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 閑話 魔法の袋

 ラギネ村を出発した辰巳たち一行は、無理をすることなくゆっくりと進み、途中で野営をして翌日には無事にトガの町に到着した。

 その際、野営初体験だったジョルトは最初こそ大いにはしゃいでいたが、翌朝にはうんざりとした表情で「もう、野営はいい。地面で寝ると、予想以上に身体が痛い」と辛そうに零していた。

 そしてトガの町。

 予定では今日はここで一泊し、明日の早朝にレバンティスへ向けて旅立つ。

 そのため、今日中に旅に必要な食糧などの消耗品の補充をしなければならない。

 辰巳たちは二手に別れ、それぞれ町へ買い出しに出かける。

 もちろん、辰巳と一緒なのはカルセドニアだ。

 二人はいつものように仲良く寄り添いながら、トガの町の中を歩いていく。

 町の中ということもあり、辰巳も鎧は脱いで身軽な格好である。念のため剣を腰に佩き、右手にはいつものように『アマリリス』。

 二人はトガの町の市場で、保存の利く食糧を見繕う。

「買うのは食糧だけでいいのか?」

「はい、それ以外はモルガーやジョルト様たちにお願いしましたから」

「そうか。でも、ついでだから食糧以外にもちょっと見て回らないか?」

「はい!」

 辰巳の誘いを、カルセドニアは笑顔で受け入れる。

 二人はそれまで以上に身体を寄せ合い、楽しそうに歩く。特にカルセドニアは、幸せ真っ只中と言わんばかりの満面の笑顔で。

 まず必要な食糧を買い込んだ二人は、そのまま市場のあちこちを見て回る。

 装飾品や日用雑貨、衣類に化粧品、そして武器や防具などなど。

 さすがに王都であるレバンティスの街の市場に比べると品揃えは落ちるが、それでもたくさんの品物が市場に溢れていた。

 あっちこっちを冷やかしながら、辰巳とカルセドニアは歩いていく。

 と、辰巳はとある露店の前で不意に足を止めた。

 突然足を止めた辰巳にカルセドニアが不思議そうな顔をするが、辰巳はじっと露店に並べられた品物を注視している。

 それは一見しただけでは何に使うか分からないような物ばかりを売っている露店で、店先に並んでいるのは妖しげな水晶球や、罅割れた壷など、ガラクタとしか思えないような物ばかり。

──あれ? こんな品揃えの露店を、以前に見かけたような……?

 辰巳が心の中で首を傾げていると、その露店の主らしき胡散臭そうな中年の男が、にたにたと笑いながら声をかけてきた。

「らっしゃい、大層な美人を連れた兄さん。ウチの品に目を付けるとは、兄さんもなかなか目利き────」

 それまでにたにたと笑っていた店主の笑顔が、急に引き攣ったものに変化した。

「や、やあ……い、以前にウチの店で魔法の絵を買ってくれた兄さんじゃないか……」

 そう。

 それは辰巳とカルセドニアが婚約したばかりの頃、辰巳に偽者の魔法の絵を売った、あの胡散臭い露店商人だった。




「ど、どうだった? お、俺が売ったあの絵……《聖女》様の裸は拝めたかい?」

 引き攣った笑みを浮かべながら、露天商はそんなことを言い出した。

 偽物を売りつけておいて、のうのうとそんなことを言い出すとは。

 慌てて逃げ出すならまだしも、臆面もなくそんなことを言い出す露天商に、辰巳は逆に感心してしまった。

 元々、辰巳はこの露天商に対してあまり悪い感情を持っていない。確かに買った絵に魔法なんてかかってなかったが、それはなかば分かっていたことだ。

 騙されたという思いがないだけに怒りは感じないが、それでも何らかの意趣返しはしてやろう。

 だから辰巳はにやりと笑みを浮かべ、敢えて露天商の問いに答えてやる。

「ああ。確かに《聖女》様の裸は堪能させてもらったよ」

 辰巳の隣でカルセドニアが、真っ赤になって視線を泳がせる。

 二人が初めて「愛の肉体言語」を交わしたのは、間違いなくあの「魔法の絵」が切っ掛けだった。あの日の夜、確かに辰巳は《聖女》の裸──絵ではなく本物──を心行くまで堪能したのだから、彼の言葉に嘘はない。

「え? え? そ、そんな筈が……あ、ああ、いや、そ、そうかい、そ、そりゃあ良かったな……」

 まさか辰巳がそんな返答をするとは思ってもいなかった露天商は、しどろもどろに受け答える。

「と、ところで、隣の美人さんは兄さんのイイヒトかい? 髪の色なんか、噂に聞くサヴァイヴ神殿の《聖女》様みたいだねぇ」

「何を言っているんだ? 俺の妻の方が、噂の《聖女》様よりも美人に決まっているじゃないか」

「は、ははははははっ!! 兄さんも言うねぇ。確かに兄さんにとっちゃ、《聖女》様よりも自分の嫁さんの方が美人に違いねえよな! そうかい、そうかい。そっちの美人さんは兄さんの嫁さんだったのか。こんな美人を捕まえるなんざ、兄さんもなかなかやるじゃねえか!」

 露天商は辰巳の言葉を聞いて大笑いする。

 辰巳の連れている女性が、噂の《聖女》本人だとは夢にも思っていないようだ。

 一方のカルセドニアは、それは嬉しそうに辰巳にしなだれかかっている。

 辰巳に「噂の《聖女》よりも美人」と言われたことが、彼女的にはクリティカルヒットだったのだろう。

 《聖女》は他ならぬカルセドニアのことなので、辰巳の言葉は「自分自身よりも美人」というちょっとおかしなものだったが、幸せ絶頂な本人はそれに気づいていない。

「よし、じゃあ、そんな兄さんにウチのとっておきを見せてやろう。こいつは正真正銘、他では絶対に手に入らない魔封具なんだぜ?」

 そう言って露天商が辰巳に見せたのは、白と黒の二つの革製と覚しき袋だった。




 その袋は、道具屋などでよく売られている革袋と大差ないように見えた。

 辰巳が見たところ、大きさは大体縦四十センチ、横三十センチぐらい。底の部分は丸く縫製されており、袋の口は直径二十センチほどで、口を縛り腰などにぶら下げるための革紐が付いている。

 旅人などが旅に必要な小さめの道具を入れるのに丁度いい大きさの、よく見かける革袋。実際、市場を探せば、この露店以外でも同じような袋を容易に見つけることができるだろう。

「別に珍しくもない革袋みたいだけど?」

「おっと、こいつは魔封具だって言っただろ? こいつには《重量無視》と《無限収納》の魔法が込められているんだぜ?」

「《重量無視》と……《無限収納》?」

 それは、ファンタジー小説などによく登場する、いわゆる「無限の袋」というヤツではないだろうか。

 驚愕と好奇心を何とか抑え込みながら、辰巳は二つの袋を改めて見てみる。

「……旦那様……この袋って……」

「ああ。詳しくは分からないが、魔封具なのは間違いないな……」

 魔力を意識しつつ改めてよく見れば、白黒二つの袋からは魔力光が感じられる。しかも、袋から立ち登るその魔力光の色は、辰巳と同じ金色。

 それは、この二つの袋に〈天〉系統の魔力がある、ということに他ならない。

 仮に露天商が言うように、革袋に《重量無視》と《無限収納》が込められているとすれば、それはどちらも〈天〉に属する魔法なのだろう。

 《重量無視》と《無限収納》も、空間に作用を及ぼす魔法なので、考えられる系統は確かに〈天〉だ。

「……こいつは……本物なのか……? でも、《無限収納》はともかく《重量無視》って〈天〉に含まれるのか? 実際に重量をなくすのではなく、別次元に収納することで重さを感じなくさせるとすれば、それは確かに〈天〉の魔法だよな……」

 実際に二つの革袋を手にして、辰巳はぶつぶつと呟きながらじっくりと観察する。

「なあ、これの革袋って、どうやって手に入れたんだ?」

「おっと、それは兄さんが相手でも言えないってもんだ。商品の入手経路は商人にとっては財産の一つだからな。まあ、不当な手段で手に入れたものじゃないことは、商売の神であるダラガーベ様に誓ってもいい」

 露天商の話を聞きながら、辰巳は悩む。

 少なくとも〈天〉の魔法が込められているのは、間違いない。

「この袋……本当に《重量無視》と《無限収納》が込められているか、確かめてもいいか?」

「おお、いいぜ。もちろんだとも」

 辰巳は抱えていた旅用の食糧の一部を、黒い革袋へと入れてみた。

「確かに荷物は袋に入ったけど……」

 辰巳は黒い袋を手にしながら首を傾げる。

 見た目、黒い袋に変化はない。まるで何も入っていないかのようにぺったんこだ。

 しかし、その黒い袋を持つ辰巳の手には、先程袋に入れた食糧の重量がそのまま感じられる。

「これ、重さをしっかりと感じるぞ? 《重量無視》って嘘じゃないのか?」

「おいおい、言いがかりはよしとくれよ、兄さん。そっちの黒い袋にかかっているのは、《重量無視》じゃなくて《無限収納》だ。《重量無視》は白い袋の方だぜ」

「え? どういうことだ?」

 きょとんとした顔の辰巳。露天商の言うことを纏めると、こういうことだった。

 黒い革袋に込められている魔法は《無限収納》。袋の中にはいくらでも荷物を入れられるが、重量はそのままかかる。

 反対に白い革袋は《重量無視》。袋の容量以上に荷物は入らないが、こちらは重量を感じなくなる。

「…………使えそうで使えませんね、これ……」

「…………そうだな」

 辰巳とカルセドニアは、互いに見つめ合いながら溜め息を吐く。

 どんなに無制限に荷物が入っても、袋に入れた重量がそのままでは持ち運べる量はおのずと限られる。そして、重量が全くかからなくても、小さな革袋に入る容量はたかが知れている。

 そう考えると、確かにこの魔法の袋はどちらも使えそうで使えない、と言わざるを得ないだろう。

「なぁに、こういう魔封具ってのは、使う人間の考え方次第ってもんだ。よぉぉく考えれば、有効な使い方が見つかるってものさ。で、どうする、兄さん?」

 と、露天商は見るからに胡散臭い笑顔を浮かべた。

「使い方ねぇ……あれ? もしかして……」

 辰巳は何か思いついたようで、黒い袋を白い袋の中へ入れてみようとした。

 重量を感じなくなる白い袋に、容量無制限の黒い袋を入れれば、重量と容量に制限のない、本物の『無限の袋』になるんじゃないか。それが辰巳が思いついたことだ。

 そんな辰巳の様子を見て、露天商が再びにやりと笑う。

「ああ、兄さん。それは無理だぜ? これまで、兄さんと同じように黒い袋を白い袋に入れようとした奴はいたんだ。でも……」

 露天商の言葉を聞きながら、それでも辰巳は手を進める。

 そして彼が黒い袋を白い袋に入れたようとしたところ、まるで磁石が反発するかのように、黒い袋を白い袋に入れることができない。

「なんでも、二つの袋の魔力が干渉し合うとかで、黒い袋を白い袋に入れることはできないんだよ、これが」

「……なるほど。それがこの袋がこの露天商で売っている理由か……」

 二つの袋を重ねて使うことは、少し考えれば思いつくことだろう。

 それなのに、この魔法の袋がこの怪しい露天商の元で売られている理由。それはやはり、この袋が使えそうで使えないからに他ならない。

「で、どうする、兄さん? ここは兄さんだけ特別に大安売りしてもいいぜ?」

 と、露天商は辰巳に向けて、やはり胡散臭い笑みを浮かべた。




「…………で、買ってきちゃったんだ?」

「タツミ……こう言ってはなんだが、これは詐欺に類するものではないのか?」

「魔封具の値段としては、二つで銀貨五百枚は確かに異様なぐらいに破格ですが……この場合はどう考えても……」

 結局辰巳は、あの怪しい露天商から二つの「魔法の袋」を買うことにした。

 その値段は、イエリマオが言うように銀貨五百枚。この値段は魔封具二つ分の値段にしては異常なまでに安い。本来ならば、魔封具は最低でも一つで銀貨一万枚はすると言う。

 辰巳が購入した怪しい二つの魔法の袋。それを見て、既に買い物を終えて宿に戻っていたジョルトとモルガーナイク、そしてイエリマオが渋い表情を浮かべている。

 珍しく、辰巳の背後にいるカルセドニアまでもが、納得いかない顔で辰巳を見ていた。

 他ならぬ辰巳が決めたことなので、カルセドニアは限られている旅費の中から銀貨五百枚──銀貨ではなく同価値の宝石で──を支払った。しかし、生まれた家が貧しく、ジュゼッペに引き取られてからも聖職者の中で育った彼女は、浪費というものに対していい感情を持っていない。

 そのため、使えそうで使えないものに大金を支払ったことが、彼女としては不満なのだろう。

 じっとりとした四対八個の目が、辰巳を見つめる。

 しかし、当の辰巳はにやにやとした笑みを浮かべるばかり。

「実は、ちょっと試してみたいことがあったんだけど……何となく、それをあの怪しい露天商の前でするのは躊躇われてね」

 皆にそう言った辰巳は、二つの魔法の袋を取り上げた。

「カルセ。こっちの白い袋を、口を開けた状態で俺に向けて持っていてくれないか?」

「えっと……こうですか?」

 カルセドニアは辰巳に言われた通り、白い袋の口を大きく広げて辰巳へと向ける。

 辰巳はその白い袋の口の中を覗き込みながら、手にした黒い袋を転移させた。


 白い袋の中へと。


「あっ!!」

 それまでの渋い表情から一転、驚きを浮かべたジョルトが大きな声を出した。

 ジョルトだけではなく、モルガーナイクやイエリマオ、そしてカルセドニアも、目を大きく見開いてカルセドニアが持つ白い袋を凝視している。

 どうやら二つの袋の魔力が反発し合うのはあくまでも袋の入り口だけであり、一度中に入れてしまえば白い袋から黒い袋が飛び出すようなことはないようだ。

 もっとも、この方法を使うことができるのは、〈天〉の魔法使いである辰巳に限られるだろう。

「二つの袋を見ていて思ったんだ。白い袋の口から黒い袋を入れることができないのなら、黒い袋を直接白い袋の中に入れてしまえばいいってね。ほら、これなら銀貨五百枚なんて安いものだろ?」




 しばらく、辰巳以外の四人は無言で辰巳が手にする「無限の袋」を見つめていた。

「……しっかしさぁ……」

 口を開いたのはジョルト。彼は呆れ果てた表情で、言葉を続けた。

「……一体誰がこんなものを作ったんだろうね。どうせなら、最初から一つの袋に二つの魔法を込めれば手っ取り早いのに」

 その思いはジョルトだけではなかったらしく、カルセドニアとモルガーナイク、そしてイエリマオは揃って彼の言葉に頷いていた。

「うーん……わざわざ二つの袋に一つずつ魔法をかけた理由は正確には分からないけど……作った人物なら多分あの人じゃないかな?」

「え? タツミには想像つくの? 一体誰さ?」

「初代〈天〉の魔法使い、《大魔道師》ティエート・ザムイ……ですね?」

 カルセドニアのその言葉に、辰巳は無言で頷いた。

「俺以外に〈天〉の魔法使いは先代しかいないわけだからね。〈天〉の魔法がかかった魔封具を作り出せる人物なんて、《大魔道師》しかいないじゃないか。それに、先代なら俺と同じように二つの袋を一つにできるわけだし」

「ああ……そうか。言われてみれば、タツミの言う通りだね」

 おそらく、《大魔道師》ティエート・ザムイは〈天〉だけではなく、魔封具を作り出せる系統も持ち合わせていたのだろう、と辰巳は考えていた。

 以前にジュゼッペから聞いたところによると、魔封具を作り出せる系統は〈錬〉。いわゆる、錬金術師的な魔法の系統らしい。辰巳の〈天〉ほどではないものの、かなり珍しい系統だとジュゼッペは言っていた。

 ティエート・ザムイは、〈天〉だけではなくこの〈練〉も持っていたのではないだろうか。もしもこの推測が当たっていたら、ティエート・ザムイは二つものレア系統を持ち合わせ、それを使いこなした正真正銘の大魔道師ということになる。

「だが、《大魔道師》が〈錬〉の系統も持っていたという話は聞いたことがないぞ?」

「これも俺の推測でしかないですけど……多分、わざと隠していたんだと思います」

 辰巳が受け継いだ先代の遺産である『アマリリス』。これもまた、ティエート・ザムイが作ったものなのだろう。

 飛竜との戦いの際、ぎりぎりまで追い詰められてようやくその存在を明らかにした《裂空》の魔法。

 あの時も、辰巳は先代が相当捻くれた性格の人物じゃないかと疑ったものだ。

 もしも辰巳の想像通りに《大魔道師》が捻くれた性格の人物なら、〈錬〉の系統を隠したことも何となく納得できなくもない。

「きっと、『その方がおもしろそうだ』とかそんな簡単な理由で、〈錬〉系統のことを隠していたんじゃないかな? 弟子たちにも絶対に口外しないようにきつく命じて。そして、この魔法の袋も──」

 所詮は推測でしかないが、おそらく自分の考えは間違っていないだろう。

 そんな確信を抱きながら、辰巳は魔法の袋を改めて眺めたのだった。




 ちなみに。

 王都に帰った辰巳がこの魔法の袋を某最高司祭に見せたところ、その最高司祭はいたく興奮し、

「む、婿殿っ!! そ、その二つの魔法の袋、儂に銀貨五万枚……いや、十万枚で譲る気はないかっ!?」

 と、鬼気迫る勢いで辰巳に詰め寄ったとか。

 もちろん、魔法の袋はその後も辰巳の腰で揺れ続けているのだった。


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