ガルドー来訪
白く淡い輝きが、硬化したリリナリアの足に吸い込まれるように消えていく。
そして、白い輝きが吸い込まれると同時に、彼女の足の硬化部分が少し減少した。
それを確認したカルセドニアは、再び呪文を詠唱する。
〈光〉〈聖〉系統、《解毒》。
文字通り、毒を中和する魔法であり、その魔法の効果でリリナリアを蝕む毒が少しずつ中和されていく。
更に数回カルセドニアが《解毒》の魔法を使用すると、リリナリアの足から硬化した部分は完全に取り除かれた。
それを見たベックリーとネメア、そしてリリナリア本人が歓喜の表情を浮かべる。
「これでもう大丈夫。でも、無理はしないでね? 今まで動かなかった足を突然動かすと、身体の方がびっくりしちゃうから。いいわね?」
カルセドニアがその二つ名の通り聖女の如き慈愛に満ちた微笑みを浮かべると、リリナリアは嬉しそうに頷いた。
「あ……ありがとう……ね、姉さん……」
頬を赤らめつつ、リリナリアはちょっと上目使いに恥ずかしそうにカルセドニアを姉と呼ぶ。
リリナリアから「姉さん」と呼ばれ、カルセドニアは少しだけ目を見開く。だが、すぐに驚きは歓びに代り、ふわりとした柔らかな笑みを浮かべた。
家族が家族として再び認め合った瞬間。
しかし、その柔らかな雰囲気は突然乱される。
何の前触れもなく、家の出入り口の扉が押し開かれることによって。
「よぉ。邪魔するぜぇ」
そう言いながら家に入って来たのは、取り巻きを引き連れたガルドーだ。
「今は病人の治療中よ。関係のない者は出ていきなさい」
立ち上がったカルセドニアが厳しい表情でそう言っても、ガルドーたちはにやにやとした笑みを浮かべているばかりで、彼女の言葉に従う素振りも見せない。
「そう連れないこと言うなよ、カルセ。俺とおまえの仲じゃねえか。ところで、あの黒尽くめはどこ行った?」
辰巳の姿がないことに気づいたのか、ガルドーはきょろきょろと家の中を見回した。
「……あなたには関係ないわ」
「そうかい? ま、俺としても用があるのはおまえの方だからな」
ガルドーは無遠慮にずかずかとカルセドニアに近づくと、彼女の前で立ち止まって下卑た笑いを浮かべた。
「おい、カルセ。夜になったら俺の家まで来い。たっぷりと可愛がってやるからよ?」
「……どうして私が、あなたの家に行かなければいけないのかしら?」
ガルドーを見上げてしっかりと答えるカルセドニア。そこに怯えの色は一切なく、その堂々とした態度が予想外だったガルドーは内心で舌打ちを放つ。
「……言っただろ? おまえは俺には絶対に逆らえないってな」
それでも何とかにやにやとした笑みを保ったガルドーは、その視線をカルセドニアから彼女の家族へと移した。
辰巳が再びカルセドニアの家に到着した時、家の中は何とも言えない沈痛な雰囲気に包まれていた。
「何か……あったのか?」
「旦那様……実は……」
どこか悲痛な表情を浮かべたカルセドニア。彼女が辰巳に何か言う前に、その肩を叩いて押し止めた者がいた。
「……そこから先は俺から話そう。義理とは言え、息子となった君にこんなことを言うのは……正直、恥さらし以外の何者でもないんだけどね」
カルセドニアの肩を引き、彼女を下がらせたのはベックリー。カルセドニアの実父にして、辰巳にとっても義父である人物だ。
「見ての通り、我が家は貧しい。貧しいのはいろいろと理由があるが……まあ、今は関係ないから置いておこう。そんな我が家の娘が……リリナリアが病気になってしまった。それも原因のはっきりしない病気に……後は大体想像がつくんじゃないか?」
「…………借金、ですか?」
辰巳が答えれば、ベックリーはゆっくりと頷いた。
「この村自体がそれほど豊かではないからね。借金を申し込む先はどうしたって限られる……というか、一か所しかない」
つまり村長のところだ、とベックリーは続けた。
リリナリアの病気の薬……ベーギル司祭から効果がありそうだと聞いた薬を、ベックリーはトガの町で可能な限り手に入れた。
薬の類は総じて高価なので、ベックリーが村長から借りた銀貨の総額は、最終的には八百枚を超えたという。
「そんな大金を俺たちのような貧乏人が貸りる以上、それなりの覚悟をした上でだ」
ベックリーの視線が、彼の妻であるネメアへと向けられた。
「……昔から村長のネフローはネメアに執着していたからな」
それ以上ベックリーは何も言わなかったが、辰巳にも大体想像がついた。
そして、ベックリーたちが貧しい暮らしをしているのも、その辺りに原因の一つがあるのかもしれない。
「……それでも……例えネメアに辛いことを強制することになっても……それでもリィナを助けたかったんだ」
ひょっとすると、それはもう一人の娘を追い出すしかなかった彼らなりの償いの現れなのかもしれない。
「だけど、先程村長の息子のガルドーが来て、借金の返済を迫ったんだ。当然、我が家にそんな大金はない。だから……」
ベックリーは一呼吸置き、言葉を続けた。
「……彼が銀貨の代りに求めたのは……カルセドニアだった……」
借金の返済の代りにカルセドニアを奴隷にする。それが先程この家を訪れたガルドーの求めたことだった。
「ただちに、息子を《天翔》殿と《聖女》殿に謝罪させよ! そして、二度と貴様の息子があのお二人に失礼なことをせぬように言い聞かせるのだ! さもなくば、王都におられる最高司祭様やこの地のご領主様の怒りに触れて、ラギネ村そのものが消えかねんのだぞっ!?」
村長の家を訪れたベーギル司祭は、対応に現れた村長──ネフローの姿を見た途端にそう捲し立てた。
唾を飛ばす勢いで詰め寄る老司祭を、村長のネフローは冷めた目で見た。
「あんたがベックリーの娘の治療のために王都から呼んだという神官か……分かっていると思うが、その神官どもの派遣の代金、私は払うつもりはないぞ?」
「貴様……今は金の話をしている時ではないっ!! 貴様といい、息子といい、状況をまったく分かっておらんっ!!」
だん、と皺が多数刻まれた細い腕がテーブルに叩きつけられる。
神官の派遣には多大な寄付が必要となる。その金額は、辺境の村の村長や司祭が支払えるような額ではない。
今回、辰巳たちがこの地を訪れたのは、あくまでも「ついで」だ。彼らの本来の目的は、視察のためにトガを訪れるジョルトたちの護衛なのだから。
そのため、今回の辰巳たちの派遣に寄付は必要ない──正確には王家が支払っている──が、ネフローはそんな事情は当然知らない。
「その神官たちには私の名で詫び状を書いておく。それでよかろう?」
「……まあ、何もしないよりはマシと言った程度だがな。それよりも、肝腎なのは今後じゃ。先程も言うた通り、ガルドーには二度と《天翔》殿と《聖女》殿に近づかぬよう────」
「俺がどうかしたか?」
突然背後からの声にベーギル司祭が振り向けば、そこには薄ら笑いを浮かべたガルドーがいた。
「おい、親父。ベックリーのところの借金、催促してきたぜ?」
「ベックリーの借金だと? どれだけ催促しようが、あそこに返済のあてなどあるまい。できるとしたら、自分か妻であるネメアが奴隷になるぐらいだろう」
「いいや。俺が奴隷になるように求めたのは娘の方だ」
にぃとガルドーの笑みが更に深く、好色なものになる。
「娘だと……? 原因不明の病に犯された娘など奴隷にしても仕方あるまい?」
「あんな成人前の小娘、病気じゃなくても願い下げだね。俺が差し出すように言ったのは上の娘……カルセだよ」
「カルセだと……?」
かつて、この村から追い出されたベックリーとネメアの娘。
幼い頃からおかしな言動を取り続け、「気狂い」と思われていた娘のことは、ネフローもまだ覚えていた。
「ああ、あのカルセがこの村に帰って来たんだよ。それも、すこぶるいい女になってなぁ」
「ガルドーっ!! あれほど言っても理解できなかったのかっ!?」
怒りも露にベーギル司祭が叫ぶ。
「うるせえよ、ジジィ。俺がしたのは単なる借金の催促だ。借金の代りに奴隷になれと求めるのは、別に無礼でも何でもねえよなぁ?」
ガルドーの言葉にベーギル司祭も言葉を詰まらせる。
確かに借金が返済できなくて、奴隷となる場合はある。
金を貸す時、ネフローも最初から借金が返済されるとは思ってもおらず、ベックリーの妻を奴隷として差し出させるつもりでいたのだ。
かつて、若かりし日のネフローは、ネメアに恋心を抱いていた。
彼は何度もネメアに求婚したのだが、彼女はそれに応じることはなく、ネメアが嫁いだのはベックリーだった。
その過去の感情が、ネフローの心の奥でどろどろとしたものとなって、いまだに蠢いている。
かつて恋した女を──他の男に奪われた女を奴隷にする。そのことにネフローは暗い歓びを感じていた。
「親父だって奴隷にするなら、中年で使い古しのババァよりも若い娘の方がいいだろう? それに、カルセは母親によく似ていたぜ?」
「ほう? そんなに似ていたのか?」
興味を引かれたように、ネフローの眉がぴくりと動いた。
「いっそのこと、母親と娘の両方とも奴隷にしちまうか、親父?」
下卑た笑みを浮かべるガルドー。それに応えたネフローの笑みもまた、息子に負けず劣らず邪なものだった。
「……それで、何と答えたんですか?」
「……数日時間をくれ、と。それだけ言って、ガルドーには一旦帰ってもらったよ……」
がっくりと肩を落とし、重々しい溜め息を吐くベックリー。
だが彼のその返答は、問題を先延ばしにしただけだ。
彼に借金を返すだけの財力がない以上、返済のためにその身を奴隷へと落とすのは避けられない。
「……俺は初対面の息子に情けない姿しか見せられないみっともない男だが……それでも、もう絶対に見捨てたりはしない! 今度こそ……今度こそ、自分の娘は守ってみせる! カルセもリーナも奴隷になんて絶対にさせない! させてたまるか! 例え……俺とネメアが奴隷になっても……っ!!」
ベックリーは地面に向けていた視線を、改めて辰巳へと向けた。
その目には、確固たる信念が宿っている。娘だけは守るという父親の矜持と共に。
「確かに俺は……俺たちは一度自分の娘を見捨てた。そんな情けない父親でしかない俺が、こんなことを言えた義理ではないことは承知しているけど……一つだけ、頼まれてくれないか?」
「……何ですか?」
「娘を……娘たちを、頼む。カルセはもう君の妻だし、リィナも君にとっては義妹だ。俺たちが奴隷に落ちた後……どうか、二人を頼む」
「私からもお願いします」
ベックリーとネメアは二人揃って辰巳に深々と頭を下げた。
二人の悲壮な覚悟は、辰巳にも十分に伝わってきた。
しかし、辰巳はそんな二人の覚悟など何でもないと言わんばかりに、実に軽い調子で妻の名前を呼ぶ。
「カルセ」
「何でしょうか、旦那様?」
「ガルドーの家に……村長の家まで行ってきてくれないか?」
「はい、承知致しました」
そしてカルセドニアもまた、夫の言葉を笑顔のまま躊躇うことなく受け入れた。




