37. 清浄派のトップ
清浄派のトップはアルボレスという男で、エフェドラ領代表者議会の人間代表事務局長補佐、という領内でもかなり地位のある人物だ。
エフェドラ領内ではアルセア教の勢力が非常に大きい。
領内の自治は代表者議会によって方針決定されるのが原則なのだが、その自治に大きな影響を与えるアルセア教総本山はあまりいい顔をされていないのが実情である。
また、教会側が要求してくる多額の献金が領の財政を圧迫しているというのも議会を悩ませているポイントだ。
確かにアルセア教総本山がそこにあることで巡礼者などが訪れ、財政が潤う側面もあるものの、度を越している、というのが代表者議会全体の意見だった。
そして、アルボレスという男は非常に潔癖な人物である。
貧しい者への支援が行き届かないことに胸を痛め、多額の献金の使途が不明であることに教会への不信感と怒りをつのらせていた。
そんな折、彼の知人が教会に『癒やしの力』を求めて教会の門を叩いたのだ。
知人の娘は不治の病に侵されており、医者からもう治療の見込みはないとさじを投げられていた。僅かな望みにかけて教会を頼った知人に、教会はそういった症状には『特別な治療』を施すことになるので多額の金銭が必要だ、と告げた。
神の子の治療は怪我でも病気でも、命に関わるほど重篤なものは治すことはできないとされている。教会内部に保管されている過去の文献の記述でも、裂傷、熱病などの治療の記録はあるが、死に瀕した患者の命を救ったというような記録はない。
これは公に知られていることで、それでも一部の人々は、起こるかもしれない奇跡を求めて縋りついているという側面は確かにある。だが――
「『特別な治療』とは…?そんなものは聞いたことがない。騙されているんじゃないか?第一そんな法外な金額…」
アルボレスの言葉に知人は聞く耳を持たなかった。
「普通の癒しとは違って神の子の負担が非常に大きいそうだ。高額であることも、本当に必要とする一部の者たちにしか知らせないのも、患者が殺到し、神の子が命を削って癒しを施すような事態を避けるために必要な措置だと司祭様はおっしゃっていた」
「しかし…」
完全な治療のためには癒しが複数回必要であるらしい。途中、一応の回復は見られたそうだが結局娘は命を落とした。
毎回の莫大な治療費に加え、治療の都度、順番待ちの順位を上げるためにも金が要るのだ、と金策に駆けまわる父の姿を見かねた娘が自ら命を絶ったのだ。
アルボレスはそこから、調査を始めた。
調べてみれば同様の案件は掃いて捨てるほど出てきた。順番待ちの順位などあってないようなもので、金を積めばいくらでも変更できる。むしろ金を積まなければ順番などまず回ってこない。
そして肝心の『特別な治療』について調べてみると、話を持ち掛けられたという者は複数見つかったものの、ほとんどは金額の莫大さに治療をあきらめていた。実際に治療を始めたケースも数件あったが、そのすべての患者が、アルボレスの知人の娘と同様に結局途中で資金が尽きて治療が滞り、そして自ら命を絶っていた。
「自殺前の患者が幻覚・幻聴に苦しんでいたという話をいくつか聞きました。治療と称して幻覚作用のある薬剤を投与していたのではないでしょうか。投与後しばらくは苦痛が軽減するので一時的に回復したように見えますし、『治療』が滞ったことで禁断症状が出たと考えられます」
「…薬剤を特定することは出来ないだろうか」
「効果を見る限り、通常の医療行為でも使用されている薬剤だと思われます。濃度や組み合わせで効果が変わるのです…薬剤自体が見つかってもそれを証拠として罪を追及するのは難しいでしょう」
「患者に協力を仰ごうにも、『治療』中の患者とその関係者は『司祭様』の言いつけで治療の事実を隠そうとする、か」
自分と、数人の協力者だけでは相手が大きすぎて、罪を暴くにも力が足りない。
教会内部にもこういった金儲けを目的とした治療に嫌悪感を示す者は多い。アルボレスは教会に内通者を作り、腐敗した体制の浄化をうたって同調する者たちを取り込んでいった。
その結果が現在の『清浄派』である。
***
今彼は、神の子の側近たちを主とする『神の子派』の二人とテーブルをはさんで向かい合っていた。
神の子派には同行者が一人。ローブを深くかぶった、エフェドラ領のエルフ代表者事務局からやってきたというエルフだった。
「神の子を擁する者たちはあなた方清浄派との和解を望んでいる。神の子を利用する教会上層部に対する怒りは共有できるものだと考えています。そして同時に、世間から隔絶され教会に利用される神の子を、救いたい。それが『神の子派』の主張の全てです。――そのために、清浄派による神の子の殺害計画を早急に止めていただきたい」
「殺害?そんな事は考えていない。神の子とて被害者の一部だろう。ただ、無自覚に利用されているのはいただけないとは思っているが。…我々が望んでいるのはあくまでも神の子の癒しの内容と献金の使途を詳らかにして、金銭を目的とした実体のない治療…いや、薬物投与をやめさせることだ。我々の計画に殺害など入っていない…が…」
組織が大きくなりすぎている。その実感はアルボレスの中にもあった。末端まで目が届かないという焦りを感じ始めていたのだ。教会派に不正の証拠を消されてしまわないよう、清浄派は大々的に動くことは避けて水面下で活動している。それは大きな組織には不向きな形態である。
近いうちに組織の見直し、方針変更が必要だと考えていた矢先の『神の子派』訪問だったのだ。
(だが、殺害だと?いくら何でもそんな愚かなことを…)
そんなアルボレスの思考を断ち切るように、鈴を振るような美しい声が部屋に響いた。
「ほう?『我々』といっても、すでに清浄派は組織として暴走を始めているようだが?貴殿の命令は何者かによって意図的に歪められているようだぞ。テインツに現れた襲撃者は、神の子に重傷を負わせるもしくは殺害が目的であると口にしていた。そして、現地に紛れ込んでいた清浄派を名乗る者の中には『神の子は魔族の血を引いてるので粛清すべきだ』と騒ぐ者もいたそうだ」
口を開いたのは今まで黙って座っていたエルフの女であった。その内容にアルボレスは一瞬言葉を失う。
「…襲撃だと…?か…神の子は?」
「その時点から把握していないのか。神の子にも、その他の者にも重傷者は出ていない。貴殿は神の子…いや、アルセア教の転覆を望む何者かによって都合のいいマスコットとして無自覚に利用されたのだよ。皮肉なことだな。不正を許さず清浄を取り戻すとうたいあげるのは立派だが、制御できない組織など害悪でしかない。そう思わないか、アルボレス卿」
「……ああ…その通りだ…」
喉がカラカラに渇き、頭痛がする。一体いつから、自分の作り上げた組織はそこまで自分の手を離れて暴走を始めていた?重傷者は出ていない、ということは怪我人は出ているのだ。なぜそんなことを。
だが、利用され、暴走したとはいえ、間違いなくこの事態の引き金を引いたのは自分だ。
「何ということを…私はどう償えば…」
「貴殿は組織の制御ができていなかったとしても、そもそもの立ち上げ時点での求心力は本物だと考えている。早急に神の子への襲撃命令の撤回をしていただこう。トップ直々の言葉だ。末端にもそれなりに届くだろう」
「すぐに、そうする」
アルボレスは悄然と頷いた。ローブのエルフも頷き、ホッとした顔をしている神の子派の二人に顔を向けて「上層部を交えた今後の教会内の方針については双方で話し合ってくれ」と、続けた。そして、アルボレスの方へ向き直る。
「さて、私たちエルフにとってはここからが本題だ――貴殿に、『命令』で神の子殺害のために動いていた襲撃者の中の一人を捕らえる手伝いをしてもらおう」
「貴方が言ったように、私は命令を下していないし襲撃者を把握していない…」
「分かっている。だから手伝いと言っている。テインツの襲撃者の一人はエルフで、魔物を呼び寄せたらしい」
「…は?」
魔物を呼び寄せる?エルフ?
アルボレスには襲撃があったこと自体が衝撃的だというのに、更に衝撃が重なってくる。
「テインツの教会はそうやって呼び寄せられた魔物による襲撃を受けた。幸いテインツのエルフ事務局の采配で神の子の護衛としてエルフが送り込まれていたので被害者は出なかった、が、魔物を呼ぶエルフが人を襲ったなどという事実は看過できない。我々エルフはその襲撃者を捕縛し、規律に従い制裁を与えなければならない――そのために、貴殿の組織の人員を洗い直し、当該エルフとコンタクトを取った経路を明らかにして欲しい」
「…やれるだけはやってみよう」
「ああ。同時に、エルフが、規律を破った襲撃者に対して制裁を加えようとしていることを周知してもらいたい。我々エルフ全体に対する良からぬ噂が一人歩きする事態は避けたいし、同時に神の子側にエルフがついていたという事実が広まれば、今後襲撃を仕掛けようなどと考える愚か者に対する抑止効果もあるだろう」
「エルフが、宗教に肩入れするのか?あなた方は他種族や宗教の諍いには関わらないのが原則だろう?」
「エルフは無辜の民の敵には回らない。今回の件で神の子と呼ばれている子供たち自身に罪はなく、襲撃を受けるような正当な理由はない。よって原則は曲げていないと判断している」
「無辜の民、か…」
アルボレスは手を組んで目を閉じ、深く息をはいた。
「分かった…まずは、私が犯した罪の収拾を図るところから始めさせてくれ――襲撃を、やめさせる」




