新たな竜
「あ? なんだ、おまえは? 見たところ神官らしいが、朝っぱらから女といちゃつきやがって……本当に神官か?」
突然聞こえてきた、ミルイルを擁護する声。その声がした方を振り向いたミーラは、そこに二人の神官がいることに気づいた。
神官服と聖印から、突然割り込んで来た二人がサヴァイヴ神の神官であることが知れる。
だが、彼女が訝しげに眉を寄せたのは、神官の片方──女性の神官がもう一人の男性の神官に、まるで客にしなだれかかる娼婦のように密着していたことだ。
普通、聖職者である神官が、人前で異性にべたべたすることはありえない。例えそれが結婚の守護神であるサヴァイヴ神の神官だとしても。
不審そうに目を細目ながら、ミーラは近づいて来る二人組の神官を警戒する。
「あら、タツミとカルセ。相変わらず仲がいいわねぇ」
一方、ミルイルはと言えば、呆れているやら感心しているやらといった様子だった。
確かに神官が人前でいちゃいちゃしていれば、問題視されるかもしれない。だが、この二人に関しては「例外」と呼んでいいだろう。それぐらい、辰巳とカルセドニアの夫婦は、既にレバンティスの街でも有名な存在なのだから。
「俺たちのことはいいから……それより、ミルイルが寄生しているなんて事実はないぞ。他の誰が何と言おうとも、俺やカルセ、そしてジャドックはそれをよく知っているよ」
「何だと? 神官のくせにこれみよがしに女を連れた奴が何言いやがる? そもそも、黒髪に黒い目っておまえはどこの亜人だ? そんな人間、見たこともな……」
突然、ミーラの顔から表情が抜け落ちた。そして真っ白になった彼女の顔が、徐々に色が帯び始める。
その色の名は、驚愕。
無表情から一転して驚愕を顔中に貼り付けたミーラは、ぶるぶると震える指先で辰巳を指し示す。
「さ、サヴァイヴ神の神官で黒髪黒目……ま、まさか……あんた……う、噂の《天翔》……か?」
大きく見開かれたミーラの目が、ゆっくりと辰巳からその隣のカルセドニアへと移動した。
「……ってことは……こっちは……《聖女》……?」
《天翔》と《聖女》の夫婦のことは、今や魔獣狩りならば駆け出しでも知っていることだ。当然、ミーラも噂に名高い名物夫婦のことは聞き及んでいた。
そのミーラの目は更に移動し、ゆっくりとミルイルへと向けられる。
「ま……まさか……あ、あんたの仲間って……」
「ええ、《天翔》タツミ・ヤマガタと《聖女》カルセドニア・ヤマガタ。そしてもう一人、シェイドのジャドック。それが私の仲間よ」
ミルイルが誇らしげに告げた時、ミーラはその口を大きく開けた。
「申しわけないっ!! 私の完全な早とちりだったっ!!」
ミーラはそう言いながら、ミルイルに対して深々と頭を下げた。
場所は〔エルフの憩い亭〕、時刻は四の刻──日本で言えば大体正午──過ぎ。
「……だから言ったでしょ? 仲間の中では私が一番実力が低いって」
「だ、だから、私の早とちりだったってば。まさかミルイルの仲間に、《天翔》や《聖女》がいるなんて知らなかったんだよ……」
「あらン。それはちょっと情報集めがお粗末だったんじゃないかしら? ミルイルちゃんの仲間が誰なのか、調べればすぐに分かるでしょ?」
「うう……それを言われると……私にも事情があったとはいえ、重ね重ね申しわけないとしか……」
「事前の情報収集がいかに大切か、斑山猫の試練を受けているなら身に染みたでしょうに……」
「……面目ないです……」
ジャドックの突っ込みに、ミーラは更に身体を小さくした。そんなミーラの様子に、ジャドックは優しげに目を細める。
〔エルフの憩い亭〕で出会った当初こそ、ジャドックの巨体が醸し出す迫力とその内面との激しい差に面食らっていたミーラ。
しかし、ジャドックの内に秘めた優しさに気づくと、すぐにミーラはジャドックに隔意を持つことはなくなった。
一方のジャドックも、彼女がミルイルと起こしたいざこざの原因から察して、どうやらこの女性の魔獣狩り、「寄生」という行為を酷く嫌っていることに気づいていた。
魔獣狩りという厳しい世界の中を実力で伸し上がりたいと考えているミーラにとって、寄生──より実力の高い魔獣狩りたちと一緒に狩りをし、本来ならば狩れないような獲物を得る魔獣狩りのこと──は唾棄すべき行為であり、そして、安易に寄生に走る魔獣狩りもまた、ミーラにとっては許し難い存在のようだ。
だからミーラは、ミルイルが寄生を認めるような発言をしたことで、思わず頭に血が昇ってしまったらしい。
因みに、寄生をする魔獣狩りの殆どが、様々な手管で男に取り入る女の魔獣狩りである。
「……《天翔》や《聖女》、そしてシェイドが仲間じゃ、それより上になるのは難しいよなぁ……」
かつてより、このレバンティスでは高名な存在だった《聖女》。飛竜を単独で倒したことで、その名声を一気に高めた《天翔》。そして二つ名こそまだないものの、シェイドという戦闘に関しては抜きん出た種族であるジャドック。
この三人よりも明確に上と認められるのは、この街でも指折りの魔獣狩りと呼ばれるような存在だけだろう。
そんな仲間を持つミルイル。今、彼女を見るミーラの視線には、ある種の憧れの念が込められていた。
「っと、そろそろ俺は神殿に戻らないと……カルセ、ジャドック、後を任せてもいいか?」
「はい、旦那様。後のことは私に任せて、午後からのお勤めをがんばってくださいね」
「ええ、どうやらあのコ、誤解だって分かってくれたみたいだし、これ以上大事にはならないでしょ」
腕時計で時間を確かめ、辰巳が席を立つ。
辰巳とカルセドニアは、今日は神殿での務めがある。
そのため、今朝方はミルイルとミーラには一先ず〔エルフの憩い亭〕へ向かってもらい、辰巳とカルセドニアはサヴァイヴ神殿へと向かった。
そして、四の刻の休憩時間に、二人はこうして〔エルフの憩い亭〕に顔を出しているというわけだ。
午後は空いているカルセドニアとは違い、辰巳はこれからまだ神官戦士としての鍛錬がある。
カルセドニアが頭を下げ、ジャドックとミルイルが手を振る中、辰巳はサヴァイヴ神殿へと舞い戻る。
時間が迫っていれば《瞬間転移》や《飛翔》を使うところだが、普通に歩いても間に合うだろう。
酒場を出た辰巳の背中を見送ったジャドックは、不意に真面目な表情を浮かべると改めてミーラへと向き直った。
「ねえ、ミーラちゃん。あなたさっき、事情があるって言ったわよね?」
真摯な四つの瞳が、真っ直ぐにミーラを射抜く。
「そう言えば、確かに先程そのようなことを……ミーラさん、良かったらその事情というのを話していただけませんか?」
優しく微笑みながら、カルセドニアは諭すようにミーラに告げる。
彼女のその笑顔に安心したのか、ミーラはゆっくりと彼女の事情を説明していった。
「実は……私の知り合いが住んでいる集落の近くで、鎧竜の姿が目撃されたんだよ」
「鎧竜……」
「それはまた……結構な大物が出てきたわね……」
カルセドニアとジャドックが、思わず呟く。
全身を硬質な甲殻に覆われた竜種。それが鎧竜である。
その強さは飛竜ほどではないが、それでもミーラぐらいの腕の魔獣狩りでは、間違いなく返り討ちにあうだろう。
「その知り合いは……私が子供の頃にあれこれと世話になった人でさ……その人から鎧竜を狩れる魔獣狩りを探して欲しいって頼まれたんだ。できれば私が以前に組んでいた仲間と狩りに行きたかったんだけど、私たちじゃ鎧竜には歯が立たないし、それ以前に仲間のところを飛び出して来ちゃったから……」
「それで、腕のいい魔獣狩りを仲間にしようとしていたってわけね?」
ジャドックの問いかけに、ミルイルは頷いた。
「鎧竜か……確か、それほど凶暴ではないけど、雑食で何でも食べる竜……だっけ?」
「ええ、ミルイルさんの言う通りです。鎧竜は動物だろうと植物だろうと、更には岩などまで食べると言われていますね」
そのような「悪食」な竜が集落の近くに現れれば、いつその集落が襲われても不思議ではない。
ミーラの話によると、その集落と鎧竜の目撃場所は少し離れているらしいが、決して油断できる状況ではないだろう。
つまり、ミーラが焦って新たな仲間を募ろうとしたのも、無理はないと言えるのだ。
「ねえ、ミーラちゃん。あなた、根本的なところで間違っているわよン」
ジャドックの優しい声。だが、遠慮のない真っ直ぐな言葉に、ミーラは目をぱちくりしながらジャドックを見返す。
「はっきり言って、あなたの実力じゃ鎧竜は狩れないわ。だからあなたのすべきことは、新しい仲間を見つけることじゃなくって、誰かに頼ることなのよ」
「そうですね。『私と組まないか』じゃなくて、『私を助けて欲しい』って最初から言えば良かったんです」
「それに、そんな状況じゃ組む相手を選り好み……女の魔獣狩りに限定している場合じゃないでしょ?」
三人から真剣な顔でそう言われて、ミーラは申しわけなさそうにしゅんとなる。
「い、一応、知り合いの魔獣狩りには声をかけてみたんだ……でも、相手が鎧竜だと知ると、誰も首を縦に振ってくれなくて……こうなったらもう、自分で狩るしかないって思って……そ、それに……本当にもう……男とは組みたくないんだ……」
小さな声で、途切れ途切れにミーラは告げる。
どうやら、彼女がこれまでに組んでいた者たちは、余程彼女を酷く扱っていたようだ。
「まあ、そういうオンナの敵は後できっちりとシメるとして……まずは差し迫った脅威から排除しないとねン」
なぜかジャドックは、「きっちりとシメる」の部分で壮絶な笑みを浮かべた。
その笑みを見たミーラが、思わずぶるりと身体を震わせる。しかし、目の前の三人の「女性」たちが言わんとしていることを悟り、彼女たちを順に見回していく。
「も、もしかして……鎧竜を狩ってくれるの……か?」
「ええ、アタシたちと一緒に、鎧竜を狩りにいきましょう?」
ジャドックの四つある目の内の一つが、ぱちりと閉じられた。
その人物は、きょろきょろと周囲を見回した。
初めて出てきた大きな街。周囲には見慣れない建物、見慣れない食べ物、見慣れない道具、そして、見慣れない衣服を着た人間がたくさん存在する。
最初は物珍しさが勝っておもしろそうに周囲を見回していたが、その内胸の奥から不安という名の波が押し寄せてきた。
右も左も分からない場所で、その人物は途方に暮れる。
この街には知人がいる。その知人を頼ってここまで来たのはいいが、これだけたくさんの人間が一つの街に住んでいるとは思いもしなかったのだ。その人物が知る人間の集落は、せいぜい百人程度しか住んでいない規模のものだったから。
果たして、これだけたくさんの人間の中から、たった一人の知人を見つけ出すことができるだろうか。
その人物の心境を表わすかのように、長い耳の先がへにゃりと下がる。
「……ミーラ……どこにいるの……?」
誰に聞かせるでもなく、その人物は呟く。
とりあえず、このままここに突っ立っているわけにもいかない。周囲からはなぜかじろじろと見られていることだし、まずは移動した方が良さそうだ。
そう判断したその人物は、不安を胸中に無理矢理押し込んでゆっくりと足を前へと踏み出した。
その時。
その人物のすぐ傍を、一台の猪車が通りすぎた。
がらがらと大きな車輪の音に、その人物はびくりと身体を震わせる。そして、荷車を牽く魔獣を興味深そうに眺める。
「あ、あれが……オーク……? 以前にミーラが言っていた家畜化された魔獣……?」
大きな車を牽く厳つい顔つきの魔獣を、その人物はおどおどしながら見つめる。
そしてその人物の目は、自然と荷車を牽くオークに装着された手綱を辿り、荷車に座る人間の姿を捉えた。
「……あっ!!」
その人物は、思わず声を発する。
鮮やかな赤毛と、強い意思を秘めた赤茶色の双眸。一目で鍛えられていると分かる身体を、魔獣素材の鎧が包み込んでいる。おそらくは、魔獣狩りと呼ばれる職種の人間だろう。
だが、その人物が声を出したのは、手綱を操る人物の横顔に見覚えがあったからだ。
その人物が発した声は、車上の男性の耳にも届いたようだ。彼は荷車の上から、声のした方へと振り向いた。
そこにいる人物の姿を映した双眸が、小さく見開かれる。
「シェーラ殿……なぜ、エルフであるあなたがレバンティスの街に……?」
「も、モルガーナイク様……? 本当にモルガーナイク様なの……? ああ、まさか、ここでモルガーナイク様に会えるなんて……きっとこれはダラガーベ様のお導きに違いないわ」
シェーラと呼ばれた人物のそれまで不安に曇っていた表情が、にわかにぱっと明るく輝いた。




