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ガルドー逃亡

「じゃあ、リィナはディグアンさんと一緒に王都まで来たのか?」

「はい。ディグアンが代官様に呼ばれたので、ここまで一緒に連れてきてもらいました。前から姉さんたちの暮らす王都には来てみたかったし」

「代官って言えばグランビア卿よね? トガの町ではなく、この王都に呼ばれたの?」

 カルセドニアの疑問は辰巳の疑問でもあった。カルセドニアとリィナの故郷であるラギネ村を含む一帯は、このラルゴフィーリ王国の王家であるレゾ家の直轄地の一つである。

 王家の直轄地には多忙な国王の代理として代官が派遣されており、ライカム・グランビアもそんな代官の一人だ。代官であるライカムが領地内の村人を呼びつけるならば、遠く離れた王都ではなくトガの町に呼ぶはずなのだ。

 姉と()()から視線を向けられたリリナリアは、ちょっと困った表情を浮かべる。

「私も詳しいことは分からないんだけど……でも、ディグアンがトガではなくこの王都まで呼ばれたのは間違いないです。代官様の使いの兵士の人がそう言っていたのを私も聞きましたし」

「ということは、何か事情があるってことよね」

 遠く離れたラギネ村からこの王都まで呼び出したのだ。カルセドニアが言う通り、何らかの事情があると考えるべきだろう。

 辰巳も確かにそこは気になる。だが、今はそれ以上に気になって仕方ないことがあった。

「なあ、リィナ。ちょっと聞いてもいいか?」

「何ですか、義兄さん?」

「さっきからリィナは、ディグアンさんのことを随分と親しそうに名前で呼んでいるけど……」

 辰巳がそこまで口にした時、リリナリアの顔色が一瞬で赤へと変化した。そして、それまで真正面から辰巳とカルセドニアへと向けられていたリリナリアの視線が、急にあちこちへと彷徨い始める。

 そんな彼女の態度は、言葉以上に雄弁であり。

「え? え? リィナ……あ、あなた……ディグアン村長さんと……?」

「だ、だってディグアンが……彼の方から名前で呼んで欲しいって言われたし……わ、私もそっちの方が嬉しいし……」

 真っ赤になってしどろもどろに答える妹を前に、姉と義兄は複雑そうな顔で互いに互いの顔を見つめ合った。




 王都にある、グランビア侯爵家の屋敷。

 当然ながら、ディグアンはかつてこの屋敷で暮らしたこともある。

 もう二度と訪れることはないと思っていた場所を前にして、ディグアンは複雑な心境を胸の奥底に押し込み、屋敷の敷地内へと足を踏み入れる。

 自分の名前と今の身分、そしてグランビア家の現当主であるライカム・グランビアから呼び出されたことを対応に出た家人へと伝えれば、すぐに応接室へと案内された。

 その応接室の椅子に腰を下ろしながら、彼は自分がここに呼ばれた理由に考えを巡らせる。

 ディグアン自身、ここに呼ばれた詳しい理由を聞かされていない。

 代官であるライカムが彼のことを呼んでいる、と使いの兵士に聞かされただけだ。しかも、呼び出された場所はトガの代官の屋敷ではなく、ラギネ村から遠く離れた王都のグランビア家の屋敷だ。

 そのことを不審に思うディグアンだったが、今の彼の立場からするとこの呼び出しに応じないという選択はありえない。

 一介の村長でしかない今の自分が、代官であり侯爵でもあるライカムの命令を断れるはずがないからだ。

 どうせ王都まで行くのならばと、最近想いを通じ合わせるようになった少女を誘ってみた。彼女が前々から姉夫婦が暮らす王都へ行ってみたいと思っていることを、彼はよく知っていたから。

 もちろん、少女は彼の誘いを大喜びで了承した。彼女の両親もまた、快く娘を送り出してくれた。自分と娘の関係を、前もって打ち明けていたことが大きかったのだろう。

 最近、少女は急激に美しくなったと村でも評判だ。その少女のことを想う時、ディグアンの胸は暖かな炎で満たされる。

 もともと、彼女は美しい少女だった。しかし、貧しい暮らしと魔獣による毒の影響で、それほど美しいという印象は受けなかったのだ。

 貧しい生活ゆえに、肌や髪は荒れ放題でがりがりに痩せていたし、魔獣の毒のせいでまともに動くこともできず、不健康な印象ばかり目立っていた。

 しかし、彼女の姉夫婦が村を訪れたことで、彼女とその家族の暮らしは一変した。

 前村長の陰謀により、少女とその家族は辺境の村の中でも最低に属するものだった。しかし、姉夫婦が村を訪れたことで前村長は失脚し、少女とその家族の立場は一気に回復したのだ。

 最近は彼女の父親に村長である自分の補佐的な仕事もしてもらっていることもあり、また、少女の姉が王都でも《聖女》として、義兄が《天翔》として名を馳せていることもあって、彼女の父親は今では村の顔役の一人でもある。

 そんな改善された生活によって、少女は姉譲りの美しさを一気に開花させた。

 当然、村の若い男たちは少女に注目するようになる。だが、村の男たちが少女の美しさに気づいた時はもう遅かった。この時既に、少女と彼は互いに想い合う間柄になっていたのだから。

 ディグアンが愛しい少女の笑顔を心の中で思い描いていると、応接室に当主であるライカムが姿を見せた。

 立ち上がって一礼するディグアンを、ライカムは渋い表情でじっと見つめる。

「来た早々だが、すぐに出発する」

「出発……ですか? どちらへ?」

 多くを語ることなく、ディグアンに背中を見せるライカム。彼は応接室を出る直前に足を止めると、肩越しにディグアンへと振り返って質問に答えた。

「王城だ」




 ライカムと共に登城したディグアンは、王城のとある一室へと通された。

 その部屋に足を踏み入れたディグアンは、驚きのあまりにその場に立ち尽くしてしまう。なぜなら、思いもしなかった人物たちが、その部屋に集まっていたのだ。

 部屋の中で彼らを待っていたのは、二人の老人と四十代と三十代と覚しき二人の男性、そして一人の少年だった。

 老人の一人と三十代らしき男性こそ、この国の国王であるバーライド・レゾ・ラルゴフィーリと、その息子にして王太子であるアルジェント・レゾ・ラルゴフィーリ。

 もう一人の老人は、サヴァイヴ教団の最高司祭であるジュゼッペ・クリソプレーズ。少年の方は、王孫にして王太子の長男のジョルトリオン・レゾ・ラルゴフィーリだ。

 そして残る一人の四十代らしき男性。この男性の顔を、ディグアンはよく知っていた。

 過去にそれほど親しい親交があったわけではないが、この国の貴族で彼のことを知らない者はまずいないだろう。

 その男性の名前はアルモンド・ガルガードン。このラルゴフィーリ王国でも有数の鉱山地帯を領地とするガルガードン伯爵家の当主である。

「陛下や猊下の御前だ。控えろ」

 ライカムが小声でディグアンに指示を出し、ようやく我に返ったディグアンは慌ててその場で跪いた。

「そう畏まる必要はないぞい。今日はお主に少々聞きたいことがあっての。それでわざわざラギネ村からこのレバンティスまで来てもらったんじゃ」

 笑みを浮かべたジュゼッペが、一同を代表するかのように言葉を発した。

「ディグアンよ。最近、貴様の所にガルドーが姿を見せてはおらぬであろうな?」

 それまでの穏やかな表情から一変、厳しく鋭い視線をディグアンへと向けながら、バーライドが問う。

 老齢ながらも国王の風格を宿すバーライドの迫力に圧されながらも、ディグアンは跪いた姿勢のまま顔だけを国王へと向けた。

「ガルドー……でございますか? あの者ならば、以前に《聖女》殿や《天翔》殿、そしてジョルトリオン殿下に無礼を働いた罪で奴隷に落とされたはずでは……」

 そう答えながら、ディグアンはちらりと横目でアルモンドの姿を確認する。

 奴隷となったガルドーを所有したのは、他ならぬこのアルモンドだとライカムから聞かされている。彼の奴隷となったガルドーは、ガルガードン伯爵家が所有する鉱山で厳しい労働を課せられているはずだ。

「実はそのガルドーなのだが……」

 それまで黙って話を聞いていたアルモンドが、沈痛な面持ちで口を開く。

「先日、同じ労働奴隷やその監督官、合わせて十数名を殺害し、鉱山から逃亡したのだ」

「な、なんですと……?」

「しかも、重傷を負いながらも何とか一命を取り止めた奴隷の一人が言うには、奴隷や監督官を殺戮した際のガルドーは、その目が禍々しい赤に染まっていたらしい」

 目が赤く染まる。それが何を意味するか、ラルゴフィーリ王国の者ならば──いや、この世界に生きる者ならば誰でも分かることだろう。

「で、では……ガルドーは〈魔〉に憑かれた……と?」

「おそらく……間違いあるまい」

 重々しく断言したのは、王太子であるアルジェントだった。

「つまり、逃亡したあの大馬鹿くんが、以前の知己を頼って身を隠すんじゃないか……って、爺ちゃんたちは考えたわけさ」

 ジョルトリオンの言葉を聞き、ディグアンはどうして自分がここに呼ばれたのかを悟る。

 確かに、自分とガルドーは以前は親しい間柄だった。それが誤解の上に成り立っていた関係であったとしても、親しかった事実は覆しようがない。

 それに、ディグアンが村長を務めるラギネ村は、ガルドーの生まれ故郷である。逃亡者が無意識に故郷に帰ろうとする心理が働いたとしても、それは十分に考えられることであろう。

「国王陛下、並びにこの場にお集まりの皆様に申し上げます。少なくとも、私が知る限りではガルドーはラギネ村に姿を見せてはおりません。もちろん、私も奴を庇うつもりもありません。もしも奴がラギネ村に現れれば、すぐに代官であるグランビア閣下にお知らせいたします」

 改めて深々と頭を下げ、きっぱりと宣言するディグアン。そんな彼を、この部屋に集まっている者たちは満足そうに見つめていた。

「その言葉を聞いて安心したぞい」

「貴様が留守の間に、村には兵を数名派遣しておいた。相手は〈魔〉が憑いた魔物だ。ただの村人程度で敵う相手ではないからな」

「閣下のご配慮、感謝いたします」

 実際、特別な武術の心得のないはずのガルドーが、ガルガードン家の正規の兵士でもある鉱山の監督官を殺害しているのだ。〈魔〉が憑いて魔物と化したガルドーは、既に人間ではないと考えた方が正しいだろう。

「だが……果たして、逃亡したガルドーは故郷を目指すのだろうか……?」

 まるで自分で自分に尋ねるようなアルジェントの言葉に、その場に居合わせた全員が彼へと視線を移動させた。

「〈魔〉に憑かれた者は、その胸に抱えた欲望を肥大させると聞く。ならば、奴隷や監督官を殺害してまで逃亡したガルドーが向かう先は……」

「……タツミの所……かもしれないね」

 父親の言葉を継ぎ、ジョルトリオンがぽつりと呟いた。

「前回の件で、あの大馬鹿くんは相当タツミを恨んでいるだろうし。逃げ出したあいつが、タツミに復讐しに行く可能性は高そうじゃない?」

「うむ、ジョルトの坊主の言葉には一理あるの。それに婿殿といえば、ちと気になることを言っておったのぉ」

 それは先日の鎧竜を退治した一件のことであった。

 鎧竜との戦いの終盤、鎧竜の一体に突然〈魔〉が取り憑いたのだ。その際の〈魔〉の動きに、辰巳は違和感を感じたと言う。

「儂もこれまでに〈魔〉が憑いた魔物とは何度も相対してきたものの、〈魔〉そのものの姿を見たことはないからの。婿殿の言う違和感がどのようなものか、今一つ理解できんのじゃが……」

 白く長い髭を扱きながらジュゼッペが言う。

 辰巳の感じた違和感は、〈魔〉の姿を見ることができる感知者でなければ実際に理解するのは難しいだろう。

「ともかく、しばらくは警戒を密にせよ。特にトガやラギネ村、そしてこのレバンティスの街はな。同時に、ガルガードン家の所領からレバンティスへと続く街道には兵を配置させよ。どのような痕跡でも構わぬので、逃亡した魔物の足取りを掴むのだ」

 ラルゴフィーリ王国国王、バーライド・レゾ・ラルゴフィーリの命令に、部屋の中にいた者は全員が応と答えるのだった。




「えっと……何しているの、姉さん……?」

「何って……夕食を食べているのよ」

「それは……そうだけど……」

 呆れを通り越した生暖かい目で、リリナリアはじっとりと姉であるカルセドニアを見つめる。

 確かに彼女たちは今、夕食の真っ最中だった。

 ヤマガタ家の居間、その中央に置かれたテーブルの上には、カルセドニア謹製の美味しそうな料理の数々。突然訪ねてきた妹を歓迎するため、カルセドニアが腕によりをかけて作った料理ばかりだ。

「……もしかして……いつもそうやって食べているの……?」

「もちろん!」

 輝かんばかりの笑顔で、カルセドニアが妹の問いに頷く。

 だが、そんな笑顔を向けられたリリナリアは、更にじっとりとした視線を今度は義兄である辰巳へと向けた。

 その辰巳はと言えば、苦笑を浮かべて首を横に振る。

 それでいながらも、彼の手は小さく千切ったパンの欠片を、すぐ近くにあるカルセドニアの口元へと差し出していた。

 そう。

 今カルセドニアがいるのは、いつもの食事時のように椅子の上ではない。

 彼女は辰巳の膝の上に座り、夕食を食べているのだ。それも辰巳に食べさせてもらいながら。

 辰巳が差し出したパンの切れ端を、カルセドニアが嬉しそうに口に入れる。

「うふふ。私と旦那様は毎日、こうして食事を食べているのよ。だって、旦那様は私の旦那様なんですもの!」

「…………まだ、嫉妬していたんだ……」

 義兄の膝の上で蕩けるような笑みを浮かべる姉を目の当たりにして、妹は深々とした溜め息を吐き出した。

 ひっそりと脅威が忍び寄っていることなど知る由もなく、辰巳とカルセドニアは……いや、カルセドニアだけはいつも通りだった。


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