73. 出口の条件
神の子の一行がエフェドラへ戻って行ったあと、比較的平穏な日常を送っていたルルシアがその日事務局へ顔を出すと、机の上に多分文字だと思われる、のたくった線が書かれたメモが載っていた。ユーフォルビアの筆跡である。かろうじて執務という文字が読み取れるのでおそらく『執務室に来るように』といった内容が書かれているのだろう。
そう見当をつけて彼の執務室へ行くと、そこにはユーフォルビアだけではなくユッカも来ていた。なんとも珍しい組み合わせである。
「霊脈の出口の探索をユッカにお願いするんだけど、その時の護衛役としてルルシアについて行って欲しいんだ」
「わたしですか?」
「うん。町からあんまり離れてない場所の探索だから肩慣らしにちょうどいいでしょ?それに気配探るのはライノールよりルルシアの方が得意だって聞いてるし」
「ああ…はい」
ここでいう気配は魔力の気配だ。ライノールは本人の魔力量が膨大なため、微弱な魔力はうまく感知できないらしい。逆に自身の魔力が乏しいルルシアはそのあたりに敏感なのだ。
「よろしくね、ルルシア」
「…はい、よろしくお願いします」
微笑むユッカの背景には今日もバラの花が舞い散る幻が見える。ユッカ自身は親切だし好青年なのだが、相変わらず色っぽくって目が合うと居心地悪く感じてしまう。とはいえ、同じ事務局のメンバー相手にいつまでも苦手だの何だのと言っていられないので、慣れるチャンスと割り切るべきだろう。
「あと一応冒険者ギルドから一人ついてもらいます。新人さんらしいからこっちも肩慣らしって感じだね」
冒険者ギルドの新人というと、ルルシアの脳裏に真っ先に浮かぶのがあのセクハラエルフのセネシオだが――ありがたいことに彼は今テインツを離れてエフェドラにいるはずなのでさすがに現れないだろう。
ルルシアは、怖そうな人じゃないといいな…と思いつつ先程渡された書類に目を落とす。霊脈の出口の条件をまとめたリストだ。
大地の魔力が流れる霊脈は、土地の草木や大気中に魔力を行き渡らせるいわば世界の血管のようなものだ。だが、現在のテインツに流れている霊脈は流路の一部に流れが滞る地点がある。その場所で魔力が乱れることにより瘴気が発生し、魔力と混ざってしまっているのだ。更にその霊脈の出口がテインツのライフラインを支える水脈とぶつかっているため、水脈から湧きだす水に瘴気が混じってしまうという事態を引き起こしている。
現在は魔術による浄化装置が稼働して瘴気を取り除いているが、その装置のエネルギー源には供給が安定していない貴重な魔獣結晶を使用している。更に言うと、現在の浄化装置では浄化能力が不足しているため、時々ルルシアの魔法で調整してやる必要がある。
そこで、霊脈の流れ自体を変えることができるというセネシオに協力を仰いで霊脈と水脈の流路を分けてもらうということになっているのだが…問題は、その流れを変えた霊脈をどこに通すかという話だ。
セネシオによれば、流れる場所は変えられるが、流れ自体を止めることはできない。つまり、どこかに霊脈の出口が移動するということになるのだが――霊脈の出口というのはつまり魔力が流れ出す場所だ。どこでもいい、というわけにはいかない。その出口にふさわしい場所を探す役として白羽の矢が立ったのが、土地の魔力をみることに長けているユッカなのである。
肝心な出口の条件は、細かい物もあるがおおむね重要なのは四つ。
・管理が必要になると予想されるのでテインツからあまり離れていない場所。
・ただし魔力が湧く場所は魔物が寄ってきやすいので、近すぎてもダメ。
・元々魔物の多い場所は魔獣の発生の危険性が高まるのでダメ。
・旅人や商人たちが使用する移動ルートからは離れていること。
「これ…普通に無理ではないですか」
「近くても遠くてもダメ、人が通るところもダメっていうのはね…」
条件自体は単純だが、どう考えても当てはまる場所がない。ルルシアが顔をしかめた横でユッカも苦笑いを浮かべている。
「近すぎず、それほど魔物が現れない安全な場所って普通旅人の休息地になってますしね…休息地になってるってことはつまり既に移動ルートに組み込まれてるってことですし」
「ははは、だよねぇ。最終的にはルート一つ潰すか、それとも完全に見張りをつけて管理するかってことになるんじゃないかなぁ」
「つまり、一番マシな場所を探せってことですね…」
「そうなる。ルルシアは意外と理解が早くて助かるよ」
「意外と…」
ライノールもだが、ユーフォルビアはいつも余計な一言を付け足すので褒められている気がしない。というか実際に褒められていないのかもしれないが。
「エフェドラみたいな魔力が豊富な『聖なる泉』には出来ないんですか」
「セネシオ氏によれば、昔は純血種のエルフが多かったから繊細な調整もできたけど、セネシオ氏一人じゃ無理だそうだよ」
「ああ、繊細さとは無縁そうですもんねあの人」
「それは同意するよ」
聖なる泉にはできないとしても、せっかくの豊富な魔力を垂れ流すだけというのはもったいない。他のことに転用できないのだろうか。魔力を貯めておいて何かのエネルギーとして使えるような…としばらく考えて、そういえば少し前にそういうものを見たな、と思い出す。
「…オーリスの森には、集落の真ん中に大きな木があるんですよ。中が転移装置になってるんですけど…あの木自体が、魔力を栄養にして成長して、なおかつ貯めこむことができる木なんだって聞いたことがあります。そういう木の人工林って作れませんかね」
「……人工林?」
「テインツは土地の栄養が少ないみたいですけど、魔力を栄養にする木なら育てられそうだし、魔力を含んだ木って魔術具にも使えそうだし、林業で雇用創出もできるしでメリット多いと思いますけど…」
ルルシアが思いつくまま言った言葉に、ユーフォルビアもユッカも不思議そうな顔をする。しかし、それほど不思議な発想だろうか。むしろ誰かが思いついていてもおかしくないとルルシアは思いながらしゃべっていたのだが。そう、例えばライノール辺りが――
「…もしかしてこの世界には木材のための人工林っていう概念がないんですか?」
「ああ、そういえばルルシアは前世持ちだってライノールが言ってたな…いや、木材を産業にしている領地はあるし、小規模だけど人工的な林を作ってるっていうのは聞いたことあるよ。テインツは土地が貧しいっていうのが根底にあるから、僕らはそういう発想に至らなかったんだよ。――しかし、魔力を含んだ木材か…面白そうだね」
うなるようにユーフォルビアがそういうと、ユッカも頷いた。
「もしそうなら新しい産業になりそうな話ですね。そうすると商業とかクラフトギルドにも話を通して練り直した方がいいんじゃないですか」
「そうだねぇ。実際その木を植樹できるかとか、本当にこの土地で育つかとか、木材の利用が出来るかとかの実験も必要だし…あとは実際にやるとなったときの働き手の確保とか諸々検討しないといけないしね。それに何よりも重要なのが、他の領の産業にかぶるからギルドだけじゃなく議会にもかけないといけないところだな」
他の領の産業というと、既得権益などの問題になってくる。テインツは過去には石を切り出したり森の木々を使ったりして自前で材料を得て工業製品を作っていたが、現在は材料の大部分を他領との国内取引に頼っている。そこに、新しい木材が現れるというのはなかなかにインパクトが大きい。
完全なる思い付きでそういう話になると思っていなかったルルシアは、議会という言葉に少しだけ背筋がひんやりするのを感じた。
「…なかなか大変なお話ですね」
「そうだね。一朝一夕では進まないだろうけど…それはそれとして、候補地の選定は進めておこうか。休息地になってる場所も含めて、単純に魔物が少なくて近くて魔力が安定している場所を探す感じだね」
「分かりました」
「了解です」




