祝いの宴と相談事
「では……」
わざとらしく咳払いなどをしながら、酒が満たされた木製のジョッキを手にしたニーズが、集まっている一同を見回した。
「……我らが友、バースとその細君であるナナゥさんの間に、この度めでたくも子供ができたとのこと! 豊穣と子宝を司りし神であるサヴァイヴ様の信徒として、これ程めでたくも嬉しいことはない! 諸君、盛大にバースとナナゥさんを祝おうではないか!」
ニーズの言葉に合わせて、居合わせた者たちから歓声が上がる。
そして、一同は祝福の篭もった視線を、主役であるバースとナナゥに注いだ。
「さて、改めて……二人と新たな命の未来を祝して……」
ニーズが高々と酒杯を掲げる。それに合わせて、居合わせた者たち──辰巳とカルセドニア、ニーズの弟たちであるサーゴとシーロ、辰巳を通じて知り合ったジャドックとミルイル、そして主役のバースとナナゥが笑顔で酒杯を掲げた。
手近な者同士、酒杯を軽くぶつけ合わせて気持ちのいい音を響かせる。
皆それぞれ喉の奥に酒精を流し込む──ナナゥだけは僅かに唇を湿らせる程度──と、早速とばかりに主役の祝福に取りかかる。
「おめでとう、バース、ナナゥさん。しかし、バースが結婚するって話を聞いた時は大きな衝撃を受けたものだが……まさか、もう子供までできるとは……なのに俺ときたら……」
「……俺も早く嫁が欲しい。結婚の守護神であるサヴァイヴ様の神官なのに、結婚相手の影もないとはどういうことだろうな……」
悔しそうなニーズと、寂しげにどこか遠くを見つめているサーゴ。
本来ならば、上級神官であり神官戦士でもある彼らは、相当「優良物件」である。
収入の面でも市井の一般的な職業より上だし、神官という身分は貴族とはまた別の、一般の庶民よりは上の階級と見なされる。
そんな彼らの元には花嫁候補が押しかけてもいい状況なのだが、なぜかこの兄弟の周りには華やかな噂が全くないのだった。
「あらン。だったら、アタシをお嫁さんにしてくれないかしら?」
本気なのか冗談なのか、ジャドックがわざとらしい科を作りながら、ニーズとサーゴに流し目を送る。
途端、ニーズとサーゴの顔色がさっと青ざめた。
「神官様の奥さんって、きっと生活に困らないわよねぇ。アラ、考えてみれば悪くない選択だわ」
四つある腕の内、二つをぽんと叩き合わせて、ジャドックは朗らかに笑う。
「アタシ、こう見えても旦那様には尽くす方よ? もちろん、家事だってちゃんとするわン。どう? アタシと結婚しない?」
「え、遠慮させてください……」
「お、俺なんかじゃジャドック姐さんとは、とても釣り合わないかと……」
ニーズとサーゴは、ものすごい速度でその場に跪くと、深々と頭を下げた。
そんな二人の様子に、他の者は大きな声で笑い合う。
ちなみにサヴァイヴ神の戒律では、子宝が望めない同性婚は認められていない。
一方では。
「ああ、この世界のどこかには、きっと僕だけの女神がいるはずなんだ。その女神は僕を前にして、まさに神のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべて僕にこう言うんだ……『さあ、踏み躙ってあげますから、その場で全裸ひれ伏しなさい』と!」
と、某兄弟の末っ子が恍惚とした表情を浮かべながら何か言っていたが、当然誰も聞いていなかった。
今、彼らがいるのは〔エルフの憩い亭〕。
元々はナナゥの職場──バースとの結婚を機に退職した──であったし、バースや辰巳も頻繁に出入りしている店である。
ナナゥの懐妊を祝う席の会場としては、ここ以上の場所はないだろう。
そして、辰巳たちが陣取るテーブルに、どんと豪華な料理が置かれた。
それはこの〔エルフの憩い亭〕で供される料理の中でも、トップクラスに値段が高いものである。
食用魔獣の中でも特に稀少な魔獣の肉を絶妙な具合で焼き上げ、そこに女将特製の甘辛いソースをかけた逸品。一緒に添えられた野菜や果物もまた、ラルゴフィーリ王国では入手が困難で貴族でもなければ口にできないような代物。
それはこの店の最高ランクの魔獣狩りたちが、特に難しい狩りを成功させた時に、その祝いとして注文するものだ。
この店の常連の中には、「あの料理を注文できるようになって、初めて一流の魔獣狩りを名乗ることができる」と言う者までいるという。
それ程までの料理が、辰巳たちの前に鎮座している。
もちろん、それを提供したのは店主であるエルだ。
「これは私からのお二人へのお祝いです。もちろん、皆さんで遠慮なく食べてくださいね。バースさん、ナナゥさん。改めて、おめでとうございます」
笑顔と共に、エルはバースとナナゥに祝いの言葉を投げかける。
そして、エルはその笑顔を辰巳とカルセドニアへと向けた。
「次に皆さんへこの料理をお出しする時は……タツミさんとカルセドニアさんが主役の時ですかね?」
ちろりと舌を出しながらエルが言えば、辰巳とカルセドニアが頬を染める。
それでもカルセドニアは嬉しそうに微笑んで隣の辰巳を見つめ、辰巳もまた、テーブルの下でカルセドニアの手をぎゅっと握り締めていた。
優しげにカルセドニアに微笑んでいた辰巳だったが、ふと真面目な表情になると傍らに立っていたエルへと小声で話しかける。
「エルさん……ちょっと質問があるのですが……後で時間、いいですか?」
辰巳の表情から何かを悟ったのか、エルもまた真剣な表情で頷いた。
「ええ、いいですよ。部屋を準備しておきますね」
それだけ答えたエルは、その場を離れていった。彼女にはこの店の女将として、まだまだ仕事があるのだろう。
辰巳とエルとのやり取りをすぐ近くで聞いていたカルセドニアは、やや首を傾げながら隣の夫に尋ねる。
「……何か……相談事ですか?」
「うん、まあ……そんなところだよ。悪いけど、カルセも一緒に話を聞いてくれるか?」
「はい、もちろんです」
エルが部屋を準備するということは、あまり他人に聞かせるものではないのだろう。
辰巳がその場に同行を求めてくれたことが、カルセドニアには素直に嬉しい。
おそらく、辰巳の相談事にカルセドニア自身も関係しているのだろう。だが、辰巳が求める以上、カルセドニアに否はない。
どのような相談なのか若干の不安を覚えつつ、それでも辰巳に必要とされたことが嬉しくて、カルセドニアは笑顔で彼に言葉に頷いたのだった。
バースとナナゥ、そして二人の間に誕生するであろう新たな命を祝福するための宴は、大盛り上がりを見せてお開きとなった。
いつかのように、辰巳がギターを演奏しながら日本の歌をいくつかの歌えば、それに合わせてカルセドニアとエルが躍る。
ジャドックが四本の腕にそれぞれ剣を持ち、シェイドに伝わる伝統的な剣舞を披露する。
ミルイルが彼女の故郷の村の歌を歌えば、それに合わせてニーズたち兄弟が即興で踊るものの、その下手な踊りに皆で大笑いする。
いつしか辰巳たちだけではなく、店に居合わせた魔獣狩りたちまでもが宴に乱入し、騒々しくも楽しい時間が流れていった。
そして、宴は終わる。
酔いつぶれたミルイルをジャドックが部屋に寝かせに行ったり、バースとナナゥが幸せそうに寄り添って家路に着いたり。
そんな二人の背中を羨ましそうにニーズやサーゴが見送り、シーロが相変わらず何やら妄想したり。
酔って床で寝ている魔獣狩りもいれば、まだまだ飲み足りないとばかりに追加の酒を注文する魔獣狩りもいる。
そして〔エルフの憩い亭〕の従業員たちは、これから「後片付け」という名の戦争を開始するのだ。
エルは従業員たちに一通りの指示を出すと、辰巳とカルセドニアを連れて二階へと上がった。
そして、とある部屋へと二人を案内する。そこは先日ティーナが現れた時に利用した部屋ではなく、ごく普通の宿泊用の部屋であった。
「はぁー、久しぶりに私もたくさんお酒を飲みましたねぇ。でも、楽しかったです」
エルは僅かに頬を上気させている。皆に祝いの酒を振る舞う傍らで、バースたちに勧められた酒を断るわけにもいかず、彼女もかなりの量の酒を飲んでいた。
「ええ、俺も楽しかったです。それに……バースたちに子供ができて、本当に嬉しいですよ」
エルと辰巳は互いに微笑む。
だが、辰巳はその笑みを消すと、真剣な表情でエルに切り出した。
「エルさん……失礼なのを承知で、敢えて聞きます。エルさんは……日本にいた時、子供ができなかったんですよね?」
辰巳がそう尋ねると、エルは一瞬だけぴくりと眉を震わせた。
だが、辰巳の質問は彼女の想定していたものだったらしく、すぐに笑顔に戻るとこくりと頷いた。
「はい。香里お義母さん……夫の母は、地球の人間とエルフでは生物的に違いがありすぎるのではないか、と言っていました」
エルの夫の母親は医師であった。専門は内科で産婦人科とは畑違いだったが、その考えはおそらく間違っていないとエルも思っている。
「では……俺とカルセには……地球の人間とこっちの世界の人間との間に……子供はできると思いますか?」
辰巳の言葉に、カルセドニアがはっとした表情を浮かべる。
見た目は同じ「人間」でも、世界が違えば生物として全く別種という可能性はあり得る。
もしも生物的に違いがありすぎれば、エルとその夫の間に子供ができなかったように、辰巳とカルセドニアの間に子供はできないかもしれない。
「それは……私には断言できません。私の医学的な知識は、おそらくタツミさんとそれ程大差ありませんから」
いくら日本にいたとはいえ、エルの知識は限られている。彼女は研究者でも技術者でもなかったので、その知識は辰巳と同様にごく一般的なものでしかない。
それに、仮にエルに産婦人科的、もしくは生物学的な知識があったとしても、辰巳とカルセドニアの間に子供ができるかどうかは、DNAを解析するなどの専門的な設備がないと判断できないだろう。
エルの返答に、辰巳は表情を曇らせる。そして彼以上に、カルセドニアは大きな衝撃を受けたようだ。
不安に苛まれる二人に対して、エルはにっこりと暖かな笑みを向けた。
「でも……私は大丈夫だと思っていますよ? 普段からこれだけ仲がいいお二人じゃないですか。きっとサヴァイヴ様がお二人に祝福を与えてくださいますよ」
エルの言葉は根拠のない気休めでしかない。だが、彼女は信じていた。
目の前の若い夫婦の間に、新たな命が芽生えることを。
「子供なんて授かり物です。例えこっちの世界の人間同士、地球の人間同士の間にも子供が生まれない場合はいくらでもあるじゃないですか。逆を言えば、地球とこっちの世界の人間の間にも子供が生まれる可能性は大いにあります。だから絶対に諦めないでください。お二人の愛情を……絆を信じてください」
エルに改めてそう言われて、辰巳とカルセドニアは顔を見合わせ、そしてゆっくりと微笑み合う。
「はい……エルさんの言う通りですね。俺はカルセを……カルセとの絆を信じます」
「私も……旦那様を信じます。そして、サヴァイヴ様を信じます。我が神は子宝の神。旦那様を愛して、そして信じていれば、絶対にその手を差し伸べてくださいましょう」
カルセドニアは聖印を手に取り、小さく祈りの言葉を呟く。
辰巳もまた、カルセドニアと同じ意匠の聖印に指先を触れさせながら、サヴァイヴ神の名を口の中で唱えていた。
いつしか、二人の手はしっかりと互いの手を握り締めている。
そんな二人の様子に、エルは「若いっていいですねー」と心の中でちょっとだけ嫉妬を感じたり。
「なら、いっそのこと、今晩はこの部屋に泊まりますか? そしてそのまま、二人だけの熱い夜を過ごしても構いませんよ? もちろん、お代はいただきますけどね?」
ぱちりと片目を閉じながらそう言えば、辰巳とカルセドニアの顔が一瞬で赤く染まる。
「いいいいいっ!? い、いえ、結構ですっ!! 遠慮しますっ!! このまま家に帰りますからっ!!」
「そ、そうですっ!! 家に帰ってから旦那様とゆっくり熱い夜を過ごしますっ!!……って…………ひょええええっ!?」
興奮して何やら余計なことを口走ったと悟ったカルセドニアは、両手で頬を押さえながら更に顔を赤くする。
そんな二人の様子を、エルは我が子を見守る母親のような心境で温かく見つめていた。




