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義兄と義妹

 サヴァイヴ神殿の鍛錬場。多くの神官戦士たちが鍛錬に励む中、辰巳は一人の大柄な神官戦士と対峙していた。

 辰巳よりも頭一つは高く、そして、横幅も辰巳を余裕で上回るその神官戦士は、全身を板金製の鎧で覆い、右手には長剣、左手には大型の長方形の盾を構えている。

 全身が隠れるほどの大型の盾を前方に押し出し、その影に隠れるその構えは、鎧こそ鎖帷子で盾も中型の円形盾という違いはあれど、普段の辰巳の構えと実によく似ていた。

 それもそのはず。辰巳に戦いの基本を叩き込んだのはサヴァイヴ神殿の戦技教官のオージンだが、そのオージンは辰巳と対峙している人物の戦い方を参考にして、辰巳にその技術を教え込んだのだから。

 辰巳とその人物の鎧の胸には、サヴァイヴ神の聖印が刻まれている。そして、板金鎧の神官戦士の方には、聖印以外にも刻まれている紋章がある。

 それは、サヴァイヴ神殿の全ての神官戦士を束ねる者の証。つまり、辰巳の目の前の人物こそが神官戦士の頂点であり、総戦士長の肩書きを持つ人物なのである。

 その名をスレイト・クリソプレーズといい、ジュゼッペの実子であり辰巳やカルセドニアからすると義兄に当たるこの人物は、《城壁》の二つ名を持ち辰巳と同じように防御からの攻勢を得意とする。

 義弟でもあり、戦闘スタイルが似ている点から、最近は神殿での鍛錬ではスレイトを相手にすることが多い辰巳であった。




 ずん、と重々しい音を響かせて、スレイトが大型方形盾を大地に突き刺すように構えた。

「……来い」

「行きます」

 スレイトと辰巳の間に交わされる短いやり取り。その直後、辰巳の姿が掻き消える。

 それを確認すると同時に、スレイトは両目を閉じて全身で周囲の気配を探り出す。彼の鋭い感覚は、まるでレーダーのように周囲の様子を教えてくれる。

 ぴくり、とスレイトの左手の筋肉が動く。同時に、巨大な方形盾が空気を渦巻きながら背後へと回された。

 ぎぃん、という硬質な音が鍛錬場に響いたのはその直後だ。もちろん、音の正体は《瞬間転移》でスレイトの背後に回った辰巳の剣と、スレイトの方形盾が激突した音だ。

 繰り出した剣を盾で受け止められ、辰巳の動きが一瞬だけ停止する。その僅かな隙を突いて、スレイトの長剣が辰巳目がけて最短の距離で繰り出した。

 その攻撃を、辰巳は辛うじて盾で弾く。そして、間髪入れずに転移で一旦距離を取る。

 十数歩ほどの距離を置いて、再び対峙する二人。相変わらずスレイトは不動で、どっしりと盾を構えて待ち受けている。

 その姿はまさに《城壁》。鉄壁の防御こそが、スレイトの最大の特徴なのだ。

 聳えるように待ち構えるスレイトを見て、辰巳は僅かに口の端を吊り上げる。そして、今度は転移ではなく《加速》を発動させて真っ正面から《城壁》へと突撃を仕掛ける。

 鍛錬用の剣を腰撓めに構え、スレイトへと高速で駆け寄る辰巳。そして、剣の切っ先がスレイトの盾に触れる直前、《加速》を放棄して《瞬間転移》を発動させた。

 辰巳が転移したのは、スレイトの頭上だ。《加速》によって得た慣性は、頭上に転移した後も残っている。いわば、今の辰巳は頭上からスレイトへと突撃したのと同じなのだ。

 人間の意識は、上へはなかなか向けられない。その意識の死角を突いた辰巳の攻撃を、スレイトは頭上を振り仰ぐこともなく盾を辰巳へと翳した。

 スレイトの鋭い感覚は、辰巳が頭上に転移したことまではっきりと知覚したのだ。

 辰巳の出現と同時に盾を頭上に翳し、辰巳の攻撃を再び防ぎ切ったスレイトは、そのまま片腕の腕力だけで辰巳を押し返す。

 空中という不安定な場所とはいえ、大型の盾の重量を支えながら男性一人を押し返すスレイトの驚異的な膂力。戦士としては超一流のスレイトだが、魔法使いとしては三流以下で自身に身体強化を施すことしかできない。

 だが、ただでさえ鍛え抜かれたスレイトの身体を魔法で強化すれば、それだけで恐るべきものと化す。

 押し返された辰巳は、空中で器用に身体を捻って着地する。そして呼吸をする間もなく、再び転移を発動させた。

 眼前に不意に現れた辰巳の逆襲を、またもやスレイトは盾で食い止める。

 スレイトは鋭敏な全身の感覚でもって、辰巳が転移する際の僅かな空気の乱れを察知してその出現を予測し、辰巳が現れるより早く盾を操作している。そうでもなければ、どれだけ素早かろうが辰巳の転移にここまで反応しきれるはずがない。

 その後は、極論すると同じことの繰り返しだった。

 辰巳は《加速》や《瞬間転移》、《飛翔》を駆使し、時には魔法に因らないフェイントを織り交ぜてスレイトの死角を狙う。だが、その尽くをスレイトは完全に防御していく。

 やがて、体力的にきつくなって僅かに足が鈍った辰巳の身体をスレイトの大盾が捉え、辰巳を大きく後ろへと弾き飛ばす。

 吹き飛ばされた辰巳は何とか受け身を取ることには成功したものの、そのままごろごろと地面を転がる。勢いがようやく止まって何とか身体を起こした時、辰巳の眼前に長剣の切っ先が突きつけられた。

 無言で辰巳を見下ろすスレイトと、悔しそうな表情でスレイトを見上げる辰巳。

 しばらくそうやって見つめ合っていた二人だが、ふと辰巳が笑みを零した。

「参りました……また、義兄さんの防御を貫けませんでしたよ」

「当たり前だ。一年や二年修練しただけの奴に追い越されては、これまで俺の積み上げてきたものが無意味になるだろう」

 剣を収めたスレイトは、にっと男臭い笑みを浮かべながら辰巳に手を差し伸べた。




 倒れている辰巳を引き起こし、スレイトは改めて辰巳の全身を眺める。

「とはいえ、その一年や二年でよくここまで上達したものだ。やはり、守るべきものがあると男は強くなれるということだな」

 そう言いながら、スレイトはその視線を辰巳の背後へと向けた。

 そこには、両手を胸元で組みつつ心配そうに辰巳たちを見つめるカルセドニアがいた。そして、その隣にはカルセドニアを少し若くしたような可憐な少女と、その婚約者の姿もある。

「どこか怪我があるようなら、カルセに治してもらえ」

「はい、そうします」

 間違いなく、カルセドニアはひどく心配しているだろう。例え訓練であり、互いに相手に怪我をさせるつもりはなくても、鉄の塊を全力でぶつけ合うのだ。時として不慮の事故はどうしても起きてしまう。

 辰巳はもちろん、義兄であるスレイトのことだってカルセドニアは心配しているだろう。

 そんな彼女を安心させようと、カルセドニアへと一歩踏み出した辰巳の背中に、先程以上に真剣なスレイトの言葉が飛んだ。

「タツミ。一度敵を目の前にしたら、剣を振るうのを躊躇うな」

「…………え?」

 真剣な表情でじっと自分を見つめるスレイトに、辰巳は思わず足を止めて振り返った。

「俺も親父から例の話は聞いている。逃亡した奴隷が魔物と化しておまえの前に現れるかもしれない、とな」

 スレイトの言いたいことは辰巳にはすぐに理解できた。

 奴隷に落ちたガルドーが魔物となって逃亡したことは、先日家を訪ねてきたディグアンから知らされた。そして、そのガルドーの狙いが自分であるかもしれないことも。

 ジュゼッペからも決して警戒を疎かにするな、と警告されたのは本日の朝一番のことだ。

「今のおまえは一人前の戦士だ。俺もそうだったが、戦士ならばいずれは通らねばならない道でもある。敵に止めを刺すことを決して躊躇うな。後で死ぬほど苦しい思いをするとしても、自分や自分の大切なものを守るために心を鋼にしろ」

 淡々と告げるスレイト。だが、義兄の言葉には義弟を思いやる気持ちが溢れていた。

「その結果、辛くなった時は遠慮なく周囲を頼れ。寄りかかれ。おまえの周りには親父や俺たち()()がいる。友や仲間だっているだろう。そして何より、おまえを心から想っている者がいるのだからな」

「はい……そのことに関しては、以前からジュゼッペさんや他の人たちからも言われていますから……覚悟はしています」

 義兄の言葉に力強く辰巳が頷くと、スレイトもまた満足そうに頷いた。

 辰巳が今いるこの世界は、日本よりも余程人の命は軽い。自らや親しい者を守るためならば何をしてもいいというわけではないが、防衛のために相手を傷つけたとしても罪に問われることはまずない。

 そのことを、辰巳はジュゼッペやエルといった人生の先輩たちから何度も聞かされていた。若き頃のジュゼッペも、そしてかつては冒険者だったエルも、命をかけたやり取りを経験している。

 そしてカルセドニアもまた、辰巳を召喚する前には旅の途中で襲いかかってきた野盗などを、モルガーナイクと共に返り討ちにしたこともあるのだ。

「もしも……もしも本当にガルドーが目の前に現れた時……俺は剣を振るうのを躊躇いません」

「そうか……どうやら要らぬ心配だったようだな」

 辰巳はスレイトとごつんと拳同士を打ち合わせると、今も心配そうに自分を見つめる妻の元へと歩き出した。




 自らの方へと歩み寄ってくる辰巳の姿を見て、カルセドニアは安堵の息を吐いて全身から力を抜いた。

 スレイトと辰巳の鍛錬を見ていて、知らず全身に力が入っていたようだ。

 すぐ近くまで近づいてきた辰巳に、カルセドニアはにっこりと微笑む。

「お疲れさまでした。お怪我はありませんか?」

「ああ、大きな怪我はないけど……最後に地面に叩きつけられて、身体中が痛いよ」

 わざと大袈裟に痛がる素振りを見せる辰巳に、カルセドニアはくすりと笑みを零して治癒魔法をかける。

 カルセドニアの掌から発せられる銀色の光が、辰巳の身体に染み込むように入り込んでいく。

「どうですか?」

「うん、もう大丈夫だ。さすがカルセの治癒魔法はよく効くな」

 身体と身体が触れ合いそうなほど寄り添い、微笑み合う姉と義兄の姿を見て、リリナリアははぁと溜め息を吐き出した。

「本当に……姉さんと義兄さん、本当にどこでもこんな調子なんだから……」

「夫婦仲がいいのは良いことじゃないか。できようものなら、私たちも義姉上や義兄上たちのような夫婦になりたいものだな」

「…………そう……だね」

 隣に立つ婚約者の顔を見上げ、リリナリアはそっとその頬を赤らめる。

 そんな義妹の姿を目の端に捉えた辰巳の眉が、ぴくりと僅かに持ち上がった。

「…………やっぱり……何か複雑だなぁ」

 小さな小さな呟き。だが、その声は間近にいるカルセドニアには届いてしまう。

「リィナとディグアンさんの婚約のことですか?」

 カルセドニアの問いに、辰巳はしんみりと答える。

「こんなこと言うとリィナに失礼だけど……どうしても……重ねちゃうんだよな」

 名前も似ているし、と続けた辰巳を、カルセドニアが心配そうに見上げる。

「……サリナ様……のことですね?」

 山形沙理奈。それは事故で亡くなった辰巳の妹の名前だ。

 辰巳と妹の沙理奈とは、兄と妹にしては兄妹仲が良かった方だ。沙理奈は辰巳を「兄さん」と呼んで懐き、辰巳は沙理奈を「リナ」と呼んで可愛がっていた。リリナリアの愛称である「リィナ」は、沙理奈の愛称ととてもよく似ている。

 そのため、どうしても義妹を「リィナ」と呼ぶとき、亡くなった妹の姿を義妹の背後に見てしまう。

「もしもリナが生きていて、ある日恋人とか連れてきたら……きっとこんな気持ちになったんじゃないかな……」

 寂しそうに呟く辰巳に、カルセドニアが何て声をかけようかと一瞬だけ悩んだ時。

 それは起こった。




 突然、鍛錬場の中に渦巻く大きな魔力。

 その場に居合わせた少数の魔法使いたちは、突然のことに驚きの声を上げた。

 それは辰巳とカルセドニアも例外ではない。いや、彼らの驚きはこの場の誰より大きかっただろう。

 なぜなら、突然生じた魔力は、二人にはとても馴染みのあるものだったのだから。

「こ、これは…………っ!?」

「て……〈天〉の魔力……っ!?」

 黄金の魔力光が渦巻くその中心。そこに「ソレ」はいた。

 禍々しい真紅の光を両目に宿し、その手に赤黒い染みがこびりついた両手用の斧を構えて。

「は…………」

 突然現れた「ソレ」は、ぐるりと周囲を見回し、驚きに目を見開く神官戦士たちを一瞥しながら、その中に探し求めていたものを見つけた。

「はははははははははははっ!! ようやくまた会えたなぁ、黒尽くめぇぇぇぇぇっ!!」

 手にした斧を辰巳に突きつけ、「ソレ」──魔物と化したガルドーは、にたりと嫌らしい笑みを浮かべながら歓喜の咆哮を上げた。


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