51. 特別な事情
この国、イベリスのクラフトギルドを束ねるギルド長の名はビストート・ランバート。その自宅はテインツ城のほど近い、要人たちの邸宅が軒を連ねる一角に建つ豪邸である。
人々がうらやむような豪邸であるのだが、実際のところ彼個人の所有する建物ではなく代々ギルド長が住むギルド所有の建物である。
現在のギルド長一家は無駄や華美を好む性質ではないため、必要な部屋だけを最小限使用し、その他の部屋は最低限の清掃によって維持している。つまり、豪邸のほとんどの部屋は使用されていない空き部屋となっているのだ。
そのため、ビストートの妻のアンゼリカは、ルルシアの顔を見ると必ずと言っていいほど「我が家に住みなさい」と言ってくる。家賃ゼロ掃除洗濯まかない付き、そして洋服付きという衣食住完全保証の提案である。
アンゼリカの狙いはおそらく最後の洋服付き――要は、ルルシアを着せ替えて遊びたい、というのが主であるとルルシアはふんでいる。
とにもかくにも、息子のディレルに用事があるのでランバート邸には行きたいが、アンゼリカには会いたくない。
ディレルは祭りの頃には戻ると言っていたが、もし訪ねて行って彼が不在だった場合、そしてアンゼリカが在宅していた場合ほぼ間違いなく着せ替え部屋に引きずり込まれる。それは避けたいので家に戻ってきていることが確認出来てから行こうと思っていたのだ。
今日の昼間、彼と一緒に討伐に行っていたフォーレンが町でバイトをしていたということは彼も戻ってきているということ。そして、ホーリーから掴んだ情報によるとアンゼリカは本日夕方から開催される商業ギルド主催のパーティーにクラフトギルド長の妻として招かれている。
「というわけで来ました。ディレルはいますか?」
「ルルシアさん本当に奥様苦手ですねえ。ええ、ディレルさんなら工房にいますよ」
ランバート邸のハウスキーパーのメリッサがくすくす笑いながら邸内に入れてくれる。メリッサとは以前の滞在中に暇を持て余して雑務の手伝いをしていたため、だいぶ気安く話ができる関係になっていた。
「ありがとうございます。行ってみます」
「ごゆっくり」
そろそろ夕暮れという時間だが、中庭に出ると街の喧騒がここまで届いてくる。祭りは今日から三日間続く。期間中は昼夜を問わずあちらこちらで催し物が行われるらしいのだが、街中に住んでいたらうるさくて眠れなさそうだ。多くの職場が祭り期間中休業となると聞いたが、それが理由の一つなのかもしれない。
「ルル、いらっしゃい」
「こんにちは。メモ持ってきたよ」
工房の中はいつもより少し散らかっていた。いつもきれいに片付いている作業台の上にも色々な素材が雑然と並んでいる。
「素材の下処理中?」
「うん。討伐依頼ついでにとってきたやつ。ごめん、散らかってるけど適当にどかして」
適当に、と言われてもおそらくなにか規則性をもって分けられているのだろう。ルルシアはなるべく位置関係を崩さないように慎重にスペースを作ってメモの束を置き、作業台の横に置かれている椅子に腰かける。それを見たディレルは少し微笑み、ルルシアの前にカップを置いた。
「…チャイだ」
「チャイ?スパイス入りのミルクティーだけど…」
感激のあまりカップを捧げ持つルルシアを、ディレルは不思議そうに見る。
このあたりではミルクティーにスパイスを入れる文化があるのだが、そのスパイスの調合は家庭ごとに違う。いわゆる家庭料理の一種で、お店ではあまり出されていない。テインツに住んでからカフェに行ったルルシアはそれを知り、がっくりと肩を落としたのだ。
「うん、前に討伐で飲んでたやつでしょう?カルダモン、クローブにシナモン。あとちょっとショウガ」
「入ってるスパイスなんてよくわかるね。メリッサがいつも作るやつなんだけど、ウッドラフが好きだから討伐の時に茶葉を多めに用意してもらうんだ。これはその残り」
「すごいいい香りだったから飲んでみたかったの。…そう、この味。自分だとうまく調合できなくて」
懐かしい、前世で大好きだったチャイの味に近い。鼻の奥がツンとして、慌てて机に置いたメモに視線を移す。
「そのメモ、見てわかる?」
「ん、見せてね…――えーとちなみにこの文字、エルフ独自の文字だったり?」
「ライによれば共通語だって。はら、ここ『流れ』ってかろうじて読めるでしょ」
「ああ、確かに…そう読めなくもない」
メモを見るディレルの眉間にしわが寄っている。ちょうどライノールも同じ顔で見ていたのを思い出してルルシアは笑いだす。
「そのメモ見るとみんなその顔になる。きっとこのメモ、書いた本人も後から見直したとき読めなくておんなじ顔になったんじゃないかな」
「まあちょっと……だいぶ文字が崩れてて読み辛いからね…」
「自分だけ読めればいいって考え方だったみたい。でももうちょっと丁寧に書いてくれればよかったのにね。魔法の研究してた資料はライにあげたけど、古文書の解読より難しいって言ってたもん」
「古文書の解読かぁ…まあ、これの場合、文様のほうを見ればやりたいことは大体わかるけど…。やっぱり魔法になるとちょっと独特だな…」
後半はほとんど独り言のように呟く。集中し始めるとディレルは周りのことが見えなくなってしまう。ルルシアは邪魔をしないようそっと視線を巡らせ、作業机の近くの窓辺にルルシアの渡した折り鶴が置かれているのを見つけた。
きれいに羽を広げて置いてあるので嬉しくなる。単なる折り鶴だし別に大事に扱われなくてもいいと言えばいいのだが、畳んだままそのあたりに投げてあったらちょっとショックを受けていたところだった。
座っていた椅子から少し体をずらし、手を伸ばして鶴を手にすると、その動きに気づいたディレルが顔を上げた。
「そうだ、俺も渡そうと思ってたんだ」
「鳥?」
「そう」
机の脇に置いてあったノートに挟んであった鳥型のカードを差し出される。綺麗な緑色で、どことなく見覚えがある。
「ジャスミンさんのところに置いてあったやつだ」
「うん。いらないって言っても毎年くれるんだよ。今年は出番があってよかった」
「いつも配らないの?」
「小さい頃は配ったり飛ばしたりしたけど、もう何年もやってないな。男は大体そんなもんだよ。渡すのは事情があるときだけで」
そう言いながらディレルは少し言いにくそうに視線を彷徨わせた。何かよほど言いにくい事情なのだろうか。そこで言葉を切ってしばらく無言になってしまう。
ルルシアは首をかしげる。
「なにか特別な事情?」
「…そう。好きな子に告白したいときとか」
「すきなこにこくはくしたいとき」
思わずオウム返ししてしまう。ホーリーの言っていた『想い鳥』のことを言っているのだろう。ルルシアは受け取ったカードに視線を落として、そこに書かれているディレルのサインを目でなぞる。
事情があるときにしか渡さない、想い鳥。
(…を、渡された)
その意味がじわじわと理解できるにつれて、じわじわと心臓の鼓動が早くなって血が頭に上ってくる。
「………えっ…と…これ、は、そういう…意味?」
首も、頬も、耳も、おそらく真っ赤になっている。茹でダコのように、と言ってもルルシアはこの世界ではまだタコを見たことがない。このあたりの地域ではどういう形容をするのだろうか、と、パニックのあまり頭の一部が現実逃避を図っている。
ディレルはそんなルルシアをまっすぐ見つめると、決心した表情で口を開いた。
「うん。ルルシアが好きだよ。…俺の恋人になって欲しい」
「わっ…わたし人間じゃないですよ?」
まっすぐ見つめられて、ルルシアの口から素っ頓狂な言葉が出てくる。ディレルは少し困ったように首を傾げた。
「えっと…それを言うと俺も半分は人間じゃないんだけど…」
「そうだった。えっと…エルフ、だから、生きる時間が…」
もごもごと言うルルシアの言葉にディレルは目を伏せる。そして一呼吸おいた後、再びじっとルルシアの目を見た。
現代のエルフは平均して大体二百年くらい生きる。長かったら五百まで。対する人間は七・八十年でドワーフは少し長くて百年くらい。ディレルはドワーフと人間の混血なので百までは生きられないかもしれない。
「俺はルルとは歳の取り方が違うし、寿命だってルルの半分もない。…だからすごくわがままで無責任なことを承知で言うんだけど――ルルの生きる一生のうちの、百年くらいを俺にくれませんか」
その目の真剣さに、視線をそらせない。頭の中が真っ白で、
「…なんか、プロポーズみたい」
出てきたのはそんな仕様もない言葉だった。
ルルシアのそんなぽかんとした様子に恥ずかしくなったのだろう。ディレルは真っ赤になって、両手で自分の顔を覆った。
「…俺も今言っててそう思った……でも、そう思ってもらっていいよ。今すぐ結婚とかは言わないけど、でも、ルルが他の奴のものになるとこなんか見たくないし」
手を下ろしたディレルは恥ずかしさからか、少し拗ねたような表情になっている。
かわいい。と、思った。そしてルルシアは思わず手を伸ばして彼の髪に触れ、指で梳く。
「…っ!?」
ディレルは驚いた顔で少し身じろぎした。ルルシアは、ディレルを見つめて微かに首を傾げた。
「…わたしの一生の百年をディレルにあげると、かわりにわたしはディレルの一生全部をもらっちゃうことになるけど」
「あげるよ。全部。…いらない?」
少し不安そうにディレルの瞳が揺れる。ルルシアはゆっくりと頭を振った。
「いらなくない。欲しい。私もディレルが好きだから」
自分の発した言葉が自分の耳に届いて、それで急速に恥ずかしくなったルルシアは咄嗟に手を引こうとした。が、ディレルにその腕を掴まれ、引き寄せられる。ルルシアは「ひゃ」と気の抜けた悲鳴とともにディレルの胸に倒れこんだ。
「好きだよ、ルル」
抱きしめられて、耳元でディレルの声が聞こえる。吐息がかかるのが少しだけくすぐったくてルルシアはくすくす笑った。そして、自分の腕をディレルの首元にまわし、抱きしめ返した。
「うん」
窓の外は日が落ちて、夜が訪れ始めている。それでも続く街の喧騒と沢山の魔術灯の光が祭りの気配を微かに部屋の中に伝えていた。




