117話 「黒い鮫」
食事を終えて一通り家事を済ませたトウリは、お風呂や歯磨きを済ませるとベッドの上に横になって就寝前にSMOへとログインした。
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――『始まりの町』
SMOにログインしたユリは、いつものように従魔結晶から呼び出したクリスを肩に乗せて、夜中にも関わらず、いや夜中であるからこそより一層プレイヤーでごった返す中央広場を抜け出して南大通りへと出る。
そして、その足で南区にあるマチルダ婆が営む道具屋へと入っていた。
――カランカラン
「ごめんくださーい」
「おや、あんたかい。いらっしゃい」
鐘の音を鳴らしながら店内へと入ると、店の奥からしゃがれた老婆の声がした。そちらへ目を向けると、そこにはこの店の店主である茶色いローブを着た老婆がカウンターの奥に座っていた。
「あ、婆さん。こんばんは……いや、こんにちは、か? 」
「何言ってんだいあんたは……。それで、うちに何の用だい? 魚爺にでも会いに来たのかい? 」
「あーそれもあるけどちょっとポーションの手持ちが少なくなったからその補充に買いに来た」
ユリがそう言うとマチルダは、ふんと鼻を鳴らした。
「そうかい。何が欲しいんだい」
「取り敢えず『初級ポーション』と『初級マナポーション』を30ずつください」
「あいよ。なら全部で、9500Gだよ」
「9500ね。わかった」
ユリは所持金から9500G分のお金を降ろして、銀貨9枚と半銀貨1枚をマチルダへと手渡した。
「丁度だね。すぐに持ってこさせるよ。ノルン、ちょっと頼まれておくれ」
マチルダはカウンターの下に寝そべっていた灰色の狼に何やら指示を出すと、狼は、のっそりと起き上がって店の奥へと消えていった。
「他に何か欲しいものはあるかい? 」
「あとは、『中級ポーション』と『中級マナポーション』を5ずつかな」
「それなら全部で、7500Gだよ」
先程のように所持金から7500G分のお金をマチルダへと手渡すと、マチルダはカウンターの下からそれぞれ五つずつ出してきてカウンターの上へと置いた。それをユリは、受け取ってアイテムボックスへと仕舞い込んでいると、店の奥から狼が、木箱を抱えた人を連れて戻ってきた。
「やれやれ、人使いの荒い奴じゃわい。ほれ、言われた通り持ってきたぞ。ん? おお、娘ではないか」
木箱を抱えていたのは、老人であった。ジーフェンは、ユリに気付くと驚いたように声を上げた。
「あ、爺さん。こんにちは」
「相変わらず元気そうで何よりじゃ。それで、今日はこのような陰気臭い店なんかにどうしたんじゃ? 」
「あんたに陰気臭いなんて言われる筋合いはないよ。居候の分際で口が悪い。それに少し考えてしゃべったらどうだい? わざわざあんたに持ってこさせたものを買いに来たに決まっているだろう。それとももう耄碌したのかい魚爺」
「なんじゃと? 事実を言うて何が悪い。薄暗くて埃っぽくて青臭いなんぞ陰気臭くて仕方がないわい。儂だってこんなとこ早う出ていきたいわい! 」
「なんだい、家が無くなったから居候させてくれっていったのはお前さんじゃないかい! 嫌ならとっとと出て行きな! 」
「ま、まぁまぁ。2人とも落ち着いて」
目の前で突然始まった老人老婆の口喧嘩に、ユリは戸惑いながらも二人の間に割って入って落ち着かせようとする。マチルダの従魔であるノルンは、もう慣れてしまっているのかペタンと耳を伏せてカウンターの下で寝そべっている。
ユリが、間に入ったことで2人は口喧嘩を止めて、お互いにふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
取り敢えず、喧嘩が収まったことにユリはホッと胸を撫で下ろす。そして、この二人は相変わらず仲が悪いなと苦笑した。
その後、ユリはジーフェンが運んできた『初級ポーション』と『初級マナポーション』をアイテムボックスに仕舞った。ジーフェンがこっそりと多めに渡そうとしてマチルダに大目玉を喰らうなど一悶着はあったものの当初の目的だったポーションの補充は無事に果たすことが出来た。
「それで、娘はこの後はどこか行くのか? 」
ジーフェンは、マチルダに杖で殴打された白髪の頭を擦りながら訪ねる。
「うん、湖の方に行こうかなって思ってる」
「今の湖は、あの騒動で物騒になっておるから気を付けるんじゃろ」
「うん、わかってる。ありがと爺さん。それじゃ婆さんもポーションありがと。それじゃあ、また」
「あいよ。ご贔屓に」
「気を付けるじゃぞー」
そうして、ユリは2人に見送られながら店を出て『深底海湖』へと向かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――『深底海湖』
久々に訪れた湖は、相変わらず閑散としていた。大規模イベントの時に一時増えたものの、水中戦という慣れない戦いを強いられるためにイベントの終了とともに潮が引いていくようにプレイヤーは去っていた。
湖は一見以前の静けさを取り戻したようにも見えるが、湖面から突き出た幾つものサメの背鰭がそれを否定していた。
「うわぁ……うじゃうじゃといるな。しかもサメの異常種か」
湖面から見える血鮫の異常種、黒血鮫にユリは、露骨に嫌そうな顔をした。
「流石にこの数を相手に水中戦ってのは無理だな……ということは、誘き出すか? 」
ユリは、思いつきからアイテムボックスから伸び蜘蛛の銛を取り出す。
「ま、ものは試しか」
ユリは、手に紐を巻き付けて銛を振り被った。
「よっ! 」
一番近い黒血鮫を狙って投げた銛は、残念ながら黒血鮫の手前でドボンと音を立てて湖面へと落ちてしまった。
「うーん、失敗か」
手に巻き付いた紐を引いて湖に落ちた銛を回収したユリは、もう一度挑戦しようと湖面へと視線を戻して、先程狙っていた黒血鮫がこちらに近づいてきているのに気づく。
「お、チャンス! 」
好機と見たユリは再び銛を投げた。それは、吸い込まれるように黒血鮫の背中に突き刺さった。
「おっしゃ……うおっ!? 」
ユリが歓声を上げかけるが、突然ぐんっと勢いよく腕を引っ張られてその声を驚きの声へと変える。
銛が突き刺さった黒血鮫が水中へと潜ったことで、腕に巻き付けていた紐が引っ張られたのだ。
ユリは咄嗟に腰を落としてその場で踏ん張ったものの、結局その力には抗えれず投げ出されるように湖へと引き込まれた。クリスは、咄嗟に肩から地面へと飛び降りた。
ユリは大きな水しぶきを上げて湖へと落ちて、そのまま水中へと引きずり込まれていった。
石にしておけばよかったと後悔しても後の祭りでユリが銛を諦めて紐を引き剥がそうとしていると、引っ張られる力がなくなり、ピンと張っていた紐が弛緩する。
(あれ? 抜けたのか? )
そう思ったユリだったが、底からこっちへと猛然と向かってくる黒血鮫にその期待を裏切られる。
(げっ!? )
ぐんぐんと迫ってくる黒血鮫から逃亡を図るも、あっという間に距離を詰められた。
(ちくしょう! やってやろうじゃねぇか! )
逃亡を断念したユリは、半ば自棄になって黒血鮫と対峙する。
銛の一撃を受けた黒血鮫のHPは若干減っていたが、まだピンピンとしていた。
血鮫との水中戦を思い出しながらユリは、まずは回避行動をとった。
(出来るだけ引きつけて横に……って危ねぇ!? )
思ってたよりも速かった黒血鮫の動きにユリは慌てて横に躱すが、右足にぶつかりユリのHPは減少する。幸いなことに噛み付かれることはなかったが、ユリにしてみれば冷や汗ものだった。
通り過ぎていった黒血鮫は、再びUターンして戻ってきてユリを襲う。それをギリギリまで引きつけて躱す。
そんなことが何度も繰り返されているとユリは埒が明かないと思ったのか、初めて攻勢に出た。
(引きつけて……躱す! 今だ! )
ここに来て左右にではなく迫ってくる黒血鮫の頭上へと躱そうとするユリに、黒血鮫は大口を開けて食らいつこうとする。
それをユリは右腕を突き出して黒血鮫の鼻を掴んで頭を押さえて噛み付きを躱して、背中へと回り込んで銛の根元を掴み取った。すぐさま、背鰭にも手を伸ばして体を黒血鮫に密着させる。
背中に張りついたユリを振り落とそうと暴れ出す黒血鮫に構わず、ユリは今までの鬱憤を晴らすかのように背中をこれでもかと蹴りつける。
(ぐっ、そろそろ息がやばいな)
息苦しさを感じながらもユリは、最後の踏ん張り所だと気合いを入れて膝を黒血鮫の脇腹に喰らわせる。
黒血鮫も背中を取られてしまっては、もうどうしようもなく。ユリを振り払うことができずにHPを全損して消滅した。
ひとまず危機から脱したユリは、空気を求めて水面へと一目散に浮上する。手にはしっかりと銛を握っていた。
「ぷはぁ! 」
水面から顔を出して、ユリは大きく空気を吸い込む。
「あー、死ぬかと思った……」
心底そう思いながら桟橋をよじ登ったユリは、桟橋の上で大の字で倒れ込んだ。
「きゅっ」
そこへクリスが駆け寄ってきて、ユリの顔の上にぽすっと乗った。
「あークリスさん? 俺、今とても疲れてるんですが……」
顔からクリスをどかすことすら億劫に感じるユリの精神状況をクリスは意にも介さず、てしてしと何かを要求するようにユリの額を叩く。
「……あ、そう言えばまだ木の実をあげてなかったな」
ログインしてからまだ餌を上げてなかったことを思い出したユリは、面倒に感じつつもむくりと上半身を起こす。その拍子にころころと顔から転げ落ちたクリスを手で受け止めながら、ユリはアイテムボックスから適当に木の実を取り出した。
「きゅっきゅっ」
「慌てなくてもやるから」
先走りして木の実を取ろうとするクリスを宥めながらユリは、木の実を与える。クリスは、もきゅもきゅと木の実を頬に詰め込んで呑み込む。
「……どうやって鮫を倒そうかなー」
クリスに木の実を与えながらユリは、黒血鮫の攻略のために思考を巡らすのだった。
あけましておめでとうございます。
とても遅くなってしまい、申し訳ございません。気付けば四か月も経っていたことに愕然としました。
次回は、もっと速く更新するよう頑張ります。




