最低最悪のプロポーズ⑦
再び監獄に訪れたナルに「ケーキを食べに行こう」と提案して外に出たはいいが……この三人で出かけるこはあまりにも気まずい。
一応仕事中ということで仕事着のシアはバツが悪そうに「すみません」と謝り、この前の告白のことで居心地悪そうにしているナルが首を横に振る。
「……あ、えっと、僕のことは気にしなくていいですよ。積もる話もあるでしょうし」
シアに話を振られたナルは、左目を隠すように覆った包帯に指を触れさせて首を横に振る。
「……いえ、アルさんもあまり私を横に置きたくはないでしょうから」
「そんなことはないですよ。ナルさんはべっぴんさんですし、アルカディアさんもメロメロです。ね?」
シアに振られてナルの方を見ると、ナルは申し訳なさそうに顔を伏せる。長い黒髪はいつも紐で結んでいたが、片手だと結ぶのも難しいのか、結ばれずにさらさらと風に揺らされていた。
右腕の袖も通す腕がないせいで揺らされていて、どこか頼りなく見えた。
「……少し、痩せたか。顔色がよくない」
顔色の良くないナルにそう言うと、シアに頭の後ろをスコーンと叩かれる。
「もう! 僕がお膳立てしてあげてるんだからちゃんと褒めてあげてください。違いますからねナルさん、アルカディアさんは単純に心配してるだけで……」
「……すみません」
「帯剣もしてないんだな」
「……はい。もうマトモに振ることも叶いません」
俺が知っているナルとは違って見えるほどに弱々しい。
片腕と片目を失ったからか、それとも戦争が終わり居場所を失ったからか、あるいは……俺のせいか。
今にも風に流されてしまいそうに髪と袖が揺れて、それを引き留めるようにナルの手を握る。前に握った時よりも力が弱く感じるそれをグッと引いてシアの方に目を向ける。
「シア、何か縛れるもの持ってないか?」
「へ? な、なんでですか?」
「ナルを縛る」
俺がそう言うと俺に手を握られているナルは目を白黒させて「えっ、えっ」と繰り返す。
「だ、ダメですよ。いくら可愛くても襲ってはいけません!」
「そ、そういうプレイですか!? そ、それは、その、せ、せめて部屋で、お、お願いします……」
「…………。髪、いつも結んでいただろ。片手で結ぶのが難しそうだからやってやる」
「あ、は、はい……」
シアから普段つけている簡素なものよりもどこか可愛らしいデザインの髪留めを受け取る。
「持ってるんだな」
「あっ、はい。僕も髪が長いのでちゃんとしてないとすごいことになるので、予備はいつも持ち歩いてるんです」
「ああ、なるほど。ありがとう」
ナルの後ろに回って髪を見ると、ナルは少し緊張したように肩を窄めていた。いつもよりも小柄に見える……というよりかは、小さなナルの肩や背丈を……ずっと実際よりも大きく見ていただけなのだろう。
胸を張っていないナルは人並みよりも小さく華奢で、それに頼っていた自分がひどくおぞましく思えた。
「……無理をさせた」
「そんなことは……いつも、足を引っ張っていました」
黒い髪をさらりと触ると隠れていた耳が覗き、真っ赤に染まっているそれを見て「本当に親愛だけじゃなくて恋愛感情を持っているんだな」と今更になって思い知る。
なんとなく赤くなっている耳を軽く指で触る。
「ぴゃうっ!? ど、どうかしましたか?」
「……案外かわいい声を出すんだな」
「わ、忘れてください」
髪は細く手触りがよく、結ぶために束ねると白い首筋が見える。
「……ナル。この前のことだけどな」
「……気にしないでください。……言うつもりはなかったんです。けれど、その……我慢が出来ず。みっともない」
髪を結び終わる。以前と同じ髪型だというのに、以前と違って見えるのは決して怪我のせいだけではないだろう。
不安げな表情は人を幼く見せる。
ナルは結び終わったことに気がついているだろうに、振り返ることをせずに俯く。
ほんの少し肌寒く、乾いた風が唇の水分を奪っていく。けれども日の光は熱く、手には汗をかいていた。
「ナル。……結婚しよう」
息を呑む音はシアから聞こえてきた。目の前にある小さな背中は驚くほど反応がない。少し遅れてナルの震えた声が聞こえてくる。
「……そ、それは、私が腕と目を失ったからですか」
「…………ああ」
「っ……これは、私の責任です。心が弱く、貴方を置いて死に逃げようとした、卑怯者の証です」
「……嫌か。結婚は」
「嫌なわけ……ありません。……お慕いしています。その言葉を聞くだけで、まるで全ての悩みがなくなったように、辛いことが全部なくなったように感じるほど夢見心地です。けれど……怪我で同情をして好きでもない女と結婚をするなんてこと」
ナルはぐっと歯を噛み、ぎゅっと握った手を震わせる。
「それに、こちらの方が好きなんですよね。見ていたら、分かります」
「……ああ」
「だったら……なんで私に言うんですかっ……! やったーって、喜べるわけないじゃないですかっ!」
「……悪い。けど、冗談のつもりじゃない」
「だったら尚更……! もっと、自分を大切にして……こんな、卑怯者とは縁を切って……ください」
ぽつりと、雨粒が落ちる。ぽつりぽつりと雨が降るが、雲は薄く、強い雨になりそうにはなかった。
俺の頬に雨粒が垂れて、頬を伝って地面に落ちる。日がなくなったからか肌寒く感じる。
「…………結婚しよう」
「なんで……そんなことを言うんですか。分からず屋」
「……結婚しよう」
「いやです。絶対に、結婚なんてしません」
「結婚しよう」
「いやです。しません。見たら分かります。そちらの方と両想いじゃないですか。横恋慕して、罪悪感を利用して奪い取るなんて」
「結婚しよう」
「……やめてください」
ナルの肩を抱き寄せる。弱々しい抵抗を受けるが、それでも強引に俺の方に向かせる。俯いた顔は今にも泣き出しそうで、ただの年若い女の子に見える。
ぽつりと、雨粒が落ちた。
「……ナル。結婚しよう」
きっと俺は、最悪なことを口にしているのだろう。好いた少女を目の前にして、別の少女に求婚を繰り返す。
俺に演技なんてものは出来ず、シアのことを好いていることはナルにも悟られている。
酷く残酷で、ナルの心を引き裂いているかもしれない。けれど、その弱った肩を抱きしめた。
微かに震えていて、辛そうで、強く抱きしめたら壊れてしまいそうで。
「……結婚しよう。それでも、俺はナルといっしょにいるから」
再度繰り返す。
ナルの片方だけの瞳は涙に潤み、目尻に雫を溜めていく。
「ずっと……お慕いしていました。だから……アルさんは、私なんかじゃなくて、ちゃんと好きな人と……」
最低な、最悪なプロポーズだ。
この場にいる誰も望んでおらず、監獄から出てすぐのところという最悪の立地。
流させた涙は驚きや喜びからではなく、悲しみと罪悪感によるもの。
悲痛な表情を俺に向けて、ぼろぼろと涙を溢す。
「……好きです。好きなんです。だから……幸せになってほしいと思っても「結婚しよう」なんて言われたら……心が、ポキリと、浅ましく……」
ナルの身体を抱き寄せる。
思っていたのよりもずっと華奢な身体だ。少女であるということも、すっかり頭から抜け落ちていた。
「それでも、結婚しよう」
「……。…………はい」
小雨が俺達にかかる。空々しく、寒々しい。
ナルは熱そうなほどに顔を赤く染めていて、俺は小雨で濡れた頬の冷たさに目を閉じる。
……ちゃんと、好きになってあげよう。この子を。
熱に浮かされたようなナルを見ながら、どこか冷静にそんなことを考えていた。




