91話 「木偶の坊」
「ほう……立つか。だがよいのか? 」
「これしき慣れれば問題ない」
「くくく……それで、両目を瞑って何がしたいのだ? あの小娘を助けるのではなかったのか? それでどう助けるつもりだ。私が見逃すと思うか? 」
「端から期待しておらぬよ。何、戦うのに問題はない」
両目を瞑る老人の言葉に魔術師は嗤う。
「フハハハハ!! 確かに目を瞑ってしまえば、《歪視界》の効果は意味のないものになるが、両目を瞑ったまま私と戦う気か? 死にたいなら自殺しろ、私の手を煩わせるな」
「ほっほっほ。言いおるのぅ。お主こそ降伏するのなら今のうちじゃよ? 目を瞑ると加減が難しくなるからのぅ。勢い余って殺してしまうかもしれん。ああ、そうじゃ、消し炭になりたいのなら手伝ってやるぞ。手加減する必要がないからのぅ」
「こんのッ………!! この我が舐められたものだナ!! 《召喚:黒蝙蝠》《召喚:影狼》《召喚:悪戯妖精》!! あの愚か者を殺セ! 」
フードから覗く赤い瞳を怒りで輝かせた魔術師は、自らの周囲に無数の魔方陣を出現させた。魔術師のMPバーがググーっと勢いよく減った。
「こんな安い挑発を乗るとはのぅ……」
無数の召喚獣が現れるのを感じながら老人は、あっさりと挑発に乗った魔術師を呆れつつも、これで娘ではなく儂を狙うようになったの、とほくそ笑んだ。
◆◇◆◇◆◇◆
「これで、二十!! 残り八ッ! 」
青薔薇で直剣で、影狼を貫いたアルは叫んだ。
「七、六ッ! 」
貫いた影狼はすぐに消滅する。そのすぐ後ろから真正面からの突破を試みてきた影狼をアルは、剣で斬り捨て、更にその隙をついてアルの横を掻い潜ろうとした影狼を盾で殴り飛ばした。
斬り捨てられた影狼はその一撃で消滅し、盾で殴られた影狼もその一撃が止めとなって残り少なかったHPが0になり消滅した。
残りの影狼達に目を配ったアルは、自分を迂回して後ろからユリに接近している影狼に気付いた。すぐに後ろを振り返って剣を突き出した。
「五! 」
アルの突き出した剣で左目を貫かれた影狼は消滅した。
「ふぅ……あと少しです」
アルは息を吐きだして、早る気持ちを鎮める。
焦りは邪魔にしかならない。アルは努めて平静を装う。
「加勢は……やはり来ませんか」
アルがチラッと見た限りでは、黒水女と戦っているラン達の方も魔術師と戦っている老人の方もこちらに手助けする余裕はなさそうだった。
ただ、黒水女や魔術師達も目の前の敵の相手で手一杯らしくこちらに横やりを入れてくる心配はしなくて済みそうだった。
「まぁ、敵も新たに来そうにありませんし、ここは僕だけで頑張りますか」
幸い、残りの影狼は後5体なので、油断さえしなければアルでも何とかなりそうだった。
◆◇◆◇◆◇◆
「せい! 」
それから数分後、アルは最後の影狼を盾で地面に押し潰して、その上から首に剣を突き立てて止めを刺した。
「これで、終わりですね。他の敵も……大丈夫そうですね」
アルは、すぐに気を抜かずに他に敵が来ていないか周囲を警戒した。
ラン達や老人は、未だに戦闘中だったが、アルの所に向かってきている敵はいなかった。
「やっと終わった……」
HPが0になった影狼の形が崩れて黒い粒子となる。その黒い粒子が現れた魔方陣に吸収されていくのを見届けたアルは、安堵のため息をついた。
「さて、ユリさんの様子は……あれ? 状態異常が解けてますね? 」
後ろを振り返ったアルは、ユリのHPとMPバーが正常な色である緑と青に戻っていることに気付いた。
だが、ユリは目を覚ましていなかった。
五感の内、視覚、聴覚、触覚が機能しなくなる盲目、難聴、鈍感の3つの状態異常に同時にかかったユリだが、その状態異常が全て解けたならユリの五感は、全て正常に働いている筈である。
「ユリさーん、ユーリさーん? 」
「ううん……」
状態異常が解けても目を覚まさないユリを不思議に思ったアルは、ユリの耳元で声をかけながら軽く揺さぶってみると、ユリは嫌がる素振りを見せて寝返りを打った。
もしや、と思い、アルがユリの顔に耳元を近づけてみると規則的な小さな寝息が聞こえた。
「……もしかして寝てます? 」
アルは、もう一度ユリのHPバーを確認してみたが正常な緑だった。状態異常である睡眠を示す白色にはなってはいなかった。
「寝落ち、ですね……こんな時に寝れるなんて、ユリさん図太い神経してますね」
こんな状況で寝れるユリにアルは呆れとも驚きとも楽しみとも取れるなんとも言えない表情で、苦笑した。
そして、やっぱり面白い人だとアルは思った。
アルとしては、好きなだけ寝かせたいところだが、今はボス戦の真っ最中である。
他のメンバーは、今も敵と交戦中なので、そういうわけにもいかなかった。
「ほら、ユリさん起きてくださーい。もう動けますよー。まだボス戦ですからもう少し頑張りましょーねー! 」
ユリの肩を掴んでガクガクと揺さぶりながらアルは、声をかける。
ユリは、よっぽど眠りが深かったのか、始めはされるがままだったが、30秒ほど揺らし続けて、やっと目を覚ました。
「ふぇ? え……えっ? ……アル? 」
ユリは寝惚けているのか目の前にいるアルを見て、驚きで目を丸くした。
「大丈夫ですかユリさん? 目は覚めましたか? ここがどこだかわかりますか? 」
「あー……ああ……悪い、いつの間にか寝てたみたいだ。大丈夫大丈夫。今はどうなってるんだ? 」
「まだランさん達もあのご老人も交戦中ですね。ユリさんは、あの魔術師の魔法を受けて目や耳の感覚を封じられてたんですよ。覚えてますか? というか、よく寝れましたね」
「あーそれでか、夢かと思ってた。多分、徹夜のせいだな。ちょっと寝不足なんだよ」
そう言って欠伸をかみ殺したユリは、ぐいーっと大きく伸びをして立ち上がった。体を捻って調子を確かめる。
「ちょっと寝たからかな? すっきりした」
そう言ってユリは、アルにニッと笑いかけた。
「そうですか。それは良かったです。僕も頑張った甲斐がありました」
「ああ、ありがとなアル。何か迷惑かけてみたいで悪かったな」
アルの言葉で、寝てる間に迷惑かけたのかと気付き、ユリは礼を言った。
「当たり前のことをしただけですよ。さぁ、僕たちも加勢に行きましょう。僕はランさん達に加勢しますけど、ユリさんはどうしますか? 」
「んー、俺は爺さんに加勢するよ。それにあれは、魔術師のせいなんだろ? やられたからにはやり返さないとな! 」
「わかりました。無理はしないでくださいね。どうやらあの魔術師は召喚獣の使役以外にも状態異常を引き起こす魔法も行使してくるようなので気を付けてください」
「わかった。これ以上迷惑かけれないしな。気をつけるよ」
アルの忠告にユリは神妙な表情で頷いた。ユリも敵と交戦中に行動不能になる危険性は理解していた。
「……というか、ユリさん本当にアレに参戦するんですか? 」
アルが視線を向けた先には、無数の電光が迸る中で戦っている老人と魔術師たちの姿があった。
老人が生み出しているらしい電光が迸る度に老人に襲いかかっていた召喚獣が消滅していくのが、離れた場所にいるアルからでもわかった。
味方なのはわかっているが、誤ってあれに巻き込まれれば、即死する自信がアルにはあった。
「え、当然だろ? 」
そんな危険な場所に向かうことに、さも当然のような表情でユリは肯定した。
ユリからしたら、湖でキレた老人の傍で戦った時と比べればアレぐらい問題ないように思えた。老人なら自分を当てないようにするぐらい出来るだろうと思うくらいには、老人の技量を信用していた。
「が、頑張ってくださいね」
「おう! じゃ、行ってくるな! 」
「ホント気を付けてくださいねー! だいじょうぶかなぁ、ユリさん……」
アイテムボックスから出した銛を持って、魔術師の所に向かったユリをアルは心配そうに見送った。
「……僕もランさん達のところに行きますか。前に出るのは邪魔かもしれないけど、フーさんやリンさんの使い捨ての盾になることぐらいならできるでしょう」
◆◇◆◇◆◇◆
「爺さん! 」
「ん? おお、娘か。無事じゃったか! 」
両目を瞑っている老人は、ユリの声がした方を振り向いて安堵した。
「チィィ……あれでは死ななかったか。しぶとい小娘め! 」
「あ、魔術師! お前、絶対一発殴ってやるからなっ! 」
ユリは魔術師に銛を突き付けて宣言した。
「やれるものならやってみろ! あの小娘も殺せ! 」
「言ったな、この野郎! 」
売り言葉に買い言葉。
魔術師の言葉で襲ってきた黒蝙蝠を殴り飛ばしたユリは、宣言通り殴りに行こうと一歩踏みしめた。アルの忠告などユリは、さっぱり忘れていた。
「いかん、娘よ! 近づくな! 」
不用心に魔術師に近づくユリに、老人が忠告したが一足遅かった。
「おろ? 」
自ら《歪視界》の中に足を踏み入れたユリは、案の定、急に歪んだ視界で平衡感覚を失って何もない場所で足をとられてこけた。
「いててっ、なんだこれ、視界がぐわんぐわんする」
ユリはすぐに起き上がろうとするも、視界が歪む感覚に慣れず、なんとか体を起こせたものの立つことが出来ず、地面に座り込んでしまった。ユリのMPバーは、視覚の状態異常を示す灰色に変わっていた。
「墓穴を掘るとは、愚かだな小娘! 」
「もう少し周囲に気を配らんといかんじゃろ……前々から思っておったが、娘はちと隙が多すぎるぞ」
《歪視界》の境界は、紫色の光で視認することが出来るので、注意を怠らなければその境界には気付くことが出来たはずだった。湖の前哨戦でも、注意を怠って危うかった場面が何度かあったことを知る老人は、渋い顔になった。
「う゛ー気持ちわりぃ」
敵味方両方から呆れられたユリは、歪む視界に顔を顰めながらも片目を瞑って立ち上がった。
足元がやや覚束ないようだが、立てるようだ。
「ほう」
その様子に魔術師は少し驚いたような声を上げた。慣れない間は、平衡感覚が狂ってまともに立てない筈の結界内で割とすぐに立ち上がったことが意外だったようだ。
とは言っても、魔術師の反応はその程度だった。
魔術師が呼び出した召喚獣が、立ち上がったばかりのユリに殺到した。
空から黒蝙蝠が群がり、地面から影狼が我先にと迫ってきた。
「実にいい」
その様子を見た魔術師は、ユリが自分の配下に為すすべもなく嬲られるのを幻視して、嗜虐的な笑みを浮かべた。
「じゃから、娘の手助けをすると、言うとるじゃろうが」
しかし、その笑みはユリの周囲に電光が走り、殺到した召喚獣が全て消滅したのを見て、すぐに引っ込んでしまった。
老人は、いつの間にかユリを片腕で抱き寄せてその場に立っていた。
空いた手には、あの雷で出来た三叉槍が握られていた。
「おのれ、私の邪魔ばかりしおって……! どうやら忌々しい小娘を殺すには、先にお前を殺すしかないようだな」
「お主に儂が殺せるか? 木偶の坊よ」
「なんだとっ!! 」
老人のその言葉に魔術師は、怒気を帯びた顔つきになった。狂気の宿った赤い目が怒りで、より一層紅くなった。
魔術師の怒りに呼応するように、周囲を飛び回っていた虫の羽を生やした小さな小人悪戯妖精たちが、一斉に淡い紫色の光弾を放った。視界を塗りつぶす程の無数の光弾が老人とユリに殺到した。
「むっ、これは厳しいの! 」
その攻撃に両目を瞑っている老人は顔を顰め、ユリをより強く抱き寄せると、魔術師に背を向けて湖へと走った。
「逃げる気か!? 」
「一時的撤退じゃ! 儂は家を潰した恨みをまだ晴らしてないからのぅ!! 」
「逃がすか! 《拘束する影》」
老人を追いかけてくる影狼たちの影から生まれた無数の影の手が逃げる老人とユリへと伸びた。
「娘! すぐに視界が戻る。そしたら、湖を泳いで、すぐにここから離れるぞ! 」
「わかった! 」
伸びてくる無数の手を避けながら、老人はユリに指示を出した。後ろから迫ってくる無数の影の手を見て、顔を引き攣らせたユリは、コクコクと何度も頷いた。
それから、すぐに老人は、《歪視界》の効果範囲から抜け出した。
「抜けたぞ!いけっ! 」
その言葉と同時に、老人に背中を押されたユリは、すぐ目の前にまで来ていた湖に飛び込んだ。
浅い湖なので、飛び込んだ際に体のあちこちを底にぶつけたが、ユリはそれに一切構うことなく、全力で泳いでその場から離れたのだった。
《召喚:悪戯妖精》
悪戯妖精を召喚する。
悪戯妖精は、虫の羽を生やした小さな人の姿をしている。大きさは親指ぐらいと小さい。魔法を使った攻撃や妨害をしてくる。
召喚された悪戯妖精は、当たれば掠っただけでも倒せるほど貧弱だが小さくて飛び回るので当てにくい。
《拘束する影》
幻影魔法で覚える魔法
影から伸びた手で対象者を拘束する。
ダメージは発生しないが、影で出来るため物理攻撃は全く効かない。
生み出された影から十メートルしか伸びない上に、仲間の影から生み出せないと言う欠点があるが、魔術師は召喚した影狼を媒介にすることで、その欠点を補っている。
SMOでは、ゲーム内で普通に眠れます。
14/10/22 18/06/26
改稿しました。




