80. でもおいしいんだ
フォーレンへの指導は、晩餐の準備が整ったという知らせで中断された。
ビストートは非常に残念そうだったが、フォーレンはホッとした顔で応接室に戻ってきた。そして見捨てて置いて行ったディレルに対してはしばらくぶつぶつと文句を言っていた。
だがフォーレンはビストートの押しの強さと勢いに引いていたものの、彫刻自体にはかなり興味を持ったらしい。晩餐の際に時々ビストートのもとを訪ねて教えてもらうという約束をしていた。
食事が終わった後、お茶を飲みながら調査のことやエルフ事務局のことなど、雑談が始まった。
ルルシアはそっと席を立って、片づけをしているメリッサに話しかける。片づけを手伝うつもりで来たのだが、既にワゴンに載った食器を引き上げるだけの状態なのでルルシアの手は不要そうだ。
「メリッサさんご飯おいしかったです」
「うふふ、ルルシアさんはいつも褒めてくれるから作り甲斐がありますね」
「だっておいしいんですもん。いっそメリッサさんを引き抜きたいくらいです」
「……あら、ヘッドハンティングのお誘いですか?」
「毎日家でご飯を……むしろ寮で雇用するとか……」
ルルシアがむむむ……と考えながらそう言うと、メリッサは胸の前で手を合わせ「あら素敵」と嬉しそうに微笑んだ。
「エルフの皆さんの寮で仕事できるなんて毎日目の保養ができちゃいますねぇ」
「……うちが困るからやめて。メリッサもノリノリで話し合わせないでよ」
呆れたような声に振り向くと、いつの間にかディレルがそばにやって来ていた。
「あらま、内緒話がバレちゃいましたね」
退散退散、とくすくす笑いながらメリッサはワゴンを押して部屋を出て行った。
「ディル。向こうの話はいいの?」
「え? うん。フォルがガチガチだったから見てたけど、もう大丈夫そうだから」
そう言われてルルシアはフォーレンの方をちらっと見る。確かに始めは耳も尻尾もピンと直立不動で緊張しているのがよくわかったが、今はいくぶんかリラックスしている様子だ。
「そっか。……そういえば、今日わたしたちが来るの聞いてなかったんでしょう? ……もしや家庭内不和で会話がないとか……!」
実はずっと聞きたかったのだが、ビストートたちがいるところでは聞き辛かったのだ。以前ルルシアの扱いをめぐってディレルがアンゼリカに抗議したことがあって、もしかしてそのあたりのことが原因で実は関係を悪くしているのでは……? と心配してディレルの顔を窺うと、彼はふはっと息をはいて笑った。
「違う違う。まあ会話の機会はなかったけどいつものことだし――溜まってた仕事片づけてたからしばらく工房にこもってたんだ。今朝がたやっと片付いて……で、寝てたら急に起こされて『お客様が来てるから食事に顔出しなさい』とだけ言われたのが、ついさっき」
「ああ、それでちょっと眠そうだったんだ」
「眠かった。フォルの大声で目が覚めたけど」
「仕事が片付いたんなら、しばらくは忙しくない? また工房に行ってもいい?」
「……うん、いい、けど……」
いいと言いつつ、ディレルの視線は少し泳いでいる。なんとも煮え切らない様子に、ルルシアはしょぼんと眉を下げた。
「……やっぱり邪魔? ユッカさんもね、土の魔法使うときすごく綺麗なんだけど、じっと見てたら『あんまり熱心にみられると緊張する』って言われたんだよね」
「……へえ?」
なんとなくディレルの纏う空気がピリッとしたのを感じて慌てて続ける。
「邪魔になるならやめとくね。仕事の妨害したいわけじゃないから」
「邪魔じゃないよ。そうだな、明日でよければおいで」
「本当? いいの? えっと、夕方になるけど大丈夫?」
「うん。どうせ一日中いるし」
ここしばらく調査で外に出てばかりで、ディレルに会う機会がなかったので素直に嬉しくて顔が緩む。ディレルはそんなルルシアを見て少し困ったように笑った。
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その翌日、未調査の候補地残り四か所について、調査を延期することが正式に決まった。前日にビストートがクラフトギルドの見解として言っていたように、調査済みの七か所が全て使えないという判断になるまでは様子見だそうだ。
元々場所が遠方で、条件が良くてもまともに運用ができないのではないかと言われていたのだ。遠くまで足を延ばした挙句に「やっぱ遠いからダメ」と言われるような事体は避けられそうでルルシアとユッカは胸をなでおろした。
クラフトギルドの方では、採取してきた土壌サンプルでの木の栽培実験と並行して魔力を含んだ木の性質を調べて、活用法の検討が始まっているらしい。プラスして、浄水場回りの一帯がセネシオ曰く『霊脈を移動させる魔法を使うと平らになる』らしいので必要な建物の移築なども進んでいる。
ここまでくるともうルルシアたちにやることはない。上手く行くことを願いつつ、待つばかりだ。
そして。
「アドニスさんが完全に目を覚ましたそうですよ」
「……本当?」
「……会ってはいないので確認はしてないですけど。犯罪者として捕まってる状態なので簡単には会えませんから……今後、取り調べで事情を一つ一つ確認していって、で、最終的に罰金の額が決まります」
「罰金……アドお金持ってない……」
呟きながらシャロが絶望的な顔をした。何回か会って話をするうちに、ルルシア相手なら表情も変えるようになってきたのは良い傾向だ。
「罰金が払えない人は働いて返すことになります」
「!……アドが妓楼に売られちゃう……」
シャロは大きな瞳をこぼれんばかりに見開いて、真っ青な顔で口を押さえた。
警備員が肩を震わせているのを視界の端で捉えながら、ルルシアはシャロの前で手をパタパタ振って否定する。
「いやいやいや、売られないから。テインツにはそういう制度無いから。あってもアドニスさんはそっちには売られませんよ」
「だって、体で払ってもらうって、体売るってことでしょ?」
「……ちょっとシャロさんの教育方針についてアドニスさんと話し合いたいことができましたが、とりあえず、わたしが言った『働いて返す』は普通にお仕事して、稼いだお金を罰金の返済に充てるってことです。お仕事は……農作業とか、土木工事とか、色々ありますが普通の仕事です」
「体売らない?」
「売りません」
ほっと息をはいて、シャロは「良かった」とつぶやく。だがすぐにハッと顔を上げてルルシアを見た。
「でもアド不器用だからお仕事できるかな……」
「そんなに不器用なんですか?」
「卵割るとき、いつも殻をぐしゃぁっって潰しちゃうの。アドが作ったスクランブルエッグいつもガリガリするんだよ」
でもおいしいんだ、と寂し気に続けた。
現在のアドニスは瘴気の影響によって手足にまひが残っている。特に手の方は上手く曲がらない指もあるようだ。今卵を割ればもっとひどい有様になるだろう。
(神の子の治療が許可されて、それで少しでも良くなればいいけど……)
「ルル、今日のお菓子は」
「え、あ、クッキー持ってきてます」
「またクッキー? シャロはアップルパイ食べたい」
「くっ……ついにわがままを言い始めた……あれは事前に約束して作ってもらわないといけないから大変なんですよ」
「あのアップルパイおいしいですよね。市販品じゃないんですか?」
「知人の手作りです……というか話しかけちゃいけない決まりですよね」
普通に会話に入ってきた警備員をじろりとにらむと、「この間のアップルパイがまた食べたくてつい……」とテヘッと言わんばかりの笑顔を見せた。
「……まあ頼むだけ頼んでみますけど……」
どのみち今日はこの後ディレルに会いに屋敷へ行くのでメリッサとも会うだろう。その時に彼女の予定を聞いておこう、と頭の中にメモする。
(……ああ、本当にメリッサさんの雇用を寮に提案したい……)




