親友
跪き、深々と頭を下げたままのディグアン・グランビア。
「ディグアン。貴様も自分が無罪というわけにはいかないことを理解しているな?」
「はい。覚悟はできております。如何様な罰も受け入れる所存です」
顔を上げることなく落ち着いた声で答えるディグアンを、ジョルトはじっと見つめたまま彼の父親へと声をかけた。
「グランビア卿。グランビア家には、ディグアン以外にも息子がいたな?」
「はい、殿下。まだ成人しておりませんが、我が家にはもう一人息子がおります」
「ならば、グランビア卿。グランビア家当主として、今すぐディグアンを勘当することを勧める」
「……ご配慮とご恩情、深く感謝致します、ジョルトリオン殿下」
ジョルトがライカムへと勧めたディグアンの勘当。
それは今すぐディグアンを勘当すれば、ディグアンがこれまで行ってきたことを彼個人だけの罪として扱う、というジョルトの恩情であった。
それでも、これまで嫡男であったディグアンを失うことは、直接的ではないもののグランビア家にとっては処罰を受けるに等しい。
嫡男を突然勘当することは、貴族社会の中で少なくないダメージとなるだろう。それでも、直接何らかの処罰を受けるよりは遥かにましである。
一人の父親である前にグランビア家の当主であるライカムは、ジョルトの言葉の意味を理解し、それを受け入れることを選択した。いや、選択するより他ない。
「ディグアンよ。今日この場を以て、私と貴様は親でもなければ子でもない。よいな?」
「はい、父上……いえ、グランビア閣下。今日までお世話になりました」
父と子として、最後の言葉を交わすライカムとディグアン。
ディグアンはライカムに向かって最後に一礼すると、再びジョルトの前で跪いた。
「さて、ディグアン。これで貴様はもう貴族じゃない。これから、俺は貴様を貴族ではなく平民として裁く。いいな?」
「はい。心得ております」
既に覚悟を決めているディグアンは、この時初めてジョルトを見上げた。
その顔には、落ち着いた静かな表情が浮かんでいた。
「ディグアン。貴様に与える罰は…………この村を今より豊かにすることだ」
「………………は?」
ジョルトの言っていることが理解できないのか、ディグアンの表情がきょとんとしたものに変わる。
「貴様も知っているように、この村の村長親子は重大な問題を起こして罪に問われた。そのため、この村には村長を継ぐものがいない。そこで、貴様はこの村の村長となり、この村を今より一層発展させよ。貴様に与える猶予は十年だ。十年経った後、この村が今より発展していないようならば……その時は改めて貴様の首をもらい受ける」
「…………殿下のご下命、確かに受け賜りました。これより、我が身命を賭してこの村をより発展させるべく努力致します」
「ゆめゆめ忘れるなよ? 十年後のこの村の状態如何では……いや、例え十年以内でも村人たちから正当な苦情の一つも上がるようなことがあれば、貴様の首は胴体と離れ離れになると思え」
「御意!」
「グランビア卿」
「はっ!」
「その方はこの地の代官として、また、人生の先達として、この年若い村長をしっかりと導いてやれ。俺よりは年上とはいえ、まだまだこの村長は若輩者だ。年長者の手助けは必要だろう。その方らは親子ではなくなったが、これからは年長者として、そして代官としてこの年若い村長を見守ってやれ」
「…………承知しました、殿下。そして、殿下のご恩情に最大の感謝を」
親子としてではなく、代官と村長としてならば今後も交流してもよい。
言外にそう伝えたジョルトに、改めて深々と頭を下げるライカムとディグアン。ジョルトは無言のまま彼らに背中を向けた。
辰巳は一仕事終えたジョルトを労うように一度頷いて見せ、心の中で「一件落着だな」と呟いたのだった。
「……結局、その後はどうなったんだ?」
「大馬鹿くんが迷惑をかけた相手には、グランビア家から内容に見合った補償金が支払われることになったそうだよ。まあ、本人が気づかなかったとはいえ、グランビア家の嫡男が間に入っていたんだ。そこはグランビア家が責任を持たないとね。でも、大馬鹿くんは所詮小物でさ? それほど大きな問題は起こしていなかったらしいよ」
「そうか……じゃあ、そのガルドー本人は今、どうしているんだ?」
「あの大馬鹿くんなら、トガの町の牢の中で大人しくしているよ。それこそ最初は大声で泣き喚いていたけど、今ではすっかり大人しくなって、牢の隅っこで膝抱えてぶるぶる震える毎日だね」
ガルドーが破滅を迎えたあの夜から数日が経過していた。
この数日、ジョルトは当初の予定通りトガの町でイエリマオの補佐を務めていた。
今更な感はあるものの、それが今回の本来の目的である以上、手を抜くわけにもいかない。
辰巳とモルガーナイクも、ジョルトの査察中は護衛としてトガの町に一緒に滞在していたのだが、カルセドニアだけは妹の病状の経過を観察するためにラギネ村に留まっていた。
とはいえ、毎日日が暮れると、辰巳はラギネ村までやって来る。
《飛翔》と《加速》を組み合わせれば、トガからラギネ村までそれほど時間はかからない。
朝と夕方に高速で飛んでいく辰巳の姿は、トガの町でもラギネ村でもこの数日ですっかりお馴染みの光景になりつつあった。
「いっそのこと、あの大馬鹿くんをタツミの奴隷にする? 魔獣を狩る時の囮とかに使えるよ?」
「冗談じゃない。どうして俺があいつの衣食住の世話をしなくちゃいけないんだ? 少なくとも、あいつを奴隷にするなんてまっぴらだね」
ジョルトがおもしろ半分に提案すれば、辰巳は肩を竦めながらきっぱりとそれを断る。
そして、互いに顔を見合わせると、どちらからともなく屈託なく笑い合う。
「しかし、今回のことは当初とは違う意味でいろいろと勉強になったな。やっぱり、城の中で書物や教師から教わるだけではなく、こうして実地で体験するものは奥が深いよ」
「俺の故郷の言葉に『百聞は一見にしかず』ってのがあるけど、人から聞くよりも自分で見た方が重要なことってあるよな」
「ふぅん。タツミの故郷か。それって、こことは違う別の世界なんだよね?」
何気ないジョルトの言葉。だが、辰巳は思わず硬直してしまった。
「……いつから知っていたんだ……?」
ようやく絞り出すようにして尋ねる辰巳に、ジョルトはにひっとした笑みを浮かべた。
「そりゃあ、初めっからだよ。ほら、俺とカルセは幼馴染みだよ? 昔のカルセは会う度に『夢の中の少年』のことを話していたからね。そのカルセが婚約したとなれば……それが誰なのか、カルセを知っていれば難しい推測じゃないさ」
更に辰巳がジョルトから聞き出したところによると、バーライド国王を始めとした王族一家も、辰巳の生立ちを知っているらしい。
もちろん、王族一家にそれを話したのは某最高司祭である。
「タツミの生立ちをあちこちに言い触らすつもりはないから安心してね。そもそも、別の世界から来たなんて言っても、普通は信じないでしょ?」
一度タツミの世界を見てみたいものだね、と続けたジョルトに辰巳がそれに応える。
「そうだな。俺としても親友に俺の故郷を見せてやりたいな」
「え?」
今度はジョルトが驚く番だった。
きょとんとした顔のジョルトを見て、辰巳がしてやったりと口元を笑みの形に歪める。
「先に俺のことを親友と言ってくれたのはそっちだろ? ほら、ガルドーに大見得切った時」
「あ……ああ、そ、そうだったっけ」
数日前のことを思い出し、ジョルトは照れながら頭をがしがしと掻き、視線をあちこちに彷徨わせる。
「まあ、これからもよろしくな、親友」
「こっちこそね、親友」
辰巳が差し出した拳に、ジョルトは嬉しそうに自分の拳を打ち合わせた。
そんな二人の様子を、カルセドニアの家族たちはぽかんとした表情で見つめていた。
今、辰巳たちがいるのはカルセドニアの生家である。
こんなボロ家に王族が滞在しているだけでも驚きなのに、その王族と娘婿が実に親しそうに話をしているのだ。
カルセドニアの家族たちは、王族が畏れ多くてとても辰巳たちには近づけない。そのため、二人が何を話しているのかまでは分からないが、それでも二人が楽しそうであることは理解できた。
「ね、姉さん……姉さんの旦那さんのタツミ義兄さんって……一体何者なの……?」
最近になってようやく歩けるようになったリリナリアが、呆然としたまま姉に尋ねる。
そして、その思いはベックリーとネメアも一緒だった。
彼らからしてみれば、王族と親しく会話するなど信じられないことなのだ。
「…………もしかして、おまえの婿になった男って……どこかの大貴族様の落とし胤か何かなのか……?」
震える声で尋ねる父親に、カルセドニアは静かに首を横に振る。
「旦那様は貴族とかではなく、ごく普通の生れの方よ。でも…………」
サヴァイヴ神に仕える神官。伝説の〈天〉の魔法の継承者。そして、飛竜を倒した英雄。
様々な言葉がカルセドニアの脳裏を横切るが、どれも自分の伴侶を言い表すには物足りないと彼女は思う。
だから、カルセドニアは父親に向けてにっこりと微笑む。
「…………私の旦那様は、世界で最も素敵な方よ」
弾けるような笑顔できっぱりと言い切る自分の娘に、ベックリーは別の意味であっけに取られた。
ところで。
どうして辰巳たちがカルセドニアの生家にいるのかと言えば、彼らは今、待っているのだ。
カルセドニアの妹であるリリナリア。彼女の足に毒を流し込んだ魔獣、石鼠。
ジョルトはリリナリア以外に石鼠の被害者がいるかどうかを、新たにこの村の村長となったディグアンに調査を命じた。
間もなく、その調査結果をディグアンが持って来るだろう。
本来ならばカルセドニアの生家ではなく、村長の家でその報告を待つべきに違いない。
だが、ジョルトが待機場所として選んだ場所は、ここカルセドニアの生家だった。
理由は、この家の中に入ってみたいという実に単純なもの。
王族であるジョルトからすれば、このような掘っ建て小屋一歩手前の家に入るなど、初めての経験である。
言ってみれば好奇心から来る我が儘だが、ここならばカルセドニアもいるし、辰巳にとっても他人の家というわけではない。
《天翔》と《聖女》が傍にいる現状、ここ以上に安全な場所はこの村に存在しないのだ。
もっとも、ベックリーたちにしてみれば、王族が自分の家にいるなど気が休まらないどころではないが、権力者の我が儘にしてみれば随分と可愛い部類だろう。
ちなみに、イエリマオはディグアンの補助のために村長宅に詰めており、モルガーナイクは石鼠の痕跡を求めてこの家の周囲を探索中である。
実を言えばつい先程まで辰巳も周囲を探索していたのだが、何も発見できずにここに帰ってきたのだ。
そうして辰巳とジョルトが他愛もない会話を楽しみ、カルセドニアがそんな二人にお茶を振るまい、いつの間にか好奇心に駆られたリリナリアがその輪に加わり、ベックリーとネメアが娘たちが王族に粗相しないかハラハラとしながら見守っていると、立て付けの悪い扉を誰かが外から叩いた。
「ディグアンです。お邪魔してもよろしいでしょうか?」
ジョルトが家人に代わって返事をすると、がたごとと立て付けの悪い扉をちょっと苦労しながら開けて、平民が着るような簡素な衣服を身に着けたディグアンが入って来た。
その背後にはモルガーナイクの姿もある。どうやら、家の近くで落ち合ったのだろう。
「村人に聞いて回ったところ、この家のお嬢さん以外に魔獣の毒を受けている者はいないようです」
「そっか。どうやらモルガーとカルセの予測通りのようだね」
ディグアンの報告を受け、ジョルトは納得したように頷いた。
これから、彼らは最後の仕事に取りかかるのだ。
そう。
この村の近隣に潜んでいると思われる、石鼠を退治しなくてはならないのだから。




