引き抜き
ジャドックとミルイルは、以前に辰巳から飛竜の素材をいくらか分けてもらっていた。
彼らは同じく辰巳の紹介で、飛竜の素材を加工できるという〔ドワイエズ武具店〕に、それぞれの武具を発注してある。
辰巳の飛竜の鎧や剣を見て、一目で〔ドワイエズ武具店〕の加工技術が高いことを知った二人は、それぞれに得意な得物を〔ドワイエズ武具店〕で作ってもらうことにしたのだ。
その〔ドワイエズ武具店〕から、ミルイルが発注してた武器が仕上がったので最後の調整の前に現物を確認して欲しい、との連絡があったのは昨日のこと。
ジャドックと共に長期の狩りに出かけていたミルイル。その狩りで得た大量の獲物を売りさばいたので現在は懐も温かく、飛竜素材の武器を鍛えてもらってもまだまだ余裕がある。
しかし、新しい得物を入手できるとなれば、少しでも早く現物を見てみたくなるのは誰にも共通する心理だろう。
目的の〔ドワイエズ武具店〕へ向かう道を歩きながら、ミルイルの心はまだ見ぬ新たな得物へに大きな期待を抱いていた。
ジャドックから「気をつけるのよン」と軽い忠告を受けながら、ミルイルは〔エルフの憩い亭〕を後にする。
飛竜素材の加工ができる人材は限られているので、ジャドックが発注した分はまだまだ時間がかかるらしい。
そんなジャドックに申し訳ないものを感じながらも、自分の新たな武器に対する期待はやはり大きく、ミルイルはうきうきとした気分で道を歩く。
治安の悪くないレバンティスではあるが、それでも危険な場所や危険な人物は皆無ではない。
辰巳たちと出会って以降、ミルイルも魔獣狩りとしてかなり成長してきたが、街中で得物を振り回すわけにはいかないので、万が一変な男たちに絡まれたらさっさと逃げるのが得策だろう。
屋台で果物の果汁を買って喉を潤しつつ、ミルイルは〔ドワイエズ武具店〕を目指す。
彼女が故郷の村から出てきて、もう一年以上が経つ。近寄らない方が無難な場所はしっかり心得ているため、特に周囲に警戒することもなく気軽に足を進める。
時々、こうして街中を歩いていると、ミルイルに声をかけてくる男たちもいる。しかし、そんな「ナンパ」目的の連中は、無視していれば勝手に「脈なし」と判断してすぐに立ち去ってしまう。
「なあ、ちょっといいか?」
今も背後からミルイルに声をかけてきた者がいた。だが、ミルイルはまたかと思いつつ、その声を無視して歩き続ける。
「なあ、ちょっと待てって」
しかし、どうやら今回の声の主はちょっとしつこいようだ。それでも、ミルイルは頑なに無視を決め込み、露店に並べられている小物などを物色する。
「聞こえているんだろ! 無視すんじゃねえよ!」
背後から聞こえた怒鳴り声に、ミルイルは眉を寄せながらゆっくりと振り返った。
そして、背後にいた人物を見た途端、ミルイルの目が軽く見開かれる。
なぜなら。
彼女に声をかけていたのはいわゆる「ナンパ」目的の男ではなく、革鎧を着込んだ同業者らしい女性だったからだ。
「私の名前はミーラ。あんたと同じ魔獣狩りさ」
適当に選んだ酒場に入って腰を下ろすと、ミルイルに声をかけてきた女性はそう名乗った。
「私はミルイルよ。って、きっともう私の名前ぐらいは知っているんでしょ?」
「もちろんだ。知っているからこそ、声をかけたんだからな」
ミルイルがそう尋ねれば、ミーラはゆっくりと頷いた。
そんなミーラを、ミルイルは改めて眺める。
背丈は彼女と同じくらい。この国では一般的な茶色の髪と同色の瞳。
鼻の周りにはうっすらとそばかすが浮き、肩口で切り揃えられた髪は、外側に向かってゆるやかに曲がる癖があるようだ。
その彼女の傍らには、両手用の斧がテーブルに立てかけてある。どうやらそれが彼女の得物らしい。
「それで? 私に何の用なの?」
自分のことを知っていて声をかけてきたのだ。何らかの用があると考えるのが筋だろう。
ミルイルは特に表情を変えることもなく、淡々と目の前に座るミーラに尋ねた。
「おう、私はまどろっこしいことが嫌いだし苦手だから、はっきり言わせてもらうぜ」
ミーラはにやりと笑うと、親指で自分自身を指し示しながら言葉を続けた。
「私と組まないか? あんただって、今の仲間には嫌な思いをさせられてきただろう?」
魔獣狩りという職業は、その荒っぽい仕事内容からどうしても男の比率が高い。
ミルイルやミーラのような女性の魔獣狩りも確かに存在するが、その数はかなり限られている。比率で言えば、おそらく1:9ぐらいではないだろうか。
もちろん、これまでに魔獣狩りの男女比率を真面目に集計した者などいないので、実際の数字は不明である。
しかし、それぐらい女性の魔獣狩りが少ないのは事実だ。
「聞いたところによると、あんたも男二人と組んでいるんだろ? だったら、いろいろと嫌な思いをしたことがあるんじゃないか?」
真面目な顔でそう言うミーラと、きょとんとして首を傾げるミルイル。
魔獣狩りは狩りの途中で野営をする機会は多いし、街中でも宿屋では宿代の関係で大部屋に泊まることは多々ある。
特に駆け出しや中堅一歩手前などの資金が不足しがちな魔獣狩りは、少しでも費用を節約するため、個室ではなく大部屋に泊まって宿代を浮かせようとする。そのような時、男女で組んでいると一緒の部屋で寝泊まりすることになる場合が多い。
「そういう時ってさぁ、着替えの時とかに男連中にじろじろ見られたりするだろ?」
「うーん……」
「そりゃあ、少しぐらいなら仕方ないって思うよ。でも、不躾にじろじろと見られるのは、やっぱり我慢できないんだよ」
同意を求めてくるミーラだが、ミルイルにはそんな心当たりはない。
確かにミルイルも男二人と組んでいる。だが、そこにカルセドニアが加わるので、実際は男二人と女二人である。
カルセドニアは辰巳の個人的な雇い人という立場なので、正確に言えばミルイルたちと組んでいるわけではない。だが、組んでいるのも同様と言っていいだろう。
そのためミルイルたちは男二人女二人の四人組であり、より詳しく分類すれば男一人と女二人、そして「心は乙女」が一人。つまり、実質的な男は辰巳一人だけ。その辰巳もカルセドニアと常に一緒なので、ミルイルを下心のある目で見ることはない。
以前にミルイルは幼馴染みたちと組んでいたこともあったが、野営や宿屋で同じ部屋になる際、彼らの前で着替えをすることだってあった。しかし、幼い頃から一緒だったためか、それほど嫌な思いをすることはなかった。
幼馴染みたちも彼女の着替えをチラ見するぐらいはあったが、面と向かってじろじろと無遠慮な視線を送ってくることはなかったのだ。
「私、今までそんなことされたことないなぁ……」
「う、嘘だろっ!? 私はこれまで、嫌ってほどそういうことがあったぜっ!?」
「それは組んだ相手が悪かっただけじゃない?」
ミルイルの言葉が余程衝撃的だったのか、ミーラはがたりと音を立てて腰を浮かせていた。
「着替えの度ににやにやしながら見てくるし、やたらと身体に触れてくるし。最近はとうとう、宿屋の寝台に潜り込んできた奴もいてさぁ。もう頭に来て、潜り込んで来た奴の股間蹴り上げて、それまで組んでいた連中のところを飛び出して来たんだぜ」
「なるほどねぇ。それで新しい仲間を探していたってわけね?」
「そうさ。もうあんな思いはしたくないからさぁ、できたら今度は女ばかりで組もうと思ってよ」
テーブルの上に置かれていた果物を一切れ、口の中に放り込みながら、ミルイルは改めてミーラを眺める。
彼女の魔獣狩りの実力としては、おそらく自分より少し下といったところだろうか。経験を積み上げた魔獣狩りや傭兵は、その人物のちょっとした仕草や立ち居振る舞いで、相手の実力をある程度把握できるようになる。
ミルイルも魔獣狩りとしては中堅にようやく手が届いたと言ったところだが、それなりに相手の実力を推し計ることぐらいはできた。
「悪いけど……私は今組んでいる連中と別れるつもりはないわ。他を当たってくれる?」
テーブルの上に数枚の銀貨を置くと、ミルイルは立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
ミーラは慌てて立ち上がると、そのままミルイルへと詰め寄った。
「そもそも、どうして私に声をかけたわけ? 私以外にも女の魔獣狩りはいるでしょう?」
「そ……そりゃあ……さ、最近、随分と儲けている魔獣狩りがいるって噂で聞いて……更にはその内の一人が女だって聞いたもんだから……きっと腕の立つ魔獣狩りなんだろうなって……どうせ組むなら、腕のいい奴と組みたいし……」
例の飛竜騒動からこちら、確かにミルイルはいろいろと実入りが多かった。
飛竜騒動では、辰巳と共に最前線にいたことでかなり多めの報酬を受け取ったし、その後はジャドックと一緒に長期の狩りでも相当稼いだ。
彼女と同じような実力の魔獣狩りの中では、間違いなく上位に数えられる稼ぎがあっただろう。
「確かに、私はここのところ随分と稼がせてもらったわ。でも、それは今の仲間と協力したからよ。私一人では絶対に無理だったはず。つまり、私はそれほど腕の立つ魔獣狩りってわけじゃないわ」
〈天〉の魔法使いであり《天翔》の称号を授かった辰巳や、周囲から《聖女》と呼ばれるカルセドニア、そして、生まれながらに戦士であるシェイドのジャドックに比べると、自分の実力は数段劣るとミルイルは自覚している。
彼女の魔法は使い方や状況次第では強力な切り札となりえるが、それでも使い所が難しく欠点も多い。武器を使った戦闘技術でも、仲間の中では一番下だろう。
「正直言うとね、私の実力なんて全部ひっくるめても仲間の中では一番下よ。それでも、私は今の仲間から抜けるつもりはないの」
ミルイルとて、仲間たちの足手まといにならないように努力を続けている。
毎日のようにジャドックを相手に鍛錬しているし、時にはエルやカルセドニアから魔力のより効率のいい運用方法も教わっている。
特にエルとカルセドニアに魔法の基礎を教わってからは、それまでより明らかに魔力の運用効率が良くなっていた。
彼女の《魚人化》の魔法は、ある意味で辰巳の〈天〉の魔法と同じくらい特殊な魔法である。そのため、エルやカルセドニアと言えども、具体的なアドバイスを与えることはできない。
だが、基礎に関してはそうでもない。魔法の基礎に関する部分をしっかりと身につければ、その効果は大きく現れる。
そんな今の仲間たちから離れるつもりのないミルイルは、ミーラの勧誘をきっぱりと拒否して酒場の外へ出る。
「お、おい待てってばっ!! どういうことだよっ!?」
酒場の外へと出たミルイルを追うようにして、ミーラもまた外へ出る。そして、ミルイルの手を強引に取って引き止めた。
「……もしかして、あんたはただ、今の仲間たちに寄生しているだけってことか……?」
「自分ではそんなつもりはないけど……見ようによってはそうかもね」
自嘲気味な笑みを浮かべて、ミルイルは肩を竦めた。
実力的に他の仲間に劣る彼女は、確かに仲間たちを頼って寄生しているように見えるかもしれない。口さがない同業者の中には、そのような陰口を叩いている者がいることを、ミルイル自身も知っている。
「周りから何て言われていようが、私自身は仲間たちに頼りきっているつもりはないわ。だから私は胸を張って、今の仲間たちと一緒にこれからも魔獣狩りを続けるつもりよ」
確かに陰口を叩く者もいる。しかし、逆に彼女の努力を正しく評価してくれる者だっているのだ。
辰巳やカルセドニア、そしてジャドックといった仲間たち。エルや〔エルフの憩い亭〕の常連の中にも、彼女の毎日の努力を認めてくれる者もいる。
そんな人たちの期待に応えるためにも、ミルイルは今の仲間たちとこれからも一緒に魔獣狩りを続ける。それが彼女の矜持だった。
しかし、そんなことは初対面のミーラには伝わらない。彼女が浮かべる表情がみるみる変化していく。
「ちっ、何だよ! 噂は噂でしかないってことか! あんたみたいな女の魔獣狩りがいるから、他の女の魔獣狩りがおかしな扱いを受けるんだ! 口では偉そうなことを言っちゃいるが、女であることを利用して仲間の男たちに取り入っているだけじゃねえのか?」
ミーラは、侮蔑の篭もった視線をミルイルに向けた。
女であることを武器に、男の魔獣狩りに取り入る。それは彼女が最も嫌う存在であり、そのような女の魔獣狩りが一定数存在するのもまた、事実である。
だが、さすがにそこまで言われて黙っているほど、ミルイルも大人しくはない。怒りに眉を釣り上げながら、ミーラへと振り返り、その怒りを爆発させようとした時。
横からよく知った声が割り込んできた。
「そいつは聞き捨てならないな。ミルイルは決して、そんな人間じゃない」
「旦那様のおっしゃる通りです。ミルイルさんは、決して仲間に頼っているだけの人ではありません」
反射的にミルイルが声の方へと振り向けば、そこに彼女の仲間たちの姿があった。




