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襲来

 身体が動かない。

 それはある日──ラギネ村やトガの町から帰ってから数日後──の夜中のことだ。

 月明かりだけが世界を照らす深夜。何かが身体にのしかかってくるような寝苦しさを覚え、辰巳は何となく目を覚ました。

 彼がこちらの世界に召喚されて、もう随分と月日が経つ。

 寝ぼけ(まなこ)で窓の外を見る。今では月の位置で現在時間も大体分かる。

 まだもう一眠りできると判断した辰巳は、寝苦しさを振り払うために寝返りを打とうとした。

 その時だ。自分の身体が思ったように動かないことに気づいたのは。

 金縛り、という言葉が辰巳の脳内に浮かび上がる。

 金縛りの原因はあれこれと諸説ある。

 中でも有名な説の一つは、「脳は起きていても身体は起きていない状態」というものだろう。そして、それに次ぐか同じぐらい有名なのが、「金縛りは心霊現象である」という説だろう。

 こちらの世界では、幽霊といったものは存在しないと辰巳は神殿で教えられた。

 死後、肉体から離れた魂はすぐさま神の身元に召されるというのが、こちらの一般的な考え方だからだ。

 そのため、魂が彷徨うようなことはなく、幽霊などは存在しない。

 不死の怪物(アンデッドモンスター)──ゾンビやスケルトン──は存在するが、それは怨念を宿した死体に〈魔〉が取り憑いたものであり、辰巳が知っているような不死の怪物ではないのだ。

 じゃあ、自分の身体に何がおきている?

 背筋を這い登る正体不明の恐怖を必死に押し殺しながら、辰巳はゆっくりともう一度目を開けた。

 窓から差し込むまだ月明かりが、寝室の中をうっすらと照らしている。

 そんな微弱な光の中で、辰巳は自分の身体に白いなにかが覆い被さるように乗っかっているのが見えた。

──一体何が……? ま、まさか、幽霊……?

 こっちの世界にも幽霊はいたんだ、というかなり場違いな思いを胸中に抱きつつ、辰巳は正体を確かめようと自分に乗っかる白いモノに目を凝らす。

 その白いモノの大きさは、辰巳と遜色ないぐらい。つまり、人間と同サイズということである。

 その人間大の白いモノは、仰向けに寝ている辰巳にのしかかるように乗っていて、しかもその先端らしき丸い部分が徐々に辰巳の頭部へと近づいてくる。

 薄暗い寝室の中、徐々に近づいてくる白いモノ。背筋を這い登る恐怖が喉元まで到達し、辰巳が思わず悲鳴を上げそうになった時。

 ぱさり、と何かが辰巳の顔に落ちた。

 彼の顔に落ちた何かは、ずるりと滑るようにして顔の表面を這い、仰向けに寝ている彼の頭の横へと移動していった。

──な、何だ今のはっ!?

 声にならない声を上げながら、暗闇の中で目を見開く辰巳。

 そんな彼の顔の上に、また一つ、更に一つと何かが落下し、同じように彼の顔を擽るように移動する。

 そうしている間にも、白いモノはその丸い部分を更に辰巳へと近づけてくる。

 遂に恐怖心が限界まで溢れ、辰巳の喉から悲鳴として飛び出そうとしたまさにその時。

 彼の鼻を、馴染みのある香りが刺激した。

──あ、あれ? この匂いは……も、もしかして……

 辰巳は恐怖で思うように動かない喉を何とか震わせ、掠れた声で小さく呟く。

「ち、チーコ……?」

 至近距離まで近づいていた白いモノは、彼の声を聞いてびくりと震えると、弾かれるように後ろへと下がる。

「ご、ご主人様っ!? お、起きていらしたのですか……っ!?」

 暗闇に浮かぶ白いモノ。そこから聞こえてきたのは、間違いなくカルセドニアの声だった。




「えっと……何をしていたんだ?」

「そ、それは……その…………」

 相変わらず月明かりだけが頼りの薄暗い世界。それでも恐怖から立ち直れば、それまで見えなかったものも見えてくる。

 今、カルセドニアは辰巳の腰の辺りに跨って、馬乗りのような体勢でいた。

 いつものように、二人は全裸である。薄暗くても、自分に馬乗りの状態であたふたとするカルセドニアの様子は何とか見ることができ、辰巳の上で身体を動かす度にカルセドニアの双丘がぽよんぽよんと揺れているのも分かる。

「チーコ?」

 再び辰巳がその名を呼べば、カルセドニアは観念したのかがっくりと俯いた。

 その際、辰巳の腹を柔らかい何かが擽る。どうやら、カルセドニアの長い髪が彼の腹に触れたようだ。

 おそらく、先程辰巳の顔に落ちたのも彼女の髪だったのだろう。掻き上げたカルセドニアの手から零れた一房の髪の毛が、辰巳の顔に落ちたに違いない。

「あ、あの……寝ているご主人様の顔が……あまりにも可愛かったので……つ、つい我慢ができずに口づけを……」

 実際は口づけ以上のことにまで及ぼうとして辰巳の上にのしかかっていたのだが、それは言わないカルセドニアであった。

「そうか……」

 辰巳は全身を弛緩させ、深々と息を吐き出した。そして、改めて自分に馬乗りになっているカルセドニアを下から見上げる。

 均整の取れた彼女の身体のラインは、相変わらず美しい。

 青白い月光の中に浮かび上がる白い裸体は、まるで月の精霊のようだ。

 豊かな両の胸と引き締まった腹部。そして柔らかな臀部と滑らかな太股の感触を、辰巳は自身の腹で感じていた。

 今更だけど、やっぱりチーコは綺麗だな。

 胸中で自分の妻を誉め称えながら、辰巳は暗闇の中でにやりとした笑みを浮かべた。

「よく分かった。そして、それは俺に対する挑戦とみなす」

 無防備なカルセドニアの両胸を、辰巳はいきなり両手でわしっと握り締める。

「ひょ、ひょええええええっ!?」

 驚くカルセドニアごと《瞬間転移》を発動させ、辰巳は彼女と体勢を入れ替えた。

 一瞬で上下が逆になり、辰巳は素早く体勢を入れ替えてカルセドニアに馬乗りになる。

「チーコの方から仕掛けてきたんだから、それ相応の覚悟はできているよな?」

 辰巳はそのまま組み敷いたカルセドニアの首筋に顔を埋めると、その滑らかな肌に唇を落とし、ゆっくりと舌を這わせていった。




 翌朝。

 ちょっとばかり眠そうな顔で、いつものように二人は神殿を目指す。

 今の季節は太陽の節。つまり、夏である。

 ラルゴフィーリ王国の夏は、日本の夏に比べるとかなり過ごしやすい。

 気温はどれだけ暑くても、辰巳の体感でせいぜい三十度前後。最近では三十五度を越すことも多々ある日本の夏に比べると、かなり低いと言える。

 しかし、日本の夏の風物詩とも言える蝉の声が聞こえないので、辰巳には少し物足りないものも感じられた。

 それでも、やはり夏ともなると人々は薄着になる。

 街中の人たちも腕や足を露出させている者が多く、衣服に使われている素材も通気性のよいものを使用しているようだ。

 辰巳とカルセドニアは、いつものように司祭の階級を現す神官服。休日や家にいる時はともかく、さすがに神殿で務めのある時はラフな格好ではいられない。

 また聖職者である以上、やたらと肌を露出することも禁じられているため、二人の今の姿はちょっと暑苦しいかもしれない。

 辰巳の右腕を抱え込むように抱き絞めながら、カルセドニアは歩く。今日の彼女はとても機嫌がいいようで、朝からにこにこしっぱなしだ。

 右腕に伝わる彼女の体温は、気温と合わせて暑いぐらいだが、不思議とそれほど不快には感じられない。

 それどころか、右腕に感じられるカルセドニアの体温が夜中の情事をどうしても思い出させ、辰巳は顔まで体温が上がる始末だった。

 王都レバンティスの様子は、いつもと変化はない。

 街は活気に溢れ、人々は忙しそうに動き回っている。

 夜明けと共に活動を開始する街は、既に完全に目覚めきっていた。

 さかんに客を呼び込む様々な商店、その声に誘われ、楽しげに商品を見定める客たち。

 足早く通りをゆく者たちは、これからレバンティスを出て他の町へと向かう旅人だろうか。

 そんな中には、鎧を着込んだ一団もいる。これから狩りに向かう魔獣狩りたちだろう。

──そういえば、レバンティスに帰ってきてから数日経ったけど、まだ〔エルフの憩い亭〕に顔を出していなかったな。

 レバンティスに帰還してからのここ数日は、報告や事後処理に追われてかなり忙しく、〔エルフの憩い亭〕まで足を伸ばす機会もなかったのだ。

 何となく懐かしささえ覚えるエルやジャドック、そしてミルイルの顔を思い出しながら、今日の夕方にでもエルの店に顔を出してみようか、とぼんやりと考えていた時。

 辰巳は、自分に向けられている視線があることに気づいた。

 決して視線の方を振り返ることなく、目だけを動かしてその正体を探る。

 自分に視線を向けるその人物は、細い路地に身体を預けるようにして立っていた。

 別段隠れているわけでもなければ、辰巳を見ていることを隠そうとしているわけでもない。

 その証拠に、彼がその人物を視界に捉えた時、その人物はにこりと微笑んで見せたのだ。

 誰だろうと思い、辰巳は立ち止まって改めてその人物の方を見る。

 そして、辰巳は思わず目を見開いた。

 まず、最初に驚いたのは、その人物が女性だったことだ。

 年齢は見た目で二十代後半から三十代前半ほど。身長はかなり高く、辰巳と同じ位はあるだろうか。

 白い肌は、この国では珍しくはない。しかし、それ以外の部分はかなり異様だった。

 より正確に言えば、このラルゴフィーリ王国では異様と言った方が正しい。

 その女性の腰ほどまである長い髪は、辰巳と同じ黒髪。

 そして女性が身に着けているのは、この国の人々が着るような衣服ではなく、辰巳にとってはとても馴染みのあるデザイン。

 それは、ダークグレーのビジネススーツだ。

 辰巳がよく知る働く女性、それも一般的なOLではなく、もっと地位の高い管理職をイメージさせるかっちりとしたスーツ。

 肩パットの入ったスーツの上着と、スリムなパンツがその女性をスマートな印象にしていた。

 スーツの下は白のシャツ。襟元を飾るのは、臙脂色のネクタイ。

 足元だけはなぜか濃紺のスニーカーだが、それもこの世界では異質に違いない。

 瞳の色は薄茶であり、顔の作りは明らかに東洋人のそれではない。しかし、それでもこの国の人々とはどこか印象が違う。

 その女性の全てが、辰巳には馴染み深くてもこの国……いや、この世界からすれば異質すぎた。

「旦那様……?」

 突然立ち止まった辰巳に不思議そうな顔をするカルセドニア。しかし、彼がとある方向をじっと凝視していることに気づき、彼女もそちらに目を向け──そして息を飲んだ。

「だ、旦那様と同じ髪の色……?」

 これまで黒い髪を持つ者を、カルセドニアもこちらの世界では見たことはない。

 辰巳とカルセドニアが立ち止まったことで、路地に身体を預けていた女性は真っ直ぐに辰巳たちの方へと歩み寄って来る。

 そして二人まであと数歩という所で立ち止まると、女性はその視線を辰巳の右手──『アマリリス』へと向けた。

「うん、間違いなく『アマリリス』だ。やっぱり、君がそうなんだね?」

 黒髪の女性は再びにこりと微笑むと、自分の右手を目の高さまで持ち上げ、そして、袖を捲り上げた。

 その腕に装備した、朱金鉱製の武具をよく見えるように。

「そ、それは……ま、まさか……」

「そう。君が今装備している『アマリリス』と同じ物さ。まあ、時間的に言えば、君の物よりはかなり新しい物になるがね?」

「ま、まさか……あなたは……」

 掠れた声で尋ねたのは、辰巳の隣のカルセドニアだ。

 彼女はその朱金に輝く武具をみて、黒髪の女性が誰なのかを察したらしい。

「改めて自己紹介といこうじゃないか。ボクの名前はティーナ・エイビィ・ザハウィー。もっとも、この国では本名よりもティエート・ザムイ、もしくは《大魔道師》の方が有名かな? 初めまして、ボクの後継者くん」

 それは、二人の〈天〉の魔法使いの邂逅の瞬間だった。


 前話「閑話 魔法の袋」を、少々手直ししました。

 全体的な流れは変わっていませんが、細部を少し変えています。

 よろしければ、もう一度お目を通していただけると幸いです。

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