79話 「イベント開始まで残り」
正式稼働から5日目という周りと比べれば少々遅れてアーツが使えるようになったユリは、その後、慣れるためにゴブリン相手に戦った。
以前と違ってHPだけでなく、MP残量と各アーツの冷却時間にも気を配り、場面ごとに適当なアーツの使い分けを考えながら戦う必要になった。慣れていなかったユリは何度か小さな失敗をしてしまったが、一旦昼食をとる為にログアウトする頃には何とか形にすることができた。
アーツを使えるようになったユリの戦力は、1人で異常種を相手にしても苦戦はするだろうが勝つことができるくらいに大幅に強化された。
――11:51
「お~いラン! ご飯出来たぞー。カオル姉も起きてたら降りてきてー」
4人分の冷やし中華をテーブルに置いたトウリは、ランを呼んだ。
「はーい! ちょっと待って~~」
ランから返事が返ってしばらくすると、どたばたと騒がしい音と共にランが階段から駆け下りてきた。
「カオル姉は? 」
「まだログイン中。タク兄は? 」
「あいつもログイン中」
「そっかぁ……あっ、じゃあ久しぶりに兄妹水入らずの食事だねっ! 」
いつものようにランはやたらテンションが高かった。
「はいはい、そうだな。じゃあさっさと食べるぞ」
「うんっ♪ 」
そんなランに慣れているトウリは適当に相槌を打ってランに席に座るように促した。
ランは、言われた通りに席に座ると自分の箸を持って、テーブルの上に置いてあったゴマダレを冷やし中華にかける。ゴマダレを中華麺の上にのった錦糸卵にハム、キュウリ、トマトの順に弧を描くようにかけると、ランは「いただきますっ! 」と元気よく言ってゴマダレを絡ませた錦糸卵と一緒に麺を頬張った。
「ん~~~っ! おいしいよお兄ちゃんっ! 」
口に含んだものを飲み込むと、ランは手足をばたつかせてトウリに向かってサムズアップした。
「手足をバタバタさせるな行儀悪い」
トウリは、自分の冷やし中華にゴマダレをかけながらランに注意した。
もちろん、自らが作った料理を褒められて嬉しくないわけがないのだが、ランの反応はトウリから見ても過剰に見える反応だったのでいつものように受け流した。
(全部おいしいおいしいって言って食べてくれるからなぁ)
しかし、声に出さずとも内心そう思ってしまう辺りトウリも満更ではなかった。
「そういえば、お兄ちゃん。あの後、門が全部開門したらしいよ」
「え、ホントか? でもなんで急に? 」
「掲示板で有志を募ってたみたい。集まったプレイヤー達が数の暴力で門の周りにモンスターを近づけさせないようにしたみたい。200人近くが参加したみたいだから開くのは当然だよね。きっと初めての大規模イベントだからみんな張り切ってるんだよ! 私も頑張るよー! 」
やる気に満ちた爛々と輝くランの目は、だからお兄ちゃんも頑張ろうね。と言外に言っていた。
何か言わなければならないと感じたトウリは無難に答えた。
「まぁ俺も可能な限り頑張るな」
「うんっ! お兄ちゃんには期待してるからね! 」
初心者に何を期待する気だよ。とトウリは内心思いつつも言葉には出さず、黙々と冷やし中華を食べた。
――12:06
昼食を食べ終わっても結局降りてこなかったタクヤとカオルの分をトウリは、皿ごとラップをしてテーブルに置いた。使った調理器具と2人分の食器をトウリが洗い、ランにはメモを書くようトウリは頼んだ。
「ランは固定パーティーとか組んでないのか? この前、組んでるって聞いたような気がするけど、今回のイベントはいいのか? 」
トウリは、話の種として鼻歌交じりに紙にメモを書いているランにランのパーティーについて聞いてみた。
「うん、大丈夫。いつもは、リアルの友達と組んでるんだけど、その内の2人がリアルの用事でイベントに参加できないから今回はパーティー組む予定が無かったんだー。それに時間の都合がついた時に一緒にパーティー組んでるだけだしねー」
「そうなのか。俺も知っている友達か? 」
「うん。何度か家に連れてきたことがある子たちだよ」
「因みに全員βか? 」
「まっさかー。βからなのは私含めて3人で、残り3人は今回からだよ」
ランの返答にトウリは洗っている食器に向けていた視線を思わずランへと向けた。
「今回からの子は、ランのペースについてけるのか? 」
「無理だよ。だから今は私が合わしてるの」
その返答に今後こそトウリが持っていた食器を落としそうになるほど驚いた。
「はあ!? ランが他の子に合わせるのか! 」
極めて妹に対して失礼なことを言っているが、日頃のランを見ているトウリはそれほど驚愕のことだった。
「えー……お兄ちゃん私を何だと思ってるのー。私だってきょうちょうせいってのを持ってるんだから」
「そ、そうだな。ランもやればできる子だよな」
ランに似合わない言葉だよな、とつい本音を言いそうになるのをグッと堪えたトウリは、そう返すのが精いっぱいだった。
「よしっ! できたっ。見てみてお兄ちゃん。こんな感じでいいかな? 」
メモを書き終えたらしくランがトウリに完成したメモを見せてきた。トウリは顔を上げて、ランが掲げたメモを見た。
『今回の昼食は、冷やし中華!! タレはゴマダレ。食べたら食器を洗って乾燥機』
少女らしい全体的に丸みを帯びた文字が油性ペンで書かれたメモは、余った空欄に4人の似顔絵が描いてあった。似顔絵は特徴をよく捉えていて可愛く仕上げられていた。
「いいんじゃないか? じゃあそれはテーブルに置いといてくれ。風で落ちないようティッシュ箱を上に乗せとけ。それが出来たら先にログインしとけばいいぞ」
「はーい。じゃあ先に行ってるねー」
メモをテーブルに置いたランは、そう言って階段を上がっていった。
ランが上がった後も黙々と片づけを続けたトウリは、それから15分後に片づけを終えた。
「今日の夕食はサボろっかな」
ランが書いたメモに『今日の夕食、カップラーメン』と書き加えてトウリは、大きく伸びをしながら2階へと上がった。
◆◇◆◇◆◇◆
――???の地下水湖
ぶ厚い岩盤に覆われたそこは日の光は一切差し込まないために暗く、天井の一カ所に空いた穴から大量の水が滝となって、その空間に降り注いでいた。闇に包まれた底は、冷たい水で満たされていた。
ここは、とある地下に存在する巨大な地下水湖であった。その湖の中央は、黒く濁っていた。
人気のない暗闇に満ちたそこに、ローブ姿の人間が1人、立っていた。
その人物は、隠し部屋でユリが出会ったあの魔術師だった。魔術師の傍には暗闇の中で淡く輝く大きな兎がいて、黒く濁った湖の中央には、女性の姿をした何かが湖面に佇んでいた。
魔術師は、誰もいない地下水湖で一人哄笑していた。
「フハハハハハ! 準備は完璧に整った。さぁ、始めよう! 私が、我が!! すべてを支配する魔王となる時が来た!! フハハハハハハ!!」
暗闇の中で赤い瞳を妖しく輝かせた魔術師は、狂ったように笑い声をあげていた。その哄笑を耳にする人は、いなかった。
イベントは最悪の形で始まり出した。
―――イベント開始まで残り15分を切った。
14/11/02 18/06/18
改稿しました。




