43. 鹿の群れ
馬を休ませる意味もあり、そのまま一泊して翌朝、森を後にした。
住人たちは代わる代わるルルシアを抱きしめたり撫でたりと別れを惜しんでくれたため、やっと解放されたルルシアは髪も服もグシャグシャになっていた。
別れ、と言ってもオーリスとテインツは片道一日ほどの距離なのでそこまで遠いわけではない。なにがしか会うこともあるだろう、とアニスはいつもどおりの顔で送り出してくれた。
「アニス、たぶん今大泣きしてるぜ」
「森長が?まさか」
常歩で馬を並走させながらライノールが笑った。少し考えてみるが、アニスが泣くところなど見たことがないのでルルシアには想像すらできなかった。ルルシアが知っている彼女はいつでも凛とした姿をしている。
ただ、そんなアニスが泣いたらルルシアもオーリスに残りたくなってしまったかもしれないので、いつもどおりの顔をしてくれていてよかった、と思う。
「前と同じようにエルム過ぎた水場で休憩するかー」
「わかった」
ライノールの言葉にルルシアは頷く。
エルムという小さな農村を過ぎたところにちょうど川の流れがゆるくなっている岸があり、水がきれいで飲水として使えるため馬や牛を使って移動する旅人や商人はだいたいそこで休憩を入れる。
その周辺は川の流れが速かったり崖になっていたりして水辺に近づきにくいこともあり、その岸には自然と人が集まる。逆に人の気配を嫌って魔物や野生動物はあまり寄り付かないという足を休めるのにうってつけの休憩地なのだ。
そしてなによりも、たまに商人が食べ物の屋台を出していたりするところが素晴らしい、とルルシアは屋台のメニューに想いを馳せる。
「……」
この間出ていた屋台で買った、水で冷やした果物美味しかったな…と考えていたルルシアの耳に、かすかに悲鳴のような声が届いた。すぐに馬の脚を止めさせ耳を澄ますと、遠くから馬が走る音と馬車の車輪がガラガラ鳴る音が聞こえた。ライノールも同時に馬を止め、同じ方向を見ていた。
「馬車が襲われたのかな」
「ああ。一応確認しとくか」
「うん」
馬の首を巡らせて音のする方へ進路を変える。
基本的に旅行者や商人などは護衛を付けているものなので、野盗や魔物に襲われていても特に手出しはしない。無償で助けてしまうと護衛の仕事を奪ってしまうことになるからだ。かと言って、助けた後に金銭を要求するというのは詐欺集団の手口によくあるもので、普通はやらない。
が、今いる場所は農村や休憩地が近いため、もしも野生動物や魔物が暴れていたりするとそちらに被害が出る恐れがある。手出しする、しないは置いておいて、何が起きているのかは確認するべきだろう。
少し馬を走らせて遠目に捉えた二頭立ての幌馬車は、ガタガタと車輪を跳ねさせながら疾駆していた。御者は乗っているようだが、気絶しているのか倒れているように見える。その後ろから馬車を追い立てているのは、エルダーホーンの集団だった。
「鹿!?」
「鹿が集団で…狩り?」
「んな馬鹿な」
エルダーホーンは鹿の姿をした魔物で、鹿よりは凶暴で近づくと襲ってくることはあるものの、通常であればこんな風に長距離を追いかけてきたりはしない。また、集団で行動することも珍しい。
「…わたしは馬車のほう行くね」
エルダーホーンの相手は弓を使うルルシアよりも普通の魔法攻撃ができるライノールのほうが適している。ルルシアはライノールの返事を待たず、馬を駆り馬車に近づく。
このまま馬の暴走を放置していれば車輪が壊れ荷台部分が横倒れになるか、どこかに衝突するかしてしまう。この大きさの幌馬車なので中に人が複数乗っているはずだ。当然乗っている人も馬も無事では済まない。
ルルシアは馬車を追い越し、暴走する馬の様子をうかがう。二頭とも恐慌状態に陥っているようだ。そして一頭にいたっては口から泡を吹いている。かなりの距離をこの状態で駆けてきたのだろう。このままでは馬車が壊れなくても二頭とも潰れてしまう。
「ほら、落ち着いて。もう何も追って来てないから」
後ろから追われている気配はもうない。ライノールが撃退したのだろう。
わざと暴走している馬たちの目の前に出るように自分の馬を走らせながら、声をかけ、そして少しずつ速度を緩めていく。暴走していた馬たちもそれにつられて段々と速度を落とし始めた。
「よし、いい子だね。ゆっくり速度を落とそう」
御者が目を覚まして手綱を持ってくれればもっとスムーズなのだが、ちらりと見た感じどうも御者台で倒れている男は頭から血を流している。衝撃で頭を打ったのか、何者かの襲撃を受けて怪我を負ったのか。
――と、その時、荷台部分の幌を捲って中から人の手が出てきた。
「…っと、…あれ、エルフ?」
幌の隙間から顔を出し、ルルシアを見て目を瞬かせたのは、ハーフリングと思われる男だった。
***
「いや、助かりました…いきなり鹿の群れが脇から飛び出してきて、馬がパニックになっちまって」
商人だという男は額の傷に布を当てながらため息を吐いた。
幌馬車に乗っていたのは五人。馬車の持ち主でテインツに向かう商人とその妻と子が二人、それと向かう先が一緒なので乗合馬車代わりに乗せてもらったという旅人が一人。その旅人が先程荷台から出てきたハーフリングだった。
「エルダーホーンは群れで人を襲うことなどないはずだが、なにか心当たりは?」
ライノールの言葉に商人夫婦は顔を見合わせる。
ちなみに今のルルシアたちはエルフの標準的な服装であるローブやマントを身に着け、フードで顔を隠している。そのため喋り方も久々のエルフ口調だ。久々すぎておそらくうまく喋れないであろうルルシアは先程からだんまりを決め込んでいる。
「わかりません…本当に突然脇の茂みから飛び出してきて。元々別の小型の魔物に襲われて護衛がそっちにかかりきりになってたところだったんで…あっという間に囲まれて、驚いた馬が暴れて馬車が跳ねたときに俺は頭を打ってひっくり返っちまったんで、その先はさっぱり…」
男はそう言って妻の方を見た。だが、視線を向けられた妻も首を振る。
「私達は幌の中にいたので外の状況がわからないんです。護衛の方から、魔物が出たから幌から顔を出すなと言われていましたし…。突然荷台が大きく揺れて、そこからすごいスピードで動き始めてしまったので…荷物につぶされないようにするのに精一杯でしたから」
護衛は一人。その時襲ってきたのはリスか何かの魔物で、小さくてすばしっこい上に、複数でしつこく幌に噛り付こうとするため手こずっていたらしい。そんな時に横の茂みからエルダーホーンの群れが飛び出してきて、パニックに陥った馬に引きずられるまま護衛と引き離され、暴走していたところをルルシアたちが見つけたのだ。
もともと彼らもルルシアたちと同じ休憩地を目指していたというので、はぐれた護衛が無事ならばそこへ行けば合流できるのではないか、ということで行先が一緒のルルシアたちもそこまで同行することになった。
「なあ、このへんのエルフは頼まれなくても人助けをするのかい?」
移動し始めた馬車の少し後ろにいたルルシアに、荷台の後ろから幌をよけて顔を出したハーフリングの男が話しかけてきた。
ハーフリングは人間によく似ているが、体格が小さく、大人になっても人間の子供くらいの大きさである。背が低くてもがっしりして力が強いドワーフとは違い、身軽ですばしっこいのが特徴だ。
ルルシアは視線を彷徨わせたものの、ライノールは少し前にいるのでルルシアが返事せざるを得ない。
「…近くに農村がある。人を襲うエルダーホーンの群れがなだれ込みでもしたら村に被害が出てしまう。あのまま放置はできなかった」
「ああなるほど、周辺住民との共存ってやつの一環か」
「…詳しいですね」
「まあね。エルフの知り合いがいるもんで」
そう言って男はニッと笑う。
「何にせよ助かったよ。あのままだったら冒険者ギルドにたどり着く前に死んでたかもしれん」
彼は最近他国からやってきて、この国で冒険者として仕事をしようとしたものの、エフェドラ領の行政機関が混乱状態だったため見切りをつけて隣のテインツ領へやってきたのだと話した。どうやら、時期的にちょうどアルセア教の清浄派をめぐって代表者議会を巻き込みバタバタしていた頃にエフェドラ入りしたらしい。
そしてちょうどテインツへ行くという商人の馬車に乗せてもらい、移動中にこの事態に巻き込まれたのだ。彼曰く、居眠りをしていたら馬車が揺れ、荷物の下敷きになってしまったのだという。そして何とか荷物から抜け出し、馬車を止めるために御者台へ出ようとしたところでちょうどルルシアと出くわしたのだ。
あのあと彼が手綱を握り、何とか馬車を止めることができた。
ルルシアはあまり雑談をしたくないのでじわりじわりと馬車から距離を取るのだが、男は気付いていないのか「このあたりでよく見かける魔物は」とか「このあたりの冒険者がよく使っている武器は」とかいった冒険者に必要そうなことを次々聞いてくる。
「わたしは冒険者ではないから冒険者のことはよく知らない。護衛と合流したら護衛に聞けばいい」
「ああそっか、エルフは冒険者とは別枠だったっけ。いやあ、護衛のおっさんに聞こうとしたんだけど、どうも亜人種嫌いだったらしくて俺のこと無視するからさぁ」
亜人種を嫌う人間がいるというのはルルシアも聞いたことがあるが、テインツ領はそもそもドワーフが治めていた過去があり、かつ実力があれば認められる職人気質の土地のため、人間も亜人も、混血含め多種族ごちゃ混ぜで暮らしている。テインツで亜人種が嫌いなどと言っていたらまともに暮らしていけないだろう。
一方でエフェドラは比較的人間の多い土地であるため、そういう思想の者が一定数いるらしい。
一定数、と言っても混血の進む現代社会でそこまで多いわけではない。そんな人物にあたるとは随分運の悪いことで、とルルシアは肩をすくめた。
「なら休憩地で聞けばいい。あそこは冒険者も多いし、種族も様々だから」
「そうする。ところでお姉さん名前は?俺セネシオっていうんだ」
セネシオ、という名前にピクリと反応してしまう。
ついこの間センナから聞いた、エフェドラ領各地で伝承を残している放浪エルフの名がセネシオなのだ。だがここにいる彼はハーフリングだし、かつ、エフェドラでは伝承にあやかってセネシオと名付けられることも多いらしいので偶然の一致だろうが、非常にタイムリーな名前だ。
「ルルシア」
「へえ、可愛い名前だね。テインツに住んでるの?食事とか誘っていい?」
「……」
ルルシアは黙殺して更に馬車から距離を取った。
「お兄ちゃんフラれちゃったねー?」
「いやいや少年たち、一度のアプローチで上手くいくことの方が少ないのだよ。繰り返しが大事なんだ、繰り返しが」
商人の子供とセネシオの会話がかすかに聞こえる。
(護衛のおじさんに嫌われたのは亜人種だからじゃなくてチャラ男だからなのでは…)
そんな疑念が浮かんできたが、とりあえずもう絶対口を利かない、とルルシアは心に決めた。




