35. 『ルチアだって大事』
「…あの日」
ルチアはハオルの手を握り、苦しそうに浅い呼吸を繰り返す彼の顔をじっと見つめながら呟くように口を開いた。ルルシアは顔を上げてルチアを見る。
「ルルシアさんに初めて会った日ね、抜け出して街を探検しようって言ったのはハオだったの。私は始め反対したんだけど、でも…私はさ、『ルチア』になる前に自由に生きてたでしょ?…だけど、ハオは『ハオル』の人生しか知らないんだよなって思ったんだ。小さい頃から神の子って呼ばれて、親と引き離されて、教会の中からほとんど出ることもできずにずっと生きてきた。私はこんなだから、前世でも現世でも両親にちゃんと愛されてたのを覚えてる。でもハオは親の顔もよく覚えてないの」
ハオルの癒しの力が明らかになったのは物心ついて間もない時期だった。彼と、その力を増幅出来るルチアの二人はすぐにアルセア教会に保護された。両親には十分な金額が支払われたそうだが、ほとんど無理やり引き離されたらしい。そしてその後、会うことは禁じられたという。
「だからちょっとくらい、自由に歩かせてあげたかったのにそれすらできなかった。挙句の果てに、こんなのって酷い。ハオが何をしたの?なんでこんな目に合わなきゃいけないの?ハオは人を助け続けてきたのに。…やられたのが私の方だったらよかったのに…あの時私がハオを庇うべきだったのに…」
ルチアの目からはぼたぼたと涙が零れ落ちて、つないだハオルの手を濡らしていた。
(ルチア様の気持ちはわかる。自分が犠牲になって相手が助かれば、何かしてあげた気持ちになれるから)
でもそれはとても自己満足的な気持ちだ。
それは自分の命を一方的に相手に背負わせることだから。
繋がれた二人の手を見つめながらルルシアは静かに口を開いた。
「あの時もそう言ってましたよね。『私よりもハオの方が大事』って。それに対してハオル様は怒ってました。『ルチアだって大事』って」
「ハオは優しいから…でも、誰がどう考えてもハオの命の方が価値があるでしょ?どっちかだけが生き残るならそれはハオの方であるべきだわ」
命の価値が平等なんて嘘だわ、とつぶやくルチアに、ルルシアはニコリと笑いかける。
「…わたしたちは、家族を残して死ぬ人の気持ちがわかりますよね。そしてわたしはこの世界で両親に先立たれて、家族に残された人の悲しみを知りました。残した方の後悔と、残される方の悲しみ、どっちがましだと思います?」
「…え?えっと…」
突然畳みかけるように話し出したルルシアに、ルチアは少し戸惑い気味に目を瞬かせた。
「答えは、どっちも最悪です。クソくらえって感じです。――ルチア様、人は恐ろしく簡単に命を落とします。わたしたちはそれを我が身で体験してますよね。だから、誰かと自分のどっちかが死ぬかもっていうときに考えるべきことは、まずどっちも生き残る方法なんです。そして次点で、生き残る可能性が高い方を生かすことです」
「…それなら癒しの力を持ってるハオの方が…」
ルチアの言葉にルルシアは「いいえ、そういう概念的な話ではないんですよ」と首を振る。
「今回は単純に、攻撃をハオル様が受けて倒れたのですから、生き残る可能性が高いのはルチア様です。だからあなたが自分を責めることに意味はありません。そもそも、まだハオル様は生きていますよね?それなら優先するのはハオル様も生き残る方法を考えることです。――つまり、どんな状況だったとしても、攻撃を受けたのが自分だったら、とか、自分が庇っていれば、なんていうタラレバなんて入る余地がないんですよ」
わかりますか、と言ったルルシアは若干目が据わっていた。ルチアは「あ…はい…」と気圧された様子で答える。彼女の涙は止まっていた。
「だから、今はハオル様を助けることだけ考えましょう?それで、助かったら、こんな理不尽な目に合わせた連中をぶっ飛ばす方法を考えるんです」
ルルシアが勢いよく言い切ったところで、部屋の中にパチパチとやや控えめな拍手が響いた。いつの間にかカリンが戻ってきていたらしい。
「ルルシアさん、大人しくてあんまりしゃべんない子だと思ってたけど、結構言うタイプね」
「…ちょっと勢いあまりました…」
ハッと我に返ったルルシアは手に持ったタオルを握りしめ「すみません…」と口の中でもごもご呟いた。
それに対して、ルチアは口をぎゅっと結んで、大きく頭を振った。
「ううん。ルルシアさんの言う通りだった。そうだよね、出来ることをするしかないんだから…自分を責めてる暇なんてないんだ」
「その意気ですルチア様。もうハオル様が元気になりすぎて鼻血出すくらい回復力上げちゃいましょ」
「そうね!」
カリンが煽ってルチアはやるぞ!とぎゅっとハオルの手を握りしめた。鼻血は出さない程度にしてあげてほしいが、やる気は出たようなのでルルシアはほっと息をはく。魔法であれば、自分の中に迷いがあると上手く行かないものなのだ。
そういえば――と、なんとなく気になっていたことを口にする。
「癒しの力って魔法とは原理が違うんでしょうか。なんていうか…わたしやライの使う魔法が黒魔法だとしたら、癒しの力は白魔法みたいな感じじゃないかと私は思ってるんですけど」
「白とか黒魔法って、ゲームの?」
「はい。この世界のエルフの魔法…多分魔法を模倣している魔術も、白魔法的な『癒し』『聖なる力』みたいなものは使えないんですよ。ゲームの黒魔導士が白魔法を使えないみたいに、ジャンルが違う魔法なのかなって」
「ああなるほど、ハオや私は白魔導士ってことね…むしろ私はサポ専だけど…。確かに、私たちの能力も呪文とか使わずに発動するし、エルフの魔法に近い感じはあるかも」
クロマドーシ?サポセン?と首をかしげるカリンには申し訳ないが、前世のゲームのたとえはルチアにはわかりやすかったようですぐに伝わった。
「魔法と同じ原理なら、イメージすることで得る効果を変えることができます。具体的にイメージすればするほど精度が上がるんですよ。わたしの場合昔吹奏楽部だったので、基本的に魔力を楽器のチューニングとか音の波としてイメージして操ってるんですけど…今の場合だと…」
さっき魔物を防ぐために作り上げたネットは蚊帳や防虫ネットのイメージだった。自分が知っていてイメージしやすいものを参考にすると比較的うまくいくのだ。
今やりたいのは、ハオルが持っているかもしれない、体内の瘴気を消したり中和したりする能力を強めてやること。
「もともとそこにある力を伸ばすってことは、わたしだったら植物に水をあげて育てるとか、散らばってるものを集めて何かの形を作るとかかなぁ…」
「植物を育てるっていうのは分かりやすいかも…私昔お菓子作りに使うミント育ててたし」
それでやってみると言いながら、ルチアは最初にそうしたように、ハオルの手を両手で握って自分の額に当てて目を閉じた。
夜が深くなって朝日の気配が近づき、ルチアの頭の中にミントの大草原が広がったころ、ハオルの指がピクリと動いた。
そして彼の真っ白だった頬に僅かな朱が差し始めたのだった。




