88話 「アクネリア地下水湖」
「あ、階段が終わったね」
黒い霞を纏った血紅狼との戦闘を終えたユリたちは、その後も螺旋階段を降り続けた。
階段を降りる間、ユリたちは第二の襲撃を警戒していたが、その後一度も敵と接敵することはなかった。黒い霞の妨害らしいものも何一つ起きないまま階段が終わった。
螺旋階段が終わると、その先にはまっすぐと平坦な道が続いていた。
通路の幅は少し広くなり、ランが2本同時に大剣を振り回せるギリギリまでには広がっていた。代わりに天井は若干低くなっていた。
平坦な通路の壁や天井には、光苔が階段の通路よりも多く生えていて、通路を淡く照らしていた。鍾乳洞のように丸みを帯びた凹凸のある天井は、凹凸の表面に滴る水滴が光苔の淡い光を反射して七色に淡く光っていた。通路の壁もぐっしょりと濡れており、光苔の淡い光を反射していた。
「わぁ……綺麗ですね」
その幻想的な光景をフーは、うっとりとした表情で眺めていた。こういう幻想的な光景がフーは、好きだった。その隣に立つアルも「ほぉ……」と、感嘆のため息をついた。
他のメンバーもその幻想的な光景を見て、多少なりとも反応を見せたが、すぐに他のことに関心が向いていた。ユリに至っては、手近なところにある光苔の採取を始めた。
「やっと階段が終わったね。ここまでくると、地下水湖までもうすぐそこなんだよね? 」
「ん、階段を降りれば、すぐに着ける」
「いよいよ、ボス戦か。よっしゃ頑張るぞ」
「地下水湖っていうけど、水中戦じゃなかったらいいねー」
「だな。アイテムも用意してあるから一応水中戦は可能だけど、出来ればやりたくないな」
ラン、シオン、リンの3人は、ボス戦に備えた装備の変更をすでに済ませていた。
黒い霞が去り際に言い残した言葉から推測すると、この先にある地下水湖がボスが待つボスエリアだと容易に考えられたからである。
エリア名に地下水湖と名付けられてることもあって3人とも水中戦を想定した装備を準備していた。準備段階では、3人ともまさか地下水湖なんて初見エリアで戦うことになるとは思っていなかったが、【深底海湖】の湖中で戦うことを想定した用意をしていたので問題はなかった。
しばらくすると、周囲の様子に見惚れていたフーとアルも自分の装備を見直しを始めた。
ユリもまた、本人はこのままいくつもりだったが、ランからのアドバイスをを受けながら装備の見直しを行った。
「お姉ちゃん、確か投擲する時に毎回アイテムボックスから出してたよね? 毎回出すのは手間だから、これ、使ってみたら? ただの巾着袋だけど、これに投石詰めて持っていたら、アイテムボックスよりも早く出せると思うよ。あ、あと槍も投げてたよね? 私使わないからお姉ちゃんには、これもあげるね」
ランから投槍代わりに、と『角兎の短槍』と石を詰める袋を貰って、ユリは、それぞれ腰に装備した。
「ありがとな」
「えへへ~」
ユリに、がしがしと頭を撫でられたランは嬉しそうにユリの手に頭を擦りつけた。
「いい、ですね! 」
「どうどう。興奮するのはいいけど、落ち着こうな」
そんなランの姿にフーがむふーっと鼻息荒く興奮した様子を見せたが、暴走する前にリンが宥めた。
時と場所を選ばず可愛い子を見つけると暴走してしまう傾向があるフーに自重を促すのはもう手慣れたものだった。
「準備できた? ……じゃあ、先に進む」
全員の装備が整ったのを確認してシオンは、そう言った。その言葉でユリたちは、もうすぐそこの地下水湖を目指して移動を始めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
アクネリア地下水湖。
そこは、地下に出来た巨大な空間に水が溜った巨大な湖だった。硬い岩盤で覆われた天井にぽっかりと開いた穴からは、水が滝のように地下水湖に流れ落ちていた。
地下水湖は、思ったよりも明るかった。
魔術師が湖を跨いだ先の岩場に立っているのが見えた。
ユリが見た時と全く変わらない姿の魔術師は、黒いローブを目深に被って顔を隠していた。手には歪な形をした杖が握られていた。その横には、体を淡く光らせた角兎よりも一回り小さい兎が控えていた。
最初にシオンが、地下水湖に足を踏み入れた。
その瞬間、ユリたちの目の前に黒い靄のようなものが現れた。
黒い靄は、湖の水面上で集まってどんどんと大きくなると、黒い靄の頭上にHPバーが表示された。
黒い靄が水面に現れたことで、ユリたちは通路から飛び出して地下水湖のごつごつとした岩場に出て、身構えた。
『来たカ、邪魔者たちヨ! 我の邪魔をしたことをここで後悔しロ!! 恐怖と絶望を味わエ! そして、死ネ!! 』
くぐもった声を辺りに響かせた黒い靄は、言い終わると水面に吸い込まれるようにして消えた。
「あれ、消えた……? 」
すぐにでも襲ってくるのかと思っていたユリは、身構えたまま首を傾げた。
その一瞬の気の緩みを狙われた。
突如、水面から噴き出してきた太く長い触手のような黒水がユリの腹に直撃した。
「ごふっ!? 」「きゅわっ!? 」
「お姉ちゃん!? 」
吹き飛ばされたユリは、岩の壁に叩きつけられた。その攻撃は、避ける暇どころか全く反応することができなかった。
「今、なにが……」
壁に叩きつけられ地面に蹲ったユリは、困惑していた。
お腹に衝撃がきたと思ったら吹き飛ばされて、今度は背中に衝撃がきた。ユリがこの瞬間に分かったのはそれだけだった。
腹や背中に受けた衝撃の痛みは、大したことではなかった。しかし、背中とお腹を強打されたのがいけなかったのか、体に力が入らず、ユリはすぐに立ち上がれそうになかった。
ユリは蹲ったまま、人間の女性の姿をした墨汁のように黒く染まりきった黒水の塊が水面に立っているのを見た。その女性を模した黒水は、血のように赤く黒い瞳を持ち、禍々しい黒い靄を全身に纏っていた。
その女性の右腕は、触手のようなものに変形していた。
それを目にして、ユリはようやく自分があの右腕で攻撃されたことに気付いた。
「水に潜ったのは、このためか」
元が何なのかはユリにはわからなかったが、その女性のシルエットをした黒水の塊が黒い靄に憑りつかれて変異した異常種だと思った。
「…………」
女性姿の黒水の塊、黒水女は、地面に蹲って立ち上がれないユリから興味を失ったように視線を外すと、残りの5人に赤い瞳を向けた。
「やあああ! 」
真っ先にランが黒水女に攻撃をしかけた。ランと黒水女の距離は、わずか数メートル。
水面に浮かぶ黒水女へと跳躍して距離を詰めると、ランは両手に持った2本の大剣を振り下ろした。
黒水女はまったく避ける素振りを見せなかった。肩から腰までを斜めにバッサリと斬り捨てられた。
黒水女の体が、上下に両断された。
「むむっ! 」
しかし、両断したと思ったのも束の間、何事もなかったかのように両断された部分はくっついた。
HPも体を両断されたというのに、ほんの僅かにしか減ってなかった。
黒水女は、左腕を持ち上げてランに掌を向けた。
左腕が蠢くと、その掌からハンドボールほどの大きさの黒水の塊が生み出され、弾丸のような速さで射出された。
空中で、大剣を振り切った直後の隙だらけの所を狙われたランは、避けることもできずに脇腹に直撃した。
「あぐっ! 」
その衝撃で、ランはごつごつとした岩場に吹き飛ばされた。
黒水女は左腕を持ち上げたまま掌を今度は、アルに向けた。黒水弾が黒水女の掌から射出された。
「やばっ」
避けきれないと判断したアルは、咄嗟に盾を前に出して防ごうとした。
「どいて」
しかし、盾を構えた直後にアルは、シオンに思いっきり肩を蹴られた。
「おわっ!? 」
背後から不意を突かれて容易く地面に倒されたアルの代わりにシオンが飛んできた黒水弾に当たった。
「シオンさん! 」
「くっ」
シオンは当たる寸前に、小刀を交差させて直撃を防いだ。しかし、その衝撃までは吸収しきれずに受け止めた小刀を2本とも弾き飛ばされて、さらには自身も余波で弾き飛ばされた。
宙を舞う中、くるりと回転して足から着地したシオンは、自らのHPを見て舌打ちした。直撃していないにも関わらず、衝撃だけでHPが1割近く減っていた。直撃していれば、3割は減るだろうと推測して、シオンは微かに眉を潜めた。
もし、アルが盾で受け止めようとしたら、盾ごと吹き飛ばされて瀕死になっていたことだろう。
「…………」
黒水女は、上げていた左腕をシオンに向け直した。アルからシオンへと標的が変わった。
黒水女の掌からシオンを狙った黒水弾が連続して射出された。
それをシオンは軽やかな身のこなしで躱した。
ごつごつとした岩場の上を動き回るシオンに黒水弾は、的確に狙って撃っていたが、シオンには掠りもしなかった。
しかし、かなりの速度で飛んでくる黒水の塊を回避するのにシオンも必死のようで、地面に転がった小刀を回収しにいく余裕がなかった。
攻め手を欠いたままではジリ貧なので、シオンは、黒水女から一度距離を取って態勢を整えたかった。しかし、近くには必死のアルと魔法の詠唱に入っているフーとリンの3人がいた。その3人が狙われるのをシオンは避けたかった。
この場面をどう切り抜けようか頭の片隅で考えながら飛んでくる黒水弾を避けていたシオンは、自分の足元に黒い水たまりができていることにまでは気を向けていなかった。
「…………」
黒水女が、黒水弾を射出するために広げていた掌をぐっと握る仕草をした。
その瞬間、地面に溜っていた黒水が蠢いて、シオンの足に絡みついた。
絡みついてきた黒水からシオンは、逃れようとした。その隙をついて、連続で放たれた黒水弾がシオンに殺到した。
「くっ」
シオンは、絡みついた黒水を振り解くのを一旦諦めて、咄嗟に体を地面に伏せることで、殺到してきた黒水弾を全て回避した。
しかし、それは結果的に悪手だった。
黒水女が左手を握る仕草をまた見せると、地面を濡らしていた周囲の黒水が伏せているシオンに殺到した。
あっという間に、シオンは、巨大な黒い水球の中に閉じ込められてしまった。
「シオンさん! 」
シオンを無力化した黒水女が、赤い瞳をアルに向けた。
右腕の太く長い触手が蠢いた。
触手の丸い先端が、出鱈目な軌道を描いてアルを狙ってきた。
「《土の壁》! 」
右腕の触手がアルを貫くよりも早く、アルの目の前の地面が競り上がって壁になった。ゴッ、という鈍い音が壁の反対側から聞こえた。右腕の触手が突然現れた壁にぶつかった音だった。
「《風の乱舞》! 」
その言葉で、壁の向こう側で風の刃が吹き荒れた。
「助かりましたリンさん! 」
「アル! お前はユリのカバーに行け! ここじゃ足手まといだ! 」
リンに言われてユリが飛ばされた方を見ると、ここから離れた場所でユリは、いつの間にか巨大なサメと戦闘をしていた。
体色が黒いことからまず間違いなく異常種の一体だった。また、禍々しい黒い靄が体に纏わりついてることから階段で遭遇した血紅狼と同じでその巨大なサメも黒い靄に憑りつかれて、より脅威を増した異常種だった。
間近で起きていたシオンと黒水女の攻防に気を取られていたアルは気付いていなかったが、ユリは1人でそんなサメと戦っていたようだ。
「お姉ちゃん、すぐに新しい壁作って! 壊される! 」
「チッ、すぐやる! アル、さっさといけっ! 」
フーの切羽詰った声にリンは、舌打ちを一つして応じると、アルを急かした。
「すいません、そうさせてもらいます! 」
動きの癖を知っているサメの方が、少しは役立てるかもしれない。
そう思ったアルは、リンの言葉に従ってユリの加勢に向かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一方で、リンとフーが黒水女の気を引いてる頃、ランは大きな水球の中に捕らわれたシオンを助けようとしていた。
「今助けるからね! 《盾打》!! 」
黄色いエフェクトを纏った2本の大剣を巨大な黒水球に叩き付けると、黒い水球は弾け飛んで中のシオンを解放した。
「ありがとう」
――気にしなくていいよ
シオンの礼に対してランは、そう返事を返しかけて咄嗟に体を捻った。その直後に背後から首のすぐ横を鋭く尖った黒水が通り過ぎた。
「やっ! 《強撃》! 」
そのまま体を捻って回ったランは、大剣を振り抜いて背後にいた少女の姿をした黒水の塊を両断した。
さらにもう1本の大剣の腹で、ミニ黒水女を叩いた。大剣の腹が直撃したミニ黒水女の上半身は、四散して黒水を放射線状にぶちまけた。
両断されたくらいではすぐに元に戻ってしまっていたが、四散してしまえば元に戻らなくなるらしく、残っていた下半身は、形を保てずにばしゃっと音を立てて水たまりに変わった。
ランが改めて周囲を確認すると、いつの間にか他にもミニ黒水女が3体現れていた。その3体には、HPが表示されなかった。
「HPがない? あ、魔法か」
SMOで、HPが表示されないということは、魔法によって生み出された風や水の刃などと同じ扱いということを意味している。ミニ黒水女は、黒水女が操る黒水の形状の一種なのかとランは、考えた。
残りの3体も斬り捨てようとランが一歩前に出ると、横にいたシオンから待ったをかけられた。
「忍びちゃん? 」
「黒には、これが有効」
そう言ってシオンは、ミニ黒水女に接近すると、ミニ黒水女の目の前で手に持った白く濁った液体が入ったガラス瓶を握りつぶした。
ガラス瓶が割れて、中身が周囲にぶちまけられた。
中の薬を間近で浴びたミニ黒水女は、まるで沸騰したかのようにブクブクと音を立てて白煙を上げ始めた。
白煙を上げるミニ黒水女は、姿の維持が出来なくなったのかすぐに形が崩れて水たまりに変わってしまった。
「やっぱり」
効果を確かめたシオンは、他の2体にも迅速に同様のことを行った。
ミニ黒水女の攻撃を掻い潜って、薬を浴びせて3体とも水たまりに変えたシオンは、最後に薬を周囲の地面に振り掛けた。
薬が撒かれた地面は、至る所でシュワシュワと音を立てて白煙を上げた。しかし、よく見ると白煙を上げているのは、どこも黒い水溜りができているところだった。白煙が消える頃には黒く染まっていた水は、透き通るような透明な水に変わっていた。
透明になった水は、不自然に動く気配はなかった。
「おぉー! 」
薬の効果に、あの薬ってこの黒水にも有効だったんだーと、ランは反応した。
「ラン、薬を武器に塗って」
「あっ、うん! わかった! 」
その短い言葉だけど、シオンの意図にすぐに気付いたランは、アイテムボックスから薬が入ったガラス瓶を出すと、蓋をあけて2本の大剣に薬をかけた。白く濁っている薬は、多少の粘り気があるようで、割と簡単に大剣の表面に満遍なく塗ることが出来た。
試しに触ってみたが、触った箇所がシュワシュワと音を立てて白煙を上げるようなことはなかった。そのような効果が現れるのは、異常種や黒い靄だけのようだった。
シオンも小刀の代わりにクナイに薬をつけた。残念なことに小刀の予備はない上に、弾き飛ばされた小刀は、黒水女の手前に落ちているので気付かれずに回収するのは難しかった。
とは言っても、クナイは投擲武器だが、短剣に分類されているので、スキルを使う上では何の問題もなかった。
「忍びちゃん、どっちに加勢する? 」
「黒水、あれは危険。早めに倒すべき」
「わかった! じゃあ、さっさと倒してお姉ちゃんの加勢に行こうねっ! 」
「ん」
◆◇◆◇◆◇◆
シオンとランが、リンとフーの加勢に入ってる頃、アルとユリの2人は、巨大なサメと相対していた。
黒水女に吹き飛ばされたユリは、仲間たちから引き離されていた。合流するためには、地下水湖を渡るか、地下水湖を迂回して岩場を伝っていくしかなかった。
地下水湖は、滝壺周辺は水が澄んでいても底が見えない程に深い場所だが、その他の場所はユリの膝丈ほどの水深の浅い場所が多かった。そのため、移動制限がかかるものの【泳ぎ】スキルを持たなくとも地下水湖を渡って合流することは可能だった。
ユリは、泳げることを理由に地下水湖を渡る判断をした。しかし、欲を出して黒水女のところまでショートカットしようとしたのがいけなかった。
ユリが泳げる深さ、つまり滝壺周辺に不用意に近づいたユリは、そこに潜んでいた巨大なサメに襲われた。
幸い、不意をついたサメの噛みつきは、直前に気付いたおかげで避けれた。でなければ、今頃ユリはサメの腹の中だった。
体長15メートル、体高3メートル、幅4メートル以上あるその巨大なサメは、口を開ければユリを丸々呑み込めてしまう。口から覗くずらりと並んだ真っ白な牙は、先っぽが赤く染まっていた。体から生えているヒレは、どれも刃物のように鋭かった。
サメが潜んでいた滝壺周辺は、巨大なサメをすっぽりと沈めてしまう程深かったが、そこを除けば、膝丈ぐらいの水深しかない。
巨大なサメにとって、ユリの膝丈くらいしかない水深は水たまりと変わらない。そのため、本来脅威となるサメの機動力は、かなり制限されていた。
とは言え、それでも滑るような高速移動がサメには、可能だった。
迂闊に近づけば、その大きな口でガブッと噛まれるか、刃物のようなヒレでスパッと切られてしまう。
幸いなことに遠距離攻撃のような技は、持っていなかったが、距離を置こうとしてもその機動力で簡単に距離を詰められてしまうので、ユリは常に動き続けなければならなかった。
「《疾脚》《剛脚》《岩砕脚》!! 」
サメの攻撃を掻い潜って接近したユリは、サメの横っ腹に《岩砕脚》を放った。
黄色いエフェクトを纏った右足はサメの腹にめり込んだ。衝撃波のような黄色い波紋が右足を中心に発生し、衝撃はサメの体の内部にまで浸透した。
いくら外部を硬く丈夫な鮫肌で覆っていても内部に浸透する衝撃までは防ぐことはできなかった。サメのHPは、その一撃で今まで一番よく減った。しかし、それでも一割も減らなかった。
「あんま減らねえな」
《岩砕脚》は、ユリの覚えているアーツの中でずば抜けて威力が高いアーツである。
その分、相応のMPを消費し、3分近くの冷却時間を必要とする。そうバンバン連発できる技ではなかった。
だからと言って、他のアーツでは硬く丈夫な鮫肌の守りを突破することが出来ず、満足にダメージを与えれなかった。
中々、ダメージを与えれないことに不満を持ちつつも、それでも現状は変わらないので、ユリは手に握っていた初級MP回復ポーションを握り潰してほぼなくなっていたMPを回復した。
「《多連脚》!! 」
回復したMPでアーツを発動し、目にもとまらぬ連続蹴りをサメの横っ腹に放った。
《疾脚》と《剛脚》でブーストしているので、攻撃しない手はなかった。
《多連脚》は慣れないとかなり出鱈目な場所を蹴ってしまうが、幸い的であるサメは巨大なので外す心配はなかった。結果、合計で4発入った。
案の定、HPはほとんど減らなかったが、その積み重ねでようやくHPを2割減らすことができた。
「ユリさん、危ない! 」
《多連脚》の効果が切れたばかりのユリにサメの尻尾が迫った。
刃物と変わらない尾びれは、直撃すれば、容易くユリの体を上下に両断してしまう程の切れ味を持っていた。
「くっ」
後ろにバックステップをしてユリは、後退した。
膝の辺りまで浸かっている水は、本来なら動きを阻害するが、【泳ぎ】スキルを持つユリにとっては阻害するどころか寧ろ地上よりも素早く後退することができた。
ユリのスキル構成は、この地形との相性が良かったおかげで、アーツ終了直後の硬直で初動が遅れつつも、ユリはギリギリで尻尾の一撃を避けることが出来た。
尻尾が目の前を通り過ぎた余波で水しぶきが顔にかかるが、ダメージが発生することはなかった。
サメがまた暴れ出したので、ユリは泳いで逃げた。
逃げるユリをサメは尻尾を激しく左右に動かして波を作りながら追いかけてきた。
口をしきりにカチカチとさせて、ユリを食べる気がまんまんだった。
「こっちくんなっ! 」
サメは機動力が大分落ちているので、ユリの方が僅かに速い。
ユリは、全力で逃げながらアルがいる場所に向かった。
「アル! 」
「いけます! 」
アルの手前でユリが旋回すると、アルには目もくれずにサメもそれに合わせて旋回する。
サメの大きさも考慮して早めに旋回しているので、アルに水しぶきがかかることはあっても、激しく左右に動かす尾びれは当たらない。
アルは、サメが方向展開するタイミングで薬が入ったガラス瓶を投げた。
【投擲】スキルは持ってなかったが、的が大きかったので狙った場所から少し外れつつもサメの背びれ辺りに当たって砕けた。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!? 」
薬がかかったサメが絶叫を上げて、狂ったようにその場で暴れはじめた。薬がかかった部分は、シュワシュワと音を立てて白煙を上げていた。
「もういっちょっ! 」
その場で暴れるサメにユリも薬を投げた。ユリの投げた薬は、サメの鼻面に当たって砕けた。
「GYAA!? GYAAAAAAAAA!! 」
サメの顔からシュワシュワと音がしながら白煙が上がる。
その攻撃でHPが減ることはなかったが、薬が当たった部分の禍々しい黒い靄は消えていた。
すでに何度か薬をかけられたサメは、顔面、右の胸びれ、背びれ、そして尻尾の一部分の黒い靄を薬によって消されていた。
「ダメ押しだ! 」
更にユリは、『錆びた鉄の剣』と一緒に薬をサメの口の中に放り込んだ。
一度、薬だけを放り込んだ時はすぐに吐き出されてしまったが、剣を一緒に投げ込むとサメは、口の中に入ってきた異物を反射的に噛み砕いた。
「GYAAAAAAアアアAAAAAAAAアアAAA!! 」
絶叫を上げるサメの口からは、もくもくと白煙が上がった。
「よっしゃ! 目論み通り」
「えげつないことしますねぇ」
「うっせ。それよりアルすぐに離れろ! 狙われるぞ! 」
万が一にでも狙われたら堪らないのでアルは、湖から上がって岩場まで移動する。
口から上がる白煙が治まってくると、狂ったように暴れていたサメは、赤く染まった瞳でユリを睨んだ。さっきよりも激しく口をガチガチと動かしているサメは明らかに怒っていた。
気のせいでないのならサメの白かった牙は赤く変色して、体色も紺色に近い黒から赤黒く変わっていた。
「SYAッ! 」
サメはその場でぐるりと回り、尻尾が水面を切りながらユリに迫った。
――ブオンッ
風切り音が聞こえる強烈な尻尾の一撃は、咄嗟に後退したユリの目の前を通り過ぎた。
「あぶ――うおわぁぁあああ!? 」
初めて見せた攻撃をギリギリ躱せたユリだったが、その余波で生まれた大波に呑み込まれた。
【泳ぎ】スキルを持っていようが関係なかった。
上下左右が分からなくなるほどユリは、もみくちゃにされた。
「げほっげほっ……あ゛ーよくもやってくれたな」
誤って水を飲んで咳き込んだユリは、苛立たしげにサメを睨んだ。
「GYAAAAAAAAAA! 」
咆哮したサメは、真っ赤な牙をずらりと並べた口を開き、ユリに迫った。
「いいぜ、やってやろうじゃねえか」
苛立っていたユリは、そんなサメに恐怖を抱くどころか逆に好戦的な笑みを浮かべて腰に差した『角兎の短槍』を構えた。
「《一投入魂》!! 喰らえっ! 」
黄色い光を纏った短槍を構えたユリは即座に投げた。
空中に黄色い光の軌跡を描きながら短槍は狙い違わず吸い込まれるようにサメの口内に入った。
「GAッ……ッ……! 」
サメはビクンと体を痙攣させて、HPが減少した。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
しかし、サメはそれでも止まらなかった。狂ったように激しく体を動かしながらなおもユリに迫る。
「だと思った! 《鉄拳制裁》《柔拳》!! 」
ユリの腕に赤と黄色が混在した光が纏わりつく。
そして、残り2メートルまで迫ってきたサメにユリは敢えて自ら接近し横に躱す。
「《袋叩き》!! 」
サメは、それに即座に反応して首を捻ってユリの体に食らいつこうとしたが、そのタイミングでユリはアーツを発動した。噛みつこうとしたサメの顔に拳を何度も叩き込んだ。
その攻撃で生じた衝撃で、サメの噛みつきは横に逸れて何もない空間を噛みついただけに終わった。
「《回し蹴り》! 」
続けてユリは、赤い光を纏った右後ろ回し蹴りをサメのエラ辺りに放った。
アーツ補正で高速で繰り出された後ろ回し蹴りは、直撃したサメをよろめかせた。
ユリはその隙にサメから距離を取った。
「おっ、思ったより減ったな」
ユリが思っていたよりもサメのHPは減っていた。と言っても今の攻撃で1割とちょっと削れたくらいだったが。
「さて、逃げるか」
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAA!! 」
気分はすっきりしたユリは、怒り状態のサメから逃走を開始した。
《盾打》
【盾】で覚えるアーツ。
【盾】で覚える数少ない攻撃系アーツの1つ。
盾を相手にぶつけて攻撃する打撃技。
盾の大きさにもよるが面が広いので当てやすい。
威力もそこそこあるが、それ以上に直撃した際の衝撃が強く、モンスターに使えば本来与えたダメージ以上だと錯覚したりする。
衝撃で相手の体勢を崩しやすいので足止めにも使えたりと結構汎用性が高い。
消費MPは少なく冷却時間も数秒程度なので壁役のプレイヤーで愛用されるアーツの1つである。
《回し蹴り》
【脚】スキルで覚えるアーツ
強烈な回し蹴りを放つ。
MP消費はそこそこ。冷却時間もそこそこ。
序盤は使われるが、派生スキルのアーツを覚えていくと使われなくなっていくスキル。
『角兎の短槍』
ATK+18
槍の穂先が角兎の角で出来た短槍
角兎のレアドロップアイテム。(※製作は可能
鉄の短槍(ATK+15)よりも攻撃力が高い
モンスターはそのモンスターの素材を使われたアイテムを低確率でドロップすることがある。(武器を扱うゴブリンとかは例外)
落とすのは本当に稀である(3桁単位で角兎を屠ったユリも持ってなかった)
14/9/05 18/06/25
改稿しました。




