129話 「夕方のひと時」
「資料室を知ることができたのは、収穫だったな」
資料室にもう一度戻り、再会したアルとの会話もそこそこに情報収集に励んだユリは、今まで不足していたSMOの雑多な知識を得ることができた。同席していたアルからも豆知識のような小ネタを教えてもらいユリは、ご満悦だった。
ご機嫌な様子で組合を後にしたユリは、その足を中央に向けて歩き出した。特に急ぎの用のないユリは、肩にクリスを乗せて通りに立ち並ぶ露店に目を向ける余裕があった。
露店は冒険者を対象としたもののようで、売っているのはその手の雑貨や武器だった。流石、鍛冶が盛んな街だけあって、露店に並ぶ武器はどれも鋼鉄製や鉄製で、中には、魔金属を加工した特殊な効果のついた武器も売られていた。スパイクのついた魔鉄製の籠手もそこには並んでいた。
魔鉱石の買い取り価格が高いだけあって、籠手の値段は中々のものだった。
「4万かぁ……やっぱり大分高いんだな。ルルルに頼む時までに懐暖めておかないとな」
ルルルなら露店売りのものよりも良いものを用意してくれると思っているユリは、自然とそちらに思考を巡らせた。
その後、中央広場まで戻って北大通りの店である買い物をしたユリは、洗濯物を取り込むためにログアウトしたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――16:30
「あ、リっちゃん」
庭で洗濯物を取り込んでいると、声をかけられた。声をかけられた方を見ると、隣の家のベランダからアヤネがひょっこり顔を出していた。
おーい、と手をぶんぶんと振ってくるアヤネにトウリは、苦笑して振り返した。
「今日はもう学校終わりなのか? 」
「あははっ、リっちゃん今日は土曜日だよ? 学校はやってないよ」
「あ、そっか。今日は土曜だったか」
アヤネに指摘されてトウリは、居間のカレンダーを確認する。
「もう一週間たったのか……」
「リっちゃん。SMOは楽しい? 」
時間が経つのは早いなとトウリが感慨にふけっているとアヤネがそんな言葉を投げかけてきた。
「タっくんもランちゃんもタっくんのお姉ちゃんもみんな、ハマってるんでしょ? 面白い? 」
「そうだな。楽しいよ。リアルじゃ体験できないようなことがいっぱいあって面白い。楽しいことばっかじゃないけど、それがまた面白い、かな? 」
「ふーん。じゃあさ、じゃあさ。私がSMOを始めるって言ったらリっちゃんはどう思う? 」
「え、アヤネも始めるのか? 」
トウリが驚いて聞き返してきて、おっと、とばかりにアヤネは口に手をやった。
「もしも、もしもだよ、リっちゃん! 」
「うーん、だったら嬉しいかな。また3人で遊ぶことが出来るかもしれないし」
「ホントに? タっくんもそう思ってくれるかな? 」
「とーぜん。アイツのことだから始めたって言ったら、こっちから聞かなくてもあれこれ教えてくるさ」
活き活きとした様子で話すタクヤを容易に想像できたアヤネは、堪え切れずに笑い声をあげた。
「あはははは、そうかも」
「絶対そうだよ」
そんなやりとりの中、ふと後ろを振り返ったアヤネは、部屋の時計でも見たのか、あっと声をあげた。
「あっ、じゃあね。リっちゃん。邪魔しちゃってごめんね。ありがとう」
「いいよ」
気にしてないとトウリは微笑んだ後、ふと思い出したように言葉を付け加えた。
「また家に食べに来たらいいからな」
「うん。リっちゃんの美味しい手料理、また食べさせてねっ。ばいばい」
最後に手を振ってからアヤネは部屋へと戻っていった。それを見届けた後、トウリも居間に戻った。
トウリが居間で洗濯物を畳んでいると、タクヤが2階から下りてきた。
「牛乳飲んでもいいか? 」
「いいよ。いつものとこに置いてあると思う」
「ん、ありがと」
冷蔵庫から取り出した牛乳をコップに注いだタクヤは、それを一息で飲み干した。
「もう一杯いいか? 」
「もう一本あるから好きなだけ飲んだらいいよ」
「サンキュー」
トウリの許可をもらって、タクヤはゴクッゴクッと喉を鳴らして一杯、二杯と牛乳を飲んだ。
「あーうまかった。空になったのは、いつものように洗って流し台に置いとけばいいか? 」
「それでいいよ」
ジャーと音を蛇口から水を出して、タクヤは牛乳パックを洗って流し台の縁に立てかけて干した。タオルで濡れた手を拭いて居間のソファに腰かけたタクヤは、洗濯物を畳むトウリの方に振り向いて聞いてきた。
「で、鑑定はうまくいったか? 」
「……まぁな」
聞かれたトウリは、洗濯物を畳む手を止めることなく答えた。その素っ気ない態度にタクヤは、おやと首を傾げた。
「何か問題でもあったのか? 」
「いいや、ただ思ったより手数料がかかっただけだったよ」
「手数料? ああ、そう言えば多少取られるな。どれくらいかかったんだ? 」
「10万」
「……え、ごめん。なんだって? もう一回言ってくれ」
「10万、10万ゴールドかかったんだよ」
「はぁ!? 一体何の鑑定を頼んだらそんなに金を取られるんだよ! 」
ぼったくりかよ!? とタクヤは、ソファの背に手をかけて身を乗り出した。しかし、ふとあることに気づいてもしや、と思った。
「ちなみにそれって、一度にアイテムをいくつ頼んだんだ? 」
「……300ちょっとくらい」
「そりゃ、10万もするわ馬鹿! 」
タクヤは、頭が痛いとばかりに額に手をあてて天を仰いだ。トウリの収集癖を忘れて教えたのは迂闊だったと反省する。
「普通、組合で鑑定頼むもんって言ったら、価値があるけど、未鑑定だと混同されてる薬草とか鉱石の類の鑑定で利用するくらいだぞ。あそこで一度鑑定したものなら次に入手した時に鑑定済みで表記されるようになるからな。普通、モンスター素材とかイベント入手アイテムは、高くなるし、用途は調べればすぐわかるから鑑定には出さないんだぞ」
「そうだったのか」
「はぁ……これは説明してなかった俺が悪かったのかもな」
当たり前だと思って説明を省いていた部分だったが、始めたばかりのトウリが知らなかったというのタクヤにとって盲点だった。これはチュートリアルで教えてもらえることでもないので、一概にトウリが悪いとは言えなかった。
「そんなことよりさ、タクは資料室って知ってるか? 」
これ以上、話題にされるのが嫌だったのか、トウリは別の話題をタクヤに振った。
「資料室? 組合にある施設のことか? 」
「そう。今日はそこにも行ってきた」
「へぇ、どうだった? 」
「面白かったよ。本を開いたら立体映像が浮かび上がってきて、すごかった」
そう話すトウリの声は弾んでいて、タクヤの口元も自然と綻んだ。
「楽しめたようだな。あそこはその地域で入手できる素材やモンスターの情報を調べれるから知っておくと便利だぞ。受付の人に聞けば教えてくれることもあるし、トウリの性にも合うんじゃないか? 」
「そうかも。タクもあそこはよく利用してるのか? 」
「いいや、俺はβの時に何度か利用したくらいかな。攻略サイトで見た方が手っ取り早いからな。資料室は、受けたクエストの内容について調べる時に利用したくらいだ」
「そうなのか」
アルとは違うんだな。とトウリは思った。タクヤの考えが一般的何だろうとも思った。
「もっと利用すればいいのに」
「俺はいいんだよ。SMOにログインしている時は、出来るだけ戦闘に専念したいからな。情報収集は、入る前に終わらせときたいんだ。それに、俺が欲しい情報は攻略サイトの方が充実しているからな」
そこにはタクヤなりの拘りがあるようで、トウリはそんなもんかと思う。
「学校の課題もその考えで取り組んでくれたらいいんだけどな。ところで、約束の一週間がもう来てるけど終わったのか? 」
そのトウリの問いに、聞かれたタクヤは何のことか分からないとばかりに眉根を寄せて首を傾げた。しかし、すぐに理解したようで、ばっと勢いよく体を捻って、カレンダーの日付を確認した。
SMOの正式稼働が始まってからちょうど一週間が経った土曜日。それは、トウリがタクヤに貸した学校の課題の期限日でもあった。正確には一日オーバーしているのだが、トウリも忘れていたのでそれについては何も言わないつもりだった。
カレンダーを確認して、タクヤは焦りを顔に浮かべた。
この1週間、四六時中SMOにログインしていたのだ。学校の課題をやっている暇なんてなかったことは容易に想像できた。
想像できたがために、トウリは深い深いため息をついた。
「……あと3日。7月いっぱいまで待ってやる。それでも終わってないなら自力でやれ」
「マジか……助かる! 」
トウリの恩情を受けて、タクヤは両手を合わせて深々と拝んだ。
畳み終えた服を横に置いたトウリは、つくづく自分はタクに甘いなぁ、と自分の甘さにため息をついた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「えっ、明日の夜はSMOできないのか? 」
炊飯器からご飯をついでいたトウリは、食卓のタクヤたちの話を聞いて驚く。ゴマダレをかけた冷しゃぶをご飯と一緒に口に放りながらタクヤが頷いた。
「そ。明日の夜22時から翌日の朝10時までな。メンテナンスだってさ」
「何か問題でもあったのか? 」
「うーん、そういうことではないかな。今回のメンテナンスはアップデートがメインって言ってたし、あってもちょっとした不具合の修正くらいかしら」
トウリの疑問をタクヤに代わってカオルが答える。
「アップデートって言ったら、やっぱりあれかな? 夏祭りかな? 」
「そうなんじゃないか? 」
ご飯を飲み込んだランが、ワクワクを抑えきれないという様子でタクヤに話かける。タクヤは、適当に相槌を打ちながら味噌汁を啜る。その隣にトウリが座った。
「夏祭りって言ったら、盛夏祭だっけ? あれはもうちょっと先の話だったんじゃないのか? 」
「それはカジバの街の闘技大会の話だろ? 盛夏祭は街ごとに日を分けて行われるイベントだから、盛夏祭の始まり自体は月曜からだぞ」
「あ、そうなんだ。ちなみに、一番最初に盛夏祭が行われる街はどこなんだ? 」
「始まりの街だよ」
「あそこが最初なのか。何かイベントはあるのか? 」
「狩猟大会をするらしいぞ。前の大規模イベントの時のようにモンスターごとにポイントが設定されてて、そのポイントで競うらしい」
「へぇ、面白そうだな。みんなは参加するのか? 」
「もっちろん! 腕が鳴るよ」
「一週間くらいかけて行われるらしいからのんびりする予定よ」
「俺もだな。スキル上げも兼ねてやる予定だ。トウリはどうするんだ? 」
「一週間くらいかけてあるなら気が乗った時にすると思う。ちなみに、他の街が何するかわかってるの? 」
「コエキ都市は、生産者向けで屋台の大会をするらしい。売上とかで競うらしいぞ」
「豊かな森を越えた先にあるカンナ村は、インスタントダンジョンが開かれるって話があるわね」
「あとカジバの街の闘技大会だね! 」
「どれに行こうか迷うな」
「そうねぇ。別の街に行くのも一苦労だからね。どれもこれもってわけにはいかないわね」
「あーあ、転移門が使えれば楽なのになぁ」
全部満喫したいのにそうはいかないジレンマにランは、不満そうに頬を膨らませる。タクヤも同じ思いのようで、難しい顔で唸る。
「あれの解放条件がまだよく分かってないからなぁ。一部のNPCは使ってるらしいけど、俺たちには使えないの一点張りだからな」
「転移門って街の中央にあるオブジェクトだよな。βの時は使えたのか? 」
「いいや、βの時も普段は使えなかったな」
「イベントの時に特別なエリアに移動するために使ったくらいよ」
「早く使えるようにならないかなー」
転移門か……。今度爺さんに会ったら、話を聞いてみようかな。
デザートのバニラアイスバーを舐めながらトウリは、そんなことを考えるのだった。




