54. 『なりかけ』
あまり手入れされていない道に沿って、地面の少し上辺りの低い位置をぼんやり光る火の玉が飛んでいく。その光を追って三人は採石場へ向かって移動していた。
「なんか独特の形の光だね」
「さっきは普通の光球だったのに」
ルルシアが魔法で作った火の玉を見たセネシオとディレルの感想にルルシアは肩をすくめる。
魔法は使い手のイメージの影響を受ける。本人的に不本意であっても、だ。
馬に乗っていたときは『あたりを照らす』『事故を防ぐために馬の存在を周りに知らせる』を意識していたので普通の光球だったのだが、今は『足元の凹凸が確認できる最低限の明るさ』『敵に見つからないよう急に消えても目が闇に慣れやすい色=赤系』『遠くから見えないよう低い位置で飛ぶ』…などいろいろ考えたのと、お祭り・花火・夏・夜・森・肝試しという連想をしてしまった結果、頭の中に浮かんだのが赤みがかったオレンジ色の火の玉だったのだ。
この光景に一番違和感を覚えているのは他でもないルルシアだ。この気持ちを共有できるルチアがここにいないのが歯がゆい。
しばらく進んだところで数匹のイタチのような魔物が飛び出してくるが、すぐにディレルの剣で打ち払われる。その後も小さな魔物が断続的に現れるようになった。こちらを襲ってくる、というよりもお互い同じ場所へ向かう途中でエンカウントしたという雰囲気である。
「とりあえずこの奥に魔物が集まってきてるのは間違いないね」
手のひらくらいのサイズの蜘蛛の魔物に細身の剣を突き刺したセネシオが、剣を振って刀身についた魔物の体液を払いながらのんびりとした声を出す。
「できれば中心部の瘴気の規模を確認したいところだけど、こう細かいのが多いとなると早めに戻って人数揃えて迎え討つ体制作ったほうがいいかもしれないな」
腕の太さくらいのムカデに剣を振り下ろして真っ二つにしたディレルが特に焦った様子もなく応じる。
どうにも男性陣が二人揃って物事に動じにくいタイプなため危機感が薄れてしまうのだが、状況はあまりよろしくない。これらの魔物が森にとどまっている間はまだいいが、外に出てしまうと大混乱が起きてしまう。ルルシアはディレルの顔を見て頷く。
「…そうだね、前のときも質より量って感じだったからきっと今回も一緒なんだと思う。細かいのがいっぱい来るっていうのは確認できたし…」
一旦戻ろう、という言葉を言おうとして続きを飲み込む。
「おっと、大物が来た…レッドバックボア…の、でかいやつ!」
「ルル、下がって!」
草を巻き上げ、木の枝を折りながら突進してきたのはレッドバックボアと呼ばれる猪の魔物だった。レッドバックの名の通り、背中の毛色が血で染めたように赤い。通常サイズならば自転車くらいなのだが、現れたのはワゴン車くらいのサイズだった。
ルルシアは後ろに下がりながらとっさにブレスレットに魔力を込めて防壁を張る。が、突進の衝撃に耐えきれずすぐに砕け散ってしまう。防壁で殺しきれなかった勢いをディレルが剣で受け止めた。
すかさずセネシオが放った投げナイフは猪の目の少し下に刺さる。
ギュオオオオッッ――と甲高い悲鳴を上げた猪が怯んだ隙に、ディレルはその鼻先を蹴り飛ばしよろけさせて後ろに飛び退り、距離を取る。
「魔獣…だよなこれ」
「そうだねぇ。でもあえて言うなら『なりかけ』って感じ。纏ってる瘴気があんまり安定してない。――そのせいで半狂乱ってとこかなぁ」
「…っ!!…動きは読みやすいけど、威力がでかすぎる」
噛みつこうとする牙を剣でいなしながらディレルが舌打ちする。興奮しているので攻撃の動きは単純になっており防ぐこと自体は難しくないのだが、このまま受け続ければいずれ剣が折れてしまう。
セネシオの武器は細身の剣と短剣で、当たっても致命傷にはならない。それに魔物はこの猪だけではなく他にもいるため、セネシオはそちらの対処に回らざるを得ない。
そこに、一条の青白い光が走り抜け、猪の左目を撃ち抜いた。
「ルルシアちゃんやるぅ」
ルルシアの矢による攻撃だ。セネシオが口笛を吹いて称える。
だが、左目を潰された猪はもう一度鋭い悲鳴を上げたたらを踏むものの、まだ倒れるには至らない。
(あと二、三回は当てないと…)
ルルシアは歯噛みしてもう一度弓に魔力を込めて矢を作り出す。
せめて壁役がもうひとりいればディレルが攻撃に移れるのに。もしくは攻撃役がもうひとりいれば。――そんな考えても仕方のないことを考えてしまうのは焦っているからだろう。
落ち着け、落ち着け。
心のなかで唱えながら、猪が攻撃をするために重心を動かした瞬間を狙って再び矢を放つ。矢が当たるのを確認する前にもう一度矢をつがえる。
(もう一発…!)
ガサガサガサッ
ルルシアの横の茂みが揺れ、グルル…と低い唸り声が聞こえた。
と、同時に吐き気がするほどの濃い瘴気が押し寄せてくる。猪の瘴気に気を取られて気付くのが遅れたのだ。ルルシアの背筋が冷たくなる。
(魔獣がもう一匹…。矢を撃てば猪は倒せるかもしれない。でも撃ったら防壁は間に合わない)
ここで矢を撃たねば間違いなく攻撃の機会は失われる。二頭の魔獣を同時に防ぎ、攻撃を加えることはできないのでなんとしても一頭は減らしておきたい。だが防壁が間に合わなければ、ルルシアには魔獣の攻撃から身を守るすべがない。
でも、さっき、わたしの防壁は破られたじゃないか――
「そのまま撃て!」
響いた声に、ルルシアは即座に反応して矢を放った。
放たれた矢は猪の眉間を撃ち抜いて、光の尾を引きながら消える。
数拍置いて、猪の巨体がずしんと地面を震わせながら倒れる。それと同時に、ルルシアの体をえぐるはずだった魔獣の爪は新たに現れた防壁が受け止めていた。
茂みから飛び出してきた魔獣は大きな熊の姿をしていて、後肢で立ち上がって腕を振り上げていた。その鋭い爪による重い一撃を、新たな防壁は完璧に防ぎきり、なおかつ弾き返してみせた。
「おらあぁぁ!!!」
後ろから飛び込んできた男が、怒鳴り声とともにがら空きになった熊の腹に両手剣を叩き込む。その後から魔術による攻撃が立て続けに飛んできて突き刺さった。
(わたしも、攻撃を)
魔力を弓に込めようとしたが、うまく集中できずに失敗してしまう。
だめだ、撃たなければ、だって熊の魔獣だから。
(なんで手が震えるの?死にそうになったことなんて前にもあったでしょ)
震える手を押さえながら弓を構え直すルルシアは、不意に後ろから誰かに抱きしめられた。その誰かは、ルルシアの手から弓を奪いとると、ルルシアの頭に顎を乗せた。
「ルル、お前はもう休んでろ。あとは大丈夫だから」
「…ライ」
「魔獣二頭は無理だって普通。一頭だけならお前はちゃんとやれたよ、相手が熊でもな」
「――うん」
悔しさで視界がにじむ。
猪に向け弓を構えていたあの時、茂みからやってくる魔獣の声と気配でそれが熊だということがわかった。そして次に、自分の両親の命を奪ったのが熊の魔獣だったと、その事実が脳裏をよぎり――ルルシアの中に浮かんだ感情は限りなく恐れに近いものだった。
(わたしは、そんなものに負けないと誓ったのに)
「ディル!」
「ライ。助かったよ」
「とりあえずこれ頼むわ」
と、ライノールは駆け寄ってきたディレルの方へルルシアを突き飛ばした。ついでに奪っていた弓も投げる。
「ぎゃっ」
突然突き飛ばされてよろけたルルシアを受け止めたディレルには、投げつけられた弓まで受け止める余裕はなかった。勢いよく投げつけられた弓はルルシアの後頭部にちょうど当たり、跳ね返って落ちる寸前にセネシオによってキャッチされた。
ディレルから「なんかごめん…」とぶつかった場所を撫でられながら、ルルシアが頬を膨らませてライノールを振り返ると、ライノールはニヤッと笑った。
「それじゃあうちのチビを泣かせたヤツをぶちのめす手伝いしてくるわ」




