87. 怒らせたらいけない
テインツとエフェドラの中間にある、いわゆる宿場町のエビネ。
ここで馬車の馬を交代させ、ついでに空きがあれば馬車も交換する――ということでダールは馬車宿へ向かった。ルルシアは知らなかったのだが、この国の冒険者ギルド所有の馬車はレンタカーのような制度になっているらしく、各地の馬車宿で空きがあれば乗り換えが可能なのだそうだ。
ガタンゴトンと揺れる荷馬車からやっと解放されたルルシアは、大きく伸びをしたり屈伸をしたりして凝り固まった体をほぐした。
「うああ……あちこち痛い……」
「おやルルシアちゃん大丈夫? 俺でよければマッサージしようか」
「良くないから近づかないでください」
すかさずセネシオがもみ手をしながらやって来るのをルルシアはシッシと追い払う。追い払いつつ、アドニスの方を指さした。
「わたしよりむしろアドニスさんにやってあげてくださいよ」
どう考えてもルルシアよりもアドニスの体の負担の方が大きいはずだ。きちんとマッサージをするつもりがあって揉み解すならば彼の方だろう。だが案の定セネシオは手で大きくバツを作った。言い添えるならば、アドニスも非常に不愉快そうな顔をしている。
「残念。男性はサービス範囲外なんだよねー」
「……セネシオさんはもうちょっと色々なことを覆い隠して生きたほうがいいと思いますよ。長く生きるとそうなっちゃう……って大昔からでしたっけ。なんにせよ曝け出しすぎです」
「ああー、ルルシアちゃんはディレル君みたいなむっつりタイプが好きだもんね」
世の中にオープンとむっつりしかいないという発想はいかがなものだろうか、とは思ったが変に話に乗るとセネシオがしつこそうなのでルルシアはとりあえず嫌そうな顔をするだけにとどめ、黙殺する。
代わりにディレルがため息とともにじっとりとセネシオを睨みつけた。
「こっちに飛び火させるのやめてもらっていいですか。あと、荷物運んで」
「はい」
「はーい」
ルルシアも小さめの木箱に手をかけ、持ち上げる……が、その箱は予想以上に重たく、ルルシアがよろけて揺らしたことでガチャンとガラスの触れ合うような音を立てた。ディレルが慌ててその箱をルルシアの手から取り上げる。
「なんで果敢に重いものを持とうとするの。ルルは自分の荷物だけでいいよ」
「……小さいから持てる気がしたの」
「こっちはまかせて、先に宿行って鍵受け取って来てくれる?」
「うん。えっと鈴振り亭、だよね」
普通、宿場町で泊まる場合は当日現地で部屋を確保するものらしい。通過するだけの町であることもあり到着のタイミングが読みにくいので予約のしようがないのだろう。
だが、ルルシアたちは犯罪者とエルフというなんとも一般的とは言えない面子なので、個室が確保できなかったから大部屋や相部屋で――というわけにはいかない。そのため、事前に冒険者ギルドが宿に話を通して個室を確保してくれているらしい。至れり尽くせりである。
「鈴振り亭……すず……」
きょろきょろしながら少し歩くと、大通り沿いに鈴と鍵、それにINNという文字がデザインされた突き出し看板が下がっているのが見えた。小走りに駆け寄り、ドアプレートを確認すると『食事・宿泊 鈴振り亭』と書かれている。
「ここだ」
少し重たいドアを両手で押し開けると、ワッとにぎやかな声と食器のぶつかる活気のある音があふれ出してくる。一階が食堂になっており、夕刻の迫るこの時間はもう賑わい始めているようだ。
てっきり受付フロントのようなものがあると思っていたのだが、そういうものは見当たらない。きょろきょろしているとホールの店員が気付いて、客の間を縫ってやって来てくれた。
「いらっしゃいませ、お食事ですか?」
「すみません、宿泊なんですが」
「あ、ではあちらのカウンター脇で承りますね。お一人様でしょうか」
「いえ、四人で……えっと、テインツの冒険者ギルドから連絡を入れていただいてると思うのですが」
「ああ! 聞いてます。テインツから四名。部屋は二つでどちらも三階です。こっちの鍵が一人部屋で、こっちは……うちは三人部屋がないので四人部屋です。えーと、お代は……ギルドの方からいただくので支払いは無しですね。ここにサインお願いします」
食堂のカウンターの脇で宿帳らしきものを開いた女性店員は、忙しいためだろうか、丁寧な口調で優しい笑顔なのだが早口で一気にまくしたてる。ルルシアもなんとなくつられて「あっ、はい」と慌ててサインをした。
「はいありがとうございます。ではこちら鍵お渡ししますね。チェックアウトの時にまたこちらのカウンター脇で返却してください。何かご質問はございますか?」
「いえっ」
「ではごゆっくりお休みください」
ニコッと微笑んだ女性店員は綺麗なお辞儀をすると、素早くホールへと舞い戻って行った。カギを握ったルルシアは勢いに呑まれて、少しの間ほわぁ……と口を開けてその姿を見ていたが、すぐにハッとして食堂を抜け出して、後から来る三人が見つけやすいように宿の外に出た。
先ほどよりも少し暗さの増した通りはあちこちで灯りが燈り始め、食堂や酒場とみられる店はどこも賑わっている。エビネは決して大きな町ではないのだが、この周辺には小さな農村しかないので旅人のほとんどがここで宿をとる。そのためいつも旅人でにぎわっているのだ。
町行く人々のほとんどが、テインツのようにそこで生活している人たちではなく、どこかを目指して移動中の旅人なのだ。エルフとして移動するときは面倒を避けるため基本的に野宿……という、宿場町にはほぼ縁のないルルシアはこの光景が珍しくてたまらない。
大通りを歩く様々な服装の人々を眺めていると、待っていた三人がやってきた。
その様子を見てルルシアはむぅと眉根を寄せる。
てっきり荷物を分担して運んでくるのだと思っていたのだが、結局ディレルがほとんど持ってきていた。アドニス仕方がないとしても、セネシオの荷物が少ないのは納得いかない。
「セネシオさん荷物持ってないじゃないですか」
「持ってるよ! ほら」
と、ルルシアとあまり変わらない大きさのカバンを示す。
「あ……変身魔法って、見た目が変わるだけなんですか? 多少なりとも筋力が変わったりするのかと思ってたんですけど」
セネシオは今、魔法で人間の姿をしている。なのでルルシアは、変身した種族に合わせて能力も変化するのだと思っていたのだ。
「残念だけど、見た目が変わっても能力まで増強されるわけじゃないんだよね」
「ああー……なるほど……それは残念ですね……」
つまり、見た目人間で、魔法は制限され、非力さはエルフ。もしかしてディレルを連れてきたがったのは荷物持ち要員にするためだったのだろうか。
「あ、そうだディル。鍵受け取ってきたよ。三階だって」
「うん、ありがとう。とりあえず荷物置いてこようか」
ディレルに部屋の鍵を見せるとニコリと頷く。両手がふさがっているディレルのためにルルシアは再びドアを両手で押し開き、自分の体をストッパー代わりにして閉じないように押さえた。
ドアにもたれかかり、三人が通過するのを見守っていると、アドニスが足を引きずっているのが目についた。そういえばここまでの旅程で階段を使用する機会はほとんどなかったのだ。しかもこの宿の階段はぱっと見た感じ狭くて傾斜がきつい。三階まで、というのは厳しいのではないだろうか。
「アドニスさんは階段大丈夫ですか? 荷物持ちます?」
ルルシアがアドニスの背に向けて声をかけると、彼はちらりとルルシアを振り返り、今までのように睨むのではなく呆れたようにため息をついた。
「……あんたは心配しすぎだ」
「あー、すみません……なんか、シャロさんがいつもアドニスさんの心配してたので、ついわたしも心配になっちゃって」
「……そうか」
シャロの名前が出た時、少しだけアドニスの目元が柔らかくなったように見えてルルシアは「お?」と思った。が、声には出さず、こっそりニヤニヤしながらドアから離れて後に続いた。
部屋の鍵はルルシアが持っているのでルルシアがいないと開けられない。階段を上った後小走りで三人を追い越し、割り当てられた部屋番号を確認する。
「この宿、三人部屋はないから四人部屋だって。ベッド一つお得だね」
「それは得なのかなぁ……」
四人部屋の鍵を開けながらルルシアが言った言葉にディレルが首をかしげる。
「部屋のサイズが同じだったら使わないベッド一つ分邪魔だよね」
セネシオにも否定され、ルルシアは口を尖らせた。
「二つくっつけて真ん中で寝ればキングサイズですよ」
「すごい贅沢だけどまったく嬉しくないなぁ」
がご、と扉を開け覗き込むと、部屋の中にはベッドが四台と小さなテーブルと椅子が一揃い、そして壁の作り付けの棚に魔術具のポットが置かれていた。――ベッドは四台あるのだが、三台が窓際の壁に頭を向けて川の字のように窮屈そうに並べられ、残り一台は追いやられたように入り口側の壁に横向きにくっつけられて置かれている。
「……確かにこれは一つ分邪魔だった……」
乾いた笑いを漏らしたルルシアに、荷物を置いたディレルが振り返った。
「まあこんなもんだろうと思ってた。ルルの部屋はどこ?」
「わたしの部屋はえっと、あ、斜め向かいだ」
いったん廊下に出て、斜め向かいの部屋の鍵を開ける。こちらは一人部屋だ。
「あー……列車の個室みたい」
「うわ狭!」
覗き込んだセネシオが驚きの声を上げるくらいにその部屋は狭かった。
片側にベッドが据えられ、もう片側に小さなテーブルが置かれている。狭いので椅子は置かれていない。
「あ、でもシャワースペースはあるんだ。ますます寝台列車の個室っぽい……」
トイレもシャワーも、こんなに狭いのに各部屋についているというのは魔術具の恩恵だ。魔術具を設置しておけば水道を引く必要がないのでこんなスペースがない部屋でも設置できる。いちいちお湯や水を使うために一階まで降りるような手間がないというのは魔術具様様である。
「ルルシアちゃん、こんな狭くて平気?」
「え、別に平気です。野宿に比べればものすごく快適だし。……それに、隠れ家っぽくて楽しいですし」
前世では家の押し入れに秘密基地を作ろうとして、押し入れから布団を引っ張り出しているところを現行犯で親に見つかり叱られた経験を持つ水森あかり――もといルルシアとしては、狭くて自分だけの空間というのは非常にテンションが上がってしまう。
そんな小学生のような理由でルルシアは本当に喜んでいたのだが、どうもセネシオには気を使って強がっているように見えたようだ。彼はルルシアの肩に手を回し、「無理しなくていいよ」と微笑んだ。
「もし狭くて嫌だったら俺のベッドで一緒に寝てもいいん むぐ」
ルルシアは、肩に回されたセネシオの手をどういう魔法で攻撃しようか……と考えていたというのに、予想に反して向こうの方からするりと離れていってしまったので拍子抜けする。しかも、いつものセクハラセリフも途中で不自然に途切れてしまった。不審に思ってルルシアが振り向くと、ちょうどディレルがセネシオの顔面を手でつかんで四人部屋の方へ引きずっていくところだった。ルルシアが振り向いたことに気づくと、ディレルはいつも通りの優しい笑顔を浮かべる。
「ルル、荷物置いたら食事に行こうか。これは処分しておくから」
「あっ、ハイ」
セネシオがディレルの手をぺちぺち叩いているので、おそらく口も鼻も覆われて呼吸ができないのだろう。だがディレルはノーリアクションのままセネシオを引きずり、部屋の中に入って行った。
(……怒らせたらいけないタイプっているよね……)
処分ってなんだろうね、と思わなくもないが、触れないほうがいい気がする。
わたしもなるべく怒らせないよう気を付けよう……と心に誓い、ひとまず自分の荷物を部屋に放り込んだ。




