52. たしかこの指摘は二回目
軽く体を抱き上げられてディレルの膝の上に横座りの状態にされる。
そして、何度も口づけを交わす。
触れるだけから始まり、だんだん深くなって、そして、
「う、あの…ディレル、ちょっとまって」
「…ちょっとって、何秒くらい?」
「意地悪…」
頭の中がぼんやりとして何も考えられなくなる直前で、ルルシアはなんとか両手でディレルの肩を押して体を少し離す。と、同時に掌の中でくしゃりと紙が潰れる感触があって、自分が折り鶴を持っていたことを思い出した。
「うう…鶴つぶしちゃったじゃん…」
「…えーと、ごめん?」
恥ずかしさが突き抜けすぎてちょっと涙目になっているルルシアが文句を言うと、ディレルは笑いながら謝った。だがルルシアを離すつもりはないようで、少し身じろぎしても腰に回された手は緩む気配すらない。
仕方がないのでルルシアは抱きかかえられた状態で折り鶴を折り直しはじめた。
「ところで…ルルシアさんはいつになったら俺のことをディルって呼んでくれるの?自分からそう呼ぶって言ったのにずっとディレルのままだし、俺としては割と気持ちをもてあそばれてる気分なんだけど」
ルルシアは、はた、と手を止めてディレルの顔を見る。ルルシアの記憶が正しければ、たしかこの指摘は二回目である。
「…忘れてた」
「うん。そうだろうなと思ってた」
二度目の忘れてた発言にディレルは忍び笑いを漏らす。
「…よくお分かりで」
むー、と口をとがらせて再び鶴を折り始める。元の折り目に沿って折るだけなのですぐに完成だ。握りつぶしてしまった時のシワはなるべく伸ばしたのでそこまで目立たなく出来上がった。
「この鳥って最終日の夜飛ばすんだよね」
「そうだね。三日目の夜に飛ばして祭りの全行程終了。その後は大抵家族とか仲間内で集まって軽い食事会とかしたりするのが慣例だね」
「へえ…」
「最終日ルルもうちに来るといいよ。ライも誘って。うちは毎年ギルドの打ち上げ兼ねて軽い立食パーティーみたいなことするんだ。セダムとジャスミンも来るし、食事も色々用意されるよ」
食事が色々、の部分に心惹かれる物があるし、ディレルには会いたい。…が、この家に来る、しかも立食パーティーとなると…予測される事態にルルシアは微妙な顔になる。
「え、その顔はどういう感情の顔?」
「…ディレ…ディルには会いたいけど、アンゼリカさんには会いたくない顔」
アンゼリカと聞いてディレルが「ああー、」という顔をする。
「…例の着せ替え人形にされるってやつ?」
「うん。アンゼリカさんにつかまると、着せ替え部屋に連れ込まれるから…」
「着せ…替え部屋…?え、何?うちにそんな部屋あるの?」
「アンゼリカさんの部屋の隣。いっぱい服が置いてある」
勝手にルルシアが着せ替え部屋と呼んでいるそこは、沢山の服と生地が置かれ、どうやらアンゼリカはそこでデザインと簡単な縫製をやっているようだった。
「ああ、あの人の仕事部屋か…前も嫌がってたけど、実際中で何されてるの?」
「国外で流行ってる服、国内で流行ってる服、これから出したい服とか三、四着は着せられる。捕まると二~三時間、たまに髪の毛のセットもあるときは半日まるまるとか逃げられない…」
カジュアルな服ならばまだいいのだが、一人で脱ぎ着のできないしっかりしたドレスなどを着せられた日にはそれだけでぐったりと疲れてしまう。それに、立食パーティーとなったら間違いなく髪のセットもされる。ルルシアが参加すると知ったら、絶対に朝から家に来なさいという伝言が届くだろう。
「それは…申し訳ない。やめるように言っておくよ」
「お願いします…居候してた時は断りにくくて…」
「うちの母がほんとすみません…」
「…あと、そろそろ離してください」
「ええー」
うぎぎ…と腕を引き離そうとするがびくともしない。ルルシアは必死だが、ディレルは完全に面白がっている顔だ。だが、今この工房のドアには鍵がかかっていない。誰かが来て開けたらこの状態を目撃されてしまうのだ。
「誰か…メリッサさんとか来るかもしれないし」
「メリッサはノックするから大丈夫だよ」
「ライはノックしないでいきなり入ってくるもん」
「ああー、ライはね…」
別にそれはそれで構わないけど、と言いつつやっと離してくれる。ルルシア的にはとても構うのでサッと椅子に戻り、ついでにガコンと椅子をずらして少しだけ距離を離す。
「そんなに警戒しなくても」
「節度は必要だと思います!」
「じゃあ次からは外から開けられないように鍵閉めるよ」
ニコニコ告げるディレルは非常に楽しそうだ。これは完全にからかわれている。
「そっ…ういうことではなくて!」
ドンッ!
もー!とルルシアが声を上げたタイミングを合わせたかのように、外から爆発音が響いた。突然の音に、ルルシアはビクッと窓に目を向ける。フォーレンのように耳や尻尾があったらピンと立ち上がっていただろう。
だが、ディレルはその音を全く気にしていなかった。
「ああ、花火だよ」
「は…なび……びっくりした」
この世界では馴染みがなさすぎてとっさに魔法攻撃か何かかと思ったが、そう言われてみれば前世では聞き慣れていた花火の音だ。窓から外を覗いてみるが、ちょうど角度的に見えなかった。
「外に出れば見えるよ。せっかくだから街の方まで下りて見に行く?夜の屋台は昼とは違う店も結構出てるよ」
「行きたい!」
「じゃあ出かけようか」
お祭りといえば夜店。焼きそばにお好み焼き…は多分ないだろうが、似たようなファストフードがあるはずだ。ライノールが見たら食い意地の塊めとバカにされるだろうが、ここに彼はいないので気にすることなく楽しめる。
――だが、いそいそとご機嫌で工房の外に向かったルルシアは、一歩外に出た瞬間凍りつくように固まった。
「ルル?どうかした?」
入り口で固まったルルシアへ、ディレルが訝しげに声をかける。周りを見ても外の様子に変わったところはない。ルルシアの様子だけがおかしかった。
「…なんか、嫌な気配がする…」
「嫌な気配?もしかして浄水場のほう?」
問いかけてくるディレルにふるふると頭を振りながら、ルルシアは記憶をたどる。
この気配には覚えがある。
以前浄水場で浄水設備が壊れて瘴気が湧き出たときにおかしな気配を感じたことがあるのだが、今回のものはそれよりも、じっとりとまとわりつくような嫌らしさがある。――たしか、そう、教会が襲撃されたときだ。
「あっちの方角。…瘴気が湧いてるかもしれない」
瘴気という言葉に、ディレルがパッと指差したほうへ目を向けた。
「南西の方…あの辺は昔の採石場跡がある辺りか。確認しに行ったほうがいいね…一応武器持ってくる」
「うん」
もし教会が襲撃されたときと同じようにその採石場に瘴気が発生していて、魔物が集まっていたとしたら。早い段階で迎え撃つことができればいいが、もし間に合わずに人が集まっている街の方になだれ込んでしまえば甚大な被害が出てしまう。
ルルシアはいつも持ち歩いている小さな紙とペンを取り出した。
瘴気が発生している可能性がある場所とその気配が教会の襲撃のときに似ていることなどを簡単に書くと、紙に魔力を込める。紙はほのかに光を放つとパッと一瞬で燃え尽きた。
ちょうどディレルが戻ってきて不思議そうな目をルルシアの手元に向けた。
「今の…通信魔法?」
「うん。ライと局長に送った」
広範囲に防壁を張れるライノールは絶対に必要だ。それと、この事態には瘴気を操るエルフのシャロが絡んでいる可能性が高い。それならば事務局として動く必要があるし、場合によっては冒険者ギルドを動かしてもらわねばならない。
「なるほど、じゃあ城の方に連絡しに寄らなくてもいいね」
「うん。行こう」




