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 閑話 ギター

「ふ~ふんふふ~ららんらんら~」

 すっかり陽も落ち、夜の帳に覆われたレバンティスの街。

 今の時間は日本で言えば午後八時か九時ほどだが、レバンティスの街では夜更けと言っても過言ではない。

 ほとんどの家々は寝静まり、例外的に街の中でも灯りが灯っているのは酒場や娼館などの歓楽街か、夜を徹して街の安全を守る衛視の詰所ぐらいだろう。

 しかし、ここヤマガタ家はそんな例外の一つだ。

 魔法の灯りによって皓々と照らされる家の中では、この家の主婦が上機嫌に鼻歌交じりにお茶などを淹れている。

 そして、そんな上機嫌な夫人の耳には、居間から聞こえてくる低く響く優しい音色。

 それはこの家の主人だけが所有する、ギターという名の楽器の音色だった。

 一時お茶を淹れる手を休め、主婦──カルセドニアは目を閉じて主人である辰巳が奏でる旋律に聴き入る。

 彼女がかつてもっと小さな存在だった頃も、よくこうして辰巳が奏でるギターの音色に聴き惚れたものだ。

 辰巳の演奏技量は精々「素人の中では上級者」程度であり、プロのギタリストになれるほどの腕前ではない。それでも、カルセドニアにとって辰巳が奏でるギターは、他の誰が奏でる演奏よりも素晴らしい旋律に聴こえる。

 低く柔らかく響くギターの音。このラルゴフィーリ王国には、このような低く響く音色の楽器はない。この国でもっとも普及しているのはラライナという竪琴のような楽器だが、その音色はもっと高音で硬質なのだ。その他の楽器も、やはり高音で硬い音を出すものが多い。

 そのせいだろうか。辰巳のギターは殊更優しく聞こえる。

 やがて、ギターは余韻を残してゆっくりと沈黙した。どうやら、一曲分の演奏が終わったらしい。

 それを合図に目を開けたカルセドニアは、途中だった作業を再開する。

 そして、今しがた淹れたばかりのお茶を持って、居間にいる夫の元へと足を向けるのだった。




 カルセドニアが居間に入ると、辰巳は椅子に座って手元のギターをじっと見つめていた。

「ご主人様? どうかされましたか?」

「うん……やっぱり、いい加減にギターの弦が寿命みたいなんだよな……」

 カルセドニアに答えながら、辰巳は指先でギターの弦をぽろんと爪弾く。

「……かなりテンションが落ちているな……そういや弦の交換、ずっとさぼっていたしなぁ」

 亡くなった父親の形見とも言うべきアコースティックギター。辰巳の家族が存命の間は、二、三ヶ月に一度は弦の張り替えを行っていた。その辺り、生前の父親が結構うるさかったのだ。

 だが家族が事故で亡くなると、とてもギターのコンディションにまで気が回らなかった。そのため、辰巳はかなり長い間ギターのメンテナンスを怠けてしまっていた。

 そして、コンディションの調整を怠ったまま、ギターは辰巳と共に異世界へと渡った。当然、こちらの世界にギターの弦などあるわけがなく、また、辰巳もあれこれと忙しかったので、これまたギターのコンディション調整まで手が及ばなかった。

 そんな辰巳がギターの弦の調子にまで気が回るようになったのは、異世界での彼の生活が安定してきたからだろう。

「全く同じギターの弦があるとは思っていないけど、何とか似たような弦はないかな?」

 ギターをテーブルに立てかけ、辰巳は腕を組んで考え込む。

「ジュゼッペさんなら楽器職人とかにも知り合いがいるかもしれないな……いや、エルさんならギターについての知識もありそうだし、あの人に相談した方がいいかも……」

 果たしてどうしたものかと首を傾げて悩む辰巳。そんな彼に、カルセドニアが差し出したお茶に言葉を添えた。

「楽器に関してのことなら、彼女に相談してみてはいかがでしょうか?」

「彼女……? あ、もしかして……ラライナさんか?」

「はい。ラライナのお父様は楽師さんですし、彼女自身も演奏家ですから。何か参考になる意見が聞けるかもしれません」




「へえ、これがタツミくんの言っていた楽器か。確かに初めて見る形の楽器ね」

 数日後、辰巳たちの家を訪ねてきたのは、背中の中程までの燻んだ金髪と焦茶色の瞳をした、カルセドニアより少し年上の女性。その首からは、サヴァイヴ神の侍祭であることを示す聖印がぶら下がっている。

「それでどう、ラライナ。同じような弦に心当たりはあるかしら?」

「どれどれ。タツミくん、ちょっと見せてもらってもいい?」

「ええ、どうぞ」

 彼女の名前はラライナ。カルセドニアの親しい友人であり、楽師を父に持ち自分と同じ名前の楽器のラライナ奏者として、サヴァイヴ神殿でも名の通った人物である。

 そのラライナは興味深そうに辰巳からギターを受け取り、繁々とあちこちを眺め回した。

「な、何これ……? この弦、金属なの……?」

「うーん……なんて説明したものか……」

 スティール弦を初めて目にして驚くラライナの質問に、辰巳は思わず悩んでしまう。

 地球世界ではありふれたギターのスティール弦。

 ギターの弦に用いられるのは、ピアノ線──時にはナイロンなども使われる──の芯線にニッケルやステンレスなどの合金を巻いた巻弦と呼ばれるものが一般的だろう。

 地球世界には巻弦以外にも様々な弦が存在し、楽器の種類や演奏する曲、または個人の趣味などでいろいろな材質や太さのものが用いられ、実にたくさんの種類の弦が店先で売られている。だが、地球世界ではありふれたスティール弦も、異世界ではこれまで誰も見たこともない珍品である。

 こちらの世界では、楽器の弦は一般的に動物や魔獣の腸の繊維や腱などが用いられ、当然ながら金属などは用いられない。

「さすがにこんな弦は見たこともないわね」

「やっぱり、ラライナさんでも知らないか……」

「金属製の弦なんて、きっと私の父親でも知らないでしょうね。あ、でも……」

 何かを思い出したのか、ラライナはギターを辰巳に返しながら言葉を続けた。

「ねえ、カルセ。楽器の弦じゃないけど、あれなら代用になるんじゃないかしら?」

「あれ……? ああ、もしかして……」

 ラライナに言われたカルセドニアは、彼女の言わんとしていることに気づいたようだった。




 数日後、辰巳とカルセドニアが訪れたのは、辰巳の友人であるニーズ、サーゴ、シーロら三兄弟の実家であり、魔獣狩りたちに武具を提供する商店である〈ドワイエズ武具店〉であった。

 飛竜素材の剣や鎧を鍛えてもらった店でもあり、辰巳もこれまでに何度も足を運んでいる場所である。

 二人が店に入るとこの店の店主であり、ニーズたちの兄でもあるイークがすぐに彼らに気づいた。

「お、いらっしゃい。弟たちから話は聞いているぜ」

 イークは指先で店の奥を示す。軽く頭を下げながら二人が店の奥へと足を踏み入れると、途端にすごい熱気が辰巳とカルセドニアを包み込む。

 あまりの暑さに驚いた二人が足を止めると、その背後からイークが笑いながら近づいてくる。

「ははは、鍜治場へ入るのは初めてかい? 大抵の人は、初めてここに入ると二人みたいに足を止めるもんさ」

 金属や魔獣素材を鍛えるため、鍜治場は高温の熱気に包まれていた。同時に、振り下ろされる鎚が甲高い音を奏で、辰巳とカルセドニアの鼓膜を激しく揺さぶる。

「ほら、ぼけっとしていないで。探しているものはこっちだぜ?」

 そう言って、イークは辰巳とカルセドニアを鍜治場の片隅へと誘う。そこには作業台らしき台があり、その上に雑多な物が山積みになっている。

 何らかの魔獣の素材らしきもの、加工に用いるであろう工具、素材や設計図に書き込みを入れるためのインクやペン。その他にも鍛冶の素人である辰巳には用途不明なものも数多く見受けられる。

 そんな雑多な山の中から、イークは目的のものをあっさりと探し出す。もしかすると、辰巳たちの目には雑多に見えても、彼らなりの整頓方法があるのかもしれない。

「さあ、こいつがお探しのものだ」

 イークが辰巳に差し出したのは、鈍い金属光沢を放つ糸のようなもの。

「こいつは(こう)(しょく)(じゅう)が吐き出す糸だ。普通、鎧って奴は各部品を革紐なんかで結び合わせたり留めたりするんだが、鎧の中でも魔獣素材を用いて特に頑丈な奴を作る時には、革紐じゃ心許ない場合があってな。そんな時にこの鉱食獣が吐き出す糸を使うんだ。こいつなら、探していたものに合致するんじゃないか?」

 辰巳はイークが差し出した金属光沢を持つ糸を手に取り、様子を確かめてみる。

 イークの言う鉱食獣とは、大人の掌ほどの大きさの魔獣で、その外見は地球の蚕蛾の幼虫によく似ている。

 地球の蚕が桑の葉を食べて育ち、そして繭を作るために吐き出した糸から絹糸が作られるように、鉱食獣は鉱石を食べ、成長するために繭を作り出す。

 この時、食べた鉱石によって繭の糸の成分や色彩が変わると言われており、鉄鉱石を食べれば鉄糸に、銅鉱石を食べると銅糸となる。

 そのような性質を持つ魔獣なので、一部では養蚕のように飼育している地域もあるとか。その反面、鉱山関係者からは害獣扱いを受けている魔獣でもある。実際、この魔獣が大量発生したために、鉱山の鉱石が全て食い荒らされたこともあるらしい。

 ちなみに外見は芋虫であるものの、特に何かの幼虫というわけではなく、成体になってもこの姿のままである。ある程度成長すると脱皮を行うのだが、その際に繭を作るのだ。

 そして、分類としては単なる魔獣であり、竜種というわけではない。

 ラライナが思いついた、ギターの弦の代用品になりそうなもの。それがこの鉱食獣の吐き出す金属糸だった。

 鉱食獣の金属糸、その中でも金や銀を食べさせた糸は、貴族の礼服や聖職者の法衣の装飾に用いられるため、ラライナもこの糸のことを覚えていたらしい。

「確かにこの糸なら、俺の目的に合いそうです」

「そうか、そいつは良かった。二人はウチのお得意さんだし、弟たちも何かと世話になっているからな。今回は必要なだけ持っていっていいぜ。その代わり、次からはしっかりとお代をいただくがな」

 そう言って、イークはぱちりと片目を閉じてみせた。




 鉱食獣の金属糸を分けてもらい、ついでに弦の張り替えに使えそうな工具もイークから借り受けた辰巳とカルセドニア。

 辰巳は家に帰ると早速、ギターの弦の張り替えを行う。

 鉱食獣の吐き出す金属糸は、その体の大きさによって太さが違う。小さな個体ほど細い糸を吐き、大きな個体は太い糸を吐く。

 丁度いい太さとなるように数種類の糸を撚り合わせたりしながら、辰巳はギターの音に合うように何度も試行錯誤を繰り返す。

 もっとも、チューナーなどないので、全ては辰巳の音感だけが頼りなのだが。

 結局、その日だけで弦の張り替えは終わらず、暇を見つけては少しずつ試行錯誤を繰り返し、時にはラライナにも協力してもらいながら、数日かけてなんとか元の音に近い音色を出すことに成功した。

「ふぅ……ようやくできた……」

 大きく息を吐き出しながら、辰巳は顔を輝かせる。

「完全に元通り……ってわけにはいかないけど、これぐらいで妥協しないとな」

 素人による金属糸の撚り合わせや、チューナーなしでの弦の張り替えである。元通りになるはずがないのだ。ちなみに、辰巳は絶対音感などという便利な能力は持ち合わせてはいない。

 だが、今後も弦の張り替えを何度も行っていく内に少しずつ手早く、そして元通りの音に近づいていくだろう。

「さて、早速弾いてみるけど……お嬢様、何かご希望の曲はありますでしょうか?」

 ちょっと戯けた仕草で、辰巳は隣でずっと辰巳の作業を見守っていたカルセドニアに声をかける。

「そうね……では、わたくしだけの吟遊詩人殿。何か落ち着いた曲をお願いできるかしら?」

「は、畏まりました」

 カルセドニアもまた、辰巳の小芝居に付き合って貴族の令嬢を装ってみたり。

 辰巳はカルセドニアのリクエストに合わせて、ゆっくりとした曲を選んで演奏を始める。

 二人だけの居間の中に、辰巳が奏でる落ち着いた曲がしっとりと流れていく。

 目を閉じてその旋律に耳を傾けるカルセドニア。いつしか彼女の頭は辰巳の肩の上に乗せられており、うっとりとした表情を浮かべていた。

 彼女の顔に至福の色が滲むのは、果たしてギターの音色によるものか、それともその奏者の体温がもたらすものなのか。

 そればかりは、彼女本人にしか分からない。

 それでも、今の彼女が幸福の真っ只中にいるのは、誰が見ても明らかだった。

 自分の肩に体重を預け、幸せそうにしているカルセドニアの姿を見て、辰巳は更に数曲、ゆっくりとギターを奏でた。

 いつしか、レバンティスの街は宵闇に覆われていた。

 それでも、その街の中のとある一軒の家の中では、しっとりとしたギターの音色がいつまでも流れ続けた。


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