開戦
調合した薬草を口にした途端、予想通りに強烈な臭気と味が口の中を直撃し、辰巳は思わず薬草を吐き出しそうになった。
周りを見れば、ジャドックやミルイルも実に苦しそうだ。
「これは……予想以上ね……」
「ごめん……私、もう吐きそう……」
「二人とも絶対に我慢しろ。鎧竜の毒にやられるよりましだからな」
「一応《矢逸らし》の魔法も使いますが、それでも鎧竜の毒は完全に防げませんからこの薬草は必須なんです」
どうやら、以前にもこの薬草を使用したことがあるらしいモルガーナイクとカルセドニアは、辰巳たちに比べると少しは余裕がありそうだ。
それでも、二人ともその整った容貌を顰めているので、辰巳の予想通りこの薬草は相当「強敵」のようだった。
ちなみに、カルセドニアの言う《矢逸らし》の魔法とは、身体の周囲に気流を生み出して矢などの飛び道具を逸らす防御魔法である。
鎧竜の毒は霧状に吐き出されるので、身体の周囲に気流を発生させるこの魔法は、鎧竜と戦う際には欠かせない魔法の一つだ。だが、それでも完全に毒霧を防ぐことはできず、薬草も併用してようやく毒を完全に無効化することができる。
「こいつは……早目に決着を着けないとな」
口の中に居座る「強敵」のことを考えながら辰巳がそう言えば、ジャドックとミルイルも決意に満ちた表情で頷いた。
辰巳たちは風下から慎重に、ゆっくりと鎧竜の一団に近づいていく。
間近まで迫り、木々の間に身体を潜ませながら、辰巳は改めて鎧竜の大きさに恐怖を感じる。
──この巨体にのしかかられたら、人間なんてあっと言う間に潰されるな。
そんなことを考えつつ、ある程度の距離を保って散開している仲間たちを、辰巳は順に見回していく。
ジャドック、ミルイル、モルガーナイク。そして、最後にカルセドニアの顔を見る。
辰巳の視線に気づき、彼の心境を悟ったのかカルセドニアが柔らかな笑顔を浮かべる。
その花が咲いたような笑顔を見た途端、辰巳の心の中の恐怖は駆逐され、代わりに闘志が湧き上がってくる。
二人の間に存在する、確かな信頼感。それが辰巳の中に勇気を沸き立たせたのだ。
「……鎧竜はかなりばらけている……こちらにとっては都合がいいな」
森の中に点在する鎧竜の位置を確認しながら、モルガーナイクは仲間たちへと振り返る。
「よし、予定通りにいくぞ!」
そして、小声で戦闘開始の合図を出す。
それに合わせて、辰巳たちは木々の間から一斉に飛び出した。
巨大な鎧竜に向かって駆け出す辰巳たちの背中を、ミーラは少し離れた所から見つめていた。
今の彼女では、鎧竜にはまず太刀打ちできない。そのため、少し離れた所から戦局全体を見つめ、何か変化が生じた時にはそれを仲間たちに知らせる。それが彼女の役目なのだ。
そのミーラが見つめる先、真っ先に飛び出したのはやはり《天翔》だった。
地面すれすれの超低空を矢のように飛び、《天翔》は一気に鎧竜の一体──最も遠い地点にいた個体──へと肉薄する。
空中で抜刀し、そのまま鎧竜の外殻へと斬りつける。飛竜の翅で作られた透明な刀身が、強固な鎧竜の外殻をあっさりと斬り裂く。
ミーラの目では分からないが、辰巳は単に斬りつけたのではなく、その刃に《裂空》を発動させている。さすがに飛竜の剣といえども、それだけでは鎧竜の外殻を斬り裂くのは不可能だ。
突然感じた衝撃に、鎧竜がその巨体を大きく仰け反らせた。
魔獣が上げる甲高い耳障りな咆哮は、苦痛によるものか驚きによるものか。
その咆哮で、他の鎧竜たちの様子が一気に変化した。
「魔獣が気づいた! 気をつけて!」
鎧竜が戦闘体勢に入ったことを、ミーラは辰巳たちに告げる。
今ここに、魔獣狩りたちと鎧竜の戦いの火蓋が切られたのだった。
鎧竜を斬り付けた後、そのまま上昇した辰巳は、上空でくるりと身を翻して足元の鎧竜の様子を確認する。
確かに甲殻は斬り裂けているが、飛竜の剣は単に甲殻を傷つけただけ。その内側の本体には、せいぜい掠り傷程度のダメージしか与えていないようだ。
「予想していた通り、かなり甲殻が分厚いな」
今の辰巳が発動する《裂空》では、刃の届かない場所は斬ることはできない。
つまり鎧竜の甲殻の厚みは、飛竜の剣の刀身よりやや短いといったところか。しかし、それは予想されていたこと。今は一撃は単なる様子見だ。
「だったら次は……もっと長い刃を使うまでだ」
辰巳は手の中で飛竜の剣をくるりと回転させ、そのまま腰の鞘へと納刀。そして、ちらりと自らの右手に目をやる。
そこにあるのは、もちろん朱金に輝く『アマリリス』。全身が黒い飛竜の鎧の中で、そこだけ鮮やかな色彩を帯びていた。
辰巳は自身の周囲から魔力を取り込み、それを全て『アマリリス』へと流し込む。
それに応えて、『アマリリス』が涼やかな金属音を奏でる。しゃらららん、と耳に心地良い音を立てながら、『アマリリス』の鎖が解けていく。
完全に解き放たれた『アマリリス』の鎖。それは辰巳の《裂空》を纏って、全てを斬り裂く七メートル以上にも及ぶ長大な「死神の鎌」と化す。
辰巳は上空から急降下しつつ、右手の「死神の鎌」を鎧竜目がけて全力で振り下ろした。
鎧竜の一体へと向かって走りながら、モルガーナイクは呪文を詠唱する。
その詠唱により、彼の周囲に何本もの氷の槍が姿を見せた。
そして、完成する詠唱。
詠唱の完成と同時に、彼の周囲に出現していた氷の槍が撃ち出され、一斉に鎧竜へと降り注ぐ。
だが、これだけでモルガーナイクの攻撃は終わらない。終わるわけがない。
鎧竜まではまだ距離がある。その距離を詰めつつ、モルガーナイクは再び呪文を詠唱する。
次に彼の周囲に現れたのも、やはり氷の槍。魔法で生み出した氷の槍を、モルガーナイクは再度射出した。
空を切り裂き、鎧竜へと殺到する氷の槍たち。
しかも、氷の槍は単に鎧竜へと降り注いでいたのではない。その巨体に比して小さな頭部。そこへ全ての氷の槍は集中していたのだ。
全ての氷の槍を、ごく狭い着弾点に集中させる。精密な魔法の操作が要求されるが、モルガーナイクは難なくそれをやってのけた。
次々に一点へと集中する氷の槍。さすがの鎧竜も苦痛を感じているらしく、その巨体を左右へと大きく揺さぶる。
それを見届け、モルガーナイクは三度魔法を発動。今度は〈氷〉系統の《氷槍》ではなく、〈炎〉系統の《噴射炎》だ。
足元から強烈な炎を吹き出し一気に加速するこの魔法は、跳躍力を上げることも可能である。
真紅の炎を両足に纏いつつ、モルガーナイクは空へと舞う。辰巳の《飛翔》のように自在に空を飛ぶことはできないが、それでも空高く舞い上がることはできる。
上空から獲物を狙う鷹のように、モルガーナイクは鎧竜を見下ろす。
狙うは鎧竜の頭部──先程から《氷槍》を集中させた一点。
左右に大きく振られる鎧竜の頭部をしっかりと見据えてタイミングを計り、モルガーナイクは空中で再度《噴射炎》を使用した。
進行方向を急激に変えたことで、強烈な力が彼の身体にのしかかる。それに耐えながら、モルガーナイクは愛用の大槍の切っ先を鎧竜へと向ける。
真紅の炎を吹き上げながら、上空から真っ直ぐに急降下するモルガーナイク。その姿はまさに流星だった。
鈴を鳴らしたような澄んだ声が、朗々と魔法の詠唱を歌い上げる。
詠唱の完了と同時に、カルセドニアは手にした杖をぴたりと標的へと突きつけた。
直後、杖の先より眩しい紫電が迸る。
紫電が貫くのは、もちろん鎧竜。辰巳やモルガーナイクが狙った個体とは別の一体に、カルセドニアが放った《雷撃》が襲いかかった。
大気を切り裂いて直進する紫電。普通の電気であれば、大気中を直進することはない。しかし、魔法による電撃は大気中でも直進する。
だが、放たれた紫電は鎧竜の甲殻の表面で弾けるのみ。その内部まで打撃を与えた様子は見受けられない。
しかし、カルセドニアは落胆する素振りさえ見せなかった。
《雷撃》で駄目ならば、さらに威力のある魔法を放てばいい。そう考えたカルセドニアは、再び歌うように詠唱を始める。
詠唱を続けつつ、カルセドニアは右手の人差し指をぴんと伸ばし、それを天へと突きつけるように振り上げた。
そして、詠唱が終わると同時に、空へと向けられていたカルセドニアの指先が、勢いよく振り下ろされる。
彼女の指先に導かれるように、天空より極大の電撃が鎧竜に落ちてきた。
〈雷〉系統、最上位に位置する魔法、《招雷陣》。文字通り、天空より神の裁きの如き雷を呼び寄せる魔法だ。
天空より降り注いだ極大の電撃は、狙い違わず鎧竜を真上から貫いた。
「……なんか……あっちはものすっごく派手ね……」
辰巳やモルガーナイク、そしてカルセドニアの放つ攻撃を横目に見て、ミルイルは呆れたように呟いた。
「アタシたちにはあんな派手なことはできないから、こっちは確実、着実、堅実に行くわよン」
ジャドックの言葉に無言で頷き、ミルイルは走る速度を一段階上げた。
先行する形で、鎧竜の一体へと駆け寄るミルイル。その後ろをジャドックが不敵な笑みを浮かべながら追う。
ミルイルは槍の穂先を鎧竜へと向けながら走る。そして鎧竜まである程度近づくと、突如弧を描くように左へと回り込む。
そのミルイルに釣られるように、鎧竜の頭が右を向く。彼女の役目は魔獣の注意を引きつける、いわば囮だ。
魔獣の注意が狙い通りにミルイルに向けられたのを確認し、ジャドックは一気に鎧竜へと肉薄する。
そして、上段に構えたぶっ刺し斧──ツルハシ──を、渾身の力を込めて振り下ろす。
ぎぃん、と耳障りな音とと共に、ぶっ刺し斧の切っ先は鎧竜の外殻に弾かれた。しかし、僅かだが外殻の表面が欠けたのを、ジャドックの四つある瞳は確かに捉えていた。
「元より……一撃で貫けると思っちゃいないわっ!!」
一撃で駄目ならば、二撃、三撃と連続で打ち込めばいい。ジャドックは巨大なぶっ刺し斧を再び振り上げ、そして再び振り下ろす。
やはりその切っ先は外殻で阻まれるが、外殻の一部が僅かに欠けたのもまた同じだった。
その事実にジャドックは笑みを深め、三度ぶっ刺し斧を振り上げた。




