65話 「廃坑の蟻地獄」
――【アント廃坑】
薄暗い坑道を赤毛の少女、ルルルが走っていた。息は荒く、その顔は苦しそうに歪められていた。
「はぁ……はぁ……はぁ、ね、ねぇ、オルガンさんっ! 後ろのモンスターどうにかしてくださいよぉ! 」
足を止めることなく首を捻って視線だけを背後に向けたルルルがヒステリックに叫ぶ。
その叫びは、ルルルに少し遅れるような形で走っているオルガンという顎髭を生やした小男に向けられていた。
そのオルガンの後ろには、蟻を巨大化したような体長2メートル近くのソルジャックアントが狭い坑道を埋め尽くすほどの大群を成して迫ってきていた。
そう。ルルルとオルガンの2人は、今まさに新兵蟻の大群から追われていたのだった。
「無茶言うな! いくら雑魚でも、坑道に詰まる規模の大群相手は死ぬわ! あの数の新兵蟻に突撃なんて俺は死んでも御免だぞ! 」
オルガンは、後ろから黒い濁流の如く押し寄せてくる新兵蟻の大群を一顧だにせず、ルルルに鬼気迫る表情で即答した。小柄ながら筋骨隆々で、重厚そうな戦斧を背負っているオルガンだったが、後ろから迫る大群を相手に無双できるほどの蛮勇は持ち合わせていなかった。
「オルガンさんはっ、鍛冶師なんですから、追いかけてくるモンスターの大群をっ、無傷でっ、殲滅できる武器とか持ってないんですかっ! 」
「ねぇよっ! お前さんは鍛冶師を御伽噺に出てくるような魔法使いか何かかと思ってんのか!
そもそもモンスターの大群を殲滅するような武器はこんな狭い場所で使うことを考えて作られてないから、使えば俺もお前も余波で死んじまうわっ! 」
「はぁ……はぁ……そ、それなら、モンスターを足止めできる武器とかないんですかっ。このままだと外に出るまでに追いつかれちゃいますよ! 足止めさえできれば、多分、逃げ切れますっ! 」
新兵蟻との距離が徐々に縮まってきているのを確認したルルルは、切羽詰った様子でオルガンに訊ねた。
「足止めの武器だぁ!? そんなもん――」
反射的に否定しそうになったオルガンは、ルルルの言葉に引っかかるものがあったのか、首を捻った。
「あー……うー……ん、ちょ、ちょっと待て! 確認してみないと今あるか分からん! 」
オルガンは、そう言うと走りながら腰につけたバックをごそごそと漁り始めた。
「オルガンさん、早く! もうすぐそこまで来てますよ! 」
「も、もうちょっとだけ待ってくれ。クソッ、『砲栗鼠の魔法腰鞄』にないってことは、アイテムボックスに放り込んでるな。やばい、見つかるか……? 」
目的のものが見つからなかったオルガンは、今度は膨大な数のアイテムを収納しているアイテムボックスの中を探し始めた。
「オルガンさん! 」
「ま、待て――あ、あったぞ! ほら、ルルル!『絡めとる粘鞭』だ! それは試作品だから使い捨てて構わん! 」
オルガンがアイテムボックスから取り出したのは鞭だった。十数本の細長い白い紐のようなものを柄で束ねた鞭だった。
「えっ!? 私がやるんですか! 鞭なんて使ったことないですよ!? 」
「それは鞭だと思わなくていい。敵に向かって適当に大きく振り回せば、それで足止めできる! 」
「それ本当ですかっ」
「多分! 」
オルガンの返答は、なんとも曖昧なものだった。
「ええい、もうどうなっても知りませんよ! 」
新兵蟻が間近に迫ってきている状況でこれ以上悩んでいる時間はなかった。
ルルルは、半ばやけくそ気味に粘鞭を坑道を埋めつくして迫る新兵蟻の大群に向けて振るった。
大きく振るった鞭は、振る最中に白い紐が勢いよく伸びて新兵蟻に絡みついた。
「伸びたっ!? 」
「よしっ、そのまま振り続けろ! 」
ルルルは、驚きつつもオルガンに言われるがままに鞭を振り続けた。
ルルルが鞭を振る度に紐はモチのように伸びて、新兵蟻や地面、壁、天井など、至る所に絡みついてひっついた。
強力な粘着力をもつ紐が幾重にも絡みつき、前方にいた新兵蟻は身動きが取れなくなる。その新兵蟻が障害物となって道を塞ぎ、後続の新兵蟻は前へ進めなくなった。
「おい、ルルル。もう十分だ。そうなったらもう鞭は使い物にならないから捨てていったらいいぞ」
「ええっ!? そんな勿体ない! 」
「こんな時に勿体がるな! それは元々使い捨てだ。諦めろ」
オルガンはそう言ってルルルが説得したが、ルルルは鞭を捨てるどころか、柄を握りしめた。
「おい、柄を握りしめるな。はぁ……まだ他にも持ってるからから後でやる。だから早く外にでるぞ」
「ホントですか! 約束ですよ! 素材と作り方も教えてくださいよ! 」
それを聞くと、ルルルは、目を輝かせてオルガンに詰め寄った。こんな時でも未知の武器に執着するルルルの様子にオルガンは呆れる。
「ああ、わかったわかった。それよりも早くいくぞ。もたもたしていたら新兵蟻がまた追ってくるぞ」
絡みついた紐から抜け出そうと、もがく新兵蟻の方から聞こえるブチブチという嫌な音を聞いてオルガンは、ルルルを急かした。
「はい、そうですね。早く外に出ましょう! オルガンさん、約束守ってくださいよっ」
「……お前、本当に装備のことに関しては貪欲だな」
オルガンは心底呆れたようにため息をついた。
「勿論です。私の目標は最高の防具と武器を作るのが目標ですから! 」
◆◇◆◇◆◇◆
――【アント廃坑】外
その後、新兵蟻の足止めに成功したオルガンとルルルは、他の新兵蟻の群れに見つかることなく無事に廃坑から抜け出した。
しかし、廃坑から出た2人に待ち受けていたのは、出入り口をぐるりと囲んだ十人ばかりのプレイヤーの武装集団だった。
「え? 」
「おいおい、何だ何だこの集まりは」
やっとの思いで廃坑から出てきた2人は、今度は人に武器を向けられていることに驚き固まる。
しかし、それは束の間のことだった。
武器の切っ先を向けて今にも攻撃しそうな気配を向けていたプレイヤー達は、オルガンとルルルを確認すると、すぐにその気配を霧散させて武器を下ろした。
「何だよ。プレイヤーか」「蟻かと思ったじゃねぇか」「【索敵】だとモンスターとプレイヤーの区別つかないからな。紛らわしい」「この状況で反応が2つだけってのはおかしいと思ったんだよ」
武器を下ろしたプレイヤーたちが口々に言葉を零す。
「お、おう? 俺たちをモンスターと勘違いしてただけか? 」
「そうみたいですね……ビックリしたぁ」
反射的に両手を上げていたルルルは、胸に手を当ててほっと安堵のため息をついた。
廃坑の出入り口を囲んでいたプレイヤー達は、ルルル達が敵ではないことが分かると、両側に分かれて2人が通れる道を作った。その道の奥から2人の男女が、ルルル達の方に近づいてきた。
女性の方は、ルルルの知っている人物だった。
「驚かせてごめんなさいね。ルルル」
「あ、ルカさん。ルカさんのパーティだったんですか。ビックリしましたよ。どうして、こんなことをしているんですか? 」
「ああ、それはね。あのイベントの告知から廃坑から蟻が溢れだすようになったでしょ? だから、ここでみんなで囲んで嵌め殺してたのよ」
「あーだから出入り口を囲ってたんですか。PK集団なのかと思って殺されるかと思いました」
「それは本当にごめんなさいね」
「もういいですよ。ルカさんがそんなに謝らなくても気にしてないですから大丈夫ですよ」
「ルルル、ありがとうっ! 」
「わっ! 」
新兵蟻に追いかけ回された疲労からか儚げに笑うルルルにきゅんときたルカは、感極まって抱きついた。ルルルとルカの立派な双丘が、押しつぶされて形を歪ませる。その様子を目にした男性プレイヤーたちから静かなどよめきが上がった。
「何だ。ルルルの知り合いか」
ルカに抱擁されるルルルを目にしてオルガンは、驚かせやがってと呟きながら、近づいてきたもう1人の茶髪の男に視線を向けた。
男の身長は180㎝を超えており、革鎧を身に着けた体は傍から見てもわかるほどに引き締まった体躯をしていた。背中には鋼鉄製の大剣を背負っており、正に戦士といった出で立ちだった。
「俺はアルトだ。驚かせて悪かったな。あんた街の人間だろ?
多分あんたも見たと思うが、今、坑道の中ではモンスターが大量発生しててな。廃坑からモンスターがぞろぞろ出てきてる。モンスターが廃坑から溢れる事態になると、門が閉じちまって困るから、鍛錬も兼ねて、ここでモンスターを待ち伏せして倒してたんだ。ここにいれば、モンスターの方から来てくれるし、廃坑からモンスターが溢れ出さなければ、門も閉まらないで済むからな」
男、アルトの言い分にオルガンは納得する。
「なるほどなぁ、そういうことか。こっちはあいつの採掘手伝いに付き合って酷い目にあったぜ」
オルガンは、ルルルに恨みがましい視線を向けながらやれやれと首を振る。
「はっはっはっ!!今の廃坑から出てくる奴はみんなそう言ってるな。まぁ確かに。あんな狭い場所で蟻になんて追いかけられたくないな。俺は真っ平御免だ」
オルガンの言葉に豪快に笑ったアルトは、バンバンとオルガンの肩を親しげに叩いた。
「ったく、勝手なことを言ってくる奴だな。だが、お前さんたちのおかげで門は閉まってねぇようだな。門が閉まってたらモンスターがいなくなるまで開けてくれんからな。あんな数の新兵蟻を倒しきるのにどれくらいかかるか分かったもんじゃねぇ。そこは礼を言うぞ」
「おう。門が閉まると俺達も街に入れなくなるからな。気にすんな」
アルトは、手を振って気にするなと気安く応えた。
「そうかい。それじゃあ、俺は忙しいんで先に街に戻らせてもらう。お前さんも頑張れよ。――おい! ルルル! お前、これからやることがあるんだろ! 早く戻って始めてなくていいのか! 」
戦斧を肩に担いだオルガンは、ルカと話し込んで一向に動く気配のないルルルに声をかけた。
「あっ! そうでした。ルカさん、私ちょっとやることがあるので今回は参加できないんです。すみません。また誘ってください」
オルガンに言われて、思い出したルルルは、レベル上げに参加しないかというルカの誘いを申し訳なさそうに断った。
「あら、そうなの。残念だけど仕方ないわよね。じゃあ、またね。また機会があったら誘うわ」
ルカも残念そうに言うが、あまり気にしてないようで微笑みながらルルルに手を振った。
「はい。ありがとうございます。では、おやすみなさ~い! 」
オルガンと共に門に向かいながら、ルルルはルカの姿が見えなくなるまで手を振り続けながら去って行った。
「じゃあ、オルガンさん! あの鞭下さい! 」
「今かよっ!? 」
『絡めとる粘鞭』
オルガン作。試作段階の鞭
森蜘蛛の糸を使った紐を使用しているため、振れば振る程伸びていき、触れたものにひっついて絡め取る。粘着性を強化しているため、付着すると取るのは困難、足止めには最適、しかし、意図的に剥がすこともできないので使い捨て。
自在に伸び縮みして、敵を絡めとる武器として考案されたが、失敗に終わっている。
しかし、鞭としては失敗作だが、足止め用のアイテムとしては有用。
『砲栗鼠の魔法腰鞄』
ククトリスの素材を主に使った魔法鞄
15種類のアイテムを重さの制限なしで収納できる便利な鞄。
アイテムの出し入れが簡単に出来るため、戦闘中に必要になるポーションを入れる者が多い。
オルガンの場合はよく使う武器を入れている。
オルガンは、『始まりの町』の『オルガン武器屋』を営むNPCです。
NPCもアイテムボックスを使うことができます。
廃坑に最寄りの門は現在閉まってませんが、廃坑内にいるプレイヤーは道を埋め尽くす程の蟻の大群に追いかけ回されているので、死亡したプレイヤーの数は断トツのトップ。
元々鉱石などを採掘にいくプレイヤーが多かったのも被害者が続出した理由のひとつ。
14/10/13 18/03/05
改稿しました。




