90. 黒塗りの高級車
移動二日目はダールがめでたくサスペンション付きの馬車を確保してきてくれた。
聞いていた通り街道が綺麗に整備されていたことも手伝い、一日目よりもはるかに快適かつ順調に進むことができ、おかげで日が落ちる前にエフェドラの中心都市のアルセニアの地に足を踏み入れることができたのだ。
「これがアルセア教会の総本山……」
雲ひとつない青空をバックに、緑の乏しい白茶けた岩山がそびえている。
総本山という言葉は別に山を示すものではないらしいのだが、アルセア教の総本山は文字通り山に張り付くように建てられていた。
山の麓がアルセニアの都市で、山の斜面に沿って建てられているのがすべて教会の建物なのだとダールが説明してくれるのをルルシアはぽかんと口を開けて聞いていた。
エフェドラはもともとあまり農耕に向かない土地であるため目立った産業がない。そんなエフェドラを大きな領に発展させたのがこのアルセア教である。
この世界にはゲームなどではつきものの『回復魔法』というものが存在していない。そんな世界に突如として現れ、癒やしの奇跡を起こしたのがアルセア教の名前の由来である、『アルセア』という一人の女性だった。
彼女は幼い頃から人の傷や病を癒す不思議な力を持っており、そしてその癒やしを貴賤問わず別け隔てなく与えた。やがて彼女は『神の子』と呼ばれるようになり、彼女を慕う人々が集まり形成されたのがアルセア教でありアルセニアという都市なのだ。
アルセアの死後も、神の子は数百年に一人生まれるとされている。現在の神の子は初代のアルセアから数えて五代目だ。
今代の神の子は双子である。そのため、史上に残る歴代の神の子が起こした癒やしの奇跡よりも、より強力な奇跡が起こるのではないか――人々がそのような期待を抱いてしまうのも止む終えないというところだろう。
実際のところは、はっきり公表されてはいないのだが癒やしの力を持っているのは双子の弟のハオルの方だけで、歴代の記録と照らし合わせても特別秀でた点があるわけではないのだ。
が、教会の上層部は人々の期待に目をつけ、病に苦しむ人々に対し、多額の献金をすれば不治の病すら癒やすことができる『特別な治療』を受けることができると吹聴して金銭を稼ぎ私腹を肥やし始めた。と、これが原因となって教会派・清浄派・神の子派の三派に別れた闘いが始まった。……のだが、現在はそれも教会派の排除が概ね完了して落ち着いたところらしい。
「ほら嬢ちゃん、パカッと口開けてないで閉じな。迎えの馬車が来たぞ」
ダールが笑いながら指差す先に、教会の所有する馬車がやってくるのが見えた。ここまで乗ってきた移動用の無骨な馬車とは違い、つややかな黒塗りに金の蔦が絡む装飾が施されている優美な姿である。
山の入口の門で馬車を乗り換え、ここからは教会の馬車で神の子たちの待つ教会堂へと移動する事になっている。
「黒塗りの高級車……絶対ぶつかったら事務所連れてかれるやつだ……」
「事務所? っていうかぶつかったら病院だけど」
ルルシアのつぶやきにディレルが不思議そうな顔をした。
「……嬢ちゃんは時々おかしなことを言うが、エルフの文化か何かか?」
アドニスが眉をひそめている。昨夜あの後話をして和解したのか、今日はアドニスとディレルが時々言葉をかわしたり、こちらの会話に入ってきたりする。良い傾向だ、とルルシアはウンウン頷く。そしてアドニスの顔を見上げた。
「ルル」
「は?」
「嬢ちゃんではなくてルルです」
「…………ルルシア」
アドニスはちらりとディレルの方を伺いながらためらいがちに呼んだ。ルルシアを愛称で呼ぶことをディレルが嫌がると思ったのだろうが、当のディレルは特に気にしていないようだ。
「うーん、まあそれでもいいですけど……。わたし、前世持ちなので色々世界観がずれてるところがあって」
「前世持ちか……そういうやつがいるって話は聞いたことがあるが」
「ま、とにかく荷物の積替えですね。わたしも手伝う!」
意気込んで手伝おうとしたのだが、もともとそう多くない荷物の載せ替えは教会の御者と門の衛兵があっという間に終わらせてしまった。
ダールとはここで別れ、意気込みが空回りしてシュンとしたルルシアを乗せた馬車は教会堂へ向けて走り出した。
***
通されたのはおそらく応接間なのだろう、壁紙も窓枠も天井も重厚な装飾が施されている豪華絢爛な部屋だった。
ディレルの家の応接間も各所に装飾が施されていたが、あちらは職人が粋を結集して作られていたもので、全体的な調和が取れていた。こちらは、とりあえず手の込んだものを詰め込みました、という印象である。簡単に言うとごてごてしすぎている。
「……悪趣味だな……」
案内人がお茶を用意して下がったあと、おそらく全員が思っていたであろう一言をボソリとアドニスが呟いた。ディレルもそれに頷いて周りを見回した。
「こういう過剰装飾なところにはつきものの重たそうなツボとかはないんだね」
「ああ、そういうのは売っぱらったんだってさ。ほら、そこの壁、額縁の形にちょっと日焼けの跡があるでしょ?」
早速お茶に口をつけたセネシオが楽しそうに壁を指差す。
確かにその部分は大きな額がかかっていたらしく、周りと色が少し違った。
「売った?」
「こういう装飾とか備品って前までここを牛耳ってた偉い方々のご趣味なんだってさ。趣味悪いから改装したいけどお金もったいないし、美術品とか売ってやりくりして細々直すって言ってたよ」
「……大変そうだね」
ここに来る途中、一般に開放している区画で何箇所か改装工事をしているところがあった。そういう人目につくところから手を付けているのかもしれない。
ルルシアもお茶を飲もうと、手を伸ばす。と、その瞬間。
バキョッ――と、何かが割れるような嫌な音を立てながら重厚で瀟洒なドアが内側に弾けるように開いた。
「「ルルシアさん!」」
室内の全員が思わず武器に手をかけて見守る中、開いた扉から一組の少年少女が転がるように飛び込んできた。その姿を確認して、ルルシアは緊張を解き息を吐いた。
「ルチア様、ハオル様」
「……双子ちゃんたち、さすがにドアに体当たりはだめだよ」
セネシオもさすがに口元が引きつっている。
体当たりで開けられたドアは金具部分がどこかおかしくなったらしく、小さくギィギィと音を立てて揺れていた。
「だってこのドア重たくって開け辛いんだもん」
「うん。助走つけて勢い付けないと開かないんだ」
双子に悪びれた様子はなかった。この言い方からしておそらくよくこういう開け方をしているのだろう。こんな開け方を繰り返していれば金具も壊れて当然だ。
そんな双子にやや遅れて、息を弾ませたキンシェが飛び込んできた。その後ろにカリンも続く。
「お子様方、だから、勝手に、動き回るなと!!」
「あー、このドアついに壊れちゃいましたねー」
カリンが「あーあ」という顔でドアの金具部分を指で撫でる。
その横でルルシアの方に駆け寄ろうとしていた双子はキンシェに襟首をガッチリと掴まれ、不満そうに口をとがらせた。
「キンシェが遅いんだよ」
「キンシェが油断し過ぎなんだよ」
「こっちだって護衛対象が結託して陽動なんか仕掛けなければ追いついてましたよ!」
キンシェはそう言いながらズルズルと双子を少しずつ後ろに引っ張っていく。
そういえばルルシアが双子に出会ったのも彼らが護衛を撒いて逃走していたときである。こんな逃走劇を繰り返されるというのは護衛からしたら気の休まる暇がなさそうである。
ルルシアはキンシェに憐れみの目を向けつつ口を開いた。
「ええと、皆さんお久しぶりです。……一応こちらの面子的に、護衛なしでお二人がいきなり来るのは問題がありますし、そもそもキンシェさんとカリンさんを撒くのはだめですよ」
敷地外ではもちろんのこと、敷地内であっても今回はこちらの同行者に、他でもない彼らを襲ったアドニスがいるのだ。ルルシアたちがいるとはいえ、護衛のキンシェたちからしたら会うのは慎重に……といきたかったはずだ。
「はい、ごめんなさい……」
「はい、気をつけます……」
「ルルシアさんが言うとすぐ聞く……」
しゅん、と反省の色を示した双子の様子にキンシェが大きくため息を吐いた。
で、とキンシェは顔をアドニスの方へ向ける。
「どうも、お久しぶりです。覚えてます? 俺のこと」
「……覚えてる。あんたの太刀筋は正確だったから。……テインツの教会でのことは謝罪で済むようなことではないのは分かっているが――申し訳、ありませんでした」
アドニスは静かに、深く頭を下げた。
それに対して双子はピャッと焦ったような顔をした。大人から本気の謝罪を受ける機会などなかなかないせいだろう。ハオルが「気に……」まで言って困ったように言葉を飲み込み、キンシェとカリンの顔を交互に見た。
気にしないで、と言おうとして思いとどまったのだろう。
アドニスの行ったことは犯罪行為だ。多くの人が巻き込まれ、ハオル自身も命の危機にさらされた。気不味さからその場しのぎの許しの言葉など口にしてはいけないのだ。
見上げてくるハオルにキンシェはにこりと微笑み、その頭をくしゃくしゃと撫でた。そして未だ頭を下げたままのアドニスに、困ったように笑いかけた。
「……お子様が困ってるので頭を上げてください。貴方の罪は既に法で裁かれてますし、こちらから何か言うつもりもありません」
躊躇いながら頭を上げたアドニスに、双子はキンシェの言葉に賛同することを示すためにこくこくと頷く。それに対してアドニスは再び頭を――今度は短い時間だったが――下げた。
「……ありがとう」
「さて! とりあえずその話は終わりですね? じゃあお子様方、出番です」
ぱんっと手を叩いてカリンが空気を変える。
すると双子は待ってましたとばかりにぴょこんと姿勢を正した。
「皆さん、遠いところからの旅路お疲れさまでした」
「我々アルセア教会は皆様のご来訪を歓迎いたします」
「えっと……瘴気の癒やしに関する実験は、実験前後に医師による症状確認を行いたいと考えております。本日は既に夕刻が迫っていますので明日実施させていただきたいと思っております」
「どうぞ、本日は当教会の宿泊施設にて旅の疲れを癒やしてください」
予め台詞を決めていたらしい。双子は交互に何かを読み上げるように口上を述べると、最後にペコリとお辞儀をした。そして顔を上げると、改めてルルシアの方ににこっと笑顔を向けた。
「「ルルシアさん、教会案内するよ!」」




