ぐことはできず、また、回避することさえ容易ではないだろう。

 しかし、《裂空》もまた魔法である。そこに魔力が働いている以上、魔力光は僅かながらにも宿る。

 魔法使いとしての実力はタツミに及ばないものの、辰巳とてジュゼッペの元で魔法使いとしての基礎はみっちりと叩き込まれている。師によってしっかりと築き上げられた魔法使いとしての基礎の部分が、《裂空》の僅かな魔力光を辰巳に感知させたのだ。

 もしも辰巳が素直にジュゼッペの指導を受け入れず、毎日の努力を積み重ねてこなかったとしたら。辰巳が《裂空飛》の軌道を見抜くことはできなかっただろう。

 そして、全てを斬り裂く《裂空》と言えども、同じ《裂空》だけは斬ることはできない。ぶつかり合った《裂空》同士は、互いに打ち消し合いながら宙へと消えていく。

 基礎から愚直なまでに築き上げた魔法使いとしての土台と、相手と同じ〈天〉の魔法系統。その二つが、《裂空飛》という恐るべき刃から辰巳を救う結果となった。

 確かにジュゼッペやカルセドニアといった卓越した魔法使いたちならば、《裂空飛》の軌道を見切ることはできるだろう。しかし、《裂空飛》の速度は極めて速く、その効果範囲もかなり広い。遠距離ならばともかく、中近距離で放たれた《裂空飛》を回避することは、それこそ辰巳の《瞬間転移》でもなければまず不可能だろう。

「どうやら、おまえを見縊り過ぎていたようだ。おまえも基本的にはオレなんだし、見縊っちゃいけなかったってわけだな」

 タツミの赤い双眸に浮かぶ光が、明らかに変質する。どこか辰巳を見下していた部分が消え去り、残されたのは真摯なまでに相手を見つめる鋭い光のみ。

「そら、次々に行くぜ!」

 遠い間合いを保ったまま、タツミは何度も剣を振る。その都度、目に見えない刃が生み出されては、辰巳目がけて襲いかかっていく。

 僅かに視認できる魔力の輝きを頼りに、辰巳は次々に襲い来る《裂空飛》を転移で回避していく。そして何度も慎重に回避を続けながら、辰巳は注意深くタツミの様子を探る。

 連続して放たれる《裂空飛》。確かに《裂空》を飛ばすこの魔法は強力で高速、そして効果範囲も広いが、射程距離だけはそれほど長くはないようだ。更には消費する魔力も多いのだろう。タツミの身体を包む魔力光が、どんどんと弱くなっていく。

 どうやらタツミもまた、「魔法使い」ではなく「魔力使い」らしい。〈天〉や〈冥〉といったいわゆる「レア系統」は、術者が限られている故に呪文を研究開発する者もいないため、必然的にタツミも魔力使いにならざるをえない。

 そして、呪文を介さずに発動する魔法は、消費する魔力も多くなる。タツミにどれだけの魔力容量があるのかは不明だが、このまま魔法を乱発すれば遠からず魔力は尽きるだろう。

 そして、それこそが辰巳の狙いである。

 タツミに魔法を無駄撃ちさせ、魔力の消費を誘う。そして、魔力が尽きた時に一気に接近戦で勝負を決める。

 辰巳が狙い求める時は、そう遠くないうちに訪れるだろう。




 タツミの身体を包む魔力光が、目に見えて弱くなる。

 空を縦横無尽に飛び回り、時には転移を行い、更には魔法による遠隔攻撃を何度も放ってきたのだ。タツミがいかに豊富な魔力を内包しようが、魔力が完全に枯渇するのは時間の問題だろう。

 具体的には、あと数回も転移を行えばそれでタツミの魔力は完全に底を突く。

 それを確信した辰巳は、一気に勝負に出た。《加速》でタツミへと肉薄し、一文字に剣を振る。

「くそ……っ!!」

 鋭い辰巳の剣閃を、タツミは転移で回避する。そして再び出現したタツミに、今度は朱金の蛇が襲いかかった。

 転移と組み合わせれた『アマリリス』の攻撃は、無数の矢を浴び続けるようなものだ。剣だけで防ぎきれないと判断したタツミは、再び転移で大きく距離を取る。

 だが、朱金の蛇はしつこいまでに襲いかかる。いくら転移で距離を開けようが、『アマリリス』もまた転移で追撃できるのだ。障害物の一切ない空の上で、黄金の毒花から完全に逃れる術はない。

「………ちっ、魔力が限界……か……っ!!」

 そして、遂に辰巳が待ち望んだ瞬間が訪れた。タツミの周囲から魔力の光が殆どなくなったのだ。

 魔力が底を突いたことを自覚したタツミは、地上へ向けて転移する。上空に留まったまま魔力が尽きれば、墜落死は免れない。

 最後の魔力を振り絞り、地上──サヴァイヴ神殿の鍛錬場──へ転移したタツミ。完全に消えた魔力光を確認しつつ、辰巳もまた地上へと転移した。

 そして、タツミの頭上二メートルほどの所に出現した辰巳は、落下に身を任せつつ飛竜剣を振り上げる。そして振り上げた剣を渾身の力で、タツミの脳天へと振り下ろす。

「ばぁか。かかりやがったな?」

 飛竜剣の刃がタツミの頭に触れる直前。にやりと嫌らしい笑みを浮かべたタツミの身体から、赤黒い魔力光が溢れ出した。

「……な……っ!?」

 タツミは左の掌から赤黒い魔力弾を放ち、飛竜剣を弾き上げる。そして、がら空きになった辰巳の胴に向けて、右の剣を掬い上げるように一閃させた。

 辰巳の左下の脇腹から右の胸にかけて、銀色の閃光が駆け抜ける。辰巳の神官服が裂け、周囲に激しく血が飛び散る。

「ち、浅かったか……!」

 魔力弾を放ちながらという不安定な姿勢で繰り出したタツミの剣閃は、確かに辰巳の身体を捉えた。しかし、元々戦士としてそれほど実力は高くないタツミの剣撃は、致命傷を与えるには至らない。

 胸を走り抜ける灼熱感を覚えながら、辰巳は数歩後ずさる。そして、視線はタツミに固定したまま、左手で受けた傷に触れてみた。

 皮膚と筋肉は裂けたが、内臓にまで刃は至っていない。激しい痛みはあるものの、《自己治癒》を発動させればすぐに塞がるだろう。

 しかし、傷を受けたことよりも、タツミの魔力が突然回復したことの方が辰巳には大きな衝撃だった。

 魔力が回復しなかったのはやはり演技(ブラフ)で、タツミもまた外素使いなのだろうか。慎重に相手の様子を探る辰巳に対し、タツミは含みのある笑みを浮かべたままだ。

「オレが外素使いじゃないかと疑っていやがるな? よし、いいだろう。特別にタネ明かしをしてやろうじゃないか」

 まるで新しい玩具を自慢する子供のように、タツミは語る。

「オレが〈冥〉の魔法使いであることはもう知っているよな?」

 タツミが手を翳せば、そこに〈魔〉が現れる。〈魔〉を自在に召喚し、操る。それが〈冥〉の魔法であるというのが辰巳の理解である。

「結論を言えば、オレは外素使いじゃない。だが……〈冥〉の魔法には……いや、〈魔〉にはこんな使い方もあるんだぜ?」

 掌の上に召喚した〈魔〉を、タツミは(おもむ)ろに握り潰す。そして握り潰された〈魔〉の残滓は、そのままタツミの手の中へと吸い込まれるように消えていく。

「……ま、〈魔〉を魔力の源にした……?」

「そういうこった。〈魔〉ってのは取り憑かせるだけが能じゃないってわけだ」

 この世界の人々にとって、〈魔〉とは恐ろしい存在であると同時に、忌むべき存在でもある。その〈魔〉を魔力の源にしようなどと、少なくともこの世界の人々には考えもしないことだろう。

 当然ながら辰巳も、そして彼の師であるジュゼッペも、〈魔〉にそんな使い道があるなど思いもしなかった。

「はははははははは! いいねぇ、いいねぇ、その表情。おまえのそういう()()が見たくて、ぎりぎりまでこの手を温存しておいたんだ」

 見下すように呵々大笑するタツミ。そんなタツミに嫌悪の視線を向ける辰巳。

 辰巳のその視線が気に入らないのか、タツミは地面に唾を吐き捨てると更に言葉を続ける。

「なぁに人を化け物を見るような目で見ていやがるよ? おまえだって同類だろうが」

「俺が……おまえと同じ……だと?」

「そりゃそうさ。オレとおまえは同一存在。同じ部分があって当然だろう」

「……どういう意味だ?」

 タツミの言葉に、辰巳は疑いの視線を向ける。タツミの言葉をそのまま信じるのは危険だが、それでも相手の情報が僅かでも得られるならば決して無駄ではない。辰巳は注意深く、もう一人の自分の言葉に耳を傾ける。

「おまえには見えるんだろ、これが」

 掌の上に、再び〈魔〉を召喚するタツミ。確かに、辰巳の目にはそれが見えている。

「これが見えるってことは、要は〈冥〉の素質があるってこった。確か……こっちでは感知者っつったっけか? 〈魔〉の姿を見たり声を聞いたりできる奴ってのは、実は〈冥〉の素質があるからなのさ」

 数は多くないものの、確かに〈魔〉の存在を感知できる者はいる、と辰巳もジュゼッペやカルセドニアから聞かされている。しかし、それが〈冥〉の魔力系統に由来するものだとは初耳である。

 おそらくは、ジュゼッペやカルセドニアもまた、その事実を知らないのだろう。

「とは言っても、おまえの〈冥〉の適性はかなり低そうだからな。精々〈魔〉の存在を感じられる程度だろうがよ」

 掌の上の〈魔〉を再び握り潰し、自分の魔力へと変換しながらタツミは告げる。

「だから言ったろ? オレが化け物ならおまえも同類だってな」



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