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軍竜襲来

 ガルドーの襲撃から二日後。

 いろいろとようやく落ち着いてきた辰巳は、カルセドニアと共にレバンティスの街の南門に来ていた。なぜ彼らがレバンティスの南門に来ているのかといえば、本日リリナリアとディグアンがラギネ村に戻るからだ。

「じゃあね、姉さん。いろいろとお世話になりました。義兄さんと仲良くするのはいいけど、程度ってものを考えてね」

 さらりと厳しいことを言うリリナリアに、辰巳は苦笑を浮かべる。それに対して、カルセドニアは実に嬉しそうに辰巳の腕をその胸に抱きかかえた。

「あら、私たちはサヴァイヴ様の神官よ? サヴァイヴ様の神官で夫婦でもある私たちが、仲良くするのは当然じゃない」

「……姉さんって、義兄さんが絡むと途端に駄目になるよね……」

 重々しい溜め息を吐きながら、リリナリアは盛大に肩を落とした。

 そんな彼女を励ますように、隣に並んだディグアンがぽんぽんとその肩を叩く。

「いいではないか。()()上と()()上が仲良くするのはいいことだと私は思うよ」

「ディグアンはお代官様のお屋敷に泊まっていたから、そんなことが言えるのよ。あの二人の仲の良すぎるところを、間近で見せつけられる方の身になって欲しいわ」

 つんと顔を逸らしながら、リリナリアは姉の家に泊まっていた間のことを思い出す。

 ちょっと目を離すとすぐいちゃいちゃし始める姉夫婦。本人たちはそれ程いちゃついているという自覚がないものだから、余計に始末が悪い。

 リリナリアや世間一般の「いちゃいちゃしすぎ」は、辰巳とカルセドニアの二人にとっては残念ながら「ごく普通」のことなのだ。

 王都に滞在中、ずっと姉の家に厄介になっていたリリナリアは、そんな二人をずっと間近で見ていたのだ。彼女が二人の仲の良さに食傷ぎみになるのも無理はないだろう。

 ちなみに、ディグアンが元実家であるグランビア侯爵邸に泊まっていたのは、グランビア侯爵やその家族から、彼の婚約者となったリリナリアとのことをあれこれと聞かれていたからである。

「ガルドーの件では、義兄上にはご迷惑をおかけしました」

「いや、こちらこそ巻き込んでしまって申し訳ないです。しかも、ガルドーに関するグランビア侯爵への報告もあなたに任せてしまったし」

 互いに差し伸べた手を握りしめ合い、辰巳とディグアンは穏やかに微笑み合う。

 ガルドーがサヴァイヴ神殿に乗り込んで来た際、その場に居合わせたディグアン。彼は自分が見た一部始終を、グランビア侯爵へと報告してくれたのだ。

「私はラギネ村の村長として、代官様であるグランビア侯爵にことの次第を報告したまでです。しかし義兄上……できればそのような畏まった態度は改めていただけまいか。将来のこととはいえ、私の方が義弟になるのですから」

「……俺の方が年下ですけどね」

 互いに苦笑を浮かべ合う辰巳とディグアン。

「是非、またラギネ村を訪れてください」

「ええ。今度はこちらから遊びに行きますよ」

 辰巳とディグアン、そしてカルセドニアとリリナリアが別れの挨拶を済ませる。

 ディグアンはリリナリアに手を貸しながら(ちょ)(しゃ)の御者台に乗り込むと、手綱を操作して猪車を牽くオークに指示を出す。

 ゆっくりと街道を進み始める猪車。その御者台で、リリナリアはいつまでも背後を振り返って手を振り続けていた。

 辰巳とカルセドニアもまた、街道を行く猪車が見えなくなるまでずっと見送っていたのだった。




 リリナリアとディグアンを見送った辰巳とカルセドニアは、いつものように仲良く寄り添ってレバンティスの街の中を歩く。

 生憎と空はどんよりと曇っている。街中を吹き抜ける風もかなり冷たくなってきたので、雪が再びこの街を覆うのもそう遠くはないだろう。

 冷たい風が吹き付ける度、カルセドニアは辰巳の腕をぎゅっと抱きしめる。

「もう豊穣の節も終わりだな」

「ええ。雪が降るのももうすぐですね」

 今にも雪が落ちてきそうな空を見上げて、辰巳とカルセドニアは言葉を交わす。

 その時だ。

 街の通りをゆっくりと歩きながら空を見上げていた二人の視界に、それが突然入り込んできたのは。

 驚いて思わず足と止める二人。彼らと同じように足を止め、空を見上げた街の住民たちも戸惑いの表情を浮かべ、不安そうに囁き始める。

「あれは……何だ……?」

「魔獣……か?」

 王都の上空を飛行型の魔獣が横切ることは、ごく稀にではあるがないわけではない。そのため、上空に魔獣が姿を見せたぐらいでは、レバンティスの住民たちはそれほど驚くことはない。

 そのレバンティスの街の住民が戸惑いを見せたのは、空に存在する魔獣らしい巨大な影が一つだけではなかったからだ。

 オレンジと黒の体色を持った十体以上の飛行型魔獣が、王都を取り囲む城壁に沿うように、ゆっくりと飛行していた。弓が届くか届かないかといった高度で王都を旋回する魔獣たちの姿は、レバンティスのどこからでも見ることができ、住民たちの心に不安と恐怖を呼び起こさせるに十分だった。

 それでも住民たちの間に大規模なパニックが起こらないのは、魔獣たちが王都の中に入り込んでくる様子を見せないからだ。

「…………軍竜……」

 隣に立つカルセドニアが零した、小さな声。その声は周囲がざわざわとしている中でも、辰巳の耳にはしっかりと届いた。

「やっぱり、あれは竜種か……」

 見た目がスズメバチそっくりの魔獣。その姿を見た時から、辰巳はおそらくあれが竜種であろうと予想していた。

「お爺様の所に急ぎましょう、旦那様!」

「そうだな。ここはジュゼッペさんの指示に従った方が良さそうだ」

 一瞬、今いる所から近い〔エルフの憩い亭〕へ向かおうかとも思った辰巳だが、ここはジュゼッペたち国の上層部の判断に従うべきだろう。

 辰巳はカルセドニアを横抱きに抱え上げると、軍竜たちを刺激しないように建物の屋根すれすれの高度で、サヴァイヴ神殿を目指して一気に飛翔した。




「城壁に詰めておった兵士たちの報告によると、城壁の上空をゆっくりと旋回する魔獣……軍竜たちの眼は、全て赤く染まっておるそうじゃ」

 サヴァイヴ神殿の、ジュゼッペの執務室。サヴァイヴ神殿に到着し、少し待たされた辰巳とカルセドニアがそこへ通された時、ジュゼッペの元には王国からの報告が届いていた。

 報告の内容は、突然現れた軍竜に関するもの。現時点で最も近い位置から軍竜の様子を観察した城壁の兵士からの報告で、同じものが他の三神殿にも届いているらしい。

「バーライド国王は直ちに騎士や兵士たちを街中に派遣し、住民たちに落ち着いて行動するように呼びかけておるらしい。また、不用意に家から出ないようにも言うておるそうじゃ」

 ジュゼッペの言葉に、辰巳はサヴァイヴ神殿へ来るまでのことを思い出す。

 屋根の上ぎりぎりを飛ぶ辰巳たちの眼下を、何騎もの騎士や徒歩の兵士たちが行き交っていた。あの騎士や兵士たちこそが、国王の指示で動いた者たちなのだろう。

「お主らも見たように、軍竜たちは城壁の上をゆっくりと旋回しておるだけで、街中へと入ろうとはせん。かといって、どこかへ飛び去るわけでもない。言うまでもなく、これは異常な行動じゃな」

「その異常な行動は、軍竜が〈魔〉に憑かれているから……魔物化したのが原因でしょうか?」

「さてのぅ。正直、現時点では儂にも分からん」

 いつものように髭を扱きながら、ジュゼッペはゆるゆると首を横に振った。そんなジュゼッペの姿を見つめながら、辰巳もまた考え込む。

 辰巳が軍竜を倒すことは難しくない。軍竜一体の大きさは牛ぐらいで、これまで辰巳が倒してきた飛竜や鎧竜に比べれば小型と言える。

 ジュゼッペの話によると、軍竜は見た目のスズメバチによく似た習性を持っているらしい。

 スズメバチは、巣に近づく外敵に対して攻撃することで知られているが、スズメバチの攻撃方法は毒針で刺すだけではなく、毒液を直接噴射することもある。そして、その毒液の中には特殊な「警報フェロモン」が含まれており、その「警報フェロモン」を感じ取った巣の仲間たちは一斉に攻撃状態となる。

 この「警報フェロモン」の影響で、「スズメバチの群れに一斉に襲われた」という事態が発生するのだ。

 また、誤ってスズメバチを踏み潰したといった状況でも、「警報フェロモン」は空気中に揮発することになり、近くに巣があると巣のスズメバチ全体が一斉に興奮して外敵に襲いかかる。

 そのため、このフェロモンの存在が明らかになる以前は、「スズメバチを殺すと、群れの仲間が復讐に来る」という迷信の原因となっていたとか。

 軍竜にもスズメバチと同じような習性があり、下手に一体を攻撃すると他の個体を刺激することに繋がる。そして、刺激を受けた軍竜が一斉に街中へと襲いかかれば、どれだけの犠牲者が出るのか知れたものではない。

 軍竜の一体を倒すことは難しくはないが、群れ全てを倒すのは辰巳が《瞬間転移》で飛び回ってもどうしても時間がかかる。辰巳が軍竜を個別撃破している間に、他の軍竜たちが街中へと襲いかかるのでは意味がないのだ。

 つまり、現在の状況を打破するためには軍竜の群れを一斉に倒すか、もしくは群れをレバンティスから遠ざけねばならないだろう。

「仮に全ての軍竜を一度に倒すとなれば、王国の軍や各教団の神官戦士、そして市井の魔獣狩りたちを総動員し、一斉に攻撃を仕かけねばならんじゃろうな」

 そのためには、準備にどうしても時間がかかる。王国軍や神官戦士、そして魔獣狩りたちを集めて作戦を説明し、打ち合わせを行い、配置を考え……などなど、いくつもの手順が必要となるのは明らかだ。

「つまり、現状では監視を怠らぬようにするしか我らにできることはないんじゃよ」

 肩を落とし、溜め息と共に言葉を吐き出すジュゼッペ。吐き出された溜め息が執務室に溜まり込んだかのように、室内に重々しい空気が漂う。

 だが、その重々しい空気を切り裂くように、突然新たな声が聞こえてきた。

「なぁに、できることなら他にもあるぜ?」

 その声の主は、ジュゼッペでもなければ辰巳でもなく、もちろんカルセドニアでもない。この場にいないはずの第四者の声が執務室の中に響き、辰巳たちを大いに驚かせる。

 驚いた辰巳たちが一斉に振り向くその先で、それは……その人物は悠然と佇んでいた。

 グレーのパーカーと、その下にはワインレッドの長袖Tシャツ。ボトムはジーンズとスニーカーというその姿は、明らかにこの世界の者ではない。

 目深に下ろしたパーカーのフードのせいで素顔は見えないが、その佇まいと雰囲気からまだ若い──辰巳たちと同世代──であろうことは容易に想像できる。

「何者じゃな?」

 いつもの好々爺然とした穏やかな視線ではなく、厳しく鋭いそれをジュゼッペは突然の闖入者に向ける。

 ここはサヴァイヴ教団の最高司祭の執務室である。当然ながらその外には、完全武装の神官戦士たちが控えている。ジュゼッペが一声かければ、その神官戦士たちが一斉に部屋に飛び込んで来るだろう。

 それが分からぬでもないだろうに、闖入者は自然体で立ち、じっと辰巳たちへとフードの奥から視線を注いでいる。

 いや、その人物が視線を注いでいるのは、辰巳「たち」ではない。その人物が見つめているのは、たった一人だけ。

 辰巳がそのことに気づくと同時に、その人物の姿が突然消え失せる。

 そして、辰巳の隣から小さな悲鳴が上がる。彼が慌ててそちらへと目を向ければ、件の人物がカルセドニアを背後からしっかりと抱き締めていた。

「ああ……ようやく……ようやく、チーコをこの腕でもう一度抱き締めることができた……」

 フードの奥から聞こえる、どこか恍惚とした声。その声に我に返った辰巳は、慌てて右手の『アマリリス』を操作してカルセドニアの腕に絡み付け、《瞬間転移》を発動させる。

 自分の腕の中へと転移させたカルセドニアを庇いつつ、辰巳はその人物から数歩後退する。そして、その人物が使ったであろう魔法に気づき、再び驚愕を露にした。

 同時に、その人物がカルセドニアを呼んだその呼び方にも。

「……い、今のは《瞬間転移》……? そ、それにどうしてその名前を……」

「ちっ、無粋な野郎だな。感動の再会を邪魔するんじゃねえよ」

 次にフードの奥から聞こえてきた声には、明らかな苛立ちと怒りが滲んでいた。

「やっぱり、おまえは邪魔だ。早急に消えてもらうか」

 そう言いながら、その人物は被っていたフードを背中へと落とす。

 フードの奥に隠されていたのは、琥珀を薄くしたような色の肌と肩より少し長い程の黒い髪。露になったその素顔を見て、辰巳が、カルセドニアが、そしてジュゼッペが、再び驚きの表情を浮かべた。

 その驚きは、間違いなく今日一番のものだろう。驚きに表情と身体を硬直させ、ただただじっとその人物の顔を凝視することしかできない三人を、その人物は相変わらず悠然と見つめ返す。

「ご、ご主人……さま……? え? だってさっきは……」

「お、俺……?」

「む、婿殿……じゃと……?」

 三者三様に呆然と呟く。その呟きの通り、フードの奥から現れたのは、まぎれもなく辰巳と同じ顔。

 その双眸に禍々しい赤い光が浮かんでいることと髪の長さを除けば、まさに辰巳と瓜二つの容貌だった。


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