68. 『元』冒険者
シャロがアドと呼んでいるその男の名前はアドニス・バートラム。年の頃は三十に手が届いたかどうかというくらい。焦げ茶色の髪で、特に特徴があるわけでもないどこにでもいそうな風貌の男だ。
グラッドによれば、十年ほど前までテインツの冒険者ギルドに所属していた元冒険者だということで今は冒険者ギルドが身柄を預かっている。
『元』冒険者である理由は、彼が民間人を殺害し除名処分となったからだ。
「俺の着任前の出来事だから伝聞だし、細かい事情の真偽はわからないんだが…。民間人との口論から殴り合いになって、不運なことに倒れたときの頭の打ち所が悪くて相手が死んじまったらしいんだ。口論の原因はどうも相手がアドニスの亡くなった妹をひどく侮辱したとかって話で、当時のことを知ってる連中は概ね同情的だったよ。――だが民間人を死なせた以上不問ってわけにもいかないからな」
冒険者ギルドを除名処分になるというのは非常に不名誉なことで、社会的な信用ががくんと落ちてしまう。具体的に言うと国内では仕事に就きにくくなるのだ。
民間人の直接的な死亡原因は殴られた後、倒れたときに頭を打ったことだったというのもあり、当時のギルドでは除名処分は重いのではないかという意見があったらしい。だが他でもないアドニス本人が除名を受け入れたのだという。
そもそも唯一の肉親であった妹を養うために冒険者になったため、もう続ける理由がないと周りには話していたそうだ。
「冒険者ギルドは国ごとに管轄が違うから国外に出ればまっとうな仕事にありつける可能性はある。少なくとも昔のアドニスは性根の曲がったやつじゃなかったらしいから、昔のヤツを知ってる連中は、生きてるなら国外で働いていると思ってたみたいだな」
「『生きてるなら』っていうのは、死んでる可能性が高いって思ってたみたいな言い方ですね」
「ああ。可愛がってた妹を亡くしてからはほとんど生ける屍みたいな様子だったらしい。そのうえ除名を受け入れてふらっと姿を消した。まあ普通に考えたら野垂れ死んでてもおかしくない」
そのアドニスが現在治療を受けているのは冒険者ギルドが所有する治療施設で、監視が必要な犯罪者から、命を狙われていて護衛が必要な一般人まで、諸々の訳ありな患者を受け入れている場所である。もちろん普通は関係者以外は入れないため、ルルシアがアドニスのもとを訪ねるにも手続きを踏んで許可をもらわなくてはいけない。
今回は支部長の口利きがあったためスムーズに許可が出たのだが、それでも面会許可が出たのは申請の翌々日だった。通常は面会者の身元調査などもあるそうで、大体一週間ほどかかるらしい。
石造りの建物の中をグラッドの付き添いで進む。この治療施設には犯罪者も入院しているが、壁石には魔術文様が刻まれ、魔術師が交代で常駐して結界を張っているためセキュリティーは万全だそうだ。
案内されてたどり着いた区画は、各部屋の扉の前に警備員らしき者が二人ずつ配置されていた。おそらく犯罪を犯したものや容疑者が逃走しないように見張っているのだろう。
「この部屋だ」
グラッドが足を止めた扉の前にも二人の男が立っており、グラッドの姿を認めると背筋をぴしっと伸ばして黙礼をした。顔を上げた時、彼らの目がちらりとルルシアの方を伺い見る。
施設内では防犯のため帽子やフードの着用が認められていないのでルルシアも帽子をかぶっておらず、エルフの特徴である長い耳がむき出しになっている。集落の外でエルフが耳を晒すことはめったに無いので珍しいのだろう。
ルルシアがすれ違いざまに「ご苦労さまです」と微笑むと、彼らは嬉しそうにへらっと表情を緩ませ、その直後にグラッドに睨まれて慌てて表情を引き締めていた。
アドニスは魔獣の爪で背中に大きな傷を負っていたため、うつ伏せの状態でベッドに寝かされていた。その背中の傷は大きく、傷は残るものの、幸運なことに順調に回復すれば後遺症などは残らないそうだ。
問題は体の傷よりも体内に入り込んだ瘴気の影響である。現状で意識が戻っていないのも瘴気によって激しく衰弱したせいなのだろう。人間は比較的瘴気に耐性があると言われているが、あそこまで高濃度の中に長時間いたら命を落としていてもおかしくはない。ルルシアが出来る限り体外に排出したが、既に受けたダメージまではどうしようもなかったのだ。
そして、ルルシアがシャロと同調していた時真っ黒に染まって見えた手足の末端は、最悪の場合動かないということも考えられるそうだ。ただ、これについては本人の意識が回復してリハビリをしてみないと最終的にどうなるかはわからないらしい。
目を閉じたアドニスの顔は、ルルシアの記憶にあるよりも土気色で痩けており、落ち窪んだ眼窩に影が落ちている。だが、生きている。
「一度も目を覚ましていないんですか?」
「たまに目を開けたりはするみたいだが、意識が戻ってるという感じではないらしい」
「ああ、そういえば私も今回は時々夢うつつな状態で何回か起きたりしてたみたいですね。あまり覚えてないんですけど…瘴気のせいで意識が混濁するのかもしれませんね」
「そうだろうな。瘴気を浴びて倒れた奴が、体が無事なのに意識がなかなか戻らないって事例をよく聞く。――しかしルルシア嬢、君は割と頻繁に倒れて寝込んでる気がするんだが…エルフってのはそういうものなのか?」
「……いえ、先日エルフの皆さんに怒られたばかりです…」
「…そうか、君に負担をかけているのはこちらの力不足のせいでもあるから、言えた立場ではないんだが…あまり無理をして、ディレルを悲しませないでやってくれ」
「ディレっ…ルの名前が、なぜ、急に」
「?…婚約をしてるんじゃないのか」
「してません…」
「…ああ、なるほど、いつものランバート夫人の暴走か…」
「いつもの…」
グラッドが憐みのこもった視線をルルシアに向ける。
(『いつも』のですぐに納得できるほどよく暴走してるってことですね…)
『うちの娘になる』というあの一件についてはアンゼリカからきちんと謝罪を受けている。そしてその謝罪の後に続けて「でもいつでもうちに引っ越してきていいのよ?」と言っていた。あまりに諦めないのでルルシアはいっそ感心してしまったほどだ。
「ま、まぁそれはとにかく、瘴気のせいで意識がはっきりしないのが問題であって、肉体的に致命傷を負っていて危険な状態っていうわけではないということですよね」
「そうだな。ただこのままの状態なら結局緩やかに衰弱していくわけだし、危険な状態には変わりないがな」
「…なるほど」
ベッドの横にしゃがみこんでアドニスの顔を見つめる。
シャロは「シャロの心配をするのはアドだけ」と言っていた。彼女の言葉や態度からは彼への信頼が見え隠れしていて、ずいぶんと大事にされていたことがわかる。妹を喪って失意に暮れていた彼はシャロに妹の面影を見ていたのだろうか。
彼は教会を襲撃した時、神の子を殺せばいいのかと聞いたシャロに『重傷でいい』と返していた。そしてその他の、テインツ周辺の瘴気による被害状況を見ても命を落とした者は一人もいなかったのだ。ライノールはそれを聞いて「妹分に殺しをさせたくなかったのかもな」と呟いていた。
「シャロが心配してるので早く目を覚ましてリハビリはじめたほうがいいですよ。貴方が死んだらシャロも後を追って死んじゃいます」
置かれている立場は大きく違うが、ルルシアはシャロとアドの関係に自分とライノールの関係を重ねてしまう。もし、自分を庇ってライノールが命を落としたら――考えるのも嫌で、軽く頭を振って立ち上がる。
「さて、生存確認はしたので今度はシャロの健康確認ですね」
聞いた話では一応ルルシアと会った後はきちんと食事をとっているらしい。良くも悪くも純粋で素直な娘だ。信頼関係が築ければ、一連の襲撃事件に関して、隠し事などなしに聞いた話に答えてもらえると思う。彼女にどこまで情報を与えられているかというところは疑問だが。
そして、できればフロリアの森で起こったことのすべてを知りたい。




