132話 「奇妙な蟻助け」
「あいててて……落盤に巻き込まれるのはこれで二度目か? 」
天然の落とし穴のように坑道の崩落に巻き込まれたユリは、瓦礫の中から体を起こす。クリスは、ユリの懐にいたことで難を逃れたようで、胸元から元気そうに這い出してユリの肩に乗った。そんなクリスを撫でながらユリが見上げると、落盤で空いた天井からクオッチが周回している青空が見えていた。その高さは目測で、6メートルほどだった。
「前と比べたら深くはないけど、自力で上がれそうにはないな」
アーチ状の天井の頂点部分に穴は開いているので、周囲が鼠返しのように反り返っていて中から自力で登るのは難しそうだった。レイヴンに乗れば脱出は可能だろうが、まだ休ませる必要があった。
しかし、落ちた瓦礫の数が少なかったのが幸いして、坑道を通って町に戻ることは可能そうだった。
「地上に出てまたクオッチに追いかけられるくらいなら狂った蟻の相手をしてた方がマシか……廃坑から帰るか。クリス、援護を頼むぞ」
「きゅ! 」
任せろ、とクリスは元気に鳴いた。
◆◇◆◇◆◇◆
それからユリは、耳についたイヤリングを弄り、町の方角を示す赤い光線を出した。そして、マップを開いて現在地を確認した。マップ自体は、ただ単色で【アント廃坑】のエリアのみを表示する代物だが、『始まりの町』との距離と方角を掴むことはできた。それらを参考に、ユリは廃坑の探索を開始した。
「この辺は、木を組んだりとかしてないんだな」
ユリは、坑道の中を歩きながら周囲を観察する。以前にユリが、ルルルたちと訪れた時に通った道とは違って、落盤などを防止する木材を使った支保がされていなかった。廃坑の中には、木を組んで落盤を防止している道と何もしていない道が存在していた。ここは、後者の道だった。
ユリは自然と、いつでも戦闘に行える足運びに変えた。足取りは静かなものになり、周囲の音に意識を向ける。
こういった道だと、蟻とよく出くわすことを今までの経験から学んでいた。
しばらく道なりに進んでいると、前方から顎を鳴らした蟻特有の鳴き声が反響して聞こえてきた。
ユリの足が止まる。
しかし、ここまで一本道だったので、どうせ避けては通れない。ユリは、そう思ってクリスを懐に入れると、意を決して先に進んだ。
蟻たちは、開けた場所にユリから背を向ける形でいた。黒い体表に走る赤黒い紋様から、狂兵蟻だと判断する。足音を潜ませてきたおかげか、狂兵蟻たちはユリの存在に気づいていないようだった。
「(手前に5体、奥に1体か……クリスのフォローがあればやってやれないことはないな)」
狂兵蟻たちの数を素早く確認したユリは、問題ないと判断した。
と、そこまで考えたところで、ユリは狂兵蟻たちが何やら争っていることに気づく。
「ギィイイ! 」
「GIGIIIッ! 」「GIGIGIッ! 」「GIIII! 」
よく見れば奥の一体だけ、体に赤黒い紋様がなく、チラリと見えた目も赤くなかった。
新兵蟻が狂兵蟻たちに襲われているところだった。
「ちぃっ! 《猫騙し》! 」
そのことに気づくと、ユリは舌打ちをした。すぐに広場に飛び出すと、手を叩いてアーツを発動させた。甲高い音が広場に響き渡り、狂兵蟻たちの注意がユリに向いた。
「おらぁ! 俺にかかってこい! 」
ユリは、怒声を上げて威嚇しつつ、腰のポーチから取り出した石を狂兵蟻のうちの一体に投げつける。
「GIッ!? 」
【投擲】の補正もあって、なかなかの威力となった石が顔に当たり、悲鳴のような鳴き声が狂兵蟻から漏れた。
「《疾脚》《柔拳》! 」
その隙に距離を詰め、顔の上がった狂兵蟻の赤い右目に拳を叩き込み、続けて右膝で狂兵蟻の顎をかちあげた。そして、他の狂兵蟻から反撃を受ける前に後ろに飛び退り、狂兵蟻たちから距離を取る。懐から顔を出したクリスが、ユリに詰め寄ろうとした狂兵蟻に口から吐き出した木の実の弾丸を浴びせて牽制した。
「クリス、その調子で援護頼むぞ! 」
「きゅ! 」
ユリは狂兵蟻たちに目を向けながら、視界の端に表示させた仮想ウィドウに指を走らせる。虚空からアイテムボックスにしまっていた『角兎の短槍』が出現する。
「《パワーシュート》! 」
それを掴むと、ユリは威力を上昇させる【投擲】スキルのアーツを発動させて狂兵蟻に向けて投げた。
赤い燐光を纏った短槍が、前に出ていた狂兵蟻の頭部に当たった。ゴォォン! という腹に響く重い音が響き、当たった狂兵蟻が体勢を崩して倒れた。
「おっ」
スキルを再確認した際に新たに増えていたので試しに使ってみたアーツだったが、思ったよりも効果が高くて声が漏れた。他の狂兵蟻に対しても、ユリは牽制も兼ねて石を投擲する。
そして、狂兵蟻たちの足並みが乱れたところで、再び前に出た。
「《剛脚》! 《岩砕脚》! 」
まだHPが十分に残っている一体に距離を詰めると、前宙するようにその場で飛んで右足を狂兵蟻の頭部に叩き込んだ。その衝撃で、狂兵蟻の頭は広場の硬い石の地面に叩きつけられ、HPが八割以上吹き飛ぶ。
「もういっちょ! 《旋風脚》! 」
地面に転がったユリは、地面に手をついて、腕をバネのようにして体を捻じりながら高々と飛び上がると、ユリに噛みつこうとしていた別の個体の胸部に左足の回し蹴りを叩き込んだ。
「GIIッ!? 」
「へっ――ぶっ!? 」
変則的な姿勢だったがアーツは発動し、緑色の燐光を纏った回し蹴りを胸部に受けた狂兵蟻は、HPの半分を吹き飛ばして仰向けに地面に倒れ込んだ。しかし、ユリも無理な姿勢からアーツを発動させた無理が祟って、着地に失敗して顔から地面に落ちた。
僅かにダメージが入り、頬に痛みが走った。だが、それに気を取られる間もなく迫ってくる気配を感じ、ユリは転がってその場から移動する。
同時に、耳元のすぐそこでガチンという音がして、ユリの肩に硬いものが当たった。ユリは、懐のクリスを潰さないように胸元に腕を添えながら、ゴロゴロと硬い地面を転がって距離を取った。そして、狂兵蟻との距離が取れると、素早く膝立ちに起き上がって、狂兵蟻たちの位置を確認する。そして、自分の胸元を少し引っ張って、クリスの無事を確認する。
「今のはちょっと遊び過ぎたな」
顔を上げたユリは、「失敗失敗」と気恥ずかしさを誤魔化すように笑った。そして、もう一度狂兵蟻たちに目を向けて、それぞれの残りHPを確認する。《岩砕脚》と短槍をくらった2体は、HPバーが赤の危険域に達しており、《旋風脚》をくらった個体も半分を切っていた。他に2体、まだ十分にHPを持っているのがいたが、ユリは問題ないと判断した。
「もうちょっとだけ、クオッチの鬱憤晴らしに付き合ってもらうぞ」
カチカチカチと顎を打ち鳴らして威嚇する瀕死の狂兵蟻に、ユリは回り込むようにして距離を詰める。他の狂兵蟻たちはまだダメージから立ち直っていないか、直後まで争っていた新兵蟻に意識が向いていた。
死角に回りこもうとするユリを追いかけようと狂兵蟻は頭部を動かしてユリを追うものの、その動きは遅かった。
「はあっ! 」
「GIッ!? 」
狂兵蟻を中心に円を描きながら距離を詰めたユリは、狂兵蟻の横を取ると胸部に《柔拳》の効果が乗った掌底を叩き込んだ。狂兵蟻の苦痛の悲鳴が漏れる。そこに、ダメ押しとばかりに硬く握りしめたユリの拳が下から抉り込むように放たれた。
悲痛な鳴き声を残して、HPを全損させた狂兵蟻は息絶える。
狂兵蟻の一部が光の粒子に変わり始めたのを確認した時点で、ユリはもう一体の瀕死の狂兵蟻に向かう。短槍が頭部に刺さった狂兵蟻は、槍を抜こうと必死になり、しきりに頭を振っていた。
「楽にさせてやる、よっ! 」
ユリは、徐に頭に刺さった槍の柄を掴むと、その石突をもう片方の手でぶっ叩いた。確かな手応えがあり、悲鳴も出せずに狂兵蟻はHPが0になって息絶えた。
死んだことで光の粒子となり始まると、刺さっていた角兎の短槍が抜けた。それを持ち直すと、ユリを無視して新兵蟻を襲おうとしていた狂兵蟻に向かって投げた。
まっすぐ飛んでいった短槍は、狂兵蟻の腹部に突き刺さった。アーツを併用していないので、ダメージは大して入らなかったが、腹部の薄い甲殻を貫き、突き刺さった。
「GIGIIIッ!? 」
不意の痛みに驚いたのか、体を捩って痙攣する。その好機を新兵蟻は逃さず、素早くのしかかって狂兵蟻の頭部のくびれに噛みついた。
「よしっ、そのまま頼むぞ! 」
その狂兵蟻については新兵蟻に任せてしまうことにして、新兵蟻にちゃちゃを入れようとしているもう一体の方に石を投げて、気をこちらに向けさせる。
「クリス、お前はあっちの蟻を頼む! 」
「きゅっ! 」
ユリが胸元を引っ張って指示を出すと、クリスがそこから出てきてユリの肩に上がり、HPが半分まで切っている狂兵蟻を足止めするために口から木の実を連続して撃ち出す。
ユリはユリで、駆け出して、最後の1体との距離を詰める。狂兵蟻もユリに迫る。両者の距離が縮まると、先に狂兵蟻がユリの腹部に食らいつこうとしてきた。ユリは、それを頭部に肘を叩きつけて迎え撃つ。
それでも狂兵蟻は食い下がってユリの足に噛みつこうとしたが、そこに膝が入って踏鞴を踏んだ。
「ふっ! 」
「GIGIIッ! 」
よろめいた狂兵蟻の両目に、ユリの左右のフックが続け様に叩き込まれた。弱点である両目を叩かれた狂兵蟻は、怯んだように体を硬直させる。
「これで終わりだ! 《回し蹴り》! 」
その好機に、アーツを発動して、右の回し蹴りを狂兵蟻の頭部に叩き込んだ。その一撃が、宣言通りに止めの一撃となり、狂兵蟻はHPを全損させた。
息絶えて、地面に沈んだ狂兵蟻を確認してから、ユリはクリスに任せたもう一体の狂兵蟻に目を向ける。クリスの口撃を受けて、HPは残り2割にまで減っていた。新兵蟻の方を見ると、こちらもあと少ししか残っていなかった。
「ちょっと、その槍返してもらうぞ」
「GIIIッ!? 」
ユリは、ひとつ断りを入れてから、新兵蟻に噛みつかれている狂兵蟻から短槍を引き抜く。その際に、一度押し込んだので、狂兵蟻から苦悶の鳴き声が出た。そして、引き抜いた直後にクリスから木の実を撃ちこまれて、それが止めとなった。
背後で崩れ落ちた狂兵蟻を無視して、ユリは引き抜いた短槍を最後の1体に投げた。躱そうとする素振りを見せたが、躱しきれずに左目に刺さった。弱点を射抜かれたのが止めとなって、その狂兵蟻も息絶えた。
「お疲れさん。ほら、クリス。ご褒美の木の実だ」
広場の狂兵蟻を倒し終えたユリは、『角兎の短槍』を拾い上げてアイテムボックスに戻すと、広場の端に座って、クリスにご褒美の木の実を与えた。そして、その場から新兵蟻の様子を伺う。
ユリが来る前に狂兵蟻たちと一戦交えていたのか、新兵蟻のHPバーは半分以下にまで減っていた。狂兵蟻を倒したユリを警戒するように、新兵蟻は距離を取ってユリの方を見ていた。
「そっちが手を出さなければ、こっちからも手は出さねぇよ」
警戒する新兵蟻にユリは、苦笑しながら答える。前に、新兵蟻の親である女王蟻に、助けた報酬とはいえ良くしてもらったので、自分から手を出す気にはならなかった。とはいえ、手を出してくるなら容赦なく叩き潰す気はあった。
「といっても言葉はわかんねぇか……あ、そうだ」
ユリは、ふとした思い付きでアイテムボックスから中級ポーションを取り出す。それを新兵蟻にぶん投げた。
「ギィイッ!? 」
ユリのとった突然の攻撃モーションに、新兵蟻は驚いたように触角を跳ねさせて、躱そうとしたが、躱せずに頭に中級ポーションの瓶が当たって砕けた。ぶちまけられた薬液の効果で、新兵蟻のHPが最大まで回復した。攻撃を受けたと思ったら、傷が癒えたことに戸惑いがあるのか、新兵蟻は動揺を誤魔化すように触角の毛繕いを始める。
「ふふっ」
動揺する新兵蟻という珍しいものが見れて、ユリは笑った。可愛い一面を見ると、ユリの中で餌付けをしたい気持ちがむくむくと大きくなった。
「そう言えば、ここの蟻は鉱石を食べるとかってルルルが言ってたな」
前にルルルとここに訪れた時に、雑談の中でルルルが話していたことを思い出す。ユリは、アイテムボックスから適当に目が付いた鉱石をいくつか取り出した。
ユリの手元に鉱石が出現すると、触角を毛繕いしていた新兵蟻が反応した。
「ルルルの話は本当みたいだな」
気にはなっているようだが、、ユリを警戒しているのか近づいてくる気配はなかった。
「クリスの時とは大違いだな」
触らせてはくれなかったが、ほいほいと手元にまで近づいてきた当時のクリスのことを思い出して、ユリは笑みを浮かべる。
とはいえ、いつまでもこうしていられるほど時間的余裕があるわけではないので、ユリは鉱石を自分から離れた広場の端の方に投げ転がした。新兵蟻の視線が転がっていく鉱石に向けられた。
しかし、ユリが徐に立ち上がると、新兵蟻は即座にユリの方に視線を戻して、身構えた。
「それじゃあ、俺は町に戻るからお別れだ。折角、助けたんだから、また狂兵蟻に囲まれたりするんじゃねぇぞ」
警戒する新兵蟻を気にした様子もなく、最後に残していた鉱石を新兵蟻の足元に投げ転がすと、ユリは広場を出て、先に進むのだった。
お久しぶりです。前回からの更新から4カ月近く経ってしまい、すみません。
今後は、最低でも月1ペースで更新していけたらと思っています。
最初の頃よりも戦いに慣れてきて、最近は戦闘シーン書いてて楽しいです。
ユリの戦い方は、身体能力が人間離れしていて、痛みが少なく、怪我や後遺症がないVRゲームの中だからこそ可能な動きだと思っていただけたら幸いです。




