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ディグアンとリリナリア

 豊穣の節。それは短いながらも、ラルゴフィーリ王国に生きる全ての生き物に、間近に迫った寒さの厳しい宵闇の節を乗り越えるための実りを与えてくれる。

 野山に生きる草食性の動物や魔獣たちは、野草や木の実、茸などをせっせと食べ、肉食性の動物たちはそんな草食性の生き物を糧とする。そして、息絶えた肉食性の動物の亡骸が、草木が生い茂るための栄養となる。

 一年で最も生命の輝きが増すこの季節の、木々が豊かに生い茂った深い森の中。街道から遠く離れたそこに、「それ」はいた。

 周囲に漂う新鮮な木々の香りに、鈍い鉄錆の臭いが混じる。

 その臭いの源は、落ち葉の降り積もった地面に横たわる生物の亡骸だ。その生物は、肉食獣に狩られた草食獣でもなければ、何らかの原因で命を落とした肉食獣でもない。

 地面に力なく横たわっているのは、薄汚い革鎧と錆の浮いた武器で武装した人間── 一目で全うな職種には就いていないことが分かる者たちだった。

 彼らは野賊である。街道から離れたこの森を塒とし、街道を行き交う旅人や行商人を襲うことで、その日その日を自堕落に生きている者たちだ。

 今日までに何人もの旅人や行商人を、物言わぬ屍としてきた野盗たち。その野盗たち自身──人数にして十人ほど──が、落ち葉の降り積もった大地に無惨な姿を晒していた。

 手足を切り飛ばされた者、腹を裂かれた者、首を刎ねられた者など、どの死体も手酷く破壊されている。

 その凶行を行ったのは、一人の男。

 大柄なその男は両手用の大斧を右手に持ち、左手にはなぜか鉱山で使われるようなツルハシを持っていた。

 禍々しい赤い光を宿した男の目が、両手の武器を何度も行き来する。そして、左手に持っていたツルハシを無造作に捨てると、大斧を両手でしっかりと保持してその場で大きく振り回した。

 ぶん、と風が唸って空気が切り裂かれる。重量のある大斧を振り回しても、大柄な男の身体は全くぶれを見せない。

 何度かそうやって大斧を振り回した男は、満足そうな笑みを浮かべた。おそらく、この大斧は野盗の一人が愛用していた得物なのだろう。男はその大斧を奪い、ツルハシに代わる新たな得物としたわけだ。

「……戦える……俺は……俺は強いんだ……っ!!」

 新たに得た自らの力に、男は口元に笑みを浮かべた。

 これまで、男はその大柄な体格とその体格が生み出す力だけが取り柄だった。彼の周囲には、それだけで十分な者たちしかいなかったのだから。

 しかし、当然ながらそれだけでどこまでも通用するわけがない。

 男は自分の腕っぷしに絶大なる自信を持っていた。だがその自信をいとも簡単に打ち砕いたのは、突然彼の前に現れた全身黒尽くめの小柄な男だった。

「今なら……今の俺なら……あの黒尽くめにだって勝てる……っ!!」

 新たに得た得物を天へと掲げ、男──ガルドーは咆哮する。

 そんなガルドーの姿を、とある人物が少し離れた所から冷めた目で見つめていた。

「このオレがわざわざ《使い魔》を通して戦う技術を与えたんだ。少しはオレの役に立ってくれよ?」

 目深に被ったフードの奥で、その人物は静かに笑みを零す。

 男に取り憑かせた〈魔〉──《使い魔》を通して、その人物はガルドーに戦う技術を学ばせていた。

 野生動物や魔獣、そして今日のように野盗の類を相手に、《使い魔》を介してガルドーの身体を操って戦う技術を学ばせているのだ。とはいえ、ガルドーの身体を自在に操れるというわけではなく、戦いの最中に《使い魔》を通してアドバイスを送り、それに従わせることでガルドーに「戦う経験」を積ませている。

「まあ、この程度じゃ野盗程度ならともかく《天翔》サマに勝てるわけがないだろうが……それでも、アイツの手の内を探るぐらいのことはできるだろ」

 最初から、ガルドーが《天翔》に──辰巳に勝てるとはその人物も思ってはいない。ただ、辰巳の手の内や戦いの際の癖など、少しでも情報を得られればいいと考えているに過ぎない。

「彼女を……チーコを取り戻すためには、アイツは邪魔なんだよ。あんな馬鹿でも、威力偵察要員ぐらいにはなれるだろうし、精々がんばってくれよな」

 冷めた目でガルドーの背中を見つめていたその人物の姿が、その場から掻き消すように消滅した。




 ガルドーの逃亡。その事実を前にして、バーライドやジュゼッペたちは重々しい雰囲気を纏ったまま、長時間話し合いを続けている。

 長い話し合いの間に陽は落ち、いつしかレバンティスの街は夜の帳に包まれていた。

「とにかく、逃げ出したガルドーとやらが確実に婿殿を狙うと決まったわけではないが……あやつにはこのことを早急に知らせねばならんの」

「例えそのガルドーとやらに〈魔〉が憑き魔物と化そうが、タツミとカルセならば遅れを取るようなことはなかろう?」

「ですが父上。事前に心構えがあるのとないのでは、魔物と化したガルドーと再会した時の気持ちに差が出ましょう。やはり猊下のおっしゃる通り、タツミにはすぐに知らせるべきです」

 バーライド、ジュゼッペ、そしてアルジェント。この国の国王や王太子、サヴァイヴ教団の最高司祭たちが真剣に話し合うのを聞いていたディグアンは、跪いた姿勢のまま国王に発言の許可を求めた。

「構わん。ここは公式の場ではない。言いたいことがあれば自由に言うがいい」

 バーライドから許可を得たディグアンは、その姿勢のまま更に言葉を続ける。

「《天翔》殿にガルドーのことを伝える役目、私が引き受けましょうか?」

「おまえが……か?」

「はい。実はこの後……いえ、もう夜も遅くなったので明日の朝にするつもりですが、《天翔》殿の家には元々行く予定でしたので……」

「婿殿の家に……? 何故、おぬしが婿殿の家に行くんじゃな?」

 髭を扱きながら問うジュゼッペに、ディグアン頬を赤らめると視線を僅かに左右に泳がせた。

「じ、実はそ、その……将来の義兄と義姉になる予定の《天翔》殿と《聖女》殿に……ひ、一言ご挨拶を、と……」

「な、なんだと……っ!?」

 ディグアンのこの発言を受けて、大きく身を乗り出したのはライカム・グランビアだった。

「でぃ、ディグアン……お、おまえ……け、結婚するのか……? し、しかも……相手は……」

「は、はい、ちちう……いえ、代官様。《聖女》殿の妹君とそ、その……そういう関係になりまして……」

「な、なんと……」

 親子の縁を切ったとはいえ、やはりライカムにはディグアンの突然の結婚話は衝撃だった。

「カルセの妹のぉ……カルセが故郷の村を出てから生まれた娘と聞いておるが……確か、まだ成人しておらんのではなかったか?」

「は、はい、その通りです、猊下。ですから、実際に私たちが結婚するのは……リィナ……い、いえ、リリナリア嬢が成人する二年後となります」

 現在、ディグアンが二十歳でリリナリアが十四歳。やや年齢が離れているが、ラルゴフィーリ王国ではそれほど珍しい年齢差ではない。

 特に貴族階級ともなると、もっと年齢の離れた婚姻もよく見かけられる。また、成人前に婚約者がいることなど、貴族階級ではこれまたよくある話だ。

 この場にいる者はそのような階級の者ばかりなので、二人の年齢差や実際には二年後に結婚する事実に、特に違和感を感じる者はいなかった。

 ちなみに、ジュゼッペも元は子爵家の出身であるが、三男であったために家督を継ぐことはなく聖職者への道を選んだという過去を持つ。

「そうか、そうか。結婚の守護神たるサヴァイヴ様の使徒として、若い二人の結婚を祝福しよう」

 にこやかにジュゼッペが微笑むと、バーライドやアルジェントも笑顔で頷いていた。

 その一方で、ライカムはやや複雑そうだ。そんな彼に、アルモンドが小声で囁く。

「ここはディグアンの結婚を祝ってあげてはいかがでしょうか、グランビア侯」

「ガルガードン伯……」

「彼はあなたが代官として治める地域の住人……それも一つの村の村長です。支配下にある村の代表の結婚を祝うのは、代官として間違ったことではありますまい」

 ライカムとしては、ディグアンの結婚は祝ってやりたい。だが、既に親子の縁を切っているのだ。そのため、素直に祝うことに躊躇いを覚えていた。

 それに、ディグアンが結婚する相手は、《聖女》の妹であるとはいってもその身分は平民でしかない。今はディグアンも平民なので、平民同士の結婚にその地域の代官がいちいち祝いをするのも不自然な話なのだ。

 だがアルモンドの言う通り、ディグアンは平民とはいえ一つの村の村長でもある。ならば、代官として支配下の村の村長の慶事に、祝いを送ることはそれほど不自然でもないだろう。

「そうだな、ガルガードン伯。私は代官として、配下の村の村長の結婚を素直に祝うとしよう」

「ええ、それがよろしいでしょう」

 迷いの晴れた顔をしているライカムを見て、アルモンドもまた嬉しそうに微笑む。

 しかし、微笑むアルモンドの胸中には、一人の青年の顔が浮かんでいた。

 今は彼の領地の片隅で、ひっそりと生活しているであろう青年とその母親。小耳に挟んだ噂では、二人は貧しいながらも地道に、そして真面目に暮らしていると聞いた。

 そんなアルモンドだからこそ、ライカムの心境はよく理解できたのだ。

 やはり親子の絆とは、そう簡単に切り捨てることができないものなのだろう。




 夕食を食べ終えた辰巳とカルセドニア、そしてリリナリアはゆったりとした時間を過ごしていた。

 互いの近況や、ラギネ村の様子、王都の流行などを楽しく語り合う。だが、やはり話題の多くはリリナリアとその婚約者となった若き村長のことだった。

「それで、やっぱり結婚式はラギネ村で行うのか?」

「はい、義兄さん。そ、その時はそ、その……姉さんと一緒に来てくれますか? わ、私たちの結婚式に……」

 「結婚式」という言葉を口にする時、リリナリアはちょっと言い辛そうだった。もちろん、それは照れ臭さからであり、今の彼女は全身から「幸せオーラ」がだだ漏れになっている。

 そんな義妹の様子を微笑ましく見つめながら、辰巳はリリナリアの要請を快く受け入れた。

「もちろんだよ。俺がその気になれば、ここからラギネ村まで一日もかからないしな。知らせてくれれば、カルセと二人で文字通り飛んでいくよ」

 そんな話を三人で楽しんでいると、時間などあっと言う間に過ぎてしまう。気づけば、辰巳の腕時計は午後十時を過ぎていた。

「結局、ディグアン村長さんは来ませんでしたね」

「きっとお代官様とのお話が長引いて、今日はそのままお屋敷に泊めてもらうんじゃないかしら? ディグアンにとっては、お代官様のお屋敷は元々自分の家なわけだし」

「そうだな。勘当されたとはいえ、積る話もきっとあるよな。じゃあ、リィナはこの家に泊まっていけよ」

「えへへ。実を言うと、最初からそのつもりでした」

 ちろりと舌を見せながらリィナが言う。もしもディグアンが迎えに来れば、二人でどこか宿を探すつもりだったが、そうでなければ姉夫婦の家に泊めてもらうつもりだったのだ。

「じゃあ、カルセ。リィナの泊まる準備をしてやってくれ」

「はい、旦那様」

 辰巳とカルセドニアの家には普段は使っていない部屋が一つあり、その部屋は来客者のための寝室となっている。この部屋にはバースやナナゥ、ジャドックにミルイルといった友人たちが、この家に遊びに来た時に泊まっていったことがある。

「じゃあ、屋根裏部屋から必要なものを降ろしてきますね」

 カルセドニアは、居間の片隅にある階段を登っていく。普段使われていないものは、屋根裏の物置部屋に置いてあるのだ。

「わ、このお家、屋根裏部屋があるんだ」

 リリナリアは屋根裏部屋があると聞いて目を輝かせた。そもそも彼女が生まれ育った家は本当に小さなもので、部屋という区切りさえない。彼女にとって屋根裏部屋は、御伽噺の中に登場する神秘的な場所なのである。

「なんだったら、屋根裏部屋で寝るか? 屋根裏には俺が故郷から持ってきたベッドがあるし」

 実はこの家の屋根裏部屋には本物の精霊が棲み着いているんだぜ、と辰巳が言葉を続ければ、リリナリアはその顔を輝かせた。

「せ、精霊が……? は、はい! 寝てみたいです! 精霊も見られるかな?」

 この国に伝わる御伽噺の中では、屋根裏部屋には妖精が棲んでいる場合が多いのだ。そして、辰巳の言葉通りこの家の屋根裏部屋には精霊のブラウニーが棲んでいる。妖精と精霊は似て非なるものだが、リリナリアにとってはどちらも神秘的な存在なのである。

「だけど、一つだけ注意してくれ。屋根裏部屋にはちょっと厄介な魔封具があってね。布のかけられた大きな姿見の鏡があるけど、それだけは絶対に覗き込んじゃだめだよ?」

 辰巳がそう言ってちょっと脅すと、リリナリアは途端に顔を引き攣らせる。

「え? え? ど、どうしてそんな物が……」

「いや、まあ……とあるお爺さんに押しつけられちゃってね……」

「そ、それって、危険な物なんですか?」

「危険じゃないけど……厄介というか、面倒臭いというか……」

 以前、その魔封具の鏡が引き起こした事件を思い出し、辰巳は肩を落として大きく嘆息した。



※魔封具の姿見に関しては、『俺のペットは聖女さま』第1巻の書き下ろしを参照(←すてるすまぁけてぃんぐ!)。


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