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カロリナの三つのカップケーキ①

新婚夫婦+α

 



 フェルナンは腕を組んで大きく(うな)った。


 ここは侯爵家の執務室。彼の向かいには笑顔の妻のカロリナ。目の前の机には、三つのカップケーキ。

 現在処理を待っている大量の案件よりもはるかに難しい問題を目の前に、フェルナンは頭が痛くなった。




 ***




 ことの起こりは十分前にさかのぼる。

 フェルナンはいつも通り、執務に精を出していた。


 もともと仕事量が多かった侯爵家だが、結婚後さらに増えた。それも妻となったカロリナのせいである。

 もとより王家と親しいシトロニエ家の令嬢であったカロリナは、とにかく人脈が広かった。必然的に紹介されて繋がっていくと、来客は増えるわ、飛び込んでくる話も増えるわで、侯爵家が大変賑やかになった。


 しかし、忙しくはなかった。

 新しい繋がりで今までに思いつかなかった方法を取れ、いろんな方法で処理ができるようになる。悩むことがあっても、カロリナがさっと役立つ情報を持ってきてくれる。そして、止まることなく新しいことがどんどんできる。

 それにとてもやりがいを感じて、執務が今まで以上にはかどっていた。


 そんな没頭するフェルナンを現実に戻したのは、軽いノック音だった。

 とんとんとん、ともう覚え切ったリズムに手を止め、扉に目を向ける。自然に、彼の顔がほころんだ。


「……ん、どうぞ」


 奥さんの前ではお前は声が少し高い、とジャンに茶化されたことを思い出し、フェルナンはわざと低めの声を出してみた。予想以上に低くなってしまい、もしや不機嫌に聞こえたかと不安を覚える。

 しかし許可を得て扉を開けたカロリナは、まったく気にした様子がなく、綺麗な笑顔を浮かべていた。


「お疲れ様です、フェルナン様。休憩いたしましょう」


「そうだな」


 フェルナンの返事を聞くとぱっと顔を輝かせて、カロリナは手際良くワゴンから紅茶の準備をする。フェルナンの前にカップがひとつ、カロリナの前にもひとつあるこの一息の時間は、フェルナンにとって癒される代えがたい時間だ。

 湯気が経つ紅茶を前に、カロリナが本日の菓子を取り出した。小さなカップから、ふんわりと生地がふくらんでいる。カップケーキだ。


「今日はカミーユに作り方を教えてもらいました」


 カミーユとは、侯爵家の料理長だ。すっかりカロリナと仲が良い。


「なるほど、カロリナの手作りか」


 三つあるカップケーキのひとつに早速手を伸ばすと、すっと下げられる。

 不思議に思って彼女を見れば、とっても良い笑顔を見せて、改めてフェルナンの目の前にカップケーキを置いた。

 そして、言い放った。


「フェルナン様。このうちどれが私の作ったものでしょうか?」





 これは、外せない。


 フェルナンは目の前に並べられた三つのカップケーキを真剣に見ていた。

 いずれも同じ白いカップに入っており、ふくらみもほぼ同じ。生地のきめも、変わらない。色も、焼き具合の誤差の範囲。これといった違いはなく、見るだけではどれをカロリナが作ったかわかる要素など皆無だ。

 もしかするとと思い、眼鏡を外してふき、掛け直してみた。残念なことに、何も変わらなかった。


 しかし、この問題は外せないのだ。


 彼らは結婚して二か月目で、まごうことなき新婚である。今まで危うい時もすべてかわしてきたのに、ここで間違えてみればどうなるか。

 カロリナが「ひどい、愛してないのね!」等わめいて、相当な不機嫌になることは間違いない。

 細かいことはカロリナに合わせてきたフェルナンだったが、今回それはできない。どうしてもフェルナンが決めなければならない。しかも正解を選ばなくてはいけない。


 カップケーキから目線を上げれば、カロリナがにこにことしてずっと黙ってフェルナンを見ている。そのエメラルドのような瞳は、ひたすら澄んでいて、濁りが一切ない。

 フェルナンが当てるのを、まったくもって疑っていない目だ。


 わからない、なんて許されない。

 フェルナンは冷や汗が流れるのを感じた。


 見た目でわからないならばと、ひとつひとつ持ち上げてみる。どれも似ている重さだが、真ん中のものが一番ずっしりとしているかもしれない。

 次いで鼻を近づけてみる。いずれも菓子特有の甘い香りが漂っているが、心持ち右のものが一番甘い気がする。


 はぁ、と息をつく。

 もう、最終手段しかなかった。


「……食べても?」


「はい、もちろん! フェルナン様に食べていただきたくて作りましたから!」


 カロリナは待っていました、と言わんばかりに喜色満面を見せてくる。フェルナンには、今それはプレッシャーでしかない。

 カップケーキに伸ばす手が、かすかに震えた。一番左のものを手に取ると、ごくりと喉を鳴らす。


 毒が入っているわけではないのに、何故ここまで緊張するのか。

 自分を叱咤(しった)して、フェルナンは思い切ってカップケーキにかじりついた。


「……美味い」


 それは見た目以上にとても柔らかかった。溶けるように自然と喉の奥に消えていく。オレンジが入っているようで、爽やかな酸味がより上品な甘さを引き立てている。

 意識をカロリナに向ければ、彼女は胸元で手を合わせ、先ほど以上に目をきらきらさせてフェルナンを窺っていた。


 もしや、この左が正解か!

 口の中の残りを味わいながら、いや、と否定する。


 王太子の婚約者候補であったカロリナは、天才肌だった。当然、料理も菓子作りもプロと遜色がない。

 カロリナが作ったもの以外は料理長が作ったのだろうが、今までの味からして、フェルナンは判断できる自信がなかった。いつもカロリナの手作りだとわかったのは、彼女が先に言ってくれたからだ。

 残りも食べて同じであれば、絶望である。

 いっそのこと下手で不味ければ、なんとか食べて正解を導き出せたものを。そう考えていれば、だんだんと口の中のカップケーキが無味になっていく。


 ごくりとすべて飲み込めば、目の前には一口かじった左、重い真ん中、甘い香りの右のカップケーキ。食べても持っても嗅いでも、どれが妻の手作りかわからない。

 そして、カップケーキの奥には、笑顔を崩さないカロリナ。


 ……降参したい。

 フェルナンはふと目を閉じて、現実逃避に窓から空を見上げようとした。


 そこに、金の白が混じった色が揺れた。

 フェルナンは、思わず立ち上がった。

 目を丸くしている、目の前の彼女と同じ髪色。

 今のフェルナンには、天の使いにしか見えなかった。





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