81. 攻撃魔法みたいな
工房の扉を開けてもらい中に入ったルルシアは、すぐに手に持っていた数枚の紙を顔の前に掲げて見せた。
「今日は願い鳥を飛ばす日なんだよ」
「ああ……そういえばそんなのあったね」
「反応が薄かった……わたし楽しみにしてたのに……」
「ごめん……地元民からしたら毎年のことだからあんまり特別感ないんだよね」
今日だったか、とディレルは窓を開けて外を覗く。ルルシアもその横に並んで日が落ち始めた空を眺める。たまに光るものが空に向かってふわふわと浮かび上がり、そしてある程度の高さでふっと消えるのが見えた。
まだ暗いというほどではないのであまり目立たないが、それでも綺麗だった。
「ここに来る途中も街の方でいくつか飛んでるの見えたよ」
「ものぐさな人は早い時間に飛ばしちゃうんだよね。あと、魔力が少ないけど飛ばす鳥の数が多い人は早めに始めて休み休みやるらしいよ」
「え、なんかストイックだねそれ……」
「そこまでして……って思うけどさ。年に一度のことだから気合入ってる人っているんだよね。でも普通はもう少し暗くなってからだよ」
「すごく綺麗だろうね。楽しみ」
「そうだね。あんまり改めて見ることはないけど、でもきれいだとは思うよ」
そう言いながらディレルが窓を閉めたのでルルシアはいつもの定位置である作業机の横の椅子に座る。机の上には完成品と修理品と思わしき魔術具がいくつか置かれているが、道具はきれいに片づけてあった。その代わり、何冊も本が積まれていた。どうやら作業はしておらず、本を読んでいたらしい。
「作業はないんだ」
「昨日終わったからね。――ところでルル、入口の鍵閉めたの気付いた?」
少々がっかりしたルルシアのすぐ脇に立ったディレルがニコリと微笑む。
「……鍵?」
「次からは、鍵かけるって言ったよね」
(次、から……って……)
「…………言って……た、ね」
魔工祭の初日、ディレルに膝上抱っこされ、何度もキスをされ――誰かが来て扉を開けるかもしれないから離してくれと言ったルルシアに、ディレルは「じゃあ次からは外から開けられないように鍵閉めるよ」と言ったのだ。
「ま、待ってディル……」
「ダメ」
ディレルは慌てふためくルルシアに有無を言わさず、ふわりと横抱きにすると、ソファまで運んで横たえるように降ろした。ルルシアは体を起こそうとするが、それより先にディレルに肩を押さえられ、押し倒されるような格好になってしまう。
「……ルルが傍にいると、こういうことしたくなるから来ちゃダメって言ったんだ」
「えーと、わたしがいると気が散るって、そういうこと……?」
「そうだよ。――でもルルは全然俺のこと意識してないみたいだから、ちょっと力づくで意識してもらおうかなって思ってさ」
「力づくって……ひゃ」
ディレルの顔が近づいてきて、思わず目を閉じる。
そして――
ディレルは軽く口づけをした後、ルルシアの手を引いてその体を起こした。ソファに向かい合わせで座っている状態だ。
それ以上、特に何かをされる気配はなく――恐る恐る目を開くと、ディレルは困ったような笑顔を浮かべていた。そういえば昨日もこんな風に笑ってたな……、と思っていると、彼はルルシアへと手を伸ばし、優しく頬を撫でた。
「ごめん、そんな顔しないで。ちょっと油断しすぎだから脅かしただけだよ。ルルが本当に嫌がることはしない。……ただ、そういうことしたいって思ったりはするから、あんまり無防備に側にいられるとちょっと困る」
「……はい……」
(……呆れてるんだろうなぁ……前にも言われてたのに……)
ディレルの言った『そんな顔』というのがどんな顔だったのかルルシア自身にはわからないのだが、もしものすごく拒絶しているように見えたなら、いくら脅すつもりだったとしても傷ついたかもしれない。ルルシアは慌てて言い添える。
「でも、決してそういうのが嫌なのではなくて……えと、まだ覚悟がないので……」
「うん」
言いながら恥ずかしくなってきて語尾が小さくなる。ディレルからしたら、この状況で何を言っているんだという感じだと思うのだが、そんな態度は全く見せず優しく笑ってくれていた。
心臓がバクバクして、胸がきゅうっと苦しい。
(どうしよう、ものすごく好きだ……)
頬を撫でるディレルの手に自分の手を重ねて、すり、とほおずりする。
ディレルは少し固まった後、こめかみを手で押さえてため息をついた。
「……もしかして俺の忍耐力試してる?」
「別に試してない…………でも、えーと、抱きついていいですか……?」
「……やっぱり試してるよね……まあいいよ、受けて立ちましょう」
おいで、と手を広げてくれたのでその胸に飛び込み彼の肩に顔をうずめる。
「ディル好き。大好き」
ルルシアがぎゅっと抱きついて呟くと、ディレルはルルシアの肩に顎を乗せたまま「これは罰ゲームか何かかな」とため息をついた。
「…………えーと、ルル? キスはしてもいいんだよね?」
「……ほどほどなら」
「ほどほどってどこまで……まあいいや、嫌だったらとめて」
***
ルルシアが「もうだめ、ムリ!」と音を上げたのは日が完全に落ちる少し前だった。ディレルがソファから離れて魔術灯を点けると、かすかに闇の落ちていた薄暗い部屋の中が明るく照らされる。
結局また押し倒されたルルシアはソファに転がったまま、真っ赤になった顔を両手で覆ってうめいていた。
「ルルほら、願い鳥飛び始めてるよ」
「うう……ディル切り替え早い……」
「思ってたより許されたから割と満足してる」
「ソウデスカ……」
立ち上がって窓の方へ行くとディレルが窓を開けてくれる。
夜風がふわりと入って来て髪が揺れる。テインツは季節の変化が乏しいのだが、風はひんやりとして秋の気配を感じさせる。火照ったルルシアの頬に心地良い。
とばりをおろすように紺色に染まっていく空には既に色々な色の光がふわふわと浮かんでいた。上っていく光が色とりどりなのは、願い鳥を飛ばした者の魔力の色を反映するからだろう。ルルシアの場合淡い青になるはずだ。
「綺麗だねぇ」
「うん」
「わたしも飛ばさなきゃ!」
作業机の上に置きっぱなしにしていた願い鳥を手に取る。――が、スッとディレルに横から取り上げられた。
「ん? なんで取るの」
「……ユッカさんのはないんだ」
「うん。ユッカさんは調査で一緒になるまではほとんど話したことなかったから」
「ふうん」
自分で聞いたというのに、ディレルはあまり興味なさそうに返事をした。
(と、いうか微妙に機嫌が悪いね?)
「……これは飛ばしちゃダメ」
急に機嫌の悪くなったディレルに首をかしげるルルシアの目の前で、彼はハオルから貰った一枚をスッと抜いて、残りをルルシアの手に返した。
「えっ、え? ハオル様の……なんで?」
「……あいつ絶対ルルのこと狙ってるし」
「ええ……あいつってハオル様? 狙ってるって……わたしを? ハオル様が?」
「うん。一目ぼれっぽい感じだったし……気付いてないのルルくらいじゃないの? ギルドでちょっと会っただけのフォルだって気付いてたし。疑うならライに聞いてみなよ」
「……で、……でもハオル様がわたしのこと……好き、だったとして、なんで鳥飛ばしちゃダメなの? 仲良くしようねってだけでしょ」
「仲良くしなくていいよ」
「……もしかしてディレルさん、妬いてますか」
「うん」
「ユッカさんのこと聞いたのも?」
「……そうだよ」
ディレルはいつになくぶっきらぼうに言う。
(拗ねてる……か……可愛い……)
「ディルってそういう、嫉妬とかしないのかと思ってた」
「するよ。神の子は完全にルルにアプローチしてるし、ユッカさんは美形でしかもエルフだし、側にいる時間も長いし、綺麗とかいうし……」
「ハオル様はわかんないけど、ユッカさんは完全に無関係だよ」
「まあユッカさんはわかってたけど、一応確認した」
「なるほど……でも、それとこれとは別! 鳥は返してください!」
「ええー…………」
ディレルはものすごく不満そうな顔で、それでも渋々ハオルの願い鳥をルルシアに返した。
他にこっそり取られたりしていないだろうかとルルシアが手元の鳥の確認をしているところに、ディレルの独り言のような言葉が聞こえた。
「うーん……ルル、やっぱり結婚しようか」
「へ? ………………へ!?」
「プレイ」
ルルシアが思わず二度見すると、ディレルの手から魔工祭の時にルルシアが渡した折り鶴が飛び立つところだった。淡く緑の光を引いて鶴がふわりと空に上っていく。
「え……ちょ、今なんか言いましたね?」
「願い鳥の呪文? 『プレイ』だよ。知らなかった?」
「ちが……え、聞き間違い? ……かも」
とりあえず一度落ち着こう。ちょっと頭の中がショートしているのだ。そう自分に言い聞かせ、ルルシアは手のひらの上に願い鳥を乗せて、呪文を唱えるために口を開いた。
「あと、結婚しようって言った」
「プレイ!!!」
ギュン!! と闇を切り裂く矢のように、ルルシアの手からいくつもの光が飛び去り、一瞬で燃え尽きた。夜空を見上げていてこの光を見た人々は、誰もこれが願い鳥のものだとはわからなかっただろう。
「うわ、すごいな。攻撃魔法みたいなことになってた」
「だっ……だって……急に……結婚とか……!」
「前から考えてはいたんだけどね。だってルルって、気付かないうちに言い寄られて気付いた時には絡め捕られてそうだからさ。結婚してればさすがにそうそう言い寄って来るやつはいないでしょ」
「……気付いた時に絡め捕ってるのはディルでしょう」
「……まあそれはそれとして」
「否定はしないんだ……」
「俺と結婚したら毎日メリッサがご飯作ってくれるよ」
「うぐ……」
「……でもなんかこれ、メリッサに負けた気分になるな……とにかく」
ディレルが手を伸ばしてルルシアの手を取り、その甲に口づけた。
「大事にするし、生活で苦労はさせない。――だから、考えてみて」
「う……はい……ええと…………考え、ます」
さて、暗くなったから送るよ、というディレルの言葉に頷いたもののルルシアの頭の中はパニック状態で、工房を出て自分の部屋に帰りつくまで自分がどう歩いて何を喋っていたのか、何一つ覚えていなかった。




