83. そこのエルフに殺意が
ルルシアとライノール、そしてセネシオは局長室でユーフォルビアと向き合っていた。ちなみにライノールはいまだに機嫌が最悪である。
「じゃあセネシオ氏がアルセア教会から正式なアドニスへの協力依頼を持ってきたってことかぁ」
「そうでーす」
「ライノール、気持ちはわかるけど書類が飛ぶから魔力を抑えてくれるかな?」
ユーフォルビアが机の上でパタパタはためく書類を押さえながらニコリとライノールに告げる。彼はいつものように笑顔なのだが、若干苦笑気味だ。
ライノールは注意されて初めて自分の魔力が軽く暴走していることに気づいたらしい。いつも飄々としている彼にしては非常に珍しい。ルルシアがちらりと顔を窺うと、彼はムッと眉間にしわを寄せてセネシオを睨んでいた。
「……ああすみません。ついそこのエルフに殺意が湧いて」
「うん。まあわかるけど、君の魔力量だとうっかりこの部屋を破壊しかねないから抑えて。――で、ルルシアを連れてく許可を求めるったって、実質こっちに選択権なんてないよね? 霊脈移動は計画として動き始めてるし止めるのはかなりの損害が出る段階だ。そこへ来てセネシオ氏が議会の提示していた報酬を蹴ってまで要求して来たら断りようがない……というか、僕ら個々の感情は別として、テインツの議会全体としてはむしろ報酬を出さなくて済むからありがたいって話になりかねないしね」
テインツ議会はセネシオに対し、霊脈移動の対価としてすでに相当額の報酬を提示しているらしい。それに対してセネシオは一応同意していたらしいのだが――その報酬を辞退し、その代わりとしてルルシアとディレルの派遣を認めて欲しい、と言ってきたのだ。
「そうだね、だいぶ卑怯な交渉をしてるってのはわかってるんだけど……まあ簡単に言うと、今オズテイルで捕まってるのはアルセアの血縁に当たる人物なんだ。それで今までゆるーく見守ってた相手なんだよね。――だから、俺としてはどうにかしてやりたい気持ちが強いんだ」
「血縁って……ええと」
聖女アルセアとセネシオは恋人関係だったのだ。
そのアルセアの血縁ということは――
「あ、俺の子孫じゃないよ。残念だけどアルセアに子供はいない。アルセアの妹の子孫なんだよ」
「……なるほど」
ルルシアは思わずセネシオ二号のような人物を想像してしまったのだが違うらしい。セネシオ二号だったらば捕まってもさもありなんという感じであるのだが、そうでないのであれば捕まっている理由が気になる。
「その人はどうして捕まってるんですか?」
「彼女、ああ女性なんだけど、無実の罪に問われた人とか迫害を受けてる亜人を外に逃がす活動をしてたんだ。オズテイルで一番治安の悪いサイカから、比較的豊かで亜人に寛容なグロッサへ。あと、この国のピオニー領とかにも。……で、それが摘発されたと」
「反体制の活動家さん?」
「まあそうだねえ」
セネシオはサイカでとらえられたその女性を助け出したい、が、それでサイカに手を出して、それが原因でオズテイル内のパワーバランスが崩れてまた争うことになるのを心配しているらしい。
だが、セネシオほどの能力があるのなら騒ぎを起こさずに人一人連れ出すことくらいはできるのではないだろうか。ルルシアがそう考えていると同じことを考えたらしいライノールが口を開いた。
「お前転移魔法使えるんだから、パッと行ってそいつ抱えてパッと戻ってくればいいだろうが。いきなり消えりゃあ、ざわつきはするだろうが、国内勢力に影響が出るほどの騒ぎにはならんだろ」
「あれって短距離移動しかできないしエネルギー喰うんだよねえ……まあ、救出だけならそれでもいいんだけどね。多分それだと彼女はサイカに残ろうとすると思うんだよ」
残ろうとする? とルルシアは首をかしげる。
「危ないのに? ……あ、危ないからか」
「そうそう。自分だけ逃げるわけにいかないって考えちゃうタイプさ。サイカは多分放っておいたら遠くない将来自滅して倒れると思うんだ。でね、貧しくて人心も荒れたサイカを他の二勢力がまともに管理するとも思えない。そしたら隣接したエフェドラに影響が出るのは避けられないと思う。地形的に、サイカは他の二勢力よりもエフェドラの方が行き来しやすいんだよね」
「つまりお前は、ルルに手引きさせてサイカの立て直しとオズテイルのパワーバランスの調整でもするつもりか? いったい何年かけるつもりだよ」
ライノールの口調は冷たい。確かに、そんなことをしようとすれば一朝一夕に出来ることではないし、ルルシアもディレルもそれに強制的に巻き込まれるのは困るどころの話ではない。
だが、セネシオは苦笑しながらひらひらと手を振って否定した。
「いや? さすがにそこまでは考えてないよ。――オズテイルって分裂してから三十年くらい経って、そろそろトップが分裂前の時代をあまり知らない世代に交代する頃なんだよね。それでどう転びそうなのかっていうのを内側に近いところで見ておきたいんだ。エフェドラ側の対策も必要になるかもでしょ? ま、その時に入り込むための足掛かりを作っておきたいってとこだよ」
長期的に潜入するつもりではなく、今回はあくまでも準備なのだ。その際にきっかけの一つとしてルルシアの前世の記憶を利用したい、というのがセネシオの言い分だった。
「うーんとつまり? わたしのお仕事は、アドニスさんをエフェドラに送り届けてからオズテイルに行って、サイカの中心組織に入り込んで顔を繋いでおく、ついでに捕まってる人のひとまずの安全を確保する……っていうこと?」
「そう。そんな感じ。アドニス君はどうもサイカとエフェドラを行き来してたらしいから案内役として同行してもらえないかなぁと思ってるんだけどね。……そこはまあ冒険者ギルドと本人次第だね」
「アドニスさんがどうこう?」
「いや、どう考えたって足引っ張るだろ」
彼は犯罪者である。それに加え、手足の自由が利かない。治安の悪い場所へ一緒に連れて行くというのはこちらのリスクが増えるだけではないだろうか。
ルルシアとライノールの懐疑的な視線にセネシオはニッコリ笑顔で応えた。
「神の子の癒しでどの程度回復するかってのもあるね。行けそうなら、って感じ」
話の行方を見守っていたユーフォルビアはため息をついて前髪をかき上げた。
「はあ。まあルルシアの安全を考えると許可したくないけど許可せざるを得ないって感じだからな……。ライノールは不満だろうけどさ」
「不満ですね。今すぐここにアニスを召喚したいくらいです」
「え? 森長?」
ライノールの出した名前にルルシアは首をかしげる。なぜここでオーリスの森長の名が出るのだろうか。だがユーフォルビアには分かったらしく、笑顔を浮かべつつも口元を引きつらせた。
「この状況でアニス・オーリスが来たら事務局が吹っ飛ぶからやめて欲しい」
「森長はそんなことしないですよ」
「そう思ってるのはルルだけだ」
「ええ……」
そんなことないよ……、というルルシアの言葉にユーフォルビアは力なく笑いながら静かに首を振った。
「残念ながら、アニス・オーリスならやる」
「……アニスって人がどういう人かはわかんないけど、ルルシアちゃんもディレル君もちゃんと無事に帰すよ。それは約束する。本当にヤバい状況なら騒ぎ起こしたくないとか言ってないで全力で対処するからさ」
セネシオはだらっと座っていた姿勢を正して真面目な顔でそう言った。それに対してライノールはため息をついて「当たり前だろ」と呟いた。
「ルルに何かあったらお前殺すからな。――ああ、あと最初に言ったが、ディレルが行かないならルルシアも行かせない。議会が何と言おうともな」
ライノールが「殺す」といった瞬間、一瞬だけだが室内の空気がびりっとざわついてルルシアはぴくんと肩をはねさせた。どうやらライノールは本気である。ルルシアが思っていたよりも、彼はルルシアを大切に思っていたらしい。ユーフォルビアもセネシオも微妙に苦笑している。
「アンゼリカさんが許可出すかは疑問だがな」
ぼそっと続けられたライノールの呟きに、セネシオは「そうか、あの人か……」と空を仰いでため息をついた。




