変異体
時間は少しだけ遡る。
鎧竜との対決が目前に迫り、辰巳たちは入念に最後の打ち合わせをしていた。
今、一同は車座になって、辰巳が偵察してきた内容を聞いているところだ。
その辰巳の報告を聞き終えると、モルガーナイクはその整った容貌を僅かに歪めた。
「……一体だけ、他の鎧竜よりも大きな体の個体がいたのか?」
そして、当然のように辰巳の隣を確保している──ちゃっかりと辰巳の右腕を抱え込んでいる──カルセドニアへと、その澄んだ茶色の瞳を向ける。
「カルセ。今のタツミの報告にあった一際大きな個体……もしかすると、変異体かもしれないな」
「ええ、私もそれを考えていたところよ」
聞き慣れない言葉を耳にして、辰巳とジャドック、そしてミルイルとミーラが僅かに首を傾げる。
「モルガーさん、その変異体というのは何ですか?」
「時折、魔獣の中には他の同種より体の大きさが違ったり、体色が異なったりする個体が見受けられるのだが、それを魔獣狩りの間では『変異体』と呼んでいるのだ」
それはいわゆる突然変異というものだろうか。
時折魔獣の中には体のサイズが同種の平均よりも著しく大きかったり、逆に小さかったりする個体が現れたり、体色が他とは違う個体が現れることがある。
単に見かけが違うだけではなく、他の個体にはない特殊能力を有している場合もあるので、変異体と対峙する際は一際注意が必要である、とモルガーナイクは辰巳たちに説明した。
本来ならば炎を吐く能力を有した魔獣の変異体は、炎ではなく吹雪を吐くなど真逆な能力を有する場合さえもあるらしい。
「タツミの見た大きな個体が変異体だとするならば、他にはない能力を有している可能性がある。まずは手分けして他の四体を倒し、変異体かもしれない奴には全員で以て当たろう。異議のある者はいるか?」
その実力と経験から、戦闘面でのリーダーシップを執るのはモルガーナイクだ。その彼の提言に異議のある者は、辰巳たちの中には一人もいなかった。
「俺とカルセ、そしてタツミが鎧竜を一体ずつ引き受ける。ジャドックとミルイルは、二人一組で当たってくれ。だが、おそらく二人だけで鎧竜の相手をするのはきついだろう」
失礼と取られかねないモルガーナイクの言葉だが、自分たちの実力を理解しているジャドックとミルイルは彼の言葉に黙って頷く。
自分の実力を正確に把握することは、極めて重大である。変な意地を張って実力以上のことをしようとすれば、それは自分へと跳ね返ってくるだけだ。
その対価が単なる怪我ぐらいなら安いもので、最悪の場合は命を落としかねない。それが魔獣狩りの生きる世界なのだ。
「俺たちの内、手が空いた者から二人を手助けする。それまで、決して無理はするな」
「ええ、モルガーナイク様の言う通りにするわン」
「私も絶対に無理はしません」
二人の言葉に頷いたモルガーナイクは、ミーラへとその視線を移動させた。
「君は少し離れた所から、戦場全体を監視していてくれ。そして、鎧竜の動きに変化があり次第、俺たちに知らせるんだ。それが今回の君の役割だ」
言葉こそは穏やかだが、そこに含まれた圧力のようなものを敏感に感じ取り、ミーラは神妙に頷いて見せる。
「分かりました。私は私に与えられた役割を、全力で全うします」
決意を秘めた表情を浮かべるミーラを見て、モルガーナイクは満足そうに微笑む。
「よし、では行こう」
その言葉を合図に、一同は立ち上がる。そして、鎧竜と対決するために移動を開始した。
「す……すげえ……」
戦場全体が見渡せるようにと登った木の上で、思わずミーラは呟いていた。
目の前で展開される数々の魔法。その圧倒的な迫力にミーラは瞠目する。
彼女は魔法使いではない。そして、これまで彼女の周囲にも魔法使いは存在しなかった。
そのため、ミーラが実際に魔法が使われるところを見るのは、これが初めてだ。
もちろん日常世界の中で、ちょっとした魔法を使う場面には遭遇したことがある。
夕暮れに町の辻などで魔法の明りを売る「灯り売り」や、竃に点火するための火種を売る「火種売り」などは少し大きな町ならよく見かける光景だ。
しかし、魔獣との戦いの中で魔法が使われるのを見るのは、今日が初めてだった。
モルガーナイクが放つ〈炎〉と〈氷〉の魔法。カルセドニアが駆使する〈雷〉を筆頭とした様々な魔法。
そして、辰巳だけが使える〈天〉の魔法。
基本的に移動特化の〈天〉の魔法には、〈炎〉や〈雷〉のような見た目の派手さはない。しかし、辰巳が駆使する《瞬間転移》や《飛翔》の魔法は、ミーラの目を奪って止まない。
御伽噺の中に頻繁に登場する〈天〉の魔法。その魔法が今、目の前で本当に駆使されているのだ。
幼い頃に母親が寝物語に語ってくれた御伽噺。村の長老が幼い子供を集めて聞かせてくれた英雄譚。
幼い頃に空想した魔法が実際に使われている事実は、弾ける炎や迸る雷以上にミーラの心を揺さぶった。
「……すげえ……」
再び、彼女の口から呟きが零れる。
それでも、彼女は自分の役目を忘れてはいない。
展開される魔法に目を奪われ気味になりながらも、木の上から戦場を見渡しつつ。
鎧竜と戦う辰巳たちの様子を、未来の自分への糧とするためにも。
ミーラは、真剣な表情でじっと戦場を見つめ続けていた。
突然、視界が紫に染まった。
鎧竜に向かって伸ばした『アマリリス』の鎖を振り下ろしている途中だった辰巳だが、視界が紫の霧に閉ざされた瞬間に《瞬間転移》を発動、再び上空へと退避した。
《瞬間転移》によってどのような体勢からでも移動できるのは、辰巳の最大の強みだ。
体勢が崩れていようが、地面に倒れていようが、《瞬間転移》ならばいつでも移動できる。
これが辰巳以外ならば、鎧竜が吐き出した毒霧に自ら突っ込んでいく羽目になっただろう。
薬草の効果によって確かに鎧竜の毒は無効化できる。しかしそれは毒を吸い込むことで最大のダメージを受ける呼吸器を守るだけであって、他の部位まで完全に守ることはできない。
毒が鎧の隙間から入り込めば、僅かではあるが皮膚にダメージを与える。毒霧をまともに浴びれば、微量だが目にも影響を受けるだろう。
カルセドニアの《矢逸らし》の魔法があるので、直接身体に浴びる毒は微量である。しかし、毒である以上浴びないに越したことはない。
上空へと緊急退避した辰巳は、足元を見てその背中に冷たいものを感じた。
接近する辰巳に向かって毒霧を吐き出した鎧竜が、その巨体をぐいと持ち上げていたのだ。
そして、持ち上げた巨体をそのまま振り落とす。
辰巳がもしもあのまま毒霧へと突っ込んでいたら、紫の霧によって一瞬視界が奪われた直後、あの巨体ののしかかりをまともに受けていただろう。
「……直線的に近づくのは危険だな」
そう判断した辰巳は、再び《瞬間転移》を発動。消滅した辰巳が次に出現したのは、鎧竜の甲殻の上。
直線的に近づくのではなく、一瞬で近づく。彼ならではの方法で彼我の距離をゼロにした辰巳は、改めて『アマリリス』を操作する。
辰巳の意思に操られた鎖の先の錘が、放たれた矢のように鎧竜の甲殻をぶすりと貫く。
両手で甲殻に生えている小さな突起を握り締めて身体を固定した辰巳は、朱金の鎖を導火線にして魔獣の体内に魔力を流し込む。
朱金の鎖を伝って流し込まれた魔力は、鎧竜の体内で激しく爆発。どれだけ硬い甲殻に守られていようとも、体内から直接破壊されてはいくら鎧竜と言えども無事では済まない。
身体の内部で弾ける苦痛を感じて、鎧竜は激しくその巨体を揺り動かす。
両手でしっかりと突起を握り締めて、辰巳は振り落とされないように魔獣の体の上で必死にふんばる。
自身の身体をしっかりと保持しながらも、辰巳は魔力を流し続けて鎧竜の内部を破壊していく。
そんな辰巳とよく似たことを、この時ジャドックもまた行っていた。
その膂力を活かして魔獣の体をよじ登ったジャドック。
鎧竜の甲殻にはあちこちに無数の突起が生えているので、よじ登るための足場にはこと欠かない。
しかし、激しく揺れ動く鎧竜の体をよじ登るのは、決して簡単ではないだろう。
それでも、自慢の怪力と四本の腕を最大限に活かして、ジャドックは魔獣の体を登り切ることに成功。そして、四本ある腕の内、二本を使ってしっかりと自身の身体を固定する。
残された二本の腕で、しかとぶっ刺し斧の柄を握り締め、大上段に振りかぶる。
辰巳には二本の腕で身体を固定しても、意思の力で自在に動く『アマリリス』がある。そしてシェイドであるジャドックには、二本の腕が塞がっていてもまだ自由に使える腕が二本あるのだ。
四本の腕と優れた膂力というまさにシェイドならではの方法で、ジャドックは鎧竜を攻略する。
「さぁて……本格的に攻めさせてもらおうかしら? アタシの攻めは、ちょっと激しいわよン?」
その整った顔に獰猛な笑みを浮かべ、ジャドックは振り上げたぶっ刺し斧を渾身の力を込めて振り下ろす。
例え一度では歯が立たなくても、何度も何度も。
そして何度目かにぶっ刺し斧を振り下ろした時。とうとう鎧竜の甲殻の一部がべきりと音を立てて砕け散った。
ジャドックが魔獣の身体をよじ登っていた時、ミルイルは懸命に魔獣の注意を自分に引きつけていた。
鎧竜の前でわざとうろちょろと動き、その意識を自分に向けさせる。
魔獣がその無数に生えた鋭い牙をぎちぎちと蠢かせるのを見て、彼女は心の中に湧き上がる恐怖を必死に抑えつける。
木と言わず生物と言わず、時には岩でさえ噛み砕く鎧竜の牙。それにかかれば、人間などあっさりと粉々になるだろう。
その恐怖を押し殺しつつ、ミルイルはあえて鎧竜の頭部付近を行ったり来たりする。
彼女の反射速度や脚力は、魔法を使わなければ仲間の中では最速だ。
反面、筋力や持続力では最も劣るが、今は彼女の最大の武器であるその「速度」を活かす時である。
速度を活かして頭部付近まで近づき、魔獣の注意を引いて一気に離れる。
それを繰り返すことで鎧竜の意識を引きつけ、ジャドックが鎧竜の身体をよじ登る時間を稼いでいく。
もちろん少しでも距離感を読み違えれば、鎧竜の牙に捕らわれる。もしくは、その巨体にのしかかられて押し潰されるだろう。
細心の注意を払って鎧竜の動きを読み、ぎりぎりまで近づいては一気に離脱。
それを繰り返し続けることで、遂にミルイルはジャドックが鎧竜の身体をよじ登るまでの時間を稼ぎきることに成功してみせたのだった。
天空から降り注いだ特大の雷は、狙い違わず鎧竜を貫いた。
しかし、雷の大部分が鎧竜の甲殻の上を滑り、大地へと吸い込まれているのを術者であるカルセドニアは確かに見た。
どうやら、鎧竜は雷に対する耐性が高いようだ。
そうなると、鎧竜はカルセドニアとは相性のよくない相手と言える。
五つもの系統と多彩な魔法を駆使するカルセドニアだが、その多くはやはり治療系や防御系だ。彼女が持つ最も得意とする攻撃魔法は〈雷〉系統であり、その中でも最大の威力を誇るのが先程使用した《招雷陣》なのだ。
その《招雷陣》があまり効果的でないとなると、カルセドニアが鎧竜に対して有効打を与えるのは難しいと言えるだろう。
そう考えたカルセドニアは、すぐに方針を変更する。
このまま鎧竜を牽制し続け、辰巳かモルガーナイクが受け持っている個体を倒すのを待てばいい。
彼女たちは仲間なのだ。何も全てを一人で受け持つ必要はない。自分の力が及ばなければ、仲間の力を頼ればいいのだ。
それに辰巳とモルガーナイクならば、すぐに受け持っている個体を倒すだろう。それまで、目の前の鎧竜を引きつけ続ける。
気がかりなのは一際体の大きな変異体と覚しき個体だが、そちらの監視はミーラがしていてくれる。
幸いにも変異体と覚しき鎧竜とはまだまだ距離がある。あの個体がこちらに近づいてくるまでに、目の前の鎧竜を倒せばいい。
カルセドニアはミルイルとは異なり、鎧竜との距離を一定に保ちながら、牽制のための魔法を行使していく。
空より落ちる流星のごとく、モルガーナイクは鎧竜に向かって急降下する。
構える大槍の穂先は、鋼鉄より遥かに硬い飛竜の素材製。その鋭さに急降下する速度を加えれば、いかに強固な鎧竜の甲殻といえど貫けぬはずがない。
先程辰巳に対して行ったように、鎧竜は毒霧を吐いて急接近するモルガーナイクを迎撃せんとした。
しかし、高速で空から降下するモルガーナイクは、魔獣が毒を吐くより僅かに早く鎧竜に到達する。
モルガーナイクの構えた大槍が鎧竜の体と接触し、鋭利な飛竜素材の穂先が魔獣の甲殻を見事に貫く。
だが、このままだと勢いがありすぎてモルガーナイクの身体も、鎧竜の甲殻に激突してしまう。
そのためモルガーナイクは愛用の大槍からあっさりと手を離し、魔獣の甲殻の表面で一回転して受け身を取る。そしてそのまま甲殻を蹴り、地面へと着地した。
すぐさま体勢を整え、腰から剣を抜きつつ少し離れた所にいた仲間へと声をかける。
「カルセ! 任せた!」
長い間モルガーナイクと組んでいたカルセドニアは、それだけで彼の意図をはっきりと悟る。
二人は同時に駆け出し、交差する。その際、互いに信頼と確信に満ちた笑みを浮かべ合いながら。
それまでカルセドニアが対峙していた個体とモルガーナイクが向き合い、先程モルガーナイクが大槍を体に突き立てた個体とカルセドニアが相対する。
そして、カルセドニアの可憐な唇から零れ出るのは、呪文の詠唱。
それは先程天空より極大の雷を招いた詠唱と同じもの。
標的である鎧竜は、体に大槍を突き立てられた衝撃から苦しそうにその巨体を振り回している。
鎧竜が苦しげに悶えているその隙に、詠唱は完成する。同時に再び天空より落ちる極大の雷。
先程は甲殻の表面で雷は受け流された。
しかし、今回は違う。魔獣の巨体には、モルガーナイクの大槍が突き立っている。
落下した雷は、大槍の柄を補強するための金属部分を伝って、鎧竜の体内へと流れ込む。
大槍を伝って魔獣の体内に侵入した雷は、魔獣の体内で暴れ回る。結果、内側から雷で焼き尽くされた魔獣は、甲殻の隙間から煙を立ち上らせつつ、徐々に動きが緩慢になっていく。
そして。
鎧竜の体の動きが完全に停止した時、巨大な魔獣の生命活動も永遠に停止した瞬間だった。
年内の更新は本日で最後。
今年は本当にお世話になりました。
来年もまた、引き続きよろしくお願いします。
来週は正月休み(笑)。新年は11日より再開します。




